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2007.03.30

伊都国 平原遺跡 <邪馬台国までの道程>

【Podcasting その1】

【Podcasting その2】

【Podcasting その3】

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写真が表示されない場合は、↓リンクからご覧ください

http://bit.ly/hGO50C

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【邪馬台国】

西暦200年代(3世紀:弥生時代後期~古墳時代前期)に
小国ばかりだった倭国で30国を従えていたとされている国。
邪馬台国があったとされる根拠は、
中国の歴史書・『三国志』魏書東夷伝倭人条に残されています。

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【邪馬台国までの道程】

帯方郡→狗邪韓国
対馬国(對馬国)
一支国(一大国)
末盧国(末廬国)
伊都国
奴国
不弥国
投馬国
邪馬台国

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【魏志倭人伝(三国志・魏書東夷伝倭人条)より】

末盧国から東南に500里陸地を行くと、伊都国に着く。
そこの官を爾支(にき)といい、副を泄謨觚(せもこ)、柄渠觚(へここ)という。
そこは1000余戸ある。
世々王がいるが、みな女王国に従っている。
そこは『郡使(帯方郡の使者)が往来していつもとどまる所』である。

[引用:武光誠さんの著書「邪馬台国と大和朝廷」(平凡社新書)より]

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【女王国=邪馬台国の関連がわかる部分(魏志倭人伝より)】

南に邪馬台国がある。女王の都があるところで、水行10日、陸行1月で着く。

[引用:武光誠さんの著書「邪馬台国と大和朝廷」(平凡社新書)より]

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【女王=卑弥呼の関連がわかる部分(魏志倭人伝より)】

倭国の人びとは、もとは男子を王としていたが、70~80年後、国が乱れて、
何年も戦いがつづいた。
そこで、かれらは一人の女子を共立して王とし、やっと国内を安定させた。
彼女の名を卑弥呼という。

[引用:武光誠さんの著書「邪馬台国と大和朝廷」(平凡社新書)より]

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【伊都国の一大率について(魏志倭人伝より)】

自女王國以北、特置一大率、検察諸國、諸國畏揮之。
常治伊都國、於國中有如刺史。
王遣使詣京都・帯方郡・諸韓國、及郡使倭國、皆臨津捜露、
傳邊文書・賜遣之物詣女王、不得差錯。

女王国より北には、特別に一人の大率(たいすい)を置いて諸国を監察させており、
諸国はこれを畏(おそ)れている。
大率はいつも伊都国で政務を執り、
それぞれの国にとって中国の刺史(しし)のような役割をもっている。
王が帝都や帯方郡や諸韓国に使者を派遣したり、
帯方郡が倭国へ使者を遺わすときは、
いつも津(しん・水上交通上の関)で、文書や賜与された物品を点検して、
伝送して女王のもとへ到着する時に、間違いがないようにするのである。

[引用:Wikipediaより]

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【伊都国の場所】

◎糸島半島 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

◎糸島郡 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

◎前原市 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

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【伊都国の遺跡】

(伊都国歴史博物館『海を越えたメッセージ』より引用)

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上鑵子遺跡(じょうかんすいせき)
弥生時代の遺物が大量に出土



人物線刻板
(伊都国歴史博物館・パンフレットより引用)
15cmほどの板に刻まれたシャーマンの姿。
顔には刺青を施し、頭には羽飾りが。

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上町向原遺跡(かみまちむかいばるいせき)



国内最大級の中国製・素環頭大刀が出土[全長120cm]
(伊都国歴史博物館・パンフレットより引用)

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浦志遺跡(うらしいせき)
無装飾小銅鐸等が出土

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志登遺跡(しといせき)
支石墓群があり

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新町遺跡(しんまちいせき)・御床松原遺跡(みとこまつばらいせき)
半両銭・貸泉・鉄器等の交易品が出土

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深江井牟田遺跡(ふかえいむたいせき)
朝鮮半島系の遺物が出土



楽浪系土器
(伊都国歴史博物館『海を越えたメッセージ』より引用)

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今山遺跡(いまやまいせき)
石斧(せきふ)生産の地

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今宿五郎江遺跡(いまじくごろうえいせき)
小銅鐸等が出土
2007年2月 今宿五郎江遺跡から木製品出土

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【伊都国の中心地へ】



JR波多江駅から進んで福岡前原道路を越えたあたり



奥に見えるのは前原東中学校

◎Google検索「三雲 井原」
  http://www.google.com/...

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【平原遺跡(ひらばるいせき)】


▼案内板より
1965(昭和40)年と1988(昭和63)~1999(平成11)年に発掘調査され、
弥生時代中期初頭の竪穴住居跡7棟、壷棺墓(つぼかんぼ)1基・木棺墓(もっかんぼ)4基、
弥生時代後期の墳丘墓3墓・大柱(おおばしら)遺構3基・特殊建物跡1棟・
古墳時代前期の円墳2基・土壙墓(どこうぼ)12基・時期不詳の掘立柱建物3棟などが発見された。
このうち、弥生時代終末期の1号墓は14m×10.5mの長方形状の平面形で、
幅1.5m~3.0mの周溝で区画し、排水溝を持った墓である。
主体部である広さ4.5m×3.5mの墓壙(ぼこう)中央には、
長さ3.0m、幅0.7m~0.9mの割竹形の木棺1基が納められていた。
棺の内外から銅鏡40面、ガラス勾玉(まがたま)3点・管玉30点以上・連玉(れんだま)886点・
丸玉約500点・小玉482点、メノウ管玉12点、ガラス耳璫(じとう)=[ピアス]2点、
水銀朱(すいぎんしゅ)、鉄製素環頭大刀1本などが出土した。
特に直径46.5cmの古代で世界最大の超大型内行花文鏡(ないこうかもんきょう)5面を含む
銅鏡などの豊富な副葬品から、1号墓は巫女的な性格をもった伊都国の女王墓と推定される。
なお、超大型内行花文鏡を八咫鏡(やたのかがみ)として、「日本書紀」などにみられる
大日霎貴(おおひるめのむち)=[天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名]の墓と考える
原田大六先生の説がある。
(前原市教育委員会)



・地主さんがみかんの木を植えようとしていたところ、
 偶然に多数の銅鏡破片が出土した。
・超大型内行花文鏡、方格規矩四神鏡 (ほうかくきくししんきょう)は
 国産の倣製鏡(ぼうせいきょう)と見られ、
 大陸からの技術伝承により大型鏡の製作が行われていたと考えられている。
・1つの墓から出土した鏡の数としては、日本最多。
・ガラス耳璫(=ピアス)は極めて国内では出土例が少ない貴重なもの
 (1951年に京都府の桃谷古墳にて出土)で、弥生時代としては平原遺跡のみ。
 耳璫は、漢の女性が身につけていた装飾品。
・1号墓(平原方形周溝墓)出土品は、平成18年6月9日に国宝指定。



鏡出土状況[1号墓] 弥生時代後期後葉~末
なぜこのように割られて埋葬されていたのかも謎の1つです。
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用・柳田康雄氏提供)



入口付近



石碑



遺跡の光景(奥に見えるのが1号墓)



遺跡の光景(奥に見えるのが1号墓)



1号墓



1号墓



1号墓



1号墓



1号墓



1号墓から出土した世界最大の内行花文鏡(倣製鏡)
直径46.5cm
弥生時代後期後葉~末
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



1号墓から出土した世界最大の内行花文鏡(倣製鏡)
直径46.5cm
弥生時代後期後葉~末
(伊都国歴史博物館パンフレットより引用)



1号墓から出土した内行花文鏡(倣製鏡)
直径29.1cm
弥生時代後期後葉~末
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



1号墓から流雲文縁方格規矩四神鏡(りゅううんもんえんほうかくきくししんきょう)
直径16.1cm
弥生時代後期後葉~末
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



ガラス製勾玉
長さ2.9cm~3.0cm
弥生時代後期後葉~末
(伊都国歴史博物館パンフレットより引用)



ガラス製小玉
弥生時代後期後葉~末
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



鉄製素環頭大刀(てつせいそかんとうたち)
長さ80.5cm
(浜島書店『新詳日本史』より引用)

◎Google検索「平原遺跡」
  http://www.google.com/...

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(新人物往来社『古代倭国の研究』より引用・前原市教育委員会提供)

1号墓木棺の中心線上に大柱(直径60~70cm・高さ20m)が建てられていた。
その先は日向峠。
柱から墓の中心までの距離は24.5m程。
魏志倭人伝によると、卑弥呼の墓の径は100歩。
100歩=1/3里=25m程 ※短里計算に基づいて

◎伊都国女王卑弥呼 - せいじさん運営
  http://itokoku.jp/



1号墓より日向峠方面の眺め




1号墓→大柱→その先にある山からの日の出
低いところが日向峠、その左に高祖山と櫛触山(くしふるやま)。

日本で一番古い歴史書である古事記には、
ニニギは高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、
筑紫の日向国(ひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った
と記されている。

◎Google検索「天孫降臨」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「古事記」
  http://www.google.com/...



 
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◎Google検索「天照大御神」
  http://www.google.com/...

◎天皇の戸籍「皇統譜」 - 探検コムさんより
  http://www.tanken.com/kotofu.html



天照大御神(アマテラスオオミカミ)鎮魂のためのコスモス園

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【三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)】

▼案内板より
三雲南小路遺跡は、弥生時代中期末(約2,000年前)の伊都国王の墓で、
墓の周囲に幅3~4m・深さ0.5~0.7mの溝で、
東西32m・南北31mの方形区域を設けた国内最大級の弥生王墓です。
江戸時代(1822年)に発見された時には甕棺(かめかん)の上に
1.5mほどの盛土があったとされ、墳丘があったと推定されます。
墳墓の中央部には2墓の長特大の合わせ口甕棺(あわせぐちかめかん)
(全長2.5mほど)があって、1号甕棺から35面、2号甕棺から22面、
合わせて57面にのぼる前漢鏡、青銅製武器、
金銅製四葉座飾り金具(こんどうせいしようざかざりかなぐ)、
ガラス製壁(へき)、装身具など豪華な副葬品が出土しました。
出土した銅鏡の数は、銅鏡副葬が流行していた国内の弥生~古墳時代の墓で最も多く、
1号甕棺に直径27cm以上の大型鏡があることなどから、
井原鑓溝(いわらやりみぞ)、平原王墓(ひらばるおうぼ)へと続く鏡の大型化、
大量副葬の先駆けとして注目されます。
この内、1号甕棺から出土した銅鏡1面と銅剣1振(いっしん)は国の重要文化財に指定されています。
弥生時代の伊都国に強大な権力と冨を持った王が誕生していたこと、
また倭人の王を擁立していた伊都国びとの繁栄を物語る重要な遺跡です。
大切に保存しましょう。

1822年、国学者の青柳種信(あおやぎたねのぶ)氏によって発掘され
出土時の話は『柳園古器略考(りゅうえんこきりゃくこう)』に記されている。
発掘当時の出土物で現存するのは銅剣1本、銅鏡1面。

1974-75年(昭和49-50年)の発掘調査で出土地点が確認され、
2号墓も発見。

1号墓には、内行花文鏡など径15cm程度の前漢鏡35面・
有柄銅剣1本・銅矛2本・銅戈(どうか)1本・金銅四葉座飾金具8個・
ガラス壁8個・ガラス勾玉3個・ガラス管玉100個以上を副葬。
多量の朱や少量の水銀も発見。
金銅四葉座飾金具は木棺の飾りに用いられるもので、
1号墓被葬者の死に対して、
前漢の皇帝から下賜(かし)されたものとの説がある。

2号墓には、径12cm以下の前漢鏡22面以上・ヒスイ勾玉1個・
ガラス勾玉12個・ガラス壁片垂飾1個が副葬。
少量の朱も発見。

1つの遺跡から57面もの舶載鏡の出土は
弥生時代、古墳時代を通じて最多。

(参考文献:伊都国歴史博物館『海を越えたメッセージ』)



三雲南小路1号甕棺出土連弧文鏡

▼伊都国歴史博物館案内より
直径16.4cmを測り、「潔清白而事君」から始まる
銘文(めいぶん)を持つことから、連弧文「清白」鏡と呼ばれる。
この銅鏡は「柳園古器略考」にも図示されており、
有柄中細銅剣とともに国の重要文化財に指定されている。
また、発掘調査では失われていた破片が出土した。
同型鏡(どうけいきょう)に
泉屋博古館(せんおくはくこかん)所蔵銅鏡が一面存在する。



三雲南小路1号甕棺外出土有柄中細銅剣

▼伊都国歴史博物館案内より
有柄中細銅剣は青柳種信によると1号甕棺外に
切先(きっさき)を上に向けていたことが分かる。
現在長51.5cmを測るが、切先先端を一部失っているため、
全長は53cm前後に復元される。
銅剣は身(み)・柄(つか)・柄飾(つかかざり)が同時に作られた
いわゆる一鋳式(いっちゅうしき)銅剣である。
一鋳式銅剣は国内では本例の他に吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、
向津具(むかつく)遺跡(山口県)、柏崎貝塚(佐賀県)の4例のみ
確認されている。
以前は朝鮮半島に見られず、国内製とされていたが、
近年、出土例が報告され、後者3例については朝鮮半島製の
可能性も出てきた。
しかし、本例は朝鮮半島に見られず、関(まち)から切先まで
37cm前後を測ることから、中細の段階に該当し、国内産と見られる。
また、最近の研究では、弥生時代後期の対馬の人々は朝鮮半島との
交流の際に、銅剣を帯びて渡海した可能性も指摘されており、
この銅剣はまさしく対外交渉をリードした
伊都国の王にふさわしい副葬品といえる。



王墓の出土状況
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



2号甕棺墓出土状況
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



金銅製四葉座飾具
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)



2号甕棺 連個文鏡
(伊都国歴史博物館『海を越えたメッセージ』より引用)



遺跡の光景



遺跡の光景



遺跡の光景



遺跡の光景



遺跡の光景



遺跡の光景



遺跡の光景



遺跡周辺の光景

◎Google検索「三雲南小路遺跡」
  http://www.google.com/...

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【井原鑓溝遺跡(いわらやりみぞいせき)】

・青柳種信氏の『柳園古器略考』によると
 銅鏡21面、巴形銅器3個、刀剣などをおさめた甕棺が出土。

・王墓の所在地は未だに不明。

・弥生時代中期後半以降に王墓が継続的に築かれるのは
 糸島地域を中心とした伊都国に限られていることや出土物等から
 王墓は倭国王・師升の墓ではないか?の説も。

2007年4月:国内最古の完形内行花文鏡を発見
http://selfpit.way-nifty.com/...
http://itoshima-np.co.jp/...

2007年2月:19墓と内行花文鏡等を発見
http://selfpit.way-nifty.com/...
http://itoshima-np.co.jp/...

◎Google検索「井原鑓溝遺跡」
  http://www.google.com/...

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【師升(すいしょう)】

『後漢書』に
「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人」とあり、
この中で倭国の王と記されているのが師升。
史料に出てくる初めての日本人(倭人)でもある。

ちなみにこの一文の訳は、
“永初(えいしょ)元年(107年)に倭国王帥升(または師升等)が
生口(せいこう)[=奴隷]を160人を献上した”の意。

上記は魏志倭人伝にはない記事。

ちなみに建武中元二年(57年)には、
後漢の光武帝に倭奴国が使して、光武帝により、
倭奴国が冊封され金印を綬与されたとある。

原文
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

◎Google検索「師升」
  http://www.google.com/...

◎後漢書 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

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【伊都国歴史博物館】



入口にて



外観



国宝指定の案内



国宝指定の案内



博物館より井原山方面の眺め

◎伊都国歴史博物館
  http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/...

◎Google検索「伊都国歴史博物館」
  http://www.google.com/...

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【邪馬台国までの道程・各国レポート】

帯方郡→狗邪韓国
対馬国(對馬国)
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ケロログ・歴史ラジオ

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