« 五歩市遺跡で竪穴住居10棟を発掘 | トップページ | 「鉄鏡」に新説 敗走奴国の王族が持ち込む? »

2007.11.13


柳沢遺跡で新たに銅鐸の破片2点と銅戈5本が出土

長野県埋蔵文化財センター(長野市)は1日、
弥生時代の青銅製祭器「銅戈(どうか)」2本が10月に出土した中野市の柳沢遺跡で、
新たに「銅鐸(どうたく)」の破片2点と、銅戈5本が出土したと発表した。

銅戈と銅鐸が一緒に出土したのは、全国では神戸市の桜ケ丘遺跡など数例しかなく、
東日本では初。研究者は、従来伝わる弥生社会のあり方や
青銅器文化を塗り替える発見と指摘している。

同センターによると、銅鐸片のうち1点は一部が土中に残っており、
高さ約6センチ、最大幅8センチ。復元すると全体の高さは約20センチと推定できる。

古い形式の鳴り物と考えられている「菱環紐(りょうかんちゅう)式2式」か、
「外縁付紐(がいえんつきちゅう)式1式」とみられる。
南関東で出土例のある類似品(小銅鐸)とは異なる。

もう1点は近くの排水溝の底にあり、高さ約8センチで最大幅が約3センチ。
古い銅鐸に多い、のこぎりの刃に似た鋸歯文(きょしもん)の文様がある。
2点が同じ銅鐸かどうかは今後調べる。

やりの穂先に似る銅戈は5本とも刃先が西の方角を向き、
うち4本が刃を上に向けて整然と並べられ、もう1本は少し離れて埋まっている。
大阪湾周辺で見つかっている「大阪湾型」とみられる。

調査指導委員会委員の石川日出志・明大教授(考古学)によると、
出土した銅戈、銅鐸とも、形式などから弥生中期の紀元前2世紀に作られ、
紀元前後に埋められたと考えられるという。

柳沢遺跡は千曲川と夜間瀬川との合流点の東側に位置。
これまで弥生時代の水田跡などが見つかっている。

◎信濃毎日新聞 2007年11月2日
  http://www.shinmai.co.jp/...

◎Google検索「柳沢遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 | このエントリーを含むはてなブックマーク