
神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

鉄友からもらった写真

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

鉄友からもらった写真

団臨

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・保土ヶ谷駅にて昭和61年9月14日に撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・新子安駅にて撮影 (踊り子号)

神奈川県・国府津駅にて昭和62年2月14日に撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

群馬県・井野駅にて昭和61年8月27日に撮影 (EF58-89との重連)

神奈川県・戸塚駅~大船駅間にて撮影 (江戸牽引)

神奈川県・東戸塚駅付近にて撮影 (江戸牽引)

団臨 (やすらぎ牽引)

サイド

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影
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EF58形電気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の
旅客列車牽引用直流電気機関車である。
1980年代までにほとんどが営業運転から撤退したが、
お召し列車牽引指定機関車の61号機をはじめとする数両が
2007年現在でも可動状態で残存している。
改良型の新製機グループとしては初期にあたる1953年に製造された。
60号機が東芝、61号機が日立製作所の製造である。
1953年7月15日に60号機が浜松機関区へ、61号機が東京機関区へ新製配属された。
それまでお召し列車牽引用の電気機関車としては、
戦前の1934年に製造されたEF53形後期形16・18号機が用いられていたが、
車齢が高い上暖房用ボイラーがなく、東海道本線電化延伸に伴う長距離運転では
旧式なプレーン・ベアリングゆえ摩擦で車軸が過熱する恐れもあった
(EF58形は全車軸がローラーベアリングで長距離運転でも車軸発熱しにくい)。
このため、お召し列車運用を前提として最初から特別に製造された
(現在まで唯一の事例である)機関車が、EF58形60・61号機である。
これらの就役により、EF53は1954年にお召し列車の牽引から退いている。
天皇の乗用列車を牽引するという事情から、以下のような特別な装備が施されている。
運転上の安全対策
1.連結器接触面、車輪の外輪部側面、台車バネ吊り部材、
ブレーキロッドなど重要部材を磨き上げ、点検時に亀裂などの発見を容易にした。
これは同時に装飾の効果もあった。
2.確実な速度監視のため、速度計を運転席の他に助士席側にも増設した。
3.電動発電機用の界磁抵抗器を増設し、一部が故障した場合のバックアップとした。
4.故障時用に予備部品と工具を搭載。
5.自動連結器が外れる事故を確実に防止するため、
上錠揚止装置(連結解除レバーのロック)を装備した。
6.停車位置を確実にするため、運転室の側面下部に
列車位置停止基準板を装備(引き込み式)。
連絡設備
1.お召し列車編成内の供奉車(随行員・警備要員の乗車する車両)との連絡電話、
及び機関車前後の運転室相互間の伝声管を装備した。
さらに、両端の運転台前面には国旗掲揚器具を装備し、
EF58の特徴である前面の飾り帯は磨き出しのステンレスとして
車体側面全周を取り巻くデザインとしている。
これはお召し列車牽引指定機を識別するポイントであり、
非常に美しい仕上がりとなっている。
塗色は、当初はどちらも他車と同じくぶどう色2号であったが、
61号機については1965年頃より御料車編成と釣り合う「深紅色(ため色)」と呼ばれる
お召し機専用色(ぶどう色に似ているが、ぶどう色ではない。
大宮工場が独自に調合したもの)とされている。
日立、東芝共にお召し列車専用の指名であるため、
会社の名誉を懸けて製造・点検を入念に行い、国鉄納入前の社内試験も厳重に行われ、
極めて良好な状態で納入された。
予算は一般のEF58形より130万円高い6,300万円であったが、
上記の特別仕様により、これらの機関車製造では両社共に大赤字を出したという。
61号機が初めてお召し仕業に充当された際の逸話であるが、
新しい機関車であるとの話を耳にした昭和天皇は、列車出発前の東京駅ホームで、
お召し列車牽引機の同機を間近に見たと言われる。
機関車が(天皇の意向によって)天覧に浴したのは、希な事例であろう。
61号機は東京機関区、60号機は浜松機関区にと分けて配置された背景には、
関西方面は浜松機関区が担当する計画があったためとされる。
実際には当初は上りと下りで両機を使い分け、その後は61号機が本務機、
60号機が予備機とされ、故障防止を兼ねて、毎月数回は一般の列車牽引にも用いられた。
両機はお召し列車運転時には入念な整備の上国旗を飾り、
御料車編成の牽引に充当された
(なお、お召し列車運転前の整備は61号機の場合、
長年大宮工場が専属で受け持っており、その名残から現在も定期検査は
大宮工場の機関車部を引き継いだJR貨物大宮車両所に委託している)。
本務機の61号機は昭和天皇のご乗用列車を100回以上牽引したと言われる。
その他、お召し列車が交流区間や非電化区間で運転される時の1号編成の回送にも、
直流区間は61号機が指名されることが多かった。
60号機は1967年5月、浜松で踏切事故を起こして2エンド側左台枠折損という重創を負った。
1973年にお召し指定が解除された後は一般機と同じ扱いになり、
側面フィルタのビニロック化、正面窓のHゴム支持化などの改造を行ったが、
老朽故障多発により1983年5月18日付で廃車となり、6月初旬に大宮工場で解体された。
61号機は60号機が廃車・解体された後の1987年に国鉄からJR東日本へ承継され、
2007年現在も可動状態にある。
1980年代以降はその来歴を買われ、イベント列車の牽引にも盛んに用いられた。
近年はお召し列車の運転回数も減少しており、
本来牽引すべき御料車の一号編成客車ともども老朽化が進行している。
既に電車形式のハイグレード車両と特別車両(E655系電車)が2007年7月に落成しており、
61号機も鉄道博物館への収蔵が検討されている
(JR側は既に、将来は鉄道博物館に永久保存することを明言している)。
とはいえ、2004年施行の全般検査を終えてからの61号機は、
未だに多くのイベント列車で運用されている。
特に2006年は10列車以上の牽引に充当された。
(Wikipediaより)
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