対馬国(對海国) <邪馬台国までの道程>
【Podcasting その1】
【Podcasting その2】
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写真が表示されない場合は、↓リンクからご覧ください
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【邪馬台国】
西暦200年代(弥生時代後期~古墳時代前期)に
小国ばかりだった倭国で30国を従えていたとされている国。
邪馬台国があったとされる根拠は、
中国の歴史書・『三国志』魏書東夷伝倭人条に残されています。
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【邪馬台国までの道程】

帯方郡→狗邪韓国
対馬国(對馬国)
一支国(一大国)
末盧国(末廬国)
伊都国
奴国
不弥国
投馬国
邪馬台国
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【魏志倭人伝(三国志・魏書東夷伝倭人条)より】
倭人は帯方郡の東南の大海の中に住む。
かれらは、山や島によって国をつくっている。
漢の時代には、そこの百余りの国が朝貢にきていた。
しかし、いまは30の国が通訳をつれた使者を送ってくる。
帯方郡から倭国に行くには、
まず海岸沿いに水行して、南へ行ったり東に行ったりしなければならない。
すると、韓国を越えて倭からみて北方の対岸にあたる狗邪韓国に着く。
帯方郡からここまでの距離は、7000余里である。
それから、広い海を渡る。
1000余里で対馬国(とまこく)に着く。
そこの大官(たいかん)を卑狗(ひく)といい、副を卑奴母離(ひなもり)という。
対馬国は、1辺400余里の離れ島である。
そこは、険しい山と深い林に覆われ、わずかなけもの道しかない。
1000戸余りの家があるが、
良い田がないので、住民は、海からとれるものを食べて自活している。
また南へ北へと船で交易に出かける。
[引用:武光誠さんの著書「邪馬台国と大和朝廷」(平凡社新書)より]
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【対馬国の発音】
魏志倭人伝では “對海国” と表記されていますが、
7世紀の律令制地域区分後は “対馬国” と言われています。
(歴史ラジオでも対馬国を使用しています)
その対馬国の発音は、「とまこく?」「つしまこく?」
どうなるのでしょうか?
日本古代史とアイヌ語さんのサイトを
参考にさせていただくと、以下のような発音になるようです。
tu∂i-ma国
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【対馬について】
・南北82km、東西18kmと南北に細長い島で陸地の88%が山林、3%が耕地。
・対馬と朝鮮半島は約50kmほど、対馬と北九州は約130kmほど。
・韓国から訪れる人の方が多いとされている。
・朝鮮半島から対馬までの間には対馬海流がある。
◎対馬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/...
◎対馬市WEB通信局
http://www.city.tsushima.nagasaki.jp/...
◎対馬観光物産協会
http://www.tsushima-net.org/
■MEMO「朝鮮半島~対馬」
参考リンク(野生号)
参考リンク(ジョイカム・カヤックスさんより)
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【山辺遺跡(やんべいせき)と出土品】
山辺遺跡は、対馬市峰町にある三根遺跡群の中にあります。

パノラマ光景 (写真クリックで拡大)
対馬で初めて、弥生時代の前期~後期[紀元前3世紀(200年代)~紀元3世紀(200年代)]の
集落跡が発見された場所です。

少なくとも100以上の柱穴、竪穴住居跡2棟、高床建物3~4棟、と
大規模な集落跡であることが判明しました。
弥生式土器、朝鮮南部系(三韓系)、中国系(楽浪系)など
約1万点の土器破片も出土。
朝鮮南部系(三韓系)が多く、中国系(楽浪系)は少数とのこと。
■MEMO「集落の建物」

竪穴住居イメージ
(福岡県・板付遺跡にて撮影)

高床建物イメージ
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
■MEMO「三韓」
朝鮮半島南部の事を韓と言い、
風俗や言語によって大きく3つに分けられた事から三韓と呼んだ。
三韓=馬韓-ばかん、辰韓-しんかん、弁韓-べんかん
◎三韓 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/...

浜島書店『新詳日本史』より引用
■MEMO「楽浪郡」
楽浪郡(らくろうぐん)は紀元前108年から西暦313年まで
朝鮮半島北部に存在した中国王朝の郡の1つ。
(邪馬台国のときは中国王朝は魏)
郡治(郡役所所在地)は現在の朝鮮民主主義人民共和国平壌特別市にあった。
東方における中国文明の出先機関であり、
朝鮮や日本の文明化に大きな役割を果たした。
楽浪郡の南方を分割して新たに設置した郡が帯方郡。
◎楽浪郡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/...

伊都国歴史博物館『海を越えたメッセージ』より引用

辰韓、弁韓の特産品でもある断面台形鋳造鉄斧片も発見されています。
ちなみに断面台形鋳造鉄斧片は、今のところ北部九州本土にはなく、
山陰・山陽地域で何点か見つかっている程度だそうです。
■MEMO「断面台形鋳造鉄斧片」

伊都国歴史博物館『海を越えたメッセージ』より引用
■MEMO「鋳造鉄斧(ちゅうぞうてっぷ)」
参考リンク(青谷上寺地遺跡ホームページさんより)
参考リンク(日本海新聞さんより)

この山を眺めながら生活していたのでしょうか?(^J^)
当時はこの付近は海の目の前でした。
大規模集落跡の発見にともなって、ここ山辺遺跡が邪馬台国時代の
対馬国(對海国)中心地(王都)の可能性が強まっています。
山辺遺跡のある峰町周辺では墓や
青銅器などの副葬品(死者へ供え物)も多く出土しています。
山辺遺跡の隣に住む方とのお話

山辺遺跡入口

山辺遺跡案内板
◎邪馬台国大研究さんより(★音が出ます)
http://inoues.net/...
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【山辺遺跡近く上ガヤノキ遺跡からの出土品】

▼案内板より
昭和45年に発見された遺跡である。
平成6年、宅地造成に伴い緊急発掘調査を行った。
調査以前、表土から土師器、陶質土器、須恵器等が採集されていた。
調査の結果、弥生中期後期から古墳時代にかけての、
箱式石棺墓2基、土壙墓2基、積石塚1基が発見された。
すべて盗掘されており、副葬品は棺の内外に散乱していた。
出土品は弥生土器、土師器、陶質土器、須恵器、新羅系土器、
青銅製細形銅剣、鉄剣、鉄鏃、鉄鎌、勾玉、ガラス玉等である。

出土した青銅製細形銅剣
■MEMO「武器としての銅剣の使用方法」

(浜島書店『新詳日本史』より引用)
■MEMO「青銅器とは」
弥生時代になると、大陸から銅を加工する技術が入ってきました。
青銅器とは、今の10円玉と同じように銅と錫(すず)と鉛(なまり)を
混ぜて作った合金で、(出土品は)さびのため青くなっていますが、
本来は新品の10円玉のように金色に近い色をしていました。
戦いや村のお祭りで使われたと考えられています。
(明治大学博物館『アクティビティ・シート/活用の手引き』より)

土壙墓(どこうぼ) - 地面に穴を掘り遺体を埋葬します。
◎ガヤノキ遺跡 - 九州大学総合研究博物館
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/...
◎邪馬台国大研究さんより(★音が出ます)
http://inoues.net/...
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【山辺遺跡近くサカドウ遺跡からの出土品】

出土した平環(ひらかん)
峰町三根サカドウ遺跡 / 朝鮮半島製青銅器 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

出土した有孔十字型(ゆうこうじゅうじがた)金具
峰町三根サカドウ遺跡 / 朝鮮半島製青銅器 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

出土した角形(つのがた)金具
峰町三根サカドウ遺跡 / 朝鮮半島製青銅器 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

出土した笠頭形(かさがしらがた)銅器
峰町三根サカドウ遺跡 / 朝鮮半島製青銅器 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

出土した双頭管状(そうとうかんじょう)銅器
峰町三根サカドウ遺跡 / 朝鮮半島製青銅器 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)
◎邪馬台国大研究さんより(★音が出ます)
http://inoues.net/...
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【山辺遺跡のある峰町】

峰町歴史民俗資料館(峰町中央公民館内)
◎@ザ・ワールドさんより
http://www.e-trip.info/kyushu/...

ドーム型の総合体育館「SHINE DOME MINE」がありました。
◎やまねこプレス5号さんより
http://www.coara.or.jp/~yamaneko/...

厳原や空港から峰町までの距離はご覧の通りです。
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【対馬の銅矛】
とても多くの中広形(ちゅうひろがた)や広形(ひろがた)の銅矛が出土。
その数は120本以上。他の国と比較しても突出しています。
(ちなみに次の一支国では3本だけの出土)
対馬では墓や住まいのエリア以外のところに(海に向いた場所等)に
意識的に埋められており、これは航海安全を祈ったものとされています。
(海に向いた場所に埋める行為は北部九州で見られることから、
その影響を示すものともされている。[中広形や広形の銅矛は奴国に鋳型あり]
狗邪韓国では墓や住まいのエリア以外のところに埋めるような事例なし)
■MEMO「銅矛とは」
弥生時代前期に北部九州に出現した銅矛・銅剣・銅戈などの青銅製武器類は、
最初は朝鮮半島から伝来した細形の実用品です。
まもなく細形のものは日本でも造られるようになり、国産化が進みます。
やがて実用武器としては使えない偏平かつ大型のものになっていきます。
墓から副葬品として出土することは稀で、銅鐸と同じように地中に一括して
埋納された状態で発見されますので、青銅製の祭器として使われたものと
考えられます。(国立博物館案内文より)

広形銅矛 - 増田山遺跡 / 長さ86cm / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用
~厳原町教育委員会提供)

広形銅矛 - 大吉戸神社 / 長さ82-84cm / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用
~黒島区長藤島一夫氏提供)

広形銅矛 - 大吉戸神社 / 長さ82-89cm / 弥生時代中期後半~後期
(長崎県ホームページより引用)

広形銅矛 - 上県町佐護クビル / 弥生時代中期後半~後期
(国立博物館にて撮影)

武器としての銅矛使用方法 - 細形銅矛
(浜島書店『新詳日本史』より引用)
◎邪馬台国大研究さんより(★音が出ます)
http://inoues.net/...
∟ページ下部に対馬出土の銅矛が紹介されています。
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【その他の地域からの出土品】

銅ふく / 上県町佐護クビル / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

銅ふく / 上県町佐護クビル / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

銅釧(どうくしろ) / 豊玉町佐保 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

巴形(ともえがた)銅器 / 豊玉町佐保 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

指輪 / 豊玉町佐保 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)

ガラス管玉(くだたま)・小玉(こだま) / 豊玉町唐崎 / 弥生時代後期
(国立博物館にて撮影)
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【邪馬台国までの道程・各国レポート】
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