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2006.12.25

氷川丸

景感写眞 -氷川丸- / 写真集 Vol.2

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景感写眞 -氷川丸- / 写真集 Vol.1

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▼氷川丸マリンタワー株式会社パンフレットより
日本郵船会社は明治29年7月に米国のグレート・ノーザン鉄道会社と提携して
同年8月にシアトル航路を開設、のち昭和5年航路の船隊整備が行われ、
新造貨客船氷川丸、日枝丸、平安丸の3隻の姉妹船がシアトル航路に就航。
氷川丸はその第1船として昭和5年4月25日に三菱横浜造船所において竣工、
同年5月13日シアトルに向けて処女航海の途につきました。
建造費は当時655万円(現在の貨幣価値で120億円以上)。
数々の航海の記録の中、昭和7年・喜劇王チャップリンが、
昭和12年・英国訪問の帰国途上カナダより秩父宮ご夫妻が、
乗船されるなど、乗客は多彩を極めました。
その後、昭和16年8月シアトル航路は休止、氷川丸は73次航で航海を
打ち切りました。
氷川丸は、昭和16年11月に海軍に病院船として徴用、その後5年間
南方で活躍、終戦後は復員、引揚者輸送に尽力しました。
昭和28年氷川丸は再び貨客船としての姿を取り戻し、
7月に太平洋を横断する唯一の本格客船としてシアトル航路に復帰、
フルブライト留学生等日米の若い学生の他、昭和34年には米・加公演に
赴く宝塚歌劇団が乗船等活躍しましたが、昭和35年を最後に航路を撤退、
引退となりました。
その間戦前戦後を通じ、北太平洋の荒波を238回横断、
25,000人もの人々の船旅をささえました。
昭和36年、「横浜港開港100周年記念事業」の一環として、
生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留された後は、横浜港のシンボルとして、
日本人の心の中の客船のイメージそのものになっています。
また、平成15年11月には、造船技術史上、建築史上、近代史上の価値が
認められ、水面係留船舶としては全国で初めて、横浜市指定有形文化財に
指定されました。

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◎氷川丸とマリンタワーのHOME PAGE
  ttp://www.hmk.co.jp/

◎氷川丸 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

   

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