銅矛のルーツに一石 弥生中期の貴重な鋳型
福岡県春日市教育委員会は25日、市民から寄贈された資料の中に、
弥生時代中期後半の滑石製鋳型の破片が含まれていたと発表した。
破片は市が約30年前に市内の
大谷遺跡から発掘した銅矛の鋳型の破片と一致。
鋳型は同県飯塚市の立岩堀田遺跡から出土した銅矛(国指定重要文化財の一部)を
製造したとされてきたが、今回の照合作業でその定説に大きな疑いが浮上、
起源見直しを迫られることになった。
寄贈された鋳型の破片は、春日市大谷の会社員永田秀一さん(52)が
約40年間、自宅で保管していた。
長さ6.4センチ、幅3センチ、厚さ2.4センチで、
銅矛の柄を形作った鋳型の一部とみられる。
1970年代後半に春日市教委が
大谷遺跡から発掘した鋳型と合わせると長さ15.7センチ。
発掘当時、この鋳型は立岩堀田遺跡から出土した
銅矛の形状と一致したことから、大谷遺跡で鋳造されて
飯塚まで運ばれた可能性が高いと考えられた。
ところが今回の照合作業で、組み合わせた鋳型と銅矛の間には
1ミリほどのすき間ができ、曲線が一致しないことが判明。
この鋳型と銅矛は、弥生時代の銅製品の生産・流通や、
奴国(春日市を中心とした弥生時代のクニ)と
飯塚との往来を明らかにする資料とされていたが、
春日市教委は「これまでの学説に疑義を唱えざるをえない」と結論付けている。
自宅近くに遺跡が多かった永田さんは小中学生のころ、
小学校教諭だった父・敏幸さん(79)や弟と土器や石器を収集。
鋳型の破片は、昭和40年代に大谷遺跡近くの野山で
収集したものに含まれていたらしい。
40年近く押し入れにしまっていたが、
2007年に200点以上の資料を市に寄贈していた。
◎西日本新聞 2008年3月26日
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