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2008.01.30


火星人? 西の谷にて

火星探査機「スピリット」は、2004年1月に着陸して以来、現在も元気に活躍中です。
写真は、西の谷にて撮影されたものです。

拡大写真。
左奥(約8km先)に見えるのはGrissom Hillです。

拡大写真。
近く見える高台はHusband Hillです。

拡大写真。
何か人影のようなものが見えません?

更に拡大写真。
火星人??? ご判断は皆さんに委ねます。^^

火星人といえば、人面岩や

ハッピー・フェイス・クレイターも話題になりましたね。

◎Google画像検索「火星人」
  http://images.google.com/...

IMAGE DATA ©
Mars Exploration Rover Mission, Cornell, JPL, NASA,Malin Space Science Systems, MGS

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2008.01.22


水星の表面

水星探査機メッセンジャーによる撮影

比較的強い水星の重力作用により
クレイターの壁が低めになっています。

◎Google検索「水星」
  http://www.google.com/...

IMAGE DATA © MESSENGER Teams, JHU APL, NASA

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2008.01.19


水星

先日、2008年1月14日に水星探査機メッセンジャーが
太陽に最も近い惑星・水星に大接近しました。

これは2011年の周回軌道投入のための第一回目のスイングバイによるもので、
ここまで水星に接近したのは1974年~75年のマリナー10号以来のこと。

写真は今回の接近時に撮影された30年以上ぶりの水星表面画像です。

◎Google検索「水星」
  http://www.google.com/...

IMAGE DATA © MESSENGER Teams, JHU APL, NASA

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流山駅ホームのイス

ボランティアサークル「明るい社会づくりの会」が
手づくりの座布団を駅に贈呈しています。

↓詳しいお話
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/...

流山駅周歩 | このエントリーを含むはてなブックマーク | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.01.14


伊豆急行 8000系 (旧 東急 8000系)

静岡県・熱海駅にて平成20年1月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成20年1月に撮影

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8000系電車は伊豆急行が保有する電車。
2005年(平成17年)4月1日に営業運転を開始した。

伊豆急行では、これまで通勤・通学輸送に
東日本旅客鉄道(JR東日本)から購入した200系を使用していたが、
元々老朽化していた車両であり、代替となる車両を必要としていた。

そこで、2004年(平成16年)~2005年(平成17年)と2007年(平成19年)に、
親会社の東京急行電鉄(東急)から廃車となった8000系29両と8500系1両を譲受し、
順次改造・整備の上で導入することとなった。

系列名はそのままに、形式名・車両番号を8001~に、
「デハ」の呼称を「クモハ」「モハ」に振り直している。

制御装置などは基本的に東急時代のままであるが、
MT比、ATSと減速度の関係により、
東急時代の運転最高速度110km/h、
起動加速度3.3km/h/s(6M2T編成=MT比3:1の場合)から、
最高速度が100km/h、起動加速度2.0km/h/sに抑えられている。

なお、回生ブレーキは東急時代と同様
単独車(現在は存在しない)は45km/h、ユニット車は22km/hで失効する。

クモハ8150形は東急8000系に制御電動車が存在しなかったために、
走行機器付きの中間電動車・8100形に運転台を設置する事で用意された。

増設された先頭部は上部の通過標識灯(急行灯)や
側面のコルゲート装飾(断面が凹凸の、波状の補強構造。
技術の進歩により近年ではあまり設けられない)は無いものの、
それ以外の形状はオリジナルの先頭車に準じた形状となっている。

オリジナル車に残る通過表示灯は東急時代に使用が停止され、
伊豆急行でも使用していないので、運行に支障はない。

クモハ8250形は当初制御車のクハ8050形に改造される予定であった事から、
クハ8050形の消滅後に改造された車輌もクモハ8150形と異なり、
東急クハ8000形から改造されている。

離線対策のためにパンタグラフが新設されたが、
搭載スペースが考慮されていなかったために、
最も運転台側の冷房機1基が撤去され、その跡地に設置されている。

さらに、冷却能力の低下を補うために運転台上部に
新品の小型冷房機が設置された関係で、
干渉を防ぐためにパンタグラフ形状は折りたたんだ際の占有面積の小さい、
シングルアーム式となった。

伊豆急でのシングルアーム式パンタグラフの採用は、
200系F3~8編成に次いで2例目である。

モハ8200形は短編成で運行するため、
離線対策としてパンタグラフを持つデハ8100形に
東急デハ8200形の床下機器を移設することで、
東急デハ8200形相当のパンタグラフ付き車両に改造された。
クモハ8200形も機構的にはモハ8200形に準じたものに改造されている。

これら一連の改造には、東急で他の8000系が
解体された時に発生した部品が一部使用されている。

すべての先頭車は障害物対策で排障器(スカート)が、
連結作業対策で電気連結器が設置された。
排障器は東急9000系などと同じ形状である。

外観は車体外部の帯が東急の赤色に代わって、
100系をイメージした濃淡2色の水色(ハワイアンブルー)となった以外に
はさほど変化がないものの、内部は徹底的にリニューアルされ、
居住性が大幅に向上している。

ロングシート部分は車輌によって、
東急時代の更新工事の有無で形状が異なっている。

更新車はドア間の座席が仕切りで4人掛と3人掛に区分され、
端部にも仕切りが設置されている。

社章は2005年度入線車は東急の社章プレートの「TOKYU」部分に
「IZUKYU」の文字を被せた状態で使用されていたが、
2006年度入線車から新造の物が設置されるようになり、
2005年度入線車も交換がなされた。

新しい社章プレートは東急と同デザインであるが、
色が赤からオレンジとなった。

その他、運行面の改造として、ワンマン運転への対応や
伊東線への乗入れ装備の追加(JRのATS-P形や列車番号設定器などの設置)が
行われている。

なお、ワンマン運転時には前面貫通扉窓の上部に「ワンマン」の看板が取付けられる。
一部の車両にはさらにレールへの塗油器も設置された。

1990年代後半に100系の老朽取替えに際し、
代替車両の候補としてまず東急8000系が挙がった。
しかし当時8000系に廃車予定はなく、当時計画されていた、
車内サービスを維持するための片側2扉に改造しての導入では
JRとの直通運転に適していないとのことで、
JRより提示された113系および115系を200系として導入した経緯がある。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「伊豆急行 8000」
  http://www.google.com/...

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>> 「伊豆急行」 Amazon検索

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スハフ43

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-2

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-3

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-3

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-2

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国鉄スハ43系客車とは、
日本国有鉄道(国鉄)が1951年から急行列車用に製造した客車の形式群である。

在来型の客車に比して居住性を大幅に改善した画期的な客車であった。
当初は特別急行列車にも使用され、
1970年代まで日本全国で急行列車運用に広く充てられたほか、
後年は普通列車でも運用された。

国鉄が定めた制式の系列呼称ではなく、
軽量客車と称された10系と従前のオハ35系との間に位置する、
同一の設計思想によって製作された客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称である。

スハ43形を代表としたスハ43系客車の呼称が一般的である。

具体的には、三等車のスハ43形、スハ44形、スハ45形、オハ46形、
三等緩急車のスハフ42形、スハフ43形、スハフ44形、オハフ45形、
三等荷物合造車のスハニ35形、特別二等車のスロ53形、スロ54形、
食堂車のマシ35形、マシ36形、
郵便車のスユ41形、スユ42形、スユ43形およびこれらの改造車が該当する。

また、1950年度に製造された、特別二等車のスロ51形、
寝台車のスロネ30形、マイネ41形および郵便車のオユ40形についても、
車体構造などに共通点が多いため、同じ系列に含めることが多い。

オハ35系の改良版として設計され、急行列車に使用することを前提として製造された。

鋼体化車両と称されたオハ60形(1949年)で採用された
完全切妻形車体(連結面に後退角がない車体)を採用した。

これにより客室の有効面積が拡がり、座席間隔がわずかではあるが広くなった他、
製造上もデッキ部分の工数が減ってコストダウンにつながっている。

従来の緩急車は、出入り台と客室の間に車掌室を設けていたが、
本系列ではオハ60系と同様、車掌室を車端部に移した。
これは車掌の後方監視の改善に寄与している。

生産時期は戦後復興が進展してきた時代であり、
内外装の仕上げも戦後の混乱期に比して良好なものとなった。


特急形車両(スハ44系)

1951年に特急列車のサービス改善を目的として、
戦前のスハ34形に相当する専用三等客車が設計された。

それらは基本構造はスハ43形に準ずるが、デッキは特別二等車並みに片側のみとされ、
車内は2列配置の一方向き固定クロスシートが
シートピッチ835mmで通路の左右に配置されるなど、
まだ戦災復旧車の70系や窮屈な60系鋼体化客車が当たり前に使われていた当時の
一般向け三等客車とは比較にならない高水準なアコモデーションを備えていた。

このグループとしては基幹形式であるスハ44形(1~34)、
緩急車として車掌室や手ブレーキ装置を持つスハフ43形(1~3)、
それに緩急車としての機能に加えて荷物室を持つ
スハニ35形(1~12)の3形式49両が製造されている。

新造後は当初の計画通り、東海道本線特急「つばめ」・「はと」や
東北本線特急「はつかり」などの特急列車を中心に使用されたが、
昼行特急はスピードアップのために電車化あるいは気動車化され、
夜行特急は寝台車主体の寝台特急(ブルートレイン)に移行したため、
冷房化されることもなく一般形車両に格下げ運用された。

なお、この格下げに際して回転クロスシートに改修しているが、
シートピッチの関係で向かい合わせ使用は不可能であった。

また、晩年に川俣線で使用されていたスハニ35形はシートが
特急時代の一方向固定式のままであった。

特急列車の相次ぐ電車・気動車化で余剰を来したスハ44系について、
観光団体専用列車や急行列車などへの転用が実施されることになった際、
一つの問題が生じた。

それは、本系列の座席が終端駅での編成全体の方向転換を前提とする
一方向固定式クロスシートであり、そのような運用が困難な団体列車や
急行列車での使用に適さなかったことであった。

そこで団体・急行列車に転用される車両について
各車の回転式クロスシートへの交換工事が実施されることとなったが、
これにあわせて10系客車などと比較して陳腐化が目立ち始めていた
内装の近代化改修もあわせて実施されることとなった。

これらの近代化改造工事を施工されたグループは、
当初は観光団体列車にオハネ17形などと共に運用されていたが、
1964年の東海道新幹線開業後は幹線系統の
急行列車の普通指定席車に充当されるようになり、
「瀬戸」・「明星」・「銀河」・「日南」・「筑紫」・「さんべ」などの
東海道・山陽線夜行急行を主体に使用された。

その後は1970年代以降格上げによる特急列車への種別変更と、
1975年の山陽新幹線博多開業で急行列車が激減し、
また車両そのものの老朽化も進行したことから、
最後まで本系列を使用していた急行「銀河」へ20系客車への置き換えが決定され、
1976年をもってスハ44形の全車廃車と本系列の急行運用消滅となった。

もっとも、老朽化していたとはいえ60系よりは格段に良好なコンディションであったためか、
車掌台付きのスハフ43形についてはその大半が当時大量の60系客車を抱えていた
四国総局へ転属の手配がとられ、
体質改善工事などの大がかりな更新修繕工事を実施の上で
国鉄分割民営化直前まで使用され続けた。

その後、1986年に日本ナショナルトラストの活動により
スハフ43 2・3の2両が同団体に払い下げられ、
現在も大井川鐵道で動態保存されている。

大井川鐵道では、大井川本線にオハ47形が4両、スハフ42形が4両配置され、
オハ35形、オハフ33形とともにSL列車「かわね路号」の客車として使用されている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「スハフ43」
  http://www.google.com/...

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関東鉄道 キハ2200形

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下妻駅にて平成19年8月に撮影 (携帯電話写真)

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現在は4両が在籍している。
新潟鐵工所(現・新潟トランシス)が製造を担当。

1997年(平成9年)10月より運用開始。
当初は2両だったが、翌年9月に2両増備された。

基本仕様は、キハ2100形に準ずる。
キハ2100形で採用したボルスタレス台車、新潟鐵工所製DMF13HZエンジンを踏襲し、
キハ2100形の両運転台仕様となった。

この形式で特筆されるのは扉配置である。
キハ2100形が両開き扉を片側3つ配置していたのに対し、
キハ2200形は両端の2つが片開き、中央のひとつのみ両開きとなっている。
これはワンマン運転を考慮したものである。

現在、主に水海道以北のワンマン単線区間を担当している。
また、日中に守谷までの複線区間乗り入れも行っており、
守谷駅で折り返し停車をすることも少なくない。

普通・快速列車問わず幅広く運用され、
休日ダイヤの快速は、当車両またはキハ2400形に限定される。

単線区間用車両であることから、新製時よりワンマン運転に対応しているが、
キハ2400形には設置されている駅名案内LED装置がない。

快速運転には当初対応していなかったが、
列車種別装置新設などの改造を2005年(平成17年)に受け全車対応した。

また、2003年(平成15年)5月~8月に防護無線が全車に取り付けられている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「関東鉄道 キハ2200」
  http://www.google.com/...

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2008.01.11


木星とイオ

2007年2月に無人探査機「ニュー・ホライズンズ」が撮影した写真です。
(木星は三つの波長帯の赤外線光で撮影。木星とイオは合成加工。)

イオは木星の月で、写真の右側(青い部分)には太陽系の天体の中では、
地球以外で唯一火山活動を行っているTvashtar火山の様子が見えます。
そのやや左側にある赤い部分は溶岩です。

無人探査機「ニュー・ホライズンズ」号は2015年に冥王星に到着する予定です。

IMAGE DATA ©NASA, Johns Hopkins U. APL, SWRI

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夕暮れ時の地球

国際宇宙ステーションから撮影された夜・夕方・昼の様子です。

IMAGE DATA © ISS Crew, Earth Sciences and Image Analysis Lab, JSC, NASA

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乳房雲

メキシコのMonclova上空の様子です。

乳房雲(ちぶさぐも、にゅうぼうぐも、mamma、略号mam.)とは
雲底からこぶ状の雲がいくつも垂れ下がっている状態のことで、
巻雲、巻積雲、高積雲、高層雲、層積雲、積乱雲に現れます。

雲底で下降気流や渦流が発生しているとき発生し、
大雨や雷雨、アメリカではトルネードの前兆ともされています。

(文・参考Wikipedia)

◎Google検索「乳房雲」
  http://www.google.com/...

IMAGE DATA © Raymundo Aguirre

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2008.01.10


邪馬台国の証拠出るか…纒向遺跡を本格調査

邪馬台国の最有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(3~4世紀)について、
市教委は新年度から、初めて中枢地域の本格的な発掘調査を進める。

「日本最初の都市」とされる遺跡の実態解明につながる成果が得られると期待される。

文字資料など、中国との直接交流を示す遺物が見つかれば、
邪馬台国の所在地を決定づけ、長年の論争に決着がつく可能性もあり、
関係者らは調査に大きな関心を寄せている。

纒向遺跡は、古代の王宮が営まれたとされる三輪山山麓(さんろく)にあり、
東西約2キロ、南北約1・5キロ。

邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓説がある
箸(はし)墓(はか)古墳(3世紀後半)もある。

県や市による調査は1971年に始まり、現在まで153回行われたが、
住宅開発などに伴う緊急調査が85%の130回を占め、
調査が終わったのは全体の5%程度。

遺跡の中枢は時期によって異なり、3世紀前半は、
祭殿とみられる建物跡などが近くで見つかった太田地区、
同後半には、朝鮮半島の影響を受けた土器や絹製の袋などが出土した
巻野内地区に移ったとみられている。

市教委は両地区の発掘を長期的な計画で順次、進めていく。

同遺跡の調査では、東海や瀬戸内など他地域の土器が
出土量全体の2割以上を占め、全国各地との交流があったことが知られているほか、
板で護岸した幅5メートルの溝など、大規模な土木工事が行われていたことも判明。

最近の調査では、染織に使われたベニバナの花粉が大量に検出され、
中国の史書「魏志倭人伝」に記された、
卑弥呼が魏に献上した織物と関連する可能性も指摘されている。

纒向遺跡の大規模発掘と整備を公約に掲げる谷奥昭弘市長は
「考古学的にも画期的な調査となるはず。邪馬台国の手がかりをつかみたい」と期待する。

文化庁記念物課も「本格的な調査が進めば、
全国に類例のない成果が得られる可能性がある。
史跡指定をして遺跡を保存するためにも、早急に実態解明を進めてほしい」とする。

◎読売新聞 2008年1月9日より
  http://osaka.yomiuri.co.jp/...

◎Google検索「纒向遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 2008 | このエントリーを含むはてなブックマーク


中村遺跡で8千年間の遺構が出土

大津市教委は9日、同市真野2丁目の中村遺跡で、
縄文時代から平安時代にかけての数多くの遺物や遺構が見つかった、と発表した。

土器片、やじりや方形周溝墓、掘っ立て柱建物跡など種類もさまざまで、
同市教委は「8000年にわたる長期間の遺物、遺構が
同じ場所から見つかるのは珍しい」としている。

発掘されたのは、JR堅田駅の北東約400メートルにある東西約60メートル、
南北約12メートルの宅地造成地。

見つかった遺構は▽弥生時代中期の方形周溝墓▽古墳時代後期の竪穴建物2棟
▽平安時代の役所関連の建物とみられる掘っ立て柱建物3棟。
構造や一緒に出土した遺物などから年代を特定した。

調査地の東端には、奈良時代後期の多数の土器と牛か馬の骨が埋められた、
雨ごいの儀式跡とみられる穴(直径1メートル)もあった。

縄文時代初期のやじり約230個や関西では珍しい「黒曜石」の破片、
平安時代の役人が身につけていたベルト飾り「石帯(せきたい)」をはじめ、
各時代の土器やその破片など、大量の遺物も見つかった。

調査地は、かつては湖岸だったことがわかっており、
近くを古代の北陸道が通っていた、とされている。

北西約450メートルでは、奈良後期から平安にかけての掘っ立て柱建物跡が見つかっている。

同市教委の田中久雄主査は「湖上、陸上とも交通の便が良く、
幅広い交易圏を持つことができる場所だったため、これだけ長期間にわたって、
生活などの痕跡が残ったのではないか」と推測している。

◎京都新聞 2008年1月10日より
  http://www.kyoto-np.co.jp/...

◎Google検索「中村遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 2008 | このエントリーを含むはてなブックマーク


「末廬国」王墓・桜馬場遺跡 別の甕棺を確認

昨年、甕棺墓(かめかんぼ)の遺構が63年ぶりに見つかり、
中国の史書「魏志倭人伝」に記述がある「末盧国(まつろ)」の王墓と特定された
唐津市の桜馬場遺跡で、別の有力者が埋葬されたとみられる甕棺片が確認された。

「王」か王の近親者の可能性が高く、
唐津市教委は「末盧国の首長墓の変遷を考える上で貴重な資料になる」と注目している。

新たに確認された甕棺は合口式で、
昨年の市教委調査で遺跡南西部の防空壕(ごう)跡から、王墓の甕棺片と混在し出土。
形状から、ほぼ同時期の弥生時代後期前半(1世紀後半―2世紀前半)のものとみられる。
ただ本来の埋設位置はわかっていない。

一方、同じ調査で南東部の防空壕跡に位置する王墓の遺構から、
中国製の内行花文鏡の破片が出土。
この銅鏡片は、1944年に初めて遺跡を発見した際の出土品記録にはなかった。

このため市教委は、新たに確認された甕棺に内行花文鏡が副葬された可能性もあると推定。
王墓から見つかった方格規矩(きく)四神鏡とは製作時期が近く、
同市教委は「極めて近い区域に、時代が異なる有力者2人の墓が存在すると思われる」と
みている。

佐賀女子短大の高島忠平学長(考古学)は、「当時は政治を司る男性と
シャーマン(呪術(じゅじゅつ)者)を務める女性の“二重政治体制”だった見方もでき、
高貴な2人を死後も一緒の場所に葬ったかもしれない」と話す。

◎佐賀新聞 2008年1月8日より
  http://www.saga-s.co.jp/...

◎Google検索「桜馬場遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 2008 | このエントリーを含むはてなブックマーク


加茂遺跡で環濠の入口通路を発見

兵庫県川西市にある弥生時代中期の大規模な環濠(かんごう)集落
加茂遺跡(約2000年前)で、環濠端から、集落の支配者が住んでいたとみられる
建物入り口付近までの通路跡が見つかり、同市教委が18日発表した。

同時期の遺跡では、入り口付近で門の跡などは見つかっているが
通路跡が確認されたのは初めて。

路脇には柵(さく)の跡もあり、同市教委は「敵の侵入を防ぐための高度な土木技術」としている。

通路跡は長さ約45メートルで幅約5メートル。
遺跡中心部にある建物跡の南西約250メートルの平らな台地で見つかった。
建物を囲む4つの環濠を貫き、住民が住んでいた集落の中心に向かって延びていた。

このほか、通路脇で柵があったとみられる深さ約50~80センチの溝や、
環濠端付近で門扉などを構築した跡とみられる直径約10センチの穴も発見。
いずれも敵の侵入をふせぐための構造とみられている。

大阪大の福永伸哉教授(考古学)の話 
「環濠集落の基本構造を理解するうえで重要な発見。
土木技術の高さとともに、当時の戦乱の激しさも裏付けており、
弥生時代の集落のありようも分かる」

◎産経新聞 2007年12月18日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「加茂遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 | このエントリーを含むはてなブックマーク

2008.01.08


ソ300 操重車

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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操重車(そうじゅうしゃ)は、事業用車の一種。
日本国有鉄道における車両表記は頭文字をとった「ソ」であった。

操重機(クレーン)を積んだ車両を指し、
脱線事故があった際の車両・設備復旧や、工事などに用いる。

自走できるよう当初は蒸気機関、後にはディーゼル機関を搭載したものが多かった。

大まかな分類として、事故救援用と架橋用の2種類が存在する。

事故救援用はその名前の示すとおり、
事故の際に転覆した車両等を移動するために用いられる。
架橋用操重車は架橋工事の際に使用され桁などの揚重に用いられる。

近年、道路網の整備等により事故・工事現場への
移動式クレーンの搬入が容易になったことから、使用の機会が減少し、
現在現役で使用されている車両はない。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「ソ300」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「操重車」
  http://www.google.com/...

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切符 / JR東海 大垣駅

◎Google検索「大垣駅」
  http://www.google.com/...

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切符 / JR東日本 水戸駅

◎Google検索「水戸駅」
  http://www.google.com/...

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切符 / JR東日本 戸塚駅

◎Google検索「戸塚駅」
  http://www.google.com/...

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これまでの旅と散歩

【北海道】
 稚内(JR最北端)
 知床(カムイワッカ湯の滝)
 釧路湿原
 富良野(麓郷の森)
 銀河の滝
 昭和新山と有珠山
 函館山

【青森県】
 青森駅 青函連絡船の名残
 青森駅 青函連絡船の名残(2)

【福島県】
 新白河駅周辺・白河駅

【群馬県】
 駒寄PA - 関越自動車道
 つつじが岡公園
 伊香保温泉

【茨城県】
 守谷SA - 常磐自動車道

【埼玉県】
 西川口・源泉湯元 天然温泉 ゆの郷 スパ・ヌサ・ドゥア
 上里SA - 関越自動車道
 三芳PA - 関越自動車道
 新倉PA - 東京外環
 川越駅周辺

【千葉県】
 流山駅周辺
 銚子

【東京都】
 加平PA - 首都高三郷線
 向島百花園(初冬)
 船堀・東京健康ランド
 葛西臨海水族園
 浅草三社祭
 越谷へ、そして浅草
 根津駅周辺
 本郷・合羽橋・浅草・上野・三宿
 交通博物館・日本で初めて飛んだ飛行機
 東京大神宮
 東京国立博物館
 スカイバス東京
 将門塚(大手町1-1-1)
 桜の皇居
 皇居にある・・
 東京駅
 東京駅丸の内口(夜景)
 日本橋から銀座
 東京医科歯科大学
 ビクター社
 汐留シオサイト
 浜離宮(春)
 羽田空港
 大崎駅農場
 神宮外苑
 昭和記念公園(GW)
 東福生
 昭島駅周辺
 伊豆大島

【神奈川県】
 海ほたる→みなとみらい
 川崎大師・風鈴市
 横浜駅周辺
 非自然色横濱画
 元日 初詣 伊勢山皇大神宮
 みなとみらいへ
 みなとみらいのクリスマス
 赤レンガ倉庫・WISH YOKOHAMA 2006
 新港埠頭・くじらフェスティバル
 BankART Studio NYK でライブ
 シリーズ「発祥地」(近代日本開国の地)
 大さん橋・サファイアプリンセス号
 大さん橋・クイーン・エリザベス2号
 大さん橋・ぱしふぃっく びいなす号
 国際花火大会(1)
 国際花火大会(2)
 氷川丸
 氷川丸のクリスマス
 マリンタワーのクリスマス(1)
 マリンタワーのクリスマス(2)
 三渓園の桜
 三渓園の夜桜
 三渓園・旧燈明寺本堂でライブ
 三渓園・鶴翔閣内部特別公開
 金刀比羅・大鷲神社 酉の市
 弘明寺・みうら湯
 近所
 ベイサイドマリーナへ
 金沢区
 舞岡(3月)
 上郷の森&横浜自然観察の森
 ドリームランドモノレール
 称名寺
 海の公園・どんど焼
 鎌倉駅周辺
 鎌倉(皐月)
 鎌倉(晩秋)
 鶴岡八幡宮 元旦 初詣
 鎌倉大仏 高徳院
 鎌倉・長谷寺の歳の市
 湘南夕海
 横須賀・三笠公園の壁画
 浦賀ドック
 浦賀ドック(2)
 三崎口駅周辺
 新江ノ島水族館のイワシ
 平塚八幡宮ぼんぼりまつり
 二宮駅周辺
 早春の吾妻山公園
 中新田かかしまつり
 あつぎ鮎まつり大花火大会
 宮ヶ瀬ダム完成前
 宮ヶ瀬ダム完成前(2)
 道志渓谷
 小田原の街
 小田原のバス
 小田原のマンホール
 小田原城
 箱根湯本駅周辺
 箱根湯本・旭橋と横穴式源泉跡
 箱根湯本・函嶺洞門
 箱根湯本・近代建築
 箱根登山鉄道
 箱根・芦ノ湖畔

【山梨県】
 富士山五合目

【静岡県】
 伊東
 リゾート21
 川奈でダイビング
 城ヶ崎海岸駅~伊豆高原駅
 伊豆大川駅周辺
 龍豊院(伊豆大川)
 大川三島神社(伊豆大川)
 江戸城の築城石(伊豆大川)
 伊豆大川~伊豆北川
 伊豆北川
 北川鹿島神社(伊豆北川)
 蓮台寺駅~伊豆急下田駅
 伊豆急下田駅周辺
 裾野市(某寺院)
 白糸の滝
 東名下り・由比PAからの景色
 名古屋に向かう途中

【長野県】
 松本駅周辺
 松本城
 松本・四柱神社
 トクーのバス(新宿-長野)
 長野駅から白馬八方まで
 アルペンライン乗り場まで(白馬八方尾根)
 ゴンドラリフト「アダム」で八方から兎平へ(白馬八方尾根)
 アルペンクワッドリフトで兎平から黒菱平へ(白馬八方尾根)
 グラートクワッドリフトで黒菱平から八方池山荘へ(白馬八方尾根)
 八方池山荘から第2ケルンへ(白馬八方尾根)
 八方ケルン(白馬八方尾根)
 ジャンプ台が見える光景(白馬八方尾根)
 初秋の白馬
 南小谷駅周辺

【新潟県】
 ガーラ湯沢
 越後湯沢でスキー

【富山県】
 黒部峡谷(欅平)
 称名滝
 黒部ダム(黒部川第四発電所)

【愛知県】
 名古屋のナナちゃん
 名古屋の夜景
 熱田神宮

【大阪府】
 夜行バス(横浜・東京-大阪)
 日帰り出張
 梅田&甲子園
 四天王寺
 聖徳太子の墓(聖徳皇太子磯長墓) - 叡福寺 -

【奈良県】
 飛鳥
 石舞台古墳

【兵庫県】
 餘部鉄橋(余部鉄橋)

【広島県】
 尾道
 被爆建物

【福岡県】
 福岡市・春日市(奴国を訪ねて)
 前原市(伊都国を訪ねて)
 壱岐・対馬航路 ジェットフォイル「ヴィーナス」
 博多散歩
 博多・エバーグリーンマリノア
 アパホテル 福岡渡辺通

【佐賀県】
 唐津(末盧国を訪ねて)

【長崎県】
 対馬(対馬国を訪ねて)
 対馬・吉永レンタカー
 壱岐(一支国・原の辻遺跡を訪ねて)
 壱岐・壱岐レンタカー

【沖縄県】
 石垣島のビーチ
 石垣島のマンタスクランブル

【フィリピン】
 セブ島

【サイパン】
 イーグルレイシティ
 沈船

【アメリカ合衆国】
 クイーンメリー号
 ロスアンゼルス→ラスベガス
 ラスベガス→フラッグスタッフ
 フラッグスタッフ → グランドキャニオン・サウスリム

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【食】
 その1
 その2
 その3
 その4
 その5

【酒】
 その1
 その2

【鉄道】
 その1
 その2
 その3
 その4
 切符
 鉄道ラジオ

【もの】
 伊勢山皇大神宮の干支土鈴
 鎌倉のプルプル江ノ電
 BOSSのおまけ
 伊東の温泉饅頭くん

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2008.01.06


伊豆急下田駅

駅舎

改札口

改札口

改札口

改札口

改札口

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◎Google検索「伊豆急下田」
  http://www.google.com/...

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電話ボックス

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ホテル ウラガ

http://www.hotel-uraga.yad.jp/

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道のタイル絵

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道のタイル絵

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手汲みポンプ

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2008.01.04


EF58 61 ロクイチ お召し列車牽引指定機

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

鉄友からもらった写真

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

鉄友からもらった写真

団臨

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・保土ヶ谷駅にて昭和61年9月14日に撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・新子安駅にて撮影 (踊り子号)

神奈川県・国府津駅にて昭和62年2月14日に撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

群馬県・井野駅にて昭和61年8月27日に撮影 (EF58-89との重連)

神奈川県・戸塚駅~大船駅間にて撮影 (江戸牽引)

神奈川県・東戸塚駅付近にて撮影 (江戸牽引)

団臨 (やすらぎ牽引)

サイド

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

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EF58形電気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の
旅客列車牽引用直流電気機関車である。

1980年代までにほとんどが営業運転から撤退したが、
お召し列車牽引指定機関車の61号機をはじめとする数両が
2007年現在でも可動状態で残存している。

改良型の新製機グループとしては初期にあたる1953年に製造された。
60号機が東芝、61号機が日立製作所の製造である。
1953年7月15日に60号機が浜松機関区へ、61号機が東京機関区へ新製配属された。

それまでお召し列車牽引用の電気機関車としては、
戦前の1934年に製造されたEF53形後期形16・18号機が用いられていたが、
車齢が高い上暖房用ボイラーがなく、東海道本線電化延伸に伴う長距離運転では
旧式なプレーン・ベアリングゆえ摩擦で車軸が過熱する恐れもあった
(EF58形は全車軸がローラーベアリングで長距離運転でも車軸発熱しにくい)。

このため、お召し列車運用を前提として最初から特別に製造された
(現在まで唯一の事例である)機関車が、EF58形60・61号機である。
これらの就役により、EF53は1954年にお召し列車の牽引から退いている。

天皇の乗用列車を牽引するという事情から、以下のような特別な装備が施されている。

運転上の安全対策

1.連結器接触面、車輪の外輪部側面、台車バネ吊り部材、
  ブレーキロッドなど重要部材を磨き上げ、点検時に亀裂などの発見を容易にした。
  これは同時に装飾の効果もあった。

2.確実な速度監視のため、速度計を運転席の他に助士席側にも増設した。

3.電動発電機用の界磁抵抗器を増設し、一部が故障した場合のバックアップとした。

4.故障時用に予備部品と工具を搭載。

5.自動連結器が外れる事故を確実に防止するため、
  上錠揚止装置(連結解除レバーのロック)を装備した。

6.停車位置を確実にするため、運転室の側面下部に
  列車位置停止基準板を装備(引き込み式)。

連絡設備

1.お召し列車編成内の供奉車(随行員・警備要員の乗車する車両)との連絡電話、
  及び機関車前後の運転室相互間の伝声管を装備した。

さらに、両端の運転台前面には国旗掲揚器具を装備し、
EF58の特徴である前面の飾り帯は磨き出しのステンレスとして
車体側面全周を取り巻くデザインとしている。

これはお召し列車牽引指定機を識別するポイントであり、
非常に美しい仕上がりとなっている。

塗色は、当初はどちらも他車と同じくぶどう色2号であったが、
61号機については1965年頃より御料車編成と釣り合う「深紅色(ため色)」と呼ばれる
お召し機専用色(ぶどう色に似ているが、ぶどう色ではない。
大宮工場が独自に調合したもの)とされている。

日立、東芝共にお召し列車専用の指名であるため、
会社の名誉を懸けて製造・点検を入念に行い、国鉄納入前の社内試験も厳重に行われ、
極めて良好な状態で納入された。

予算は一般のEF58形より130万円高い6,300万円であったが、
上記の特別仕様により、これらの機関車製造では両社共に大赤字を出したという。

61号機が初めてお召し仕業に充当された際の逸話であるが、
新しい機関車であるとの話を耳にした昭和天皇は、列車出発前の東京駅ホームで、
お召し列車牽引機の同機を間近に見たと言われる。

機関車が(天皇の意向によって)天覧に浴したのは、希な事例であろう。

61号機は東京機関区、60号機は浜松機関区にと分けて配置された背景には、
関西方面は浜松機関区が担当する計画があったためとされる。

実際には当初は上りと下りで両機を使い分け、その後は61号機が本務機、
60号機が予備機とされ、故障防止を兼ねて、毎月数回は一般の列車牽引にも用いられた。

両機はお召し列車運転時には入念な整備の上国旗を飾り、
御料車編成の牽引に充当された
(なお、お召し列車運転前の整備は61号機の場合、
長年大宮工場が専属で受け持っており、その名残から現在も定期検査は
大宮工場の機関車部を引き継いだJR貨物大宮車両所に委託している)。

本務機の61号機は昭和天皇のご乗用列車を100回以上牽引したと言われる。

その他、お召し列車が交流区間や非電化区間で運転される時の1号編成の回送にも、
直流区間は61号機が指名されることが多かった。

60号機は1967年5月、浜松で踏切事故を起こして2エンド側左台枠折損という重創を負った。

1973年にお召し指定が解除された後は一般機と同じ扱いになり、
側面フィルタのビニロック化、正面窓のHゴム支持化などの改造を行ったが、
老朽故障多発により1983年5月18日付で廃車となり、6月初旬に大宮工場で解体された。

61号機は60号機が廃車・解体された後の1987年に国鉄からJR東日本へ承継され、
2007年現在も可動状態にある。

1980年代以降はその来歴を買われ、イベント列車の牽引にも盛んに用いられた。

近年はお召し列車の運転回数も減少しており、
本来牽引すべき御料車の一号編成客車ともども老朽化が進行している。

既に電車形式のハイグレード車両と特別車両(E655系電車)が2007年7月に落成しており、
61号機も鉄道博物館への収蔵が検討されている
(JR側は既に、将来は鉄道博物館に永久保存することを明言している)。

とはいえ、2004年施行の全般検査を終えてからの61号機は、
未だに多くのイベント列車で運用されている。
特に2006年は10列車以上の牽引に充当された。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「EF58 61」
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