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2008.09.17


砂丘広がり集団墓地 和歌山県・田辺市街地

約2000年前の弥生時代中期、田辺市の中心市街地に砂丘が広がり、
砂丘の尾根周辺に、集団墓地が作られていたことが、
県文化財センターの発掘調査で分かった。

昨年から続いている海蔵寺通りの発掘調査で、
供え物の壷(つぼ)を伴う墓が3基、壷を伴わない墓穴が4カ所で確認された。
関係者は「その後の開発で失われた部分も多く、
広範囲に墓地が広がっていた可能性がある」と話している。

海蔵寺通り(都市計画道路・元町新庄線、県道田辺龍神線)では昨年から、
2車線18メートル(延長約260メートル)に拡幅する工事に伴う発掘調査を続けている。
今年は6月から約1300平方メートルで発掘調査を開始。
8月下旬、死者とともに埋められたとみられる弥生時代中期の取っ手付きの壷
(最大径約19センチ、高さ約25センチ)と高坏(たかつき、直径24センチ、高さ約25センチ)の
弥生土器が出土した。

昨年6、7月の調査(約330平方メートル)では、
壷を伴う墓が2基、墓穴とみられる土坑が4カ所確認されている。
1カ所からは土器の破片が出ている。
この辺りの土質では人骨は残らないという。

田辺市の中心市街地では、今福町や南新町、下屋敷町、湊神田町などからも
供献の壷やその破片などが出土している。
このことから、会津川付近から弓形に砂丘の尾根が続いていて、
集落ごとに集団墓地が作られていたとみられている。
住居地は離れた場所で、秋津町辺りの平野にあったと推測されている。

発掘担当の川崎雅史さんは、
みなべ町の片山遺跡や美浜町の吉原遺跡などから見つかった
同時期の集団墓地と形態が似ており、
当時の生活を知る上で貴重な発見としている。

◎紀伊民報 2008年9月13日
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