EF70

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影
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EF70形電気機関車は1961年に登場した
日本国有鉄道(国鉄)の交流用電気機関車である。
本形式は交流電気機関車としては
数少ないF形(動軸6軸)の機関車である。
交流電気機関車は基本的にD形(動軸4軸)で製造されているが、
これは仙山線での試験の際、
予想を上回る粘着特性を示した整流器式のED45形の試験結果より、
交流のD形と直流のF形は同等の牽引力を持つと算定されたことによる。
1962年に11.5‰の連続勾配を有する北陸トンネルが開通するが、
日本海縦貫線である北陸本線の列車単位は極めて大きく、
この時点で1000t、将来的には1100tまで列車単位が引き上げられる予定であった。
これをトンネル特有の多湿環境で勾配もきついとの悪条件のなか、
D形機の単機で牽引するのは難しいという結論が下され、
余裕を持たせて交流機としては初めてF形で製造されることとなった。
当初は田村~福井間の専用機とし、
本務機としてはED74形を投入する予定とされていたが、
作り分けるのは不得策として結果的には
本形式が北陸本線の主力機として増備されることとなる。
1961年~1965年に日立製作所および三菱電機・三菱重工業により
計81両が製造された。
1964年製造の22からは大幅な設計変更がなされている。
製造されたEF70形は、北陸本線の交流電化の進捗とともに運用の場を広げていき、
最終的には田村~糸魚川間で運用されるようになった。
当初は主に貨物列車を中心にけん引したが、
のちにED70形の運用縮小とED74形の九州転出により、
多目的に使用されるようになった。
1968年10月1日のダイヤ改正で急行「日本海」が
寝台特急に昇格することになったため、
20系寝台列車牽引用に22~28が高速列車対応の改造が
松任工場(現・金沢総合車両所)で施工され、1001~1007に車番が変更された。
改造内容は、応速度増圧ブレーキ装置の新設、
電磁ブレーキ制御装置とその引通し回路の新設などである。
また、ナンバープレートがブロック式(プレートを取り付けるタイプ)に変更された。
1969年に信越本線が直流電化された際、
交直接続を糸魚川~梶屋敷間に設けたデッドセクションで行うこととなり、
これに充当する交直流電気機関車が必要となった。
こうしてEF81形が製造されるが、
この時点のEF81形は富山以遠の北陸本線北部に運用されており、
EF70形とは共存していた。
だが1974年にやはりデッドセクションを持つ湖西線が開業し、
対関西の貨物列車の大半が湖西線経由に振り分けられると、
必然的に北陸本線南部でもEF81形が進出する。
こうして地上切換方式だった田村~糸魚川間に運用が制限されるEF70形は、
EF81形のロングラン運用の前になすすべなく余剰化し、
この頃から半数以上が休車状態となる。
高速型改造を施された1000番台も1974年以降、
EF81形に特急けん引の役目を譲り、
他車と共通運用に就くようになった。
2次形以降は車齢がまだ若いことから簡単に廃車にもできず、
本形式の末期は有効な転用先の模索の歴史となる。
まず1980年に61~81がED72形・ED73形の置換用として九州に移った。
九州では電気暖房を使わないため、
本形式はブルートレインや貨物列車などをけん引したが、
軸重の関係で北部九州地区に運用が制限され、
過大出力なうえ高速列車対応機でもないことから彼地でも持て余された。
同じ頃、東海道本線・山陽本線で荷物列車牽引に運用されていた
EF58形の老朽化が深刻になり、代替機関車が必要となった。
しかし国鉄の厳しい財政事情は新造の旅客用機関車を投入することを許さなかった。
そこで、大量に余剰の発生していた本形式の直流化改造計画が持ち上がる。
計画はかなりの所まで具体化したが、
1984年のダイヤ改正で電気暖房を持つEF62形が大量に余剰になることになったため、
改造費のかかる本計画は中止となった。
このように末期のEF70形は運用効率の悪さから不遇を囲い、
1000番台に改造されたものや九州へ転属したものを含めて
1987年の国鉄分割民営化前に全機が廃車されており、
JRには1両も承継されなかった。
殆どの車両が廃車後は解体されているが、4両が静態保存されている。
4
JR西日本金沢総合車両所松任本所
(ナンバーは1を装着)
57
石川県白山市「松任青少年宿泊研修センター」
1001
碓氷峠鉄道文化むら
1003
福井県越前市「金華山やまぼうし温泉」
(ナンバプレートが盗難にあい、1005のナンバーを装着)
(Wikipediaより)
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◎Google検索「EF70」
http://www.google.com/...
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コメント
こんばんわ。
関西に居た小学生の頃、初めて電気機関車の牽く客車列車に乗った時、EF70牽引でした。
米原から敦賀方面です。一番前の車両に乗って貫通路から見える機関車のナンバーと機関車の音が新鮮でした。
恐らく赤い機関車自体初めて見たのでしょう。
北陸本線が他の交流区間から離れ小島になっていた事も悲運の機関車になってしまいましたね。
投稿: Sin | 2008.05.31 22:50
Sinさん、こんにちわ。^^
初めての客車乗車の時がEF70だったんですね。
スゴいですね。
自分は走行シーンすら見たことないです。涙
ぱっと見、EF81とそんなに変わらない感じですが
やはり70という数字が妙な貫禄を感じますよね。笑
それにしても、使用されなくなって
何重連も放置されていた光景は見る度に切ないですね。
東海道の荷物牽引話があったとは知りませんでした。
もしかしたらEF62でなくEF70が東海道を?と思うと、それはそれで見たかったですね。
投稿: nohito | 2008.06.01 11:00
連休で暇もてあましてEF70を検索していてここにたどり着きました。
福井県越前市「金華山やまぼうし温泉」の1003ですが、だいぶ前に残念ながら解体撤去されてしまいました。なお、部品の一部がネットオークションに出てました。
投稿: | 2008.09.23 15:28
JR西日本金沢総合車両所松任本所の4号機(プレートは1)も一昔前に解体済みです。
従って、EF70で保存されているのは碓氷峠鉄道文化むらの1001と、
石川県白山市「松任青少年宿泊研修センター」 の57の2両のみです。
ただし57は塗装がキハ82風?になっており、また内部機器は全て撤去されています。スノープローも片側しか装着されておらず、要するにハリボテ状態。「保存」と言ってよいのかどうか・・・。
「松任青少年宿泊研修センター」の宿泊施設に利用されている47系客車2両と連結されていますが、同所の宿泊利用実績が芳しくないせいか、客車ともども整備状態は良くありません。いつ解体撤去されてもおかしくない状況かと思われます。
投稿: | 2008.09.23 15:40
この度は、現状をとても詳しく
ご紹介いただきましてありがとうございました。
かなり色々な動きがあったのですね。
57がそのような状態ですと
碓氷峠鉄道文化むらの1001は本当に貴重な存在ですね。
碓氷峠鉄道文化むらでは、かなーーーり
地味な存在ではありますが、
いつまでもその姿を残しておいてほしいですね。
投稿: 船土和斗 | 2008.09.25 01:11