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2009.01.23

EF55 ムーミン

静岡県・沼津駅~原駅間にて撮影

群馬県・高崎第二機関区にて撮影

埼玉県・大宮工場にて撮影

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1990年代に群馬県高崎駅で撮影

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国鉄EF55形電気機関車は、
日本国有鉄道(国鉄)の前身である
鉄道省が製造した直流用電気機関車である。

1936年(昭和11年)に
日立製作所、日本車輌製造・東洋電機、川崎造船所・川崎車両で
1両ずつ、計3両が製造された。

当時は流線形ブームで、
蒸気機関車のC53形の1両(43号機)が試験的に流線形に改造され、
その結果を反映してC55形の20 - 40号機が流線形で製造されたり、
電車のモハ52系や気動車のキハ43000形などが登場しており、
本形式もその流れの中で製造されたものである。

流線形を追求するため、車体はリベットやボルトを排して全体を溶接し、
前位連結器は格納式のものが設置されていた。

当初はペンシルバニア鉄道GG1形を元に、
さらに流線形の度合いを強めたようなデザインとして計画されていたが、
連結面に大きく空間ができてしまうために現行のデザインとなった。

基本的にはEF53形のメカニズムを踏襲しているが、
歯車比はEF53形の2.63に対して2.43とより高速側に振られている。

車体は、片側(第1エンド)のみが流線形とされ、
反対側(第2エンド)は切妻で、
運転台設備は当初構内運転用程度のものしか設置されておらず、
前照灯も取り付けられていなかった。

このように、常に第1エンド側を先頭にして運転されることから、
前部の台車は先輪2軸を有する旅客列車用電気機関車の基本型を採用しているが、
後部の第2エンド側は先輪1軸の貨物機用のものを採用しており、
前後非対称の特異な軸配置となっている。

製造当初は沼津機関区に配置され、
特急用として「つばめ」「富士」の牽引を中心に、
他の旅客列車や小荷物列車の牽引にも使用されたが、
最高速度95km/h程度では流線形の効果が出ないことや、
終端駅では電気機関車であるにも関わらず転車台により
方向転換をしなければならないこと、
スカートを装着したことで保守に手間がかかることなどにより、
わずか3両で製造を打ち切られた。

その後、1938年(昭和13年)頃に格納式だった前位側連結器の固定化、
後位側運転台を本線運転用に整備するなどの小規模な改造を経て
戦後まで東海道本線で使用された。

戦後には連合軍専用列車や特急復活試運転列車の牽引にも使用されたが、
東海道本線の列車単位が増大したことから
1952年(昭和27年)に3両とも高崎第二機関区に転属し、
高崎線でEF53形とともに使用されることとなり、
第二次世界大戦中に撤去を免れた台車周りのスカートや
連結器カバーはこの時期に撤去された。

また1955年(昭和30年)にはEH10形とともに
東海道本線で120km/h運転の試験に供されたほか、
碓氷峠(信越本線横川駅 - 軽井沢駅間)の空転試験列車に
死重として連結されたこともある。

しかし、前述の理由により1960年代に入り次々と廃車されることとなり、
3号機は1962年(昭和37年)に試作交直流両用電気機関車の
ED30形 (ED30 1) に機器を流用され、残る2両も1964年(昭和39年)に廃車され、
2号機は解体、1号機は中央鉄道学園の教習用となった。

その後、1号機は1978年(昭和53年)に準鉄道記念物に指定され、
既に撤去されていたスカートや連結器カバーが復元された。

1号機は長らく中央鉄道学園に静態保存されていたが、
のちに高崎第二機関区に移され、転車台脇に留置された。

長年の屋外留置で外板の塗装も色褪せ、艶なし退色の進んだ状態であったが、
1985年(昭和60年)に実施された機関車展示会において、
同機関区有志の手により構内運転可能な状態に整備された。

この機関車展示会におけるレールファン人気を見た国鉄本社は、
リバイバルトレインでの運用を前提として
1986年(昭和61年)に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で動態復元され、
同年6月24日に車籍が復活した。
従来ならばまず考えられないことであった。

翌1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化後は、
東日本旅客鉄道(JR東日本)に引き継がれ、
高崎運転所(現・高崎車両センター)に配置された。

その後は、イベントに欠かせない機関車となり、
上越線高崎 - 水上間の「EF55奥利根号」を中心に、
各地で同機を使用した臨時列車が運行されている。
その際はEF64形 (1001) を補機として連結することが多い。
ATS-Pも搭載されている。

2006年には、3月25日から4月3日まで千代田区神田須田町にあった
交通博物館閉館記念イベントで
神田川沿いの旧万世橋駅跡に特別展示された。
また、12月2日には「EF55形誕生70周年記念号」が上野 - 高崎間で運転された。
2007年は「お座敷ゆとり水上号」の高崎 - 水上間を牽引予定だったが、
電動空気圧縮機 (CP) の故障によりEF60形19号機に変更となった。
その後は目立った運用がなく、
『Rail Magazine』2008年4月号(ネコ・パブリッシング)には
「既に引退した」との誤報まで掲載された。
しかし2009年1月18日には、臨時快速列車で
同機のさよなら運転を実施することが発表された。
なおさよなら運転後は鉄道博物館で
永久保存されることがJR東日本より発表されている。

愛称は「ムーミン」であるが、これは1986年に復帰した時に、
トーベ・ヤンソン原作のアニメや絵本のキャラクター
「ムーミン(ムーミン・トロール)」に外観が似ていることに由来するものである。
現役時代は「ドタ靴」あるいは「カバ」と呼ばれていた。

ユニークな愛称をもつ一方、
運転席の真上部分には戦時中に機銃掃射を受けた経歴があり、
その弾痕が残っている「戦争の生き証人」でもある。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「EF55」
  http://www.google.co.jp/...

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コメント

こんばんわ。
JRになってから復活したと思い込んでましたが
国鉄時代だったのですね。
東海道を走ったとは知りませんでした。
流線形というよりボンネットスタイルといった
感じに見えますね。
私はとうとう実車を見ないままでした・・・。

投稿: Sin | 2009.01.24 00:35

Sinさん、おはようございます。
高崎第二でボロボロになっていたのを見ていたので
復活した時には、大変に驚きました。
当時の関係者の皆さんの熱い気持ちが
21世紀まで繋がっただけでも涙涙です。^^
確かにボンネットっぽいですよね。
ヒゲもありますし。笑
Sinさんが実車を見ていないというのも、
意外すぎて驚きです。

投稿: 船土和斗 | 2009.01.24 08:17

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