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2008年5月

2008.05.29

EF70

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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カレーの店 デリー

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中西屋本店

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伊原漆器店

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中央3丁目の建物

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凡蔵

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凡蔵

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ミドリ薬品

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ミドリ薬品

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大手4丁目の建物

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大手4丁目の建物

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大手4丁目の建物

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看板が・・

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2008.05.23

新しいAVG Free 8.0 のダウンロード

http://campaign.grisoft.com/...

現在の7.5は、5月31日で終了するのでご注意くたさい。

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2008.05.22

光正寺古墳

◎Google検索「光正寺古墳」
  http://www.google.com/...

古墳からの360度パノラマ写真 (↑写真クリックで拡大)

▼発掘調査と整備
光正寺古墳は戦後間もない1950年代初めに森貞次郎(もりていじろう)博士が、
墳丘の形状が古式古墳の形状をよくとどめているとして、
墳丘測量を行い、古墳の保護の必要性を指摘されていました。
宇美町では、1970年代から国・県の協力を受け町有化を進めてきた結果、
1975年に国指定史跡となりました。
光正寺古墳の保存整備のため、1996年から1998年までの3ヶ年で墳丘裾、
主体部の発掘調査を実施し、墳丘の規模、主体部の形状を確認しました。
そして、発掘調査の結果を基に1999年から2000年までの2ヶ年で復元整備を行い、
史跡公園として整備をいたしました。
墳丘は盛り土で保護し、築造当初の形状を再現しています。
しかし、本来は墳丘に葺石(ふきいし)が敷かれていましたが、葺石部分は復元せずに、
古墳周辺の芝生の広場と一体として利用できるように整備しました。
本来の墳丘や主体部の形状については、ガイダンス広場に1/5の大きさの
古墳模型で復元しています。
(案内板より)

1950年代の測量図

1963年頃の様子

発掘中の様子

葺石の出土状況

整備後の様子

古墳復元模型

▼光正寺古墳の特徴
築造年代は第1主体部から出土した土器が古式の土師器(はじき)であり、
福岡県内の前期古墳でも最古期に造られたもので3世紀後半に位置づけられます。
墳丘規模は全長約53m、後円部径約33mで糟屋郡内最大の前方後円墳であることから、
当時糟屋郡内を支配していたと思われる「不弥国」王の墓と考えられます。
(案内板より)

前方部

後円部

▼埋葬施設
埋葬施設は、後円部中央に第1主体部(築造当初の墓)を埋置(まいち)しています。
第1主体部は、大型の箱式石棺を川原石で囲んでいます。
石棺の石材は、能古島(のこのしま)の玄武岩や月隈丘陵(つきぐまきゅうりょう)の
緑色片岩(りょくしょくへんがん)、若杉山の滑石(かっせき)などが使用されています。
第2主体部は、第1主体部の北東側に箱式石棺が築かれていました。
石棺は破壊されていましたが、発掘調査で石棺の石材には地元の砂岩(さがん)を
使用していることがわかりました。
第1主体部の南側では、第3主体部(割竹形木棺/わりたけがたもっかん)と
第4主体部(土器棺/どきかん)を、
また第1主体部西側に第5主体部(箱式石棺)を確認しました。
第1から第4主体部は、主軸を東西方向に整然と並べて築かれ、
頭位(とうい)は西に向けていたと推定されます。
これらに対し、第5主体部は南北方向に主軸を向けて造られています。
主体部の築造は、第1、2、3、4、5主体部の順に造られたようです。
(案内板より)

主体部の構造

宇美(光正寺古墳)含んだ広域地図 (引用:mapion)

宇美(光正寺古墳)からのルート例 (引用:mapion)

宇美(光正寺古墳)周辺広域 (引用:mapion)

参考地図:mapion
http://www.mapion.co.jp/...

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【Podcasting】

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【邪馬台国までの道程・各国レポート】

帯方郡→狗邪韓国
対馬国(對馬国)
一支国(一大国)
末盧国(末廬国)
伊都国
奴国
不弥国
投馬国
邪馬台国

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ケロログ・歴史ラジオ

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2008.05.20

機械遺産 小菅修船場跡の曳揚げ装置

© 中部産業遺産研究会事務局

◎Google検索「小菅修船場跡 曳揚げ装置」
  http://www.google.com/...

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機械遺産 ゐのくち式渦巻きポンプ

© 中部産業遺産研究会事務局

東京帝国大学教授井口在屋の理論を実用化した揚水ポンプです。
井口在屋は、1905(明治38) 年に「渦巻ポンプの研究」として
羽根車の作用とポンプの損失を明らかにした理論を発表しました。

わが国の機械工学が黎明期であったこの時代、
独創的な研究が少なかった中で井口在屋の理論は画期的なものでした。

イギリスのエンジニア誌に紹介されるなど世界から称賛される理論であったのです。

井口在屋は、畠山一清と共同で流体機械の改良に関する特許を1914(大正3) 年に取り、
この実用化のために畠山一清は、井口機械事務所(現在の荏原製作所)を設立、
ゐのくち式渦巻ポンプを製作するようになり、
わが国の機械技術がこの分野では世界的な水準となったのです。

写真の渦巻きポンプは、千葉県香取郡東庄町の桁沼揚水機場で使用していたもので、
国友機械製作所が1912(明治45)年に製作、現存最古のゐのくち式渦巻ポンプです。

(by 中部産業遺産研究会事務局 Websiteより)

◎Google検索「ゐのくち式渦巻きポンプ」
  http://www.google.com/...

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