« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

2009.01.28

黄泉の国・天照大神の誕生 <古事記・日本書紀(3)>

【Podcasting】

朗読部分は速度を107%に設定しています。

--------------------------------------------------------------

古事記物語 / 著・鈴木三重吉

 女神(めがみ)はむろん、もうとっくに、黄泉(よみ)の神の御殿(ごてん)に着いていらっしゃいました。

 すると、そこへ、夫の神が、はるばるたずねておいでになったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、まっくらな中から、女神をお呼(よ)びかけになって、

「いとしきわが妻の女神よ。おまえといっしょに作る国が、まだできあがらないでいる。どうぞもう一度帰ってくれ」とおっしゃいました。すると女神は、残念そうに、

「それならば、もっと早く迎えにいらしってくださいませばよいものを。私はもはや、この国のけがれた火で炊(た)いたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることはできますまい。しかし、せっかくおいでくださいましたのですから、ともかくいちおう黄泉(よみ)の神たちに相談をしてみましょう。どうぞその間は、どんなことがありましても、けっして私の姿(すがた)をご覧(らん)にならないでくださいましな。後生(ごしょう)でございますから」と、女神はかたくそう申しあげておいて、御殿(ごてん)の奥(おく)へおはいりになりました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は永(なが)い間戸口にじっと待っていらっしゃいました。しかし、女神は、それなり、いつまでたっても出ていらっしゃいません。伊弉諾神(いざなぎのかみ)はしまいには、もう待ちどおしくてたまらなくなって、とうとう、左のびんのくしをおぬきになり、その片(かた)はしの、大歯(おおは)を一本欠(か)き取って、それへ火をともして、わずかにやみの中をてらしながら、足さぐりに、御殿の中深くはいっておいでになりました。

 そうすると、御殿のいちばん奥に、女神は寝ていらっしゃいました。そのお姿をあかりでご覧になりますと、おからだじゅうは、もうすっかりべとべとに腐(くさ)りくずれていて、臭(くさ)い臭いいやなにおいが、ぷんぷん鼻へきました。そして、そのべとべとに腐ったからだじゅうには、うじがうようよとたかっておりました。それから、頭と、胸と、お腹(なか)と、両ももと、両手両足のところには、そのけがれから生まれた雷神(らいじん)が一人ずつ、すべてで八人で、怖(おそ)ろしい顔をしてうずくまっておりました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのありさまをご覧になると、びっくりなすって、怖ろしさのあまりに、急いで遁(に)げ出しておしまいになりました。

 女神はむっくりと起きあがって、

「おや、あれほどお止め申しておいたのに、とうとう私のこの姿(すがた)をご覧になりましたね。まあ、なんという憎(にく)いお方(かた)でしょう。人にひどい恥(はじ)をおかかせになった。ああ、くやしい」と、それはそれはひどくお怒りになって、さっそく女の悪鬼(わるおに)たちを呼(よ)んで、

「さあ、早く、あの神をつかまえておいで」と歯がみをしながらお言いつけになりました。

 女の悪鬼たちは、

「おのれ、待て」と言いながら、どんどん追っかけて行きました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、その鬼どもにつかまってはたいへんだとおぼしめして、走りながら髪(かみ)の飾(かざ)りにさしてある黒いかつらの葉を抜(ぬ)き取っては、どんどんうしろへお投げつけになりました。

 そうすると、見る見るうちに、そのかつらの葉の落ちたところへ、ぶどうの実がふさふさとなりました。女鬼どもは、いきなりそのぶどうを取って食べはじめました。

 神はその間に、いっしょうけんめいにかけだして、やっと少しばかり遁(に)げのびたとお思いになりますと、女鬼どもは、まもなく、またじきうしろまで追いつめて来ました。

 神は、

「おや、これはいけない」とお思いになって、こんどは、右のびんのくしをぬいて、その歯をひっ欠いては投げつけ、ひっ欠いては投げつけなさいました。そうすると、そのくしの歯が片(かた)はしからたけのこになってゆきました。

 女鬼(おんなおに)たちは、そのたけのこを見ると、またさっそく引き抜いて、もぐもぐ食べだしました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのすきをねらって、こんどこそは、だいぶ向こうまでお遁(に)げになりました。そしてもうこれならだいじょうぶだろうとおぼしめして、ひょいとうしろをふりむいてご覧になりますと、意外にも、こんどはさっきの女神のまわりにいた八人の雷人(らいじん)どもが、千五百人の鬼の軍勢をひきつれて、死にものぐるいでおっかけて来るではありませんか。

 神はそれをご覧になると、あわてて十拳(とつか)の剣(つるぎ)を抜きはなして、それでもってうしろをぐんぐん切りまわしながら、それこそいっしょうけんめいにお遁げになりました。そして、ようよう、この世界と黄泉(よみ)の国との境(さかい)になっている、黄泉比良坂(よもつひらざか)という坂の下まで遁げのびていらっしゃいました。

 すると、その坂の下には、ももの木が一本ありました。

 神はそのももの実を三つ取って、鬼どもが近づいて来るのを待ち受けていらしって、その三つのももを力いっぱいお投げつけになりました。そうすると、雷神たちはびっくりして、みんなちりぢりばらばらに遁(に)げてしまいました。
 神はそのももに向かって、

「おまえは、これから先も、日本じゅうの者がだれでも苦しい目に会っているときには、今わしを助けてくれたとおりに、みんな助けてやってくれ」とおっしゃって、わざわざ大神実命(おおかんつみのみこと)というお名まえをおやりになりました。

 そこへ、女神は、とうとうじれったくおぼしめして、こんどはご自分で追っかけていらっしゃいました。神はそれをご覧になると、急いでそこにあった大きな大岩をひっかかえていらしって、それを押(お)しつけて、坂の口をふさいでおしまいになりました。

 女神は、その岩にさえぎられて、それより先へは一足も踏(ふ)み出すことができないものですから、恨(うら)めしそうに岩をにらみつけながら、

「わが夫の神よ、それではこのしかえしに、日本じゅうの人を一日に千人ずつ絞(し)め殺してゆきますから、そう思っていらっしゃいまし」とおっしゃいました。神は、

「わが妻の神よ、おまえがそんなひどいことをするなら、わしは日本じゅうに一日に千五百人の子供を生ませるから、いっこうかまわない」とおっしゃって、そのまま、どんどんこちらへお帰りになりました。

 神は、

「ああ、きたないところへ行った。急いでからだを洗ってけがれを払(はら)おう」とおっしゃって、日向(ひゅうが)の国の阿波岐原(あわきはら)というところへお出かけになりました。

 そこにはきれいな川が流れていました。

 神はその川の岸へつえをお投げすてになり、それからお帯やお下ばかまや、お上衣(うわぎ)や、お冠(かんむり)や、右左のお腕(うで)にはまった腕輪(うでわ)などを、すっかりお取りはずしになりました。そうすると、それだけの物を一つ一つお取りになるたんびに、ひょいひょいと一人ずつ、すべてで十二人の神さまがお生まれになりました。

 神は、川の流れをご覧になりながら、

  上(かみ)の瀬(せ)は瀬が早い、
  下(しも)の瀬は瀬が弱い。

とおっしゃって、ちょうどいいころあいの、中ほどの瀬におおりになり、水をかぶって、おからだじゅうをお洗いになりました。すると、おからだについたけがれのために、二人の禍(わざわい)の神が生まれました。それで伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、その神がつくりだす禍をおとりになるために、こんどは三人のよい神さまをお生みになりました。

 それから水の底へもぐって、おからだをお清めになるときに、また二人の神さまがお生まれになり、そのつぎに、水の中にこごんでお洗いになるときにもお二人、それから水の上へ出ておすすぎになるときにもお二人の神さまがお生まれになりました。そしてしまいに、左の目をお洗いになると、それといっしょに、それはそれは美しい、貴(とうと)い女神(めがみ)がお生まれになりました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、この女神さまに天照大神(あまてらすおおかみ)というお名前をおつけになりました。そのつぎに右のお目をお洗いになりますと、月読命(つきよみのみこと)という神さまがお生まれになり、いちばんしまいにお鼻をお洗いになるときに、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)という神さまがお生まれになりました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)はこのお三方(さんかた)をご覧になって、

「わしもこれまでいくたりも子供を生んだが、とうとうしまいに、一等よい子供を生んだ」と、それはそれは大喜びををなさいまして、さっそく玉の首飾(くびかざ)りをおはずしになって、それをさらさらとゆり鳴らしながら、天照大神(あまてらすおおかみ)におあげになりました。そして、

「おまえは天へのぼって高天原(たかまのはら)を治めよ」とおっしゃいました。それから月読命(つきよみのみこと)には、

「おまえは夜の国を治めよ」とお言いつけになり、三ばんめの須佐之男命(すさのおのみこと)には、

「おまえは大海(おおうみ)の上を治めよ」とお言いわたしになりました。

青空文庫より

--------------------------------------------------------------

【阿波岐原】

◎宮崎観光写真さんより
  http://miyazaki.daa.jp/miike/

--------------------------------------------------------------

【黄泉比良坂】

島根県東出雲町にて

--------------------------------------------------------------

◎Google検索「古事記」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「日本書紀」
  http://www.google.com/...

--------------------------------------------------------------

【古事記・日本書紀 Podcasting】
(1)概要紹介
(2)天地開闢・国産み・黄泉の国
(3)黄泉の国・天照大神の誕生
(4)天の岩屋
(5)八岐大蛇
(6)スサノオノミコトと牛頭天王、蘇民将来
(7)因幡の白兎 八上媛
(8)根堅州国 須勢理媛
(9)大国主神の国づくり

--------------------------------------------------------------

歴史ラジオ

iTunesで自動的に最新回のダウンロード(定期購読)を希望される場合には、
↓下記画像をクリックください。

iTunesのダウンロード案内ページ

--------------------------------------------------------------

|

2009.01.27

年賀状の当選番号を調べるなら・・

毎年ご紹介している感がありますが、
↓こちらが便利ですよ。(゚▽゚)ノ
http://www.est.co.jp/...

ちなみに自分は2枚当選!  シートですが・・ ゜゜(´□`)°゜

まぁ、それでも、うれしいっす!
タカ&MJ、ジン&みゆき、の皆様ありがとう!^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本一ネット

http://www.nippon-1.net/

こういうのに、すぐハマってしまう。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

加山又造展

http://www.kayamaten.jp/

国立新美術館にて3月2日まで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

制定80周年 トレインマークの誕生

http://www.ejrcf.or.jp/...

鉄道歴史展示室にて3月29日まで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

デザイン満開 九州列車の旅

http://www.inax.co.jp/...

INAXギャラリーにて2月21日まで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ランドスケープ 柴田敏雄展

http://www.syabi.com/...

東京都写真館にて2月8日まで

| | コメント (4) | トラックバック (0)

冬の所蔵品展示

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/...

神奈川県立近代美術館にて2月1日まで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.25

天地開闢・国産み・黄泉の国 <古事記・日本書紀(2)>

【Podcasting】

--------------------------------------------------------------

古事記物語 / 著・鈴木三重吉

 世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とおっしゃる神さまが、天の上の高天原(たかまのはら)というところへお生まれになりました。そのつぎには高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神産霊神(かみむすびのかみ)のお二方(ふたかた)がお生まれになりました。

 そのときには、天も地もまだしっかり固(かた)まりきらないで、両方とも、ただ油を浮(う)かしたように、とろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。その中へ、ちょうどあしの芽(め)がはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました。

 それからまたお二人、そのつぎには男神(おがみ)女神(めがみ)とお二人ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生まれになった後に、伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冉神(いざなみのかみ)とおっしゃる男神女神がお生まれになりました。

 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)はこのお二方の神さまをお召(め)しになって、

「あの、ふわふわしている地を固めて、日本の国を作りあげよ」

 とおっしゃって、りっぱな矛(ほこ)を一ふりお授(さず)けになりました。

 それでお二人は、さっそく、天(あめ)の浮橋(うきはし)という、雲の中に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいた矛(ほこ)でもって、下のとろとろしているところをかきまわして、さっとお引きあげになりますと、その矛の刃先(はさき)についた潮水(しおみず)が、ぽたぽたと下へおちて、それが固(かた)まって一つの小さな島になりました。

 お二人はその島へおりていらしって、そこへ御殿(ごてん)をたててお住まいになりました。そして、まずいちばんさきに淡路島(あわじしま)をおこしらえになり、それから伊予(いよ)、讃岐(さぬき)、阿波(あわ)、土佐(とさ)とつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐(おき)の島、それから、そのじぶん筑紫(つくし)といった今の九州と、壱岐(いき)、対島(つしま)、佐渡(さど)の三つの島をお作りになりました。そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島(おおやまととよあきつしま)というお名まえをおつけになりました。

 これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島ができました。ですからいちばんはじめには、日本のことを、大八島国(おおやしまぐに)と呼(よ)び、またの名を豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)とも称(とな)えていました。

 こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人は、こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。それといっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。ところがおいたわしいことには、伊弉冉神(いざなみのかみ)は、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、

「ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、大事なおまえをなくするとは」とおっしゃって、それはそれはたいそうお嘆(なげ)きになりました。そして、お涙(なみだ)のうちに、やっと、女神のおなきがらを、出雲(いずも)の国と伯耆(ほうき)の国とのさかいにある比婆(ひば)の山にお葬(ほうむ)りになりました。

 女神は、そこから、黄泉(よみ)の国という、死んだ人の行くまっくらな国へたっておしまいになりました。 

 伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのあとで、さっそく十拳(とつか)の剣(つるぎ)という長い剣を引きぬいて、女神の災(わざわい)のもとになった火の神を、一うちに斬(き)り殺してしまいになりました。

 しかし、神のおくやしみは、そんなことではお癒(い)えになるはずもありませんでした。神は、どうかしてもう一度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのあとを追って、まっくらな黄泉(よみ)の国までお出かけになりました。

青空文庫より

--------------------------------------------------------------

【造化の三神】

・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
・神産霊神(かみむすびのかみ)

関連ページ
四柱神社 造化の三神 <古事記散策>
東京大神宮 造化の三神 <古事記散策>

--------------------------------------------------------------

【国産み】

高千穂・夜神楽より
伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冉神(いざなみのかみ)による舞。

関連地
兵庫県・沼島
兵庫県・おのころ島神社
兵庫県・上立神岩
京都府・天橋立

--------------------------------------------------------------

【黄泉の国への入口】

島根県出雲市にて

島根県出雲市にて

島根県出雲市にて

猪目洞窟遺跡・案内板より
この洞窟遺跡は、1948(昭和23)年に
漁船の船置場として利用するため
入口の堆積土を取り除いた時に発見されたものです。
凝灰岩の絶崖にできたこの洞窟は、東に向かって開口しており
幅30m,奥行き30mあります。
この遺跡は、縄文時代中期の土器片も少量採集されていますが
弥生時代以降、古墳時代後期まで(2,300~1,400年前)の
埋葬と生活の遺跡としては人骨が13体以上見つかっており、
特に注目されるものとしては
南海産のゴホウラ製貝輪(かいわ)をはめた弥生時代の人骨や
舟材を使った木棺墓(もっかんぼ)に葬られた古墳時代の人骨、
稲籾(いなもみ)入りの須恵器(すえき)を副葬した人骨などがあります。
生活の遺跡としては、各種木製品、土器、骨角器などの道具や
食料の残滓と思われる貝類、獣骨、鳥骨、魚骨、木の実など
また多量の灰などがあります。
発見当時、大社考古学会により調査が行われた関係から
出土品は現在、大社町の
史跡猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫で保管されています。
(出雲市・出雲市教育委員会)

--------------------------------------------------------------

◎Google検索「古事記」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「日本書紀」
  http://www.google.com/...

--------------------------------------------------------------

【古事記・日本書紀 Podcasting】
(1)概要紹介
(2)天地開闢・国産み・黄泉の国
(3)黄泉の国・天照大神の誕生
(4)天の岩屋
(5)八岐大蛇
(6)スサノオノミコトと牛頭天王、蘇民将来
(7)因幡の白兎 八上姫
(8)根堅国 須勢理媛
(9)大国主神の国づくり

--------------------------------------------------------------

歴史ラジオ

iTunesで自動的に最新回のダウンロード(定期購読)を希望される場合には、
↓下記画像をクリックください。

iTunesのダウンロード案内ページ

--------------------------------------------------------------

|

大阪府・長原遺跡 鍛冶工房跡を出土

大阪市平野区の長原遺跡で、
古墳時代中期の5世紀前半に鉄器を生産した
鍛冶(かじ)工房跡が出土していたことが、市文化財協会の調査でわかった。

百舌鳥(もず)・古市古墳群の大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)など
巨大古墳が築かれた「倭(わ)の五王」の時代に当たり、
近畿で最古の鉄器生産遺構という。
造営されて間もない古墳を壊して工房を設けていることから、
当時の政権が関与しているのは確実で、
同協会は「大和王権直営の鉄器生産拠点」とみている。

工房は、4世紀末から5世紀初めに造営された方墳跡に2棟建てられ、
1棟ごとに一辺約8メートルの「コ」の字形の溝で区画。
棟の間に井戸跡が見つかったほか、
周囲からは炉にくべたとみられる大量の炭、
排水や湿気よけに利用されたとみられる溝からは、
鉄器製造の際に出た3センチ大の鉄滓(てっさい)が発見された。

◎読売新聞 2009年1月12日
  http://www.yomiuri.co.jp/...

◎Google検索「長原遺跡」
  http://www.google.com/...

|

兵庫県・垣内遺跡 国内最大の鉄器工房跡

淡路市黒谷の垣内(かいと)遺跡の発掘で、
鍛冶(かじ)工房跡計十カ所が確認され、
弥生時代後期(一〇〇-二三〇年)で
国内最大規模の鉄器製造群落だったことが分かった。
同市教委が二年間の調査結果として二十二日発表した。
弥生時代の鍛冶工房跡は九州など西日本各地で見つかっているが、
建物が密集した製造専門集落は全国的に珍しく、当時のいわば工業団地。
専門家によると、大和政権成立以前の有力者の
一大武器供給源だった可能性もあるという。

垣内遺跡は播磨灘の海岸線から三キロの丘陵地にあり、
東西五百メートル、南北百メートル。
昨年度に本格調査が始まり、
弥生時代後期前半の鉄器工房跡二カ所が発見されていた。

本年度の調査で八カ所を確認。強い熱で赤く焼けた炉跡があった。
床面は円形(七棟)と方形(一棟)。
当時の建物としては規模が大きく、最大で直径一〇・五メートルある。

鉄製の矢尻や鉄片なども四十五点出土し、
弥生時代の工房跡での出土鉄器数としてはかなり多い。
矢尻などは、近畿地方で見つかる鉄製品とは違い、
鉄を切って整えただけの単純な形のものではなかったという。

鉄は弥生時代中期初頭、中国、朝鮮半島から九州へ伝わった。
その後、山陰、近畿へ伝わった日本海ルートと、
四国までの瀬戸内海ルートがあるとみられている。
今回見つかった鉄器の特徴などからは、
徳島から淡路島へ渡ってきた可能性もあるとみられる。

東アジア考古学・冶金(やきん)考古学を研究する
愛媛大学法文学部の村上恭通教授は
「農耕民の生活臭がない工房空間で、例がない密集度は
安定的な生産を裏付けている」と指摘。
市教委は「淡路島が鉄器生産で重要な鍵を握っていたことになる」としている。

◎神戸新聞 2009年1月22日
  http://www.kobe-np.co.jp/...

◎Google検索「垣内遺跡」
  http://www.google.com/...

|

島根県・西川津遺跡 卜骨(ぼっこつ)が出土

島根県埋蔵文化財調査センターは13日、
弥生時代の集落遺跡である松江市の西川津遺跡から、
占いに用いた卜骨(ぼっこつ)が出土したと発表した。
県内で2例目。弥生人の精神世界をうかがう貴重な資料としている。

シカの左肩甲骨を利用した卜骨で、
長さ15センチ、横6.5センチ、厚さ0.4センチ、重さ24.7グラム。
突起部分を削った後、焼いて熱した鉄や木の棒を当て、
穴を開けたり、ひびを入れて占いをしたという。

同センターは、加工方法などから
弥生時代後期から古墳時代前期にかけての卜骨と見ている。
同遺跡では、建物跡、土器、農具、釣り針などがこれまでに出土しているが、
祭祀(さいし)に使ったと見られる卜骨が出土したことで、
集落の新たな側面を探る資料になるという。

◎中国新聞 2009年1月15日
  http://www.chugoku-np.co.jp/...

◎Google検索「西川津遺跡」
  http://www.google.com/...

|

2009.01.23

EF55 ムーミン

静岡県・沼津駅~原駅間にて撮影

群馬県・高崎第二機関区にて撮影

埼玉県・大宮工場にて撮影

------------------------------------------------------

1990年代に群馬県高崎駅で撮影

------------------------------------------------------

国鉄EF55形電気機関車は、
日本国有鉄道(国鉄)の前身である
鉄道省が製造した直流用電気機関車である。

1936年(昭和11年)に
日立製作所、日本車輌製造・東洋電機、川崎造船所・川崎車両で
1両ずつ、計3両が製造された。

当時は流線形ブームで、
蒸気機関車のC53形の1両(43号機)が試験的に流線形に改造され、
その結果を反映してC55形の20 - 40号機が流線形で製造されたり、
電車のモハ52系や気動車のキハ43000形などが登場しており、
本形式もその流れの中で製造されたものである。

流線形を追求するため、車体はリベットやボルトを排して全体を溶接し、
前位連結器は格納式のものが設置されていた。

当初はペンシルバニア鉄道GG1形を元に、
さらに流線形の度合いを強めたようなデザインとして計画されていたが、
連結面に大きく空間ができてしまうために現行のデザインとなった。

基本的にはEF53形のメカニズムを踏襲しているが、
歯車比はEF53形の2.63に対して2.43とより高速側に振られている。

車体は、片側(第1エンド)のみが流線形とされ、
反対側(第2エンド)は切妻で、
運転台設備は当初構内運転用程度のものしか設置されておらず、
前照灯も取り付けられていなかった。

このように、常に第1エンド側を先頭にして運転されることから、
前部の台車は先輪2軸を有する旅客列車用電気機関車の基本型を採用しているが、
後部の第2エンド側は先輪1軸の貨物機用のものを採用しており、
前後非対称の特異な軸配置となっている。

製造当初は沼津機関区に配置され、
特急用として「つばめ」「富士」の牽引を中心に、
他の旅客列車や小荷物列車の牽引にも使用されたが、
最高速度95km/h程度では流線形の効果が出ないことや、
終端駅では電気機関車であるにも関わらず転車台により
方向転換をしなければならないこと、
スカートを装着したことで保守に手間がかかることなどにより、
わずか3両で製造を打ち切られた。

その後、1938年(昭和13年)頃に格納式だった前位側連結器の固定化、
後位側運転台を本線運転用に整備するなどの小規模な改造を経て
戦後まで東海道本線で使用された。

戦後には連合軍専用列車や特急復活試運転列車の牽引にも使用されたが、
東海道本線の列車単位が増大したことから
1952年(昭和27年)に3両とも高崎第二機関区に転属し、
高崎線でEF53形とともに使用されることとなり、
第二次世界大戦中に撤去を免れた台車周りのスカートや
連結器カバーはこの時期に撤去された。

また1955年(昭和30年)にはEH10形とともに
東海道本線で120km/h運転の試験に供されたほか、
碓氷峠(信越本線横川駅 - 軽井沢駅間)の空転試験列車に
死重として連結されたこともある。

しかし、前述の理由により1960年代に入り次々と廃車されることとなり、
3号機は1962年(昭和37年)に試作交直流両用電気機関車の
ED30形 (ED30 1) に機器を流用され、残る2両も1964年(昭和39年)に廃車され、
2号機は解体、1号機は中央鉄道学園の教習用となった。

その後、1号機は1978年(昭和53年)に準鉄道記念物に指定され、
既に撤去されていたスカートや連結器カバーが復元された。

1号機は長らく中央鉄道学園に静態保存されていたが、
のちに高崎第二機関区に移され、転車台脇に留置された。

長年の屋外留置で外板の塗装も色褪せ、艶なし退色の進んだ状態であったが、
1985年(昭和60年)に実施された機関車展示会において、
同機関区有志の手により構内運転可能な状態に整備された。

この機関車展示会におけるレールファン人気を見た国鉄本社は、
リバイバルトレインでの運用を前提として
1986年(昭和61年)に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で動態復元され、
同年6月24日に車籍が復活した。
従来ならばまず考えられないことであった。

翌1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化後は、
東日本旅客鉄道(JR東日本)に引き継がれ、
高崎運転所(現・高崎車両センター)に配置された。

その後は、イベントに欠かせない機関車となり、
上越線高崎 - 水上間の「EF55奥利根号」を中心に、
各地で同機を使用した臨時列車が運行されている。
その際はEF64形 (1001) を補機として連結することが多い。
ATS-Pも搭載されている。

2006年には、3月25日から4月3日まで千代田区神田須田町にあった
交通博物館閉館記念イベントで
神田川沿いの旧万世橋駅跡に特別展示された。
また、12月2日には「EF55形誕生70周年記念号」が上野 - 高崎間で運転された。
2007年は「お座敷ゆとり水上号」の高崎 - 水上間を牽引予定だったが、
電動空気圧縮機 (CP) の故障によりEF60形19号機に変更となった。
その後は目立った運用がなく、
『Rail Magazine』2008年4月号(ネコ・パブリッシング)には
「既に引退した」との誤報まで掲載された。
しかし2009年1月18日には、臨時快速列車で
同機のさよなら運転を実施することが発表された。
なおさよなら運転後は鉄道博物館で
永久保存されることがJR東日本より発表されている。

愛称は「ムーミン」であるが、これは1986年に復帰した時に、
トーベ・ヤンソン原作のアニメや絵本のキャラクター
「ムーミン(ムーミン・トロール)」に外観が似ていることに由来するものである。
現役時代は「ドタ靴」あるいは「カバ」と呼ばれていた。

ユニークな愛称をもつ一方、
運転席の真上部分には戦時中に機銃掃射を受けた経歴があり、
その弾痕が残っている「戦争の生き証人」でもある。

(Wikipediaより)

------------------------------------------------------

◎Google検索「EF55」
  http://www.google.co.jp/...

------------------------------------------------------

| | コメント (2) | トラックバック (0)

東急世田谷線 デハ150形

東京都・東急世田谷線沿線にて撮影

------------------------------------------------------

東急デハ150形電車は、かつて東京急行電鉄の軌道線に在籍していた
路面電車車両(電動車)である。

1964年(昭和39年)、東急車輛製造で4両を製造した。
車体は13m級3扉で、デハ80形以前とほぼ同じモジュールで製作している。

当時増備途上にあった鉄道線初代7000系同様、
車体は米国バッド社のオールステンレス車体製造技法である
ショットピーニング法を応用したものであり、
屋根上のベンチレータ(通風器)にもバッドタイプの
台形大型のものを採用していることからも、同社の影響が色濃く感じられる。

ただし、車体は単一Rの屋根やコルゲートなど
7000系と共通する特徴を有するもののステンレス製ではなく、
鉄道線初代5000系やデハ200形と同じく、耐候性高抗張力鋼製である。

とはいえ、バッド社のライセンスは東急車輛のみならず、
世界各地の車両メーカーに及んでいるが、
この技術によって製造した路面電車は世界でも本形式が唯一であったようで、
東急が営業運転終了を表明すると、
この電車の希少価値を認めた米国のトロリーミュージアムから
保存引取りの打診がなされたといわれている。

2001年、駅ホームのステップレス化による300系への全面置換に伴い、
全車が廃車解体となった。
これにより、東急の全旅客車両がステンレス製車体となった。

(Wikipediaより)

------------------------------------------------------

◎Google検索「デハ150」
  http://www.google.co.jp/...

------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

富士急行 5000形

山梨県・富士急行線沿線にて撮影

------------------------------------------------------

1975年(昭和50年)に3100形の事故廃車補充用として、
2両編成1本のみが日本車輌で製造された。

2008年時点において、富士急行が自社発注した最後の車両である。

1976年(昭和51年)度鉄道友の会ローレル賞受賞。

形式名の5000形は、昭和50年に登場したことに由来する。

車体は、長さが19,500mm、幅が2,900mm(最大幅2,950mm)と
地方私鉄としては非常に大型である。
客用扉は、1,300mmの両開扉を片側につき2ヶ所備えている。
座席は、扉付近にロングシート、扉間及び車端にクロスシートを備える、
セミクロスシートである。
また、富士急行の車両として初めて冷房装置を搭載し、
10,000kcalの分散式クーラーを屋根上に4基搭載している。
定員128名(座席72名)。

登場当初は車内案内装置は放送のみであったが、
近年客室内にLCDを搭載し、
次駅の案内や次駅の周辺の観光案内などを表示している。

のちに類似の車体を採用した国鉄417系などが登場しているが、
本形式はそれらよりも扉間が窓1つ分長い。

地方私鉄の新製車としては非常に意欲的な車両であったが、
資金難などから1編成のみに終わり、
また他の車両と連結する事ができないため、運用上も限定されている。

塗装は、登場後数度変更されている。
白と青を基調とした塗装で登場した後、軽微な変更がなされた。
その後、富士急ハイランドのイベントや新施設開業にあわせて、
ゲゲゲの鬼太郎やきかんしゃトーマスのキャラクターをあしらったデザインに変更され、
特定の運用につくことになった。
また客室の内装も、
2007年に「きかんしゃトーマス」をあしらったデザインに変更された。

(Wikipediaより)

------------------------------------------------------

◎Google検索「富士急行 5000」
  http://www.google.com/...

------------------------------------------------------

| | コメント (0) | トラックバック (0)

相乗り衛星 打ち上げ

話題の「まいど1号(SOHLA-1)」をはじめ
多くの夢が込められた小型衛星を積み
H-IIAロケット15号がいよいよ打ち上げです。
(ちなみに打ち上げ費用は無料)

相乗り衛星の概要

いぶき打ち上げ特設サイト

IMAGE DATA © JAXA

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ごめん、ちょっとこれは無理

夢想吊橋

無理、無理、渡れない (;;;´Д`)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミドリさん

http://www.smbc.co.jp/midorisan/

こういう手書きモノで全面構成(しかも軽く)してくれると
目にも優しくていいものだね。^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.21

eggy by NTTドコモ / 今の仕事の原点

ケータイwatchより その1
ケータイwatchより その2
useWill.comさんより

これ、覚えている人いるかな?(笑)

2000年に登場した端末なのですが、
個人的に大変な衝撃を受けまして。w(゚o゚)w

「これはスゴい時代がやってくるぞ~!」と思い、

それまでWEB関連の仕事を中心に活動していたのですが
一気に映像関連へとシフトさせていきました。・・で、現在に至っています。^^

自分にとっては、運命アイテムの1つです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.20

みんなの仕事場

http://shigotoba.askul.co.jp/

自分は人の仕事場を見るのが好きです。
モチベーションをUPさせてくれるというか・・
あぁ、みんなも働いているんだなぁと感じるというか・・ (笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Yahoo! JAPAN - Internet Creative Award 2008

http://creative-award.yahoo.co.jp/...

お気に入りはありますか?^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

物産展クチコミ情報まとめサイト 「大好き!物産展」

http://daisuki-bussanten.shooti.jp/

こういうサイトできて欲しかった。(゚▽゚)ノ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.18

日記 2009年1月18日

先日、横浜美術館で開催中のセザンヌ主義へ行ってきた。
土曜日の午後ということもあって、人・人・人。
横浜美術館にこんなに人がいるのを初めて見た。(笑)

・・と、(笑)ってばかりもいられない状況で、いかにお気に入りの絵と
向き合う空間&時間を保つかが勝負でした。(汗)

いつも言っていることですが自分はフォーヴィスムの絵が好きでして、
大好きなヴラマンクや佐伯祐三、里見勝蔵といった画家さんに
多大な影響を与えたのがセザンヌなので、観ないわけにはいかない展覧会でした。

正直、今まで本で見ていたセザンヌの絵にはさほどハマらなかったのですが
いざ多くの作品と向き合ってみると、どハマり。
やはり絵は実際に観てみないとわからないものですね。
そんなわけで、只今自身の中で大セザンヌブームが巻き起こっています。^^

---

最近ネットで話題になっていた尾崎豊の息子が
「I love you」「15の夜」を歌っている動画を見た。

いや~泣けた・・、音楽でこんな気持ちで涙したのは初めてだ。
息子さん、すっかり大人になり、時の経過の早さに恐ろしさすら感じてしまった。

とにかく声やちょっとした歌い方が尾崎(=父)にそっくり。
書き込みにもあったけれど、遺伝子ってスゴいね。

尾崎の最後のアルバムとなった「放熱への証」を彼の声で生で聴きたい。

外見はそんなに父親似というわけではないし
歌唱力自体もカラオケが上手い青年、という感じなのだが
声質と歌い方、+“尾崎の息子であるという事実”が絡み合ったことで
尾崎信者だった自分には、かけがえのない何かを見せてもらった感があった。

こうやって話題にもなり、年齢的にもそろそろ腹黒い大人達が
放っておかない状況になりそうなので、大丈夫だろうか?と不安がよぎったが
こちらを読む限り、そんな心配は無用なようだ。
かなりしっかりとしたビジョンもあるようで、
ある意味、とっくに尾崎よりも大人になっているのかもしれない。

ただ、動画はあの中嶋薫氏のパーティ会場とのことで、なぜAmwayと?
そこだけが気になって仕方がない。

おまけ
好きな1曲 ♪街路樹

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひかり35号

| | コメント (2) | トラックバック (0)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

微射

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モノレール跡

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カレー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボウリング場

| | コメント (0) | トラックバック (0)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

唐津

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南部煎餅

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.17

呉爾羅

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ガド

| | コメント (0) | トラックバック (0)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

真っ赤

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.15

水を落としての伝達方法

miyupee178さんの動画より。

スゴ。(゚0゚)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.14

日記 2009年1月13日

右側に新幹線がやってくるブログパーツを貼りつけてみました。
毎日23時58分に到着します。
(自分のPCではいつも遅れて0時5分頃に到着しますが・・笑)
最初はかなりビビるかもしれませんが
ウイルスではありませんのでご安心ください。^^

---

先日、平塚市美術館で開催されていた「鳥海青児と三岸好太郎展」へ行ってきた。
フォーヴィスム大好きな自分としては
鳥海さんも三岸さんも1930年頃までの作品は受け入れることができたが
それ以降はあまり好みではなかった。
三岸さんの目まぐるしい画風の変化には驚き。
同時開催の展覧会で麻田鷹司さんと佐藤晨さんの作品に出合えたのは収穫。

---

会社設立系の本読みをはじめている。
やはり法人となると色々と裏があるもんですな。
染まらないよう気をつけなくては。

---

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カール(チーズあじ)のパズル

この前、ショッピング中に見つけた。
その場では通り過ぎてしまったけれど
内心、「欲しくて欲しくて」たまらんかった。(^m^)

これ・・絶対に食っちゃうな。笑

http://www.hanayamatoys.co.jp/...

Amazon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.13

菜の花満開 二宮・吾妻山公園

【2007年1月の記事より】



神奈川県中郡二宮町の吾妻山公園に足を運んできました。



早くも菜の花が満開。(゜レ゜)



見てると食べたくなってきてしまいます。(笑)



遠くには富士山も。



富士山をアップで。



ミツバチ達も元気に飛び回っていました。



ミワ・ガードナーさん、レポート中。



海も眺めることができる心地いい公園です。

◎二宮町/吾妻山公園
  http://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/...

◎吾妻山・菜の花まつり
  http://snic.scn-net.ne.jp/~nanohana/

◎単身パパのPhoto日記さんより
  http://8604.at.webry.info/...

◎猫と写真と花畑さんより
  http://neco3my.cocolog-nifty.com/...

◎スイートピーのアトリエさんより
  http://suito2005.exblog.jp/4475236

| | コメント (10) | トラックバック (0)

左義長 - どんど焼き 横浜・海の公園

【2007年1月の記事より】

横浜市金沢区の海の公園で、第12回「どんど焼き」が行われました。



海の公園は八景島シーパラダイスの真向かいの場所となります。



火入れ前の光景。



左義長(さぎちょう)とは、小正月に行われる火祭りの行事。
地方によって呼び方が異なる(後述)。日本全国で広く見られる習俗だが、
東京では江戸時代に火災予防のために禁止されて以降廃れた。



1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、
そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。
その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除くと言われている



また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。
道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、
それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたのち
送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。



起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。
小正月(正月十五日)、平安時代の宮中で、
清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、
その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、
その年の吉凶などを占ったとされる。
毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから三毬杖(さぎちょう)と呼ばれた。



これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。
どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である。



どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われるが、
歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、
出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。
とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。
これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。
子どもの祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子どもが行う。
またそれは、小学校などでの子ども会(町内会に相当)の行事として、
地区ごとに開催される。
地方によって焼かれるものの違いがある。



国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、
地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもある。



--------------------------------------------------------------------

参考引用文献:Wikipedia

◎左義長 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/...

◎海の公園
  http://www.umino-kouen.net/

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.01.10

インターネットの歴史

from PICOL

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.09

日記 2009年1月8日

昨年の11月中旬頃から、

↓↓↑↓↓↓↑↑↓↓↓↓↓↓↑↓↑↓↑↓と続き

今年に入ってからも

↓↓↑↓↑とあいかわらず。

そして、7日には10年ぶりくらいに大きな↓。

が、昨日、その10年ぶりの↓を大きくひっくり返す程の↑が。

もう、しばらく↑しかない気がする。(゚ー゚)

色々な皆さんの温かさに感謝。涙。

---

昨晩、参加している制作(酒?)集団の新年会があり
その会場となったのが、大久保の「あうん」。
酒もなかなか豊富で料理も美味しかったですよ。

---

行きつけのパン屋のレジに
新しい女の子が入った。
ヤバい、お互い見つめ合いながらドキドキしている。
<激しく勘違い乙な自分 (;□;)>

---

映像業界、最近少し熱くなりつつあるのが “立体(3D)” 。
今年、波は来るのか?

---

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Kou

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.07

日記 2009年1月6日

今年は意外に正月ボケがすぐ抜けた。
正月は遠い昔で、いつもの日常・・という感覚に。

---

ブログの左下に貼っている「あわせて読みたい」というパーツ、
ここに表示れたブログをRSSリーダーに読み込み見ている。
実に色々なブロガーさんを知れ楽しい。
気づきを与えてくれるブログも多く、
この1ヶ月でかなりRSSに追加したブログも増えた。

---

今晩は久々にワンタンを食した。
寒い日にはいいですね。
そういえば、去年ハマった酸辣湯(サンラータン)を
まだ今シーズンは食していない。
そろそろ店を探してみるかな。

---

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「ザ・ムーン」

1月16日から公開です。

◎公式サイト
  http://themoon.asmik-ace.co.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年最大の満月

アメリカ合衆国・リック天文台にて

IMAGE DATA © Rick Baldridge

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きぼう実験棟からの眺め

国際宇宙ステーションにてグレッグ・シャミトフさん。

将来、宇宙船で旅するときは
こんな感じで窓からの光景を楽しみながら目的地に向うのでしょうね。^^

IMAGE DATA © Expedition 18 Crew, NASA

| | コメント (0) | トラックバック (0)

時間の伸張と光の分解

遠い宇宙では時間はゆっくり進むように見えます。
この宇宙論的時間の遅れにより、光は写真のように分解されます。
これを測定することで、初期宇宙の姿が見えてきます。

IMAGE DATA © VIMOS, VLT, ESO

| | コメント (0) | トラックバック (0)

The Sky in Motion

7,000枚程の画像で作成した動画です。

IMAGE DATA ©
Video: Till Credner, (The Sky in Motion.com)
Music: túrána hott kurdis by hasta la otra méxico!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

世界天文年2009

2009年は世界天文年です。
より“宇宙”を意識していきたいですね。^^

▼世界天文年2009 案内ページより
ガリレオ・ガリレイが、うわさの「望遠鏡というもの」を苦心して作り、
それで宇宙を眺めたのは、1609年末といわれています。
今から見ればおもちゃのような口径4センチメートルの望遠鏡で見たものは、
驚きに次ぐ驚きでした。
水晶の球といわれていた月には、円いクレーターがいっぱいでした。
地球と同じような天体だったのです。
不思議な「天の大河」だった天の川は、無数の星の集まりでした。
木星には4つも月が回っていました。
科学の歴史で最大の発見をしたガリレオの驚きと興奮は、
彼がすぐに書き上げた『星界の報告』で、ありありと読むことができます。
発見は、新しい謎を呼びます。
ガリレオが解き明かした宇宙は、400年後のいまも続いている、
宇宙の謎の探求の始まりでした。
人間の宇宙は、望遠鏡の発達とともにどこまでも拡がって、
私たちは137億年前のビッグバンに迫り、
第二の地球を大型望遠鏡で探しています。
望遠鏡による宇宙探求の扉を開いたこの観測から400年を記念するのが、
「世界天文年2009(International Year of Astronomy 2009)」です。
国際天文学連合(IAU)が中心となり、天文学と科学に関する行事を世界中で、
さまざまな規模やかたちで、展開します。
すでに100を超える国々で準備がはじまっていますが、
日本では研究・教育・普及など全国の幅広いメンバーによる
「世界天文年2009日本委員会」のもとで、
楽しい企画が続々と提案・検討されています。
ガリレオの驚きを、みんなの驚きに。
尽きない宇宙の謎を、みんなのものに。
そして、子供たちが本来持っている
自然への興味と科学への関心を応援し、育てたいと思います。
皆さんも、ぜひご参加ください。
かいふ・のりお(放送大学教授、日本学術会議会員、前国立天文台台長)

◎世界天文年2009ホームページ
  http://www.astronomy2009.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.06

日記 2009年1月5日

今日から仕事スタート!
で、いきなり青色申告決算書作成のための伝票整理から。

いつも3月15日ギリギリなのだが
今年はこの後の予定がアップアップなので
来週頭までには仕上げてしまう予定。
頑張るぞー!


中学時代に仲が良かった友達と15年位ぶりにmixi上で再会、
mixiを利用していて初めて感動したかも。
いや2回目だ。
実は去年の年末、年も同じ誕生日に同じ病院で生まれた女性と知り合った。
小さな病院だったので、「生まれてすぐ、隣同士だったかもね?」という話に。
ありえなくもなさそうでこれは本当に感動した。^^


今年最初のFM-SelfpitをUP。
ショパンにとも思ったが、さすがに年の初めから“静”は・・なので、
“動”のThe Crash Modernsでスタート。
正月ボケを吹き飛ばし、
仕事に勉強に家事に、ガンガン行っちゃってください。^^


AM6時30分起き&プールでの初泳ぎだったので
今晩はぐっすり眠れそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.04

日記 2009年1月4日

昨日UPした 箱根駅伝の謎 「ど」 「で」 「○_○」 へのアクセス数がスゴい。
やはり気になっていた人・・多かったようで。^^


今日は三井アウトレットパーク 横浜ベイサイドへ。
去年の4月までは “横浜ベイサイドマリーナ ショップス&レストランツ” と
呼ばれていた場所。

地元人ですら、まだ名称が変わったことを知らない人が多い。
ベタベタな『三井』という冠が付いてしまったのはちょっと・・。

昔は「ベイサイドマリーナへ行く?」などと会話をしていたのですが
最近は「三井へ行く?」となっていま・・せん。(笑)
やはり、いまだに「ベイサイド~」。

年明けなので、かなりの大セール。
半額のものが更に20%引きとかで、「定価ってなんやねん!」という感じ。
おそらく[半額-20%]商品も、最初から織り込み済みなのだろうけれど
見事に釣られて、かなり色々なものを購入。
それでも思ったより金を使わずに済んでホッ。

そういえば昨年のヒット商品に “アウトレットモール” が入っていましたね。
モールは随分前からあるのに、何で?と思って調べてみたら
埼玉と仙台に新しいモールができたからとのこと。
(どちらも『三井』なようで)


話は変わって、

素敵な福袋を発見!
ホテルと島とダイヤモンドが入っています。(゚ー゚)

↓楽天アフィリでリンクを貼ってみた。
http://item.rakuten.co.jp/...

誰かこのリンクから購入してくださいませませ。(笑)

1%還元ということは・・・このリンクから購入者がいれば
1,000万円分もらえる~。

楽天ポイントで。 (;д;)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

横浜赤レンガ地ビール

赤レンガ倉庫1Fのカルディコーヒーファームで売っているビール。
(自分は今のところココでしか見かけたことないです)

ザ・横浜!的な感じがしますが
実は作っているのは “さ・い・た・ま” だったりします。(笑)

こちら→ http://www.kyodoshoji.co.jp/...

左のビアマグはこのビールとは全く関係の無い
横浜オクトーバーフェスト2008」というビール祭で
キリンさんのビールを飲んだ時にもらってきたものです。

一度、この組み合わせをしてみたかったもので。^^

◎Google検索「横浜赤レンガ地ビール」
  http://www.google.com/...

| | コメント (2) | トラックバック (0)

奈良のポスト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日記 2009年1月3日

箱根駅伝、今年も楽しませてもらいました。
戦いに「・・だったら」論は無しですが、
「もしもあの時に・・」と思ってしまうシーンも多々ありましたね。
学連選抜が復路3位というのも驚きでした。
各校に去年までとは違う変化が見られ、早くも来年が楽しみです。

ところで、日テレさん
エンディングはやはりアレでないと・・。

去年のヤフー日記でも書いた記憶がありますが、
長年↓でその年の箱根駅伝の終わりを感じていた身としては
http://jp.youtube.com/...
これが流れないと、いつまでも箱根駅伝から抜け出せないのです。

Googleで「箱根駅伝 エンディング」で検索すると
↓こんなにも寂しがっている方がいらっしゃいますよ。
http://www.google.com/...

ご一考を。(笑 いや・・真剣に!)


そんなモヤモヤした気分の中、ようやく初詣に行ってきました。
今年は伊勢山皇大神宮へ。
自分のおみくじは「末吉」、内容が号泣モノでした。

[仕事・交渉・取引]
互いに意思が通じない。
相手の方が有利な状況にみえる。
ひそかに話を進めるとよい。

[愛情・縁談・恋愛]
性格が合わないのでは。
時間をかけてよく相手を見直してみてはどうか。
縁談はまとまりにくい。

[健康・病気・療養]
無理をして体調を、そこなうといけない。
健康診断を受けてみてはどうか。
車の運転には気をつけよ。

[学業・技芸・試験]
いまのところ思うように実力が発揮できない。
目標をもう少し手近なところへ置き換えてみるとよい。

去年が見事に↑に記されているマイナス面にヤラれていたので、
今年こそ、↑のようにならないよう頑張るぞ!と思っていたのに。

今年もですか・・。(涙)

とりあえずこのブログにUPしたことで消え去るということで。
(スミマセン、勝手ルールを作らせていただきました。笑)


先日、駅の発車メロディを演奏する人ということで紹介した松澤健氏ですが
YouTubeでマジメ系演奏としてUPしていたのがChopin Ballade No.1 Op.23。
久々に聴き、「やはりいい曲だなぁ~」とすっかりハマり中。(松澤氏の演奏もいいですね)

こちらの曲、ケロログのandotowaさんのサイト
andotowaさん演奏版の音源を入手することができたので、
いずれFM-Selfpitで配信してみようかと思っています。

今年はChopinのこと、いろいろと探ってみようかな。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009.01.02

日記 2009年1月2日

はい、実は今年は日記をつけようとしています。
はい、確かに過去に何度も挫折しています。
はい、今回も結果はご想像の通りかと思います。
はい、でもやれるところまで続けてみます。
はい、そこ冷たい目しない。(笑)

毎年、1月2日&3日はなんと言っても箱根駅伝。
昨日、それに合わせて2年前にUPした箱根湯本関連の記事を再UPしてみました。
今日の駅伝中継で「函嶺洞門が無くなる」ような話をされていて驚きました。
現役の車道としては安全性の問題から厳しい状況があるかもしれませんが、
何かしらの方法で保存は検討してもらいたいところです。

今年の往路も実に色々なドラマがありましたね。
沢山の力をもらえました。

自分は学生の時、走ることだけは少し得意で、特に長距離系は好きでした。
といっても「走り」が好きなわけではなく「走り終えた感」が好きでした。
その時の感覚が今でも少し残っているせいなのか
気づいたら仕事も「走り終えた感」を得やすいものをセレクトしていました。

「走り」の内容自体は、その時々の肉体面や精神面の問題で
乱れることもありますが、それでもできる限り全力を尽くして
しっかりと「走り終えた感」を感じれるようにしていきたいものです。
もちろん、「走る」前に乱れが生じない準備に力を入れることも大前提ですが。

話は変わり・・

今日、近所の交差点で信号待ちをしていたら
自分の横でスーツ姿の兄ちゃんが突然
「民主党!三村和也!」という大きな襷をかけ、演説の準備を始めました。

自分が住むエリアの次期総選挙民主党公認候補者とのこと。

年齢は32歳、
ついに自分よりも年下が地元から立候補とは。

自分は次の選挙では民主党という選択肢も考えつつある。
となると、この三村氏のことをしっかりと見ていく必要があるわけで・・
早速、公式ホームページを確認してみました。

http://mimurakazuya.net/

なんと、広末涼子の いとこ でした。(驚)

まさか近所に広末が応援に来るとか?

広末の信者的ファンな親友にだけは黙っておかなくては・・
選挙に対してまともな判断ができなくなると思うので。(笑)

という自分が一番気にしているか。(汗)

この三村氏のページに
選挙活動費報告があるのですが、やはり金がかかるものなんですね。
(もっと工夫できる余地もあるのだろうけれど・・)
http://mimurakazuya.net/tsucho.html

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.01.01

新年 明けましておめでとうございます。^^

2009年になりましたね。
今年もよろしくお願いします。(´▽`)/

坂田があんな負け方をして、
紅白の前半が滑りまくりで、
泰葉がハッスルで勝ったらしくて、
エンヤがやはり口パクで、
2008年はヒドい〆になりそうだ (´O`) と思っていましたが

Perfumeに癒され、
ジェロに泣き、
「おふくろさん」にシビレ、
“ゆく年くる年”で穏やかになり、
「年の初めはさだまさし」でTV初めも出来、
なんとか良い年明けを迎えることができました。fuji

ニューイヤー駅伝の最後の大接戦はスゴかったですね。(゚▽゚)

・・と、TV三昧な年越し年明けではありますが
ちゃんと年賀状も書いてますよ。(爆滝汗)

はい、ということでお届けが5日の方もいらっしゃるかもしれませんが
ご了承くださいませ。

(_ _) 初謝り

・・と、しばらくは何でも初○○と付けてしまう日々が続きそうです。(゚m゚)

ほぼ日の糸井さんから新年早々、いい言葉をいただきました。

 『まず、いま、じぶんはどうするか?』

今年は、この言葉を自身の軸の1つにしていきたいと思います。

-------------------------------------------------------

写真はGIGAZINさんで紹介されていた「世界一太いツノを持つ牛」です。
このくらい太くなりたいなぁ。(゚ー゚)

-------------------------------------------------------

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »