2010.07.27


オハ47形 0番台 大井川鐵道

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影

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※近日中にTR23の台車アップ写真を追加予定

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1960年代中盤、高度経済成長の時流に乗った急行列車における、
寝台車需要の急激な伸びに対応するため、
戦前製優等客車の台枠を再利用して、
10系寝台車と同等の車体を新製したオハネ17形が量産された。

このオハネ17形を製造する際、台車の新造は予算面で困難であったため、
寝台車の乗り心地向上の見地から、既存台車中で最良の乗り心地であった
スハ43形のTR47の流用が実施され、
その代わり、台車を供出したスハ43形には、
複雑な手続きを経て捻出されたTR23を、
若干改造のうえで装着することとなった。

この改造を受けたスハ43形は、
台車が軽くなったため自重が減って「オ」級にランクダウンし、
オハ47形に形式変更された。

乗り心地は、本来のスハ43に比してやや悪くなった。

なお、電気暖房付き車は、
途中に碓氷峠越えの区間を抱え重量制限が厳しい
信越線系統の列車を中心に充当された。

後に、オハ47形500番台に8両、緩急車のオハフ46形0番台に30両、
オハフ46形500番台に1両改造された。

(Wikipediaより)

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船土線

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2010.07.24


FM-Selfpit No.199

■□□ No.199

1.Cannot Change / Derek Clegg
2.Ducking and Diving / Farryl Purkiss
3.Better Days / Farryl Purkiss
4.Memphis / Arrica Rose

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

■□□ No.198 feat.WAKING SEASON

1.Through Bloodshot Eyes
2.Cold Day in Hell
3.I'm Sorry

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

■□□ No.197 feat.Alice Peacock

1.Taught Me Well
2.Runaway Day
3.Different from the Rest

Alice Peacock

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

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+radiko.jp

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

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FM-Selfpit Another Side feat.Linkin Park

■□□ feat.Linkin Park

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2010.07.23


雷嵐

ギリシャ アテネにて

© Chris Kotsiopoulos

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福岡・城野遺跡 石棺に人物画

北九州市小倉南区の城野(じょうの)遺跡で、
弥生時代終末期(3世紀前半ごろ)の墓の石棺に、
武器らしいものを持つ人物像が描かれていることがわかった。
弥生の石棺に描かれた人物画は極めて珍しく、
弥生人の葬送儀礼を知る貴重な手がかりになりそうだ。

城野遺跡は同市芸術文化振興財団の埋蔵文化財調査室が発掘してきた。
昨年、周りに溝を巡らせた方形周溝墓が発見され、
子供用の石棺が見つかった。
石棺の内側には赤い顔料が塗られ、頭側の板に、
大きさ約20センチの人物の上半身が薄く彫り込まれていた。
右手に武器、左手に盾のようなものを持っている。
武器とすれば、弥生遺跡で出土する戈(か)とみられる。
胴体には格子模様、顔には複数の目のような表現があるという。

弥生時代の土器などには、
武器を持つ人物が描かれたものが見つかっているが、
それらは、農耕儀礼を表しているとみられている。
だが、今回の人物像について、設楽博己・東京大教授(考古学)は
「石棺にあったということは、
墓の中で邪霊をはらうものと考える方が理解しやすい」とみる。

さらに、古代中国の文献「周礼」に登場する
呪術師「方相氏(ほうそうし)」ではないかとの指摘も出ている。
方相氏は四つ目の面をかぶって戈と盾を持ち、
律令時代の日本では宮中の、
鬼を払う追儺(ついな)の儀式にも採り入れられた。
ただ、石棺の絵は線が細く、細部もはっきりしないため、
研究者のなかには慎重な見方もある。
同市教委は「これからさらに詳しく検討したい」としており、
近く石棺の一部を現場から屋内に移し、調査を続ける予定だ。

◎朝日新聞 2010年7月22日
  http://www.asahi.com/...

弥生時代 2010 |

2010.07.19


上田電鉄 7200系 まるまどりーむ号 (元東急7200系)

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・別所温泉駅にて平成22年5月に撮影

長野県・別所温泉駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷車両基地にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・下之郷駅にて平成22年5月に撮影

長野県・別所温泉駅にて平成22年5月に撮影

長野県・上田駅にて平成22年5月に撮影

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▼映画「サマーウォーズ」に登場

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上田交通7200系電車は、上田電鉄別所線で使用されている通勤形電車。

老朽化した5000系(元東急5000系)を置き換えるため、
5000系の場合と同様に親会社である東京急行電鉄から7200系を
1993年(平成5年)に譲り受けたもので、
モハ7251-クハ7551 - モハ7255-クハ7555の10両が譲渡された。
全車東急在籍当時に冷房改造を施工しており、
本系列は上田交通初の冷房車であった。

同年5月28日に運用を開始して従来車を一掃し、
別所線の近代化に貢献した。
なお、東急時代に常用していた回生制動は
同線の変電所が回生制動に対応していないため使用を停止し、
空気ブレーキのみを使用している。

その後、1997年(平成9年)に別所線におけるワンマン運転開始に伴い、
全編成に対して対応工事を施工し、車内に運賃箱・整理券発行機が、
運転台にはワンマン運転用の装備がそれぞれ追加された。

上田電鉄発足直前の2005年(平成17年)1月に
7253編成がモハ5250形「丸窓電車」のイメージを再現した
ラッピング車両に改装され、「まるまどりーむ号」と命名された。

車内はカッティングシートによる木目調に改装され、
一部の側窓をシールで楕円窓状に装飾し、
車体色を5000系導入以前の標準塗装であった
クリーム色と紺色のツートンカラー(ラッピング)に変更したほか、
中吊りには「丸窓電車」の現役時代の写真が展示されている。
当初は土・日曜日の限定運用であったが、
同年10月の上田電鉄発足を期に 7255編成も同様に改装され、
「まるまどりーむ号」が2編成となったことで限定運用は解除された。

2008年(平成20年)3月7日に上田市役所ホームページ上において、
2008年(平成20年)より元東急1000系4編成を導入し、
本系列3編成を代替廃車することが発表された。

同年3月15日のダイヤ改正後に7251編成が運用を離脱し、
同じく元東急7200系を使用している豊橋鉄道へ譲渡されて
1800系モ1860-ク2810となった。
その後、7252編成と7254編成についても同年10月頃に運用を離脱し、
モハ7252・7254の2両は東急車輛製造へ譲渡され、
構内用牽引車として使用されている。

2009年(平成21年)12月現在、7253・7255編成の2編成4両が在籍するが、
前述のようにこれらはいずれも「まるまどりーむ号」仕様となっている。

(Wikipediaより)

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▼豊橋鉄道に譲渡された旧7251編成(1800系モ1860-ク2810)

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

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東急7200系

東京都・奥沢駅にて昭和61年6月22日に撮影

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わんぱく

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NHK 豊橋支局

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トタンの建物

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2010.07.15


余部鉄橋(餘部鉄橋)



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影



兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影

兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影

兵庫県・餘部駅付近にて昭和63年3月16日に撮影

◎余部鉄橋(餘部鉄橋)・山陰本線 壁紙写真集
 http://kobe-mari.maxs.jp/kami/amarube.htm

◎餘部橋梁 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

◎余部鉄橋列車転落事故について
  http://www.nihonkai.com/railway/gallery.html

◎Google検索「余部」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「餘部」
  http://www.google.com/...

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2010.07.14


あじさい 006

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島根・西川津遺跡 三重環濠?弥生期の溝

県埋蔵文化財調査センターは13日、
松江市西川津町の西川津遺跡で、
新たに弥生前期(紀元前4世紀頃)の溝などが出土したと発表した。
昨年度の調査で同遺跡から出土した、
三重の環濠(かんごう)の可能性がある溝の一部とみられるという。

溝は、幅約2メートル、深さ約0・8メートル、長さ7・5メートル以上。
中から弥生土器や石器が出土し、
付近からは、もみ殻のついた大量の炭化米も見つかった。

2009年度に調査した、県道を挟んで約20メートル西の区画からは、
環濠ともみられる同時期の溝が3本出土しており、
位置関係や大きさなどから、そのうちの最も北側の溝と、
今回出土した溝がつながっていると推定される。
その場合、溝の総延長は約33メートルに達するという。

溝の南側からは、弥生後期(3世紀頃)の100以上の柱穴
(直径約30~50センチ、深さ約20~50センチ)も出土しており、
後期には居住域だったとみられる。
ただ、前期の住居跡などはまだ見つかっていない。

◎読売新聞 2010年7月14日
  http://www.yomiuri.co.jp/...

弥生時代 2010 |


宮崎・今井野遺跡 古墳時代に鉄器生産

延岡市天下町など五ケ瀬川沿いの丘陵地帯で進む
複合産業団地の造成工事に伴う「今井野遺跡」の
一般向け説明会が10日、現地であった。

これまでの調査対象は約3500平方メートルで、
旧石器時代(約1万3000年前)から
古墳時代(約1600~1700年前)にかけての
石器・土器や住居跡、鍛冶(かじ)関連の遺物などが見つかっている。

昨年度「花弁状住居」と呼ぶ弥生時代住居跡を発掘し、
今年度、新たに「器台」と呼ぶ弥生式の
筒状土器の大量の破片が見つかった。
祭祀(さいし)に使用したものを廃棄した場所と推測されるという。

調査ではさらに、古墳時代の鍛冶跡と思われる竪穴式住居で、
鉄造りの残りかすやふいごの破片、金床石の据え跡なども発見された。

市教委文化課の甲斐康太さんは
「今回発掘した住居跡や遺物で、地域間交流があったことや、
今井野地区でも古墳時代に鉄器生産が
行われていたことなどが分かった」と話している。

◎毎日新聞 2010年7月12日
  http://mainichi.jp/...

大和朝廷 2010, 弥生時代 2010 |


あじさい 005

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長野・阿島北五反田遺跡 特徴的な土器、多数出土

喬木村教育委員会が発掘調査をしている
同村阿島の「阿島北五反田遺跡」で、
飯田下伊那地方の弥生時代中期を特徴づける
「阿島式土器」が多数出土している。

直径40~100センチの範囲に石を集めた場所も
約10カ所で見つかっており、調査団は
墓地か祭りが行われた場所だった可能性があるとみて
詳しい調査を進める方針だ。

村教委によると、調査は村道の新設に伴い5月に始まった。
今月末までかけて、長さ約90メートル、幅約4メートルの範囲を
発掘する予定だ。

調査団によると、弥生時代の発掘地は小高い場所にあったとみられるほか、
これまでに東西に続く溝3本が見つかっている。
溝は最大で幅1・5メートル、深さ1メートルほど。
溝の内外から阿島式土器の破片が見つかっており、
中には赤く塗られたものもある。
総数は千点を超えており、今後の調査でさらに増える可能性もあるという。

阿島式土器は昭和初期に命名された。
つぼ形のものは外側を中心に赤く塗られているのが特徴という。

飯田市上郷考古博物館によると、
飯伊地方でのこれまでの発掘では、
1カ所で見つかった破片の数は多くても数百点で、
阿島北五反田遺跡の数は際立っている。

日本考古学協会員で調査団長の今村善興さん(82)=飯田市座光寺=は
「多くの課題を投げ掛ける大切な遺跡。さらに調査を進めたい」としている。

◎信濃毎日新聞 信州ライブオン 2010年7月7日
  http://www.shinshu-liveon.jp/...

弥生時代 2010 |


愛知・平手町遺跡 日本最古の舟形木棺はヒノキ製

名古屋市北区の平手町遺跡で昨年2月に見つかった
弥生時代中期後半(約2000年前)の日本最古の舟形木棺が、
ヒノキ製だったことが市教育委員会の分析で分かった。
当時の丸木舟にヒノキが使われた出土例はないことから、
廃船となった丸木舟を棺(ひつぎ)に転用したのでなく、
初めから木棺として作られた可能性が高まった。

木棺は幅約1メートル、長さ約2・8メートルで状態が良く、
併せてふたと、30~50歳代の性別不明の
人骨の一部も棺内から見つかった。
発掘後の分析で、棺はヒノキの丸太をくりぬいて作られたと判明した。

「精霊(しょうりょう)舟」などで現代にも受け継がれる、
魂を舟であの世へ送る「舟葬(しゅうそう)」という葬送風俗は、
弥生末期以降の遺跡で確認されていた。
平手町遺跡の舟形木棺はこれを約200年もさかのぼるため、
廃船を転用しただけとの見方も捨てきれなかった。

同志社大の辰巳和弘教授(古代学)によると、
縄文以降の遺跡から出土した実用の丸木舟約400例を調べたところ、
材質はスギやクスノキなどで、ヒノキは1例もなかった。
木棺がヒノキ製だったことで、辰巳教授は
「舟葬思想に基づいて、わざわざ舟形に棺を作った可能性が高い」
と話している。

◎中日新聞 2010年7月6日
  http://www.chunichi.co.jp/...

弥生時代 2010 |


奈良・唐古・鍵遺跡 燃えてなかった弥生時代の米

遺跡で見つかる黒い米は、どうして黒くなったのか――。
これまでは貯蔵していた稲穂が焼けたためと考えられていたが、
京都大総合博物館が弥生時代の「炭化米」をX線で調べると、
穂についた毛や軸など、燃えていたら残らないはずの
微細な構造がくっきり見えた。どうやら別の原因があるらしい。

炭化した稲穂は約2500年前のもので、
奈良県の唐古・鍵遺跡で京都大学が1937年に発掘した。
10センチ角の黒くなった米のかたまりで、
弥生時代の稲作を証明した遺物として知られる。

今回、島津製作所の協力で
産業用X線コンピューター断層撮影(CT)装置を使って調べたら、
もみについた1ミリ以下の毛や、穂軸などの微細構造が
きれいに残っていることがわかり、焼けたものではないと推定できた。
黒くなった仕組みは謎で、今後解明したいという。

積み上げた稲穂の方向がそろっていないこともわかった。
高床式建物に稲穂をきちんと積み重ねて保管していたものが焼けた、
という推定は見直しを迫られそうだ。

「焼けてないという前提で
弥生時代の稲の保管のしかたを考え直す必要がありそうだ」と
京都大の泉拓良(たくら)教授(考古学)は話す。

◎朝日新聞 2010年7月8日
  http://www.asahi.com/...

弥生時代 2010 |

2010.07.13


あじさい 004

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豊橋市公会堂

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影 建設当時の鷲

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豊橋市公会堂は愛知県豊橋市今橋町にある施設。
式典や講演会等、各種イベントに利用されている。

建物は「ロマネスク様式」と呼ばれる物で、
中村與資平(1880~1963)が設計。

鉄筋コンクリート造りの近代的建築物の発祥とも言われる。

スペイン風の円形ドームは、
スパニッシュ・コロニアルリバイバルという1910-20年代に
カリフォルニアで流行したスタイルを模倣したものである。
これは、スペインが、メキシコ、カリフォルニアを統治していた時代の
建築様式の復興を試みたものをいう。

(参考文献:伊藤晴康「豊橋市公会堂の意匠における
スパニッシュ・コロニアルリバイバルの影響について」
豊橋創造大学短期大学部研究紀要第19号 2002年)

1945年には、豊橋市役所の機能が移転しているほか、
1948年から1952年までは豊橋中央公民館として、
1969年から10年間は市民窓口センターに使用された。
その後、新たに中央公民館が設置されたため、
再び公会堂に戻り現在に至る。

講堂客席部を中心に改修を続けてきたが、
外観は勿論、殆どのドア、 窓サッシ等は当時のままである。
第二次大戦中に供出された金物も一部復元され、正面外観を飾っている。

構造:鉄筋コンクリート造3階建
規模 敷地面積:4,039.22平方メートル
延床面積:2,945.27平方メートル
開設:1931年8月24日
大ホール 客席/601席(2階469席、3階132席)

1928年 
市議会で「大典奉祝記念として公会堂を建設する」との議決で建設が決定。

1931年 
市政施行25周年に合わせて公会堂が完成。建設費は当時の金額で約17万円。

1945年 
豊橋市役所の機能が移転。

1998年
国の登録有形文化財に登録。

(Wikipediaより)

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わ99形 (スハフ12形) わたらせ渓谷鐵道

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・大間々駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・大間々駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・車内にて平成21年8月に撮影

栃木県・車内にて平成21年8月に撮影

栃木県・車内にて平成21年8月に撮影

栃木県・大間々駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・大間々駅にて平成21年8月に撮影

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「トロッコわたらせ渓谷号」に使用される客車で、1998年に登場した。
5010,5080がJR東日本から購入したスハフ12形。
塗色は、気動車と同じあかがね色である。

スハフ12 150 → わ99 5010
スハフ12 151 → わ99 5080

(Wikipediaより)

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走行音

▼通洞→

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2010.07.10


2030年代の飛行機は?

NASAも後援しているデザインコンペに構想として出された案です。

超音速輸送機(コンコルド)を超える速度が想定されており
騒音対策のため、逆V型翼になっています。

© NASA, Lockheed Martin Co.

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南インド洋上空のオーロラ

国際宇宙ステーションから撮影したものです。
太陽コロナ質量放出と磁気圏の相互作用が原因と考えられています。

© ISS Expedition 23 Crew, ISAL, NASA

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2010.07.04


ひたちなか海浜鉄道 三木鉄道ミキ300形

茨城県・那珂湊駅にて平成22年5月に撮影

茨城県・阿字ヶ浦駅にて平成22年5月に撮影

茨城県・那珂湊駅にて平成22年5月に撮影

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1998年(平成10年)から製造された、三木鉄道の鉄道車両(気動車)である。

日本国有鉄道三木線が
1985年(昭和60年)4月第三セクターの三木鉄道に転換される際に製造された
レールバスミキ180形の老朽化にともなう置換え用として、
1998年(平成10年)、1999年(平成11年)、2002年(平成14年)に
1両ずつ製造され、ミキ300-103、ミキ300-104、ミキ300-105の3両が在籍していた。

富士重工業製で車体長18m級の軽快気動車LE-DCである。

2008年(平成20年)の三木線廃止に伴って不要となり、
3両全てが他社へ譲渡された。

形式の「ミキ」は会社名および路線名の「三木」に、
「300」はエンジン出力の295PSにそれぞれ由来する。
番号はミキ180形からの連番である。
ワンマン運転に対応した構造になっている。

比較的新しい車両であるため、
2008年4月1日の三木鉄道廃止後の去就が注目されていたが、
三木市では1両を保存、残り2両を競売にかけることとした。

まず同年10月1日に1両(ミキ300-105)が3470万円で樽見鉄道が落札するが、
他の1両(ミキ300-104)は最低売却価格を下回り相対交渉に回った結果、
10月30日に1785万円で北条鉄道に売却されることが決まる。
12月8日に北条鉄道向けにミキ300-104 、
12月9日に樽見鉄道向けにミキ300-105の搬出が行われた。

樽見鉄道に譲渡されたミキ300-105はハイモ295-617として
2009年3月1日に、北条鉄道に譲渡されたミキ300-104も
フラワ2000-3として同年4月に運用を開始した。

譲渡車2両はいずれも三木鉄道時代の塗色のまま運用されており、
ミキ300-103は保存を前提に旧三木駅構内の車庫で保管されていた。
しかし、2009年6月になってひたちなか海浜鉄道へ500万円で譲渡され、
同年8月よりそのままの形式名・車番で運用を開始した。

同時に製造された北条鉄道のフラワ2000形とは基本構造・性能がほぼ同一である。

(Wikipediaより)

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▼team_uenoさんの動画より

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あじさい 003

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倭国について(7) 葬礼[墓、葬儀]

【Podcasting】

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▼魏志倭人伝(三国志・魏書東夷伝倭人条)より

死者の遺体は、棺に納められる。
ただし、外槨[棺をおおう外箱]はなく、そのまま棺の上に
土を盛り上げて塚をつくるだけである。
死者の家は、10数日の間、棺を動かさず喪に服す。
会葬者は、その期間中は肉類を食べないようにする。
喪主は家に閉じこもり大声で泣き続け、
葬儀に集まった人々は酒を飲んで歌い踊る。
埋葬が終わると、家族全員が水の中に入り、禊(みそぎ)を行い
穢れ(けがれ)を落とす。
これは、中国人が一周忌に行う練沐(れんもく)のようなものである。

[参考文献]
・石原道博さん編訳「新訂 魏志倭人伝 他三篇」(論創社)
・斎藤忠さんの著書「日本人はどこから来たか」(講談社学術文庫)より
・武光誠さんの著書「邪馬台国と卑弥呼の事典」(平凡社新書)より

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【土壙墓(どこうぼ)】

縄文時代から見られ、地面に長方形や楕円形の穴を掘り、遺体をそのまま埋葬。
弥生時代は手足を伸ばして葬る伸展葬(しんてんそう)が多く
木棺に納めて埋葬する場合もある。

福岡県・須玖岡本遺跡群(すくおかもといせきぐん)にて

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【甕棺墓(かめかんぼ)】

縄文時代以降に日本各地(東北~近畿~九州)で見られたが
弥生時代に入ると九州で最盛期を迎える。
盛り土はほとんど見られない。

福岡県・金隅遺跡(かねのくま)遺跡にて

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【木棺墓(もっかんぼ)】

板を長方形に組み合わせた、組み合わせ式の墓。

纒向遺跡図録「ヤマト王権はいかにして始まったか」より
(桜井市埋蔵文化財センター)

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【箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)】

板状の石を四角く組み合わせる。上部も石で覆う。

図解古代史(成美堂出版)より

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【支石墓(しせきぼ)】

数個の支え石の上に大きな石をのせ、その下の穴に棺を埋葬。
九州と山口県の一部などに見られる。

佐賀県・菜畑遺跡 末盧館にて

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【方形周溝墓 (ほうけいしゅうこうぼ)】

方形の低い盛り土のまわりに溝をめぐらせる。
盛り土中央に木棺などで埋葬。

図解古代史(成美堂出版)より

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【墳丘墓(ふんきゅうぼ)】

弥生時代後期の首長の墓などに見られ、大規模で副葬品も見られる。

図録・弥生時代の吉野ヶ里より
(佐賀県教育委員会)

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【四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)】

四隅が外側に突出した墳丘墓で山陰から北陸地域で見られる。

図解古代史(成美堂出版)より

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参考
現代の日本は、墓石+石製かコンクリート製のカロート(納骨棺)を設置することが多い。

◎Google検索「カロート」
  http://www.google.co.jp/...

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2009年3月
鹿児島県・トマチン遺跡 3重構造の石棺墓を確認

2009年11月
福岡・城野遺跡 弥生時代末期では九州最大級の方形周溝墓

2009年3月
福岡・高江辻遺跡 弥生期の墓地群発見

2009年8月
高知・士島田遺跡 子ども埋葬用の壺棺21基 集中出土

2008年5月
島根・本州初の支石墓? 出雲の銅山跡で発見

2009年9月
広島・佐田峠墳墓群 弥生期の2墳墓確認

2009年6月
京都・芝ケ原古墳 周濠は造られず

2009年6月
奈良・桜井茶臼山古墳 石室上で柱穴が複数出土

2009年6月
奈良・箸墓古墳 「卑弥呼の墓」検証 波紋を呼ぶ歴博発表

2009年3月
奈良・纒向遺跡 古墳誕生の謎に一石

2009年3月
滋賀・市三宅東遺跡 最古の割竹形木棺か?

2009年2月
愛知・平手町遺跡 日本最古の舟形木棺出土

2009年9月
静岡・辻畑古墳 道路建設用地、消える運命

2010年4月
東京・田端西台通遺跡 方形周溝墓四基など発掘

2010年2月
埼玉・大河原遺跡 舟方木棺の埋設施設

2009年10月
福島・桜町遺跡 3種類の周溝墓を発見

2009年5月
山形・高瀬山遺跡 方形周溝墓が出土

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邪馬台国について

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2010.07.03


あじさい 002

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大阪・福万寺遺跡 “すまし顔”の土偶出土

大阪府東大阪市の池島・福万寺遺跡で、
弥生時代前期(約2300年前)の土偶が見つかり、
府文化財センターが2日、発表した。
この時期の土偶は全国で数例しか確認されていないという。

土偶は幅5センチ、高さ2センチで、
溝から頭部だけが割れた状態で出土。
まゆや目、鼻が立体的に表現され、口やあごの部分は失われていた。
切れ長の目で、すました表情にみえる。

土偶は縄文時代中期(約5千年前)以降に東日本を中心に広まるが、
弥生時代になると急激に減少。
大阪府のほか島根県や香川県などでしか確認されていないという。

この遺跡からは、男性器をかたどったとみられる石棒4本も出土。
土偶と石棒はセットで祭祀(さいし)に使われた可能性もあるが、
土偶の胴体部分が見つかっておらず、性別は不明という。

◎産経新聞 2010年7月2日
  http://sankei.jp.msn.com/...

弥生時代 2010 |


愛知・一色青海遺跡 土器にベンガラで赤いシカの絵

愛知県稲沢市の一色青海遺跡で、
赤い顔料でシカを描いた弥生時代中期後半
(紀元前1世紀)のものとみられる土器が出土したことが
2日までに確認された。県埋蔵文化財センターが発表した。

同センターによると、
弥生時代の絵画土器は全国で約600点見つかっているが、
大半が線刻のみで、着色されたものは福岡県筑前町の大木遺跡で出土した
黒色のシカが描かれた甕棺に次いで2例目。

土器は昨年12月に発見。直径約5・2センチ、高さ約9センチの筒状で、
底面などは欠損していた。
頭を右に向けたシカ6頭が側面に縦に並べて描かれ、
浅く線を引いて下書きした後、
筆のような道具で顔料を塗って焼いたとみられる。
顔料は酸化鉄が主成分の「ベンガラ」。

◎47NEWS 2009年7月2日
  http://www.47news.jp/...

弥生時代 2010 |


滋賀・宇佐山古墳群 未盗掘石棺に完形頭骨

滋賀県文化財保護協会は28日、大津市神宮町の宇佐山古墳群から、
古墳時代前期末(4世紀末)から中期前半(5世紀前半)にかけての
未盗掘の石棺が見つかったと発表した。
内部には人間の頭骨がほぼ完全な形で残っており、
魔よけなどの意味がある赤色で鮮やかに着色されていた。
被葬者は20~40歳代の小柄な男性とみられ、副葬品は少なかった。
協会は「琵琶湖を一望できる立地などから、水運などで豪族に仕え、
日本海側の文化に影響を受けた職能集団の墓ではないか」とみている。

同古墳群は宇佐山(335メートル)中腹にあり、
これまで古墳時代後期(6世紀)の円墳12基を確認。
古墳群内で砂防工事が計画され、
協会が4月から1600平方メートルを調査していた。

箱式石棺(長さ158センチ、幅36~24センチ、高さ30センチ)は
板状に加工した花こう岩を何枚も組み合わせた形で、
表土から深さ約40センチで確認。
床石はなく、蓋(ふた)石は粘土で接合されていた。
石棺の外には、鉄剣や鉄鏃(ぞく)が副葬されていた。
頭骨は、下あごが見当たらず、
石棺内に流入した土に埋もれて風化したと推定される。

箱式石棺は九州や山陰地方に多く、県内では、
高島市・打下(うちおろし)古墳(5世紀前半)などで出土している。

片山一道・京大名誉教授(人類学)の話
「酸性土壌の日本で、古代の人骨が完形で残る例は極めて貴重。
石棺に納めた遺体の頭部に塗られた水銀朱が、
遺体の腐敗後も頭骨に残り、全体に広がったのだろう」

◎読売新聞 2010年6月29日
  http://osaka.yomiuri.co.jp/...

大和朝廷 2010 |

2010.06.28


あじさい 001

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太陽の全ての色

これが太陽の可視色の全てです。
太陽光をプリズムのような装置に通過させて作成されたもの。

© Nigel Sharp (NSF), FTS, NSO, KPNO, AURA, NSF

宇宙6 | | コメント (0) | トラックバック (0)


国際宇宙ステーションから見た日の入り

地球の大気の中に沈んでいく太陽です。

ちなみに国際宇宙ステーションでは
1日に16回も日没の光景が見れます。

© Expedition 23 Crew, NASA

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アリューシャン列島の火山

地球観測システム テラより撮影

© Earth Observatory, NASA, Terra satellite, ASTER; Processing by: Jesse Allen & Robert Simmon

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2010.06.27


キハ52形100番台 大糸線

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

新潟県・糸魚川駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

新潟県・糸魚川駅にて平成19年8月に撮影

新潟県・糸魚川駅にて平成19年8月に撮影

新潟県・糸魚川駅にて平成19年8月に撮影

新潟県・糸魚川駅にて平成19年8月に撮影

新潟県・糸魚川駅にて平成19年8月に撮影

長野県・南小谷駅にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

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勾配区間用の一般形気動車で、キハ20形の2エンジン形である。

国鉄の2エンジン気動車としては最初の両運転台車であり、
急勾配のローカル線用車両として本州・四国・九州各地で重用された。
キハ20形に準じた両運転台、片開き2ドア、2段窓であるが、
エンジン、変速機、放熱器をそれぞれ2基搭載する必要から、
床下スペースの確保目的で、全長が1.3m長い車両限界一杯の21.3mとなり、
それに伴い、ドア間の窓数もキハ20形の5個から6個に増えている。
それでもなお床下は手狭なため、
水タンクは床上(通路を挟んだ便所の反対側)に置かれた。

1962年から1966年に製造された。
キハ58系とキハ80系の好評を受け、騒音と振動の低減はもちろんのこと、
量産効果の向上(コスト低減)の見地からも2エンジン車については
すべて横形エンジンに統一されることになった。
水平シリンダー形のDMH17Hを搭載し、
床面点検蓋・車体中央壁面の排気管が廃止された。
さらに、勾配線区での使用実績に基づきエンジンブレーキ機能が追加されている。

末期にはキハ22形同様、外ハメ式の尾灯や、
ハニカム構造の客扉が採用された。
室内照明は蛍光灯で、キハ20系の中ではキハ22形と並んで
例外的な温水暖房車。
スタイルと旅客設備を除いたメカニズム面では、
急行形気動車のキハ58形との共通点が多い。

100番台は静粛性に対する期待から、寝台気動車の試験に供され、
注目を集めたが、音振(おとしん)や変速ショックの点で採用には至らなかった。
その後も日本では寝台気動車が実現した例はない。

2010年3月12日には、大糸線で運用されていたJR西日本が保有する
最後の3両の運用が終了し、同年3月13日のダイヤ改正で
キハ120系に置き換えられた。
3両のうち1両は岡山支社で保存されるが、残り2両は廃車される予定。

(Wikipediaより)

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走行音

▼南小谷駅入線

▼南小谷駅停車中

▼中土駅→平岩駅

▼平岩駅→小滝駅

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▼ayokoiさんの動画より

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2010.06.20


豊橋ハリストス正教会

豊橋ハリストス正教会は、日本ハリストス正教会に所属し、
聖使徒福音記者マトフェイ聖堂(愛知県豊橋市八町通に所在)を有する、
正教会の教会である。
聖堂は1984年に県指定有形文化財に指定され、
2008年には国重要文化財に指定された。

現在の聖堂は、初代管轄神父マトフェイ影田神父の
叙聖35周年を記念して建築され、1915年に完成したものである。
建築様式はビザンティン建築・ロシア建築の影響を受けている。

愛知県南知多町出身の建築家であり
神品 (正教会の聖職)でもあったモイセイ河村伊蔵(輔祭、のち司祭となる)が、
京都ハリストス正教会をモデルに西洋風のドームを造った。
河村は函館ハリストス正教会の設計監督にも当たっているほか、
松山・大阪・釧路の正教会聖堂も設計。
その経験を生かした集大成が豊橋の聖堂である。
河村の息子(内井進)と孫(内井昭蔵)も建築家であり、
特に孫のガウリイル内井昭蔵は
皇居・吹上御苑の新御所や世田谷美術館の設計でも知られている。

聖堂の平面は函館ハリストス正教会・京都ハリストス正教会などと
類似しており、西側に正面玄関と鐘楼を戴いた啓蒙所、
東側に至聖所、その間の中央部分に聖所が配置され、
聖所は啓蒙所・至聖所よりも広く造られて十字の平面型を構成している。

海外にも類似の平面を持つ聖堂としてシカゴの至聖三者大聖堂があり、
日本のみならず世界各地の正教会に、類似した平面をもつ聖堂が存在する。

至聖所と聖所は他の正教会の聖堂と同様に
イコノスタシス(聖障)によって区切られており、
イコン画家であった山下りんによって
「主の昇天」「ハリストス(キリスト)の降誕」等が描かれている。

(文・Wikipediaより)

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民家

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2010.06.12


江ノ電 (江ノ島電鉄) 100形 タンコロ

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

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100形電車は、江ノ島電鉄(江ノ電)が
1929年(昭和4年)から導入した電車である。
営業運転最終期からは「タンコロ」として親しまれるようになった。

江ノ電初のボギー台車採用車として
1929年に101形101~104号車が雨宮製作所で、
1931年(昭和6年)に105形105号が川崎車輛(現・川崎重工業)で、
106形106~110号車が新潟鐵工所で製造された。

101~105号と106~110号では車体の長さが微妙に違うほか、
ドアの構造や高床から低床になるなどかなりの違いがあった。
さらに105号のみメーカーが違うため
101~104号とは微妙に違うところが存在した。

機器類は直接制御、単純な直通ブレーキ、Z形パンタグラフなど
統一されていたものが大半である。

当時の江ノ電は各駅のホーム高さが低かったため、
ドアにステップがついており路面電車然としたスタイルであったが、
1955年(昭和30年)に各駅ホームの嵩上げが完了したため、
ドアを改造してステップを撤去した。

輸送力増強と近代化のため、
101~104の4両が1957年(昭和32年)に、
106と109が1958年(昭和33年)に
連接台車構造の300形へ改造され、
単車で残ったのはわずか4両となった。

さらに105号は1970年(昭和45年)に600形が入線した際に、
110号は1974年(昭和49年)の藤沢駅高架化に伴う
600形出力増強の際にモーターを供出して休車とされ、
どちらも1979年(昭和54年)に廃車された。

最後まで単車運転で使用された107、108号も、
スペース上ATSが搭載できないため
1980年(昭和55年)に廃車された。

108号車は極楽寺駅近くの極楽寺検車区構内にある
専用の保管庫に納められて動態保存されている。
イベントなどで走行することもある。
引退後の一時期は江ノ島駅構内に留置されていた。

また、107号も集電装置をポールに変更した上で、
鎌倉市由比ヶ浜の公園で保存されており、
昼間は車内に入ることができるが、
公園は海岸に面しているが所有の鎌倉市が
車体の整備等を行っていないため、
金属部分に錆が生じているなど、状態はやや悪かった
(一時期窓ガラスが割られるなどしたため車内へは入れなくなっていた)が、
2009年に改修が行われ車体が綺麗になった。

108号はテレビ番組で江ノ電が取り上げられると登場するシーンも多く、
かつて日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画
「電池で電車は動くか?」の実験に使われ、
乾電池だけで数メートル動いた。

(Wikipediaより)

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▼namikamomeさんの動画より

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酒店

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