1987年3月:自殺
先生は、啓治の自殺について、こう教えてくれた。
転校して間もなく、新しい学校で虐められていた。
家庭事情も悪化していて、啓治が自殺する直前には両親が離婚をしていた。
そのような事情が重なり、行き詰まって自殺したらしい。
自殺した場所は、横浜の本牧埠頭だった。
生まれてからずっと育ってきた思い出の地である横浜で、最後の区切りをつけたかったのではないかとのこと。
本牧埠頭の使われなくなった小さな倉庫に、自ら火をつけて自殺したらしい。そして、たまたま倉庫の裏にあったガスボンベに引火し、最終的には倉庫自体が爆発してしまい、啓治の体はかなりのエリアに散ってしまっての発見だったとのこと。
当初、警察では事故、事件、自殺と色々なケースを考えて捜査していたが、現場の状況、倉庫の窓から投げ捨てたと思われるライターに啓治だけの指紋がついていたこと、学校での虐めや家庭事情などの動機があることから、警察では最終的に自殺と判断したらしい。
遺書は特になかったようだ。
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