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2008.07.16

田熊石畑遺跡ですべての墓から武器

弥生時代中期前半(紀元前2世紀)の墓域や集落跡が広がる
田熊石畑遺跡(宗像市)に、研究者の熱い視線が集まっている。
今月上旬までに出土した青銅武器の数は、同時期とされる
吉武高木遺跡(福岡市西区)の11本をしのぐ15本で、今後さらに増えそうだ。
特殊な「再葬墓」も見つかった。「邪馬台国」の時代をさかのぼること400年。
現在の宗像地域にいったいどんな有力集団がいたのか。
壮大な謎解きが待ち受ける。

「すべての墓から武器が出ること自体が極めて珍しい」。
調査担当の宗像市文化財係職員は発掘成果に驚きを隠さない。

墓域の調査区域約200平方メートルに確認された9基のうち、
これまで発掘した6基すべてで銅剣や銅矛など計15本が出土。
中でも5本が副葬されていた1号墓の被葬者は、
大きな力を持っていたとの想像が広がる。

出土した銅戈(どうか)の1つは全長13センチと、同時期としては国内最小。
国外でもこれほどの極小サイズは報告例がないという。
舶来品ならば朝鮮半島との交易路が、国産品ならば製造地がどこなのかが問題となる。
小田富士雄・福岡大学名誉教授は
「流通ルートなどを考える上でも、青銅器の成分分析の結果が待たれる」と
今後に期待する。

また、銅剣1本が出土した3号墓で、頭骨や腕骨、あばら骨、鎖骨などを見た
田中良之・九州大学教授は「骨の位置が不自然。
ばらばらの骨を意図的に並べ直した『再葬墓』だ」と指摘した。

「再葬墓」は元の墓を掘り起こし、別の場所に埋葬し直す習慣。
甕棺墓(かめかんぼ)には1基に複数の人骨を埋葬する形で多く見られるが、
木棺墓での出土例はほとんどない。
田中教授は「共に葬られるべき特別な人物たちが、
この墓域に集められたためではないか」と、
この地に君臨した「華麗なる一族」の存在を推測する。

墓域の調査はいったん終了し、今後は墓域に隣接する集落遺構に焦点が移る。
居住域や貯蔵域などから当時の人口や集落規模、生活の様子が明らかになるに違いない。
首長の大型居館や祭殿、集落の防衛機能などを持つ環濠(かんごう)跡などが見つかれば
「いよいよ有力な地域集団の存在が裏付けられる」(西谷正・九州歴史資料館長)ことになる。

◎西日本新聞 2008年7月15日
  http://www.nishinippon.co.jp/...

◎Google検索「田熊石畑遺跡」
  http://www.google.com/...

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