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2006.10.23

一支国(一大国) 原の辻遺跡 <邪馬台国までの道程>

【Podcasting その1】

【Podcasting その2】

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写真が表示されない場合は、↓リンクからご覧ください

http://bit.ly/hoSERX

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【邪馬台国】

西暦200年代(3世紀:弥生時代後期~古墳時代前期)に
小国ばかりだった倭国で30国を従えていたとされている国。
邪馬台国があったとされる根拠は、
中国の歴史書・『三国志』魏書東夷伝倭人条に残されています。

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【邪馬台国までの道程】

帯方郡→狗邪韓国
対馬国(對馬国)
一支国(一大国)
末盧国(末廬国)
伊都国
奴国
不弥国
投馬国
邪馬台国

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【魏志倭人伝(三国志・魏書東夷伝倭人条)より】

対馬国は、1辺400余里の離れ島である。
そこは、険しい山と深い林に覆われ、わずかなけもの道しかない。

1000戸余りの家があるが、
良い田がないので、住民は、海からとれるものを食べて自活している。
また南へ北へと船で交易に出かける。

そこから、南に千余里、海を渡ると、一支国がある。
そこの海を瀚海(かんかい)[=玄界灘]という。
対馬国と同じように、官は卑狗(ひく)であり、副は卑奴母離(ひなもり)である。
その島は、1辺300余里の四辺形で、竹木や叢林(くさむらばやし)が多い。
3000ばかりの家がある。
田地が多少みられ、農耕も行われている。
しかし、それだけでは住民の食料を賄えないので、
ここの者も南北に行って交易する。

[引用:武光誠さんの著書「邪馬台国と大和朝廷」(平凡社新書)より]



原の辻遺跡にて

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【一大国という表記について】

魏志倭人伝本文では一大国と表記されてるが、
これは他文献などにより一支国の誤記ではないかとされているが、
誤記ではないとする説もいまだ根強い。
by Wikipedia

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【壱岐について】

・対馬と福岡のほぼ中間 に位置する玄界灘上の離島。

・対馬の厳原から約68km、福岡の博多から約76km、東松浦半島の呼子から約26km。

・壱岐島は南北17km、東西14kmの平坦な島。周囲には21の属島がある。

・対馬から壱岐までの間には暖流である対馬海流がある。
 その影響を受け比較的温暖な気候で、季節を問わず湿度も高い。

・春先に吹く南寄りの強風を “春一番” と呼ぶが、
 元々壱岐の漁師達が呼んでいたものが気象用語に。

◎壱岐島 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

◎壱岐市
  http://www.city.iki.nagasaki.jp/

◎壱岐観光協会
  http://www.ikikankou.com/

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【壱岐到着】



島らしき姿が



デッキで壱岐までを過ごすことに



いよいよ芦辺港入港



かなりキレイなターミナル



この瞬間、いつもドキドキです

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【原の辻遺跡(はるのつじいせき)と出土品】




原の辻遺跡の概要写真
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



原の辻遺跡全景 内海・八幡半島を望む
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



原の辻遺跡は、壱岐市の「深江田原」(ふかえたばる)とよばれる
長崎県第2の穀倉地帯である平野にある国指定特別史跡遺跡。
出土物より弥生時代前期以降に突然形成されたと見られている。
(北部九州の国々の勢力による交易基地整備の思惑とも推測されている)



大正時代に地元の研究者によって発見され、
昭和の初めに学会に紹介されました。
1994年に農地の区画整理に伴う緊急発掘調査が行われ、
その結果、日本を代表する多重環濠集落であり、
壱岐島内に、原の辻遺跡に匹敵する規模・内容を持つ遺跡が
無いことから、一支国の王都であったと特定されました。
(魏志倭人伝に登場する国々の中で、中心地が明らかになった初めて)



展示館にて



展示館からの光景



遺跡周辺の光景



遺跡周辺の光景

◎原の辻遺跡 - 公式サイト
  http://www.pref.nagasaki.jp/haru/

◎原の辻遺跡 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

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内濠(うちぼり)
弥生時代には水がはられていた。
断面はU字型。幅約5m、深さ約1.3m。
(浜島書店『新詳日本史』より引用)




(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)




(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
環濠(かんごう)は水田耕作と共に伝播した集落形態であり、
いろいろな性格を合わせもつ。
単に「防御」や「戦闘」などの集団間の紛争だけを背景に
出現したものではない。
環濠が出現するのは、弥生中期前半の時期である。
基本的には内濠、中濠、外濠と呼ぶ三重の環濠が、
東西350m、南北約750mの楕円形状に台地を囲んでいる。
(吉野ヶ里遺跡に次ぐ規模)
平和な安定した状況が長く続くと緊張関係の不必要が生じ、
維持管理の面からも重荷となり、弥生中期後葉段階には
濠の埋没が進行していく。
政治的緊張感が高まると、これまで埋もれていた環濠は
再び掘削される。その時期は、後期初頭頃と思われる。

▼環濠跡で土塁確認 原の辻と同時期改築? 
  壱岐市のカラカミ遺跡調査 - 西日本新聞より(2006年9月)

  http://www.nishinippon.co.jp/...

  ■MEMO「土塁」 by Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/...

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船着き場跡 東側突堤
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



実測図
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



船着き場 再現模型
大陸のハイテク土木技術で築かれていた。



船着き場 再現模型
船の出土はまだ無い。



船着き場 再現模型
弥生時代の船着き場跡としては、他に岡山県上東遺跡(じょうとういせき)がある。

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
平成8年7月、原の辻遺跡の集落が立地する丘陵北西約300mの低湿地から
礫石(れきいし)を積み上げた巨大な施設が発見された。
船着き場跡である。
築造技術は敷粗朶(しきそだ)工法という高度の技術が駆使されており、
所属する年代が弥生中期前半であることが二重の驚きであった。
一支国に到着した船は、原の辻遺跡の約1.5km東の内海(うちめ)に停泊。
小型の艀(はしけ)に乗り換え、物資を移し替えて、川(幡鉾川[はたほこがわ])を
遡上(そじょう)し船着き場に至る。
一方、内海の港湾施設で陸揚げされた物資や人々が、
陸路を経て中心集落に到着する。
側溝を持った幅約4mの道路は幹線道路として整備され、
大勢の人々や物資が行き交う “海の道” に繋がる “陸の道” である。



陸の道
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼日本最古の石敷き水路 原の辻遺跡
  水中考古学/船舶・海事史研究より(2005年11月)
  http://www.nauticalarchaeologyjp.com/...

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銅鏃(どうぞく)[国産品]

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
弥生時代は集団抗争が日常化した時代ともいわれており、
一支国の盟主も敏感に世の流れを感じとったに違いない。
武器や武具は本土のクニグニに劣らない程に万全の備えをしているかに見える。

▼案内板より
原の辻遺跡からは、日本最多の100点を超える
銅鏃が出土している。

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▼公式サイトより
楽浪系土器・三韓系瓦質(がしつ)土器・鏡・権[日本最古]・etc

対馬とは異なり楽浪系土器も多く出土しています。

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三翼鏃(さんよくぞく)

▼案内板より
古代中国で、戦闘で使用した
強力な「弩(ど)」と呼ばれる弓に装着した。

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五銖銭(ごしゅせん)



大泉五十(だいせんごじゅう)

▼案内板より
今から約2000年前の中国(「前漢」・「新」)の貨幣である。
これらの資料は年代を推定するうえで大変重要です。

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楽浪系車馬具

▼案内板より
中国の漢の時代に楽浪郡で作られた馬車の部品の一部。
類例より小型であるため、ミニチュア馬車の部品であると推測される。

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日本列島から原の辻遺跡へ運ばれた土器
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
日本列島からは、青銅器や北部九州系土器を主体として、
中・南九州地方、中国地方から関西地方までの土器が
搬入されていて、列島内との広域交流と活動範囲を表している。
原の辻遺跡は、海を介して、人・モノ・情報が集まる求心力をもった
国際的なミヤコであった。

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人面石(じんめんせき)

▼案内板より
環濠の上部から弥生時代後期から古墳時代前期(3世紀~4世紀初頭)
の土器類と共に出土したもので、祖先をまつる祖霊と思われます。
大きく口をあけ天空を見つめていますが、
ノルウェーの画家ムンクの「叫び」に似たこの人面石は
一体何と叫んでいるのでしょうか?
あなたにはどんな「叫び」が聞こえますか?

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ト骨(ぼっこつ)

▼案内板より
「魏志倭人伝」に、何か事を行う場合
骨を灼(や)いてそのひび割れなどを見て吉兆を占うとある。
ト骨と呼ばれ鹿や猪の骨が利用された。

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ココヤシ製笛

▼案内板より
石田高原地区で出土したもので、原の辻遺跡では
平成8年調査時出土に次いで2例目である。
前面の上部をやや欠損するものの、高さ13.5cm、幅9.8cmで
前回出土例よりも若干大きい。
弥生時代後期のもので、前回出土例よりも新しい。
音を出す際機能する孔(あな)は、前面体部の4孔と後面上方の2孔であるが、
そのほかにも穿孔(せんこう)が認められ、
未貫通のものも含めて少なくとも14孔が確認できる。
この笛に関連する遺物としては、弥生時代前期を中心に
日本海地域で同じ楽器が出土している点は興味深い。
今回2例目のココヤシ製笛が出土したが、当時の壱岐では
まつりや儀式で楽器として奏でられていた
可能性を示すものとして重要である。

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▼公式サイトより
祭儀建物跡・甕棺墓(かめかんぼ)・etc

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捕鯨線刻土器(ほげいせんこくどき) 弥生時代中期



捕鯨線刻土器(ほげいせんこくどき) 上写真丸囲み部分
鯨を描いていると推測されています。



捕鯨線刻土器(ほげいせんこくどき) 弥生時代中期



捕鯨線刻土器(ほげいせんこくどき) 上写真丸囲み部分
何本かの銛(もり)が鯨に刺さっている様子から
捕鯨を表現していると推測されています。

捕鯨のための大型の漁具が出土してないこともあり、
座礁した鯨を捕獲する程度の、消極的な捕鯨活動であったようです。
壱岐は、近世以降、捕鯨基地として発展をしています。
そのことを考慮すれば、弥生時代の人々も鯨と遭遇する機会は
少なくなかったと思われます。

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▼龍を描いたとされる線刻土器 - 読売新聞より(2004年6月)
  http://kyushu.yomiuri.co.jp/...

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高坏(たかつき)

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石包丁



石鎌(いしかま)



磨石(すりいし)



石器素材・未製品・破片
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
原の辻遺跡では、製作途中である未製品や、
石器製作で排出したと推測される多数の石くずが土坑などから
出土している。
このことから、石器を専門に製作する工房があり、
製品を作り、島内はもちろんのこと、
日本本土へ運搬した可能性も推測できる。

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▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
石器から鉄器への生産・流通システムの変化は、
石器を専門に製作していた工房に大きな打撃を与えた。
これを解消し、国際的な情勢に対応するために濠の新設と
集落の城塞化がなされたことが推測される。
石器から鉄器への利器の変換は、単に道具の変化にとどまらず、
鉄器・鉄素材の供給ルートの掌握と分配をめぐって流通システムに
大きな変動を引き起こし、列島内の権力体制の編成を促した。
原の辻遺跡での石器工房の廃絶と豊富な鉄器は、
そのような状況を反映していることが考えられる。



鉄斧(てっぷ)



板状鉄斧(ばんじょうてっぷ)
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼公式サイトより
鉄製金鎚[日本最古]・etc

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
板状鉄斧は、日本各地で数例が見つかっているが、
それらの多くは三味線のバチ形をしており、名前の通りに
木製の柄をつけて斧として使用したものもあるが、
原の辻遺跡で発見されたものは、もっと細長く・刃は形だけのもので
研ぎだしておらず、柄をつけて使用した痕跡がみられない。
中国の史書『三国志』魏書東夷伝や『後漢書』には、弁韓・辰韓で鉄がとれ、
市や交易での取引の際に鉄が貨幣として使われていたことが記されており、
朝鮮半島との交易によってもらたらされたものだと考えられる。

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えぶり



横槌(よこづち)



木製椅子



木製櫛
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
木製の櫛は国内の弥生遺跡から出土するものとは
形状が異なるタイプのもの。

  ■MEMO「日本最古!7000年前の木製櫛が出土」 by 読売新聞(2006年10月)
    http://www.yomiuri.co.jp/...

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床大引材(ゆかおおびきざい)
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



高床建築復元構造図[宮本長二郎氏原図]
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)

▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
「床大引材」は、高床建物の床を支える横材で、
通じようの掘立柱建物の床材には無い。
柱を組み込むための柄を作りだした後、柱に差して
込栓(こみせん)で固定するために穴が空いている。
これまでこのような床上棟持柱の例は弥生時代後期のものはあったが、
その存在が中期にさかのぼって確認された。

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▼公式サイトより
ガラス玉(トンボ玉)・炭化米・食料犬・etc

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展示館前の赤米田

  ■MEMO「展示館前で赤米を田植え」 by 壱岐日報(2006年6月)
    http://www.ikinippo.com/...

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日々発掘が続けられています。



本格的に発掘調査が始められた平成5年以降、
100万点以上の出土遺物があり、「弥生のデパート」と評されています。



展示館付近には出土したばかりの遺物が置かれていました。

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【その他の地域の遺跡】

◎カラカミ遺跡 - 九州大学総合研究博物館
  http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/...

◎壱岐の考古学 - 邪馬台国大研究(★音が出ます)
  http://inoues.net/...

◎一支國研究会
  http://www.ikikoku.jp/

◎学芸員が遺跡にごみ投棄・自宅から出た軽トラ1台分
  http://news5.2ch.net/...

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【壱岐の海】



壱岐の海は、こんなにもキレイです。



筒城浜海水浴場は環境省選定の快水浴場百選にも選ばれています。

◎壱岐の海水浴場 - 壱岐観光協会
  http://www.ikikankou.com/...

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【邪馬台国までの道程・各国レポート】

帯方郡→狗邪韓国
対馬国(對馬国)
一支国(一大国)
末盧国(末廬国)
伊都国
奴国
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