箸墓古墳 天皇陵に規模匹敵「卑弥呼の墓」強まる?
邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説があり、
最古の巨大前方後円墳といわれる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市、3世紀後半)の前方部で、
大規模な周濠(しゅうごう)跡が見つかった。
周濠の幅が従来の推定より約40メートル広く、
天皇陵とされる後の大型前方後円墳に匹敵する規模だったことが判明。
ヤマト王権成立を巡る議論の新たな手がかりとなりそうだ。
市教委が5~7月、前方部前面にあたる水田約110平方メートルを調査し、
大きな溝状の落ち込み(深さ1・3メートル以上)を33メートル分確認。
底に水があったことを示す腐植層(植物が腐って土になった層)があった。
落ち込みと墳丘の位置関係や出土した土器の年代から、外濠の一部と判断した。
外濠はこれまで墳丘北側などで一部を検出していた。
今回は墳丘南側で確認された。
墳丘を一定幅で一周する馬てい形で、
内堤を挟んで内濠と外濠が巡る二重構造であることも、ほぼ確定。
周濠を含む古墳の全長は推定で一回り大きい約450メートルになった。
日本書紀は、箸墓古墳の築造を「昼間は人が夜は神が造った。
大坂山の石を山から墓まで人々が連なり手渡しで運んだ」と、その壮大さを伝えている。
墳丘を一定の幅で囲む大規模周濠の存在が明らかになったことは、
箸墓古墳が前方部の周濠が著しく狭い「箸墓以前」の前方後円墳と一線を画すことを示す。
これまで確認された墳丘のふき石や、内堤と墳丘をつなぐ渡り堤の存在と合わせて、
箸墓古墳が後の古墳の原形だったことを改めて裏付けた。
◇解明へ大きな意義
--寺沢薫・県立橿原考古学研究所総務企画部長(考古学)の話
古墳研究の起点である箸墓古墳の実体がまた一つ解明され、大きな意義がある。
前方後円墳の発展過程で、墳丘の巨大化に伴い周濠の規模も大きくなったのだろう。
周濠の深さや大きさは、王と地方の首長や民衆との距離が一層、隔絶したことを示しており、
箸墓古墳の時代にはヤマト王権の力が全国に及んでいたと考えられる。
◎毎日新聞 2008年8月27日
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