福岡県・田熊石畑遺跡 墳墓から青銅武器15点
福岡県北部の宗像市にある弥生時代中期前半(紀元前2世紀ごろ)の
田熊石畑遺跡で青銅武器の出土が相次ぎ、
当時の北部九州の中心地だったとされる
佐賀平野や福岡平野に匹敵する有力な支配者層の存在が
注目されている。
同遺跡では昨年、6基の墳墓から銅剣や銅戈など
計15点の青銅武器が出土した。
同時期では佐賀県の吉野ケ里遺跡(8点)や「最古の王墓」とされる
福岡市西区の吉武高木遺跡(11点)を上回る出土数。
小田富士雄福岡大名誉教授は「中国の史書『漢書地理志』が
『百余国』と記した有力集落の1つで、中国や朝鮮半島との交易を通して
力を付けた集団ではないか」とみる。
宗像市教育委員会によると、田熊石畑遺跡では
集落跡とともに9基の木棺墓が見つかり、
うち6基から人骨と一緒に細形の銅剣9点、銅戈3点、銅矛3点が出土した。
長さは約13-43センチ。
1つの墓に青銅武器が3-5点集中して副葬されているのも特徴で、
市教委によると1つの木棺墓から青銅武器5点が出土したのは全国初という。
同遺跡では、直径約50メートルの環濠の一部や
土坑、約170の貯蔵穴も出土。
近くを流れる河川側に船着き場だったとみられる跡も見つかり
「水運を利用して宗像地域の富の集積や
物流の拠点となった可能性がある」(市教委)という。
当時の北部九州には拠点集落が林立していたと考えられており、
力を持った集落の支配者層の墓には青銅武器が副葬されるのが特徴。
吉野ケ里、吉武高木遺跡のほかにも佐賀県の宇木汲田遺跡、
福岡市の吉武大石遺跡などから多数の銅剣や銅矛が出土している。
これらの遺跡は、魏志倭人伝に登場する「伊都国」や「奴国」など
強大な権力を持ったクニが成立する前の段階に位置付けられ、
青銅武器の出土数や集落の規模から、
互いに力の差はあまりなかったとみられる。
◎共同通信 2009年2月7日
http://www.47news.jp/...
◎Google検索「田熊石畑遺跡」
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