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2007.10.14

C56 44 大井川鉄道

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

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C56形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した
軽量小型テンダー式蒸気機関車である。

1872年(明治5年)以来続いた鉄道の建設も、主要幹線の整備の目処が立つと、
政治的圧力を背景に輸送需要の大きくない
閑散支線区の建設促進へと移行していった。

当時こうした線区での蒸気機関車は、幹線の需要増大に対応できずに
幹線から撤退した旧型機、雑多な旧式輸入機が充てられていた。
しかし、幹線と支線との需要落差が広がると、幹線用機関車は旧型機であっても
大き過ぎて支線へ転用不可能となることと、
輸入車両の老朽化・部品確保困難に起因する整備費用増大が見込まれた。

そこで昭和初期に至って、閑散支線に最適化された、
軽量小型で保守の容易な機関車が計画されることとなった。

上記の通り本線より著しく低規格な簡易線には、大型機関車は入線できない。
このためまず短距離線区向けには1932年にタンク式のC12形が開発された。
軽量で前後進容易な小型機である。

しかし比較的長距離の線区では、C12形では航続距離が短く運用に適さない。
このためC12からタンクをはずし、テンダー式に設計しなおされたのがC56形で、
両形式は共通部分の多い系列設計となっている。

これは制式蒸気機関車系列化の先輩である
ドイツにおいて支線区向けに設計された、
64形タンク機と24形テンダ機の設計手法を参考にしたと思われる。

両形式は形態もC12形・C56形にそれぞれ酷似している。

当時は簡易線には、転車台が設置されている箇所が少なかった。

C12形はタンク式機関車のため、バックは容易に出来るが、
C56形はテンダー式機関車のため後方が見にくくならないよう、
テンダー側面を大きく欠き取って後方視界を確保したスタイルが特徴的である。
しかし実際には脱線が多発したため、入換を除けばバック運転は
ほとんど行われなかったといわれている。

C56形は軽量小型でありながら長距離の運用に耐えられる設計であるために
軍部より注目され、太平洋戦争開戦直前の1941年11月および12月に、
製造された160両のうち過半数以上の90両(C561~90)が供出され、
軌間を1mへ変更、その他多数の改造を受けタイ・ビルマ(現・ミャンマー)へと出征した。

タイへ送られたC56形は当時建設中だった
泰緬鉄道の主力機関車として運用される事になる。

しかし太平洋戦争が激化し、ビルマ戦線の戦いも始まった。
C56形は、地雷や爆撃・銃撃を受け大破した車両も多数あった。
そのためC56形は、昼間は運行せず夜間に細々と運行され続けたという。

また、泰緬鉄道は突貫工事の上酷使に次ぐ酷使で線路が悪く、
橋上で脱線転落し失われた機関車もあった。

敗色濃厚となった戦争末期には、鉄橋が破壊されるなどして
緊急の退却の際に機関車を連れて行けない場合も多く、
敵に機関車を利用されないために、
鉄道連隊の将兵の手によってカマに爆薬を詰められ、
機関車を、時には苦楽を共にした将兵も自ら体をくくり付け爆破する
「機関車の自決」も度々行われた。

そして終戦後、泰緬鉄道は各地で寸断・線路は荒れ果て壊滅的な状況に陥っていた。

同時に多くのC56形が廃車置き場に留置され、無惨な姿をさらしていた。

その後、運転が出来るC56形は泰緬鉄道が復旧した戦後も使用され、
46両がタイ国鉄700形(701~746)として使われた。

これらは1970年代後半から1980年代前半まで使用され、
現在でも713(C5615)・715(C5617)がタイ国鉄の手によって動態保存されている。

また1979年(昭和54年)には、
725(C5631)と735(C5644)が日本に帰還する事になった。
この2両は数多い出征機関車の中でも特別な存在である。

31号機は泰緬鉄道開通式に使われた機関車で、
44号機はタイで使われたC56形の中で、
現地で組立てられた機関車の第1号機関車であった。

両機共に、ロッドなどの細部の部品がいたるところ
他の同型出征機関車から流用・修理されており、その歴戦を物語る。

現在、31号機は靖国神社の遊就館で静態保存、
44号機は大井川鐵道で動態保存されている。

帰国後はオリジナルの姿への復元が行われたが、
屋根などにタイ時代の面影が残っていた。
大井川鐵道で運用を開始した44号機は、SL急行「かわね路号」に用いられた。

軍事供出で使用されていたタイから1979年(昭和54年)に帰還し、
大井川鐵道で動態保存さされることとなり
国内仕様に戻され活躍を始めたC5644であったが、
戦時中の酷使が災いして老朽化が著しくなり、2001年に大修理が行われたが、
なおもボイラー状態が芳しくなく同鉄道で最も非力
(単機で牽引できるのは客車3両が限界だった)であることや、
C11190の入線により機関区が手狭となったことから、
2003年12月より千頭駅で休車扱いで保管された後、
2006年9月より新金谷車両区にて整備が開始された。

劣化が著しいボイラーは、同鐵道が部品取り用として保管していた
C12208のものを流用のうえ交換、
外装はタイ在籍当時の姿(一部車体は緑色でタイ語も書き込まれる)に復元されている。

3月末にボイラー交換作業を行い、9月5日に報道陣公開の上火入れ式を行った。

9月中に再び試運転として本線を走り、2007年10月7日より運用に復帰している。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「C56」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「C56 44」
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