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2008.12.08

倭国について(1) 入墨、漁、魚介類

【Podcasting】

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▼魏志倭人伝(三国志・魏書東夷伝倭人条)より

男子は大人も子供も区別なく、みな顔に入墨をし体に文様(もんよう)を描いている。
むかしから、中国に来る倭国の使者は、自らを大夫(たいふ)と名乗った。

夏后少康(かこうしょうこう=中国最古の伝説上の王朝「夏(か)」の6代目皇帝)の子は、
会稽(かいけい=中国の紹興市付近)に行き、
髪を断ち体に入墨をして
蛟竜(こうりゅう=水中に住むと考えられている龍の一種)の害を避けた。

倭の水人(すいじん)は、好んで潜って魚やはまぐりを捕え、
体に入墨をして大魚や水鳥からの襲来を避けていたが、
今では入墨は一種の飾りとなっている。

入墨は右にしたり、左にしたり、大小があったり、
国によっても、身分によっても違う。

倭国の位置は、ちょうど
会稽(かいけい=中国の紹興市付近)・東冶(とうや=福建省福州付近)の東にあたる。

その風俗は淫らではない。

[参考文献]
・石原道博さん編訳「新訂 魏志倭人伝 他三篇」(論創社)
・斎藤忠さんの著書「日本人はどこから来たか」(講談社学術文庫)より
・武光誠さんの著書「邪馬台国と卑弥呼の事典」(平凡社新書)より
・Wikipedia


縄文時代の黥面土偶(げいめんどぐう)
文化庁
図解古代史(成美堂出版)より

顔や体に入墨をするのは、縄文時代から弥生時代に続く
風習だったと考えられる。


2007年1月25日
滋賀県守山市・赤野井浜遺跡で土偶形容器と黥面土偶を発見


香川県・善通寺市(ぜんつうじし)デジタルミュージアム
箱式石棺の仙遊遺跡出土・蓋石の念入りに線刻された人の顔


岡山県・岡山市埋蔵文化財センター
津寺(加茂小)遺跡出土・黥面(げいめん)土偶


愛知県・安城市歴史博物館
亀塚遺跡出土・人面文土器(じんめんもんどき)


第17代天皇・履中天皇(りちゅうてんのう) / 400年3月12日 - 405年4月29日
謀反(むほん)に加担した阿曇浜子(あづみのはまこ)に入墨をほどこした。
(日本書記より)


第21代天皇・雄略天皇(ゆうりゃくてんのう) / 456年12月25日 - 479年9月8日
大和国宇陀郡(うだぐん)の人の飼犬が宮の鳥を食い殺したので
飼い主の顔に入墨をし朝廷の鳥の世話をする下層民にした。
(日本書記より)


入墨を表現した埴輪
古墳時代後期(6世紀前半)
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム ミュージアムコレクションVol.1」より

弥生時代に入墨を表現した資料は
瀬戸内や東海、関東・東北に分布し、近畿では見られない。
近畿で入墨の表現が出現するのは古墳時代(5世紀以降)から。


漁撈(ぎょろう)の道具
上:手網の木枠、下:網のおもり
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム 展示図録」より


釣針
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム 展示図録」より


食料とされた魚介類
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム 展示図録」より

唐古・鍵遺跡ではウナギ・アユ・コイ・ドジョウ・ナマズなどの
魚の骨が出土している。


魚を描いた絵画土器
唐古・鍵考古学ミュージアムにて

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邪馬台国について

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