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2009.03.19

【記憶の小箱】 東京生活時代 ~3歳まで

記憶が消える前にメモメモ。(゚ー゚)

・最初の友達は2歳の時に知り合った隣家のヨッちゃん=タメ&鉄オタ。

・ヨッちゃんの家の大きなブランコで乗り物ゴッコをして遊んだ。

・ヨッちゃんの家の大きなブランコに乗りながら食パンを食べた。
 甘くてとても美味しかった。パン耳は食べれなかった。

・近所のお姉ちゃんのシーちゃんが子供グループを仕切っていた。

・シーちゃんの家は大きな亀を漬物空バケツの中で飼っていた。

・シーちゃんの家は豪邸だった。

・シーちゃんの家の納屋を秘密の基地にして、
 真っ暗な基地の中で遊んだ。

・最寄り駅の商店街に1軒だけおもちゃ屋があり
 通りかかると、外からプラレールの在庫状況が見えたので
 親に内緒で常に横目でチェックしていた。

・ある日、東海道色のプラレールが置いてあった。

・商店街のパン屋には、赤ラベルの食パンと青ラベルの食パンがあった。
 自分は赤ラベルが食べたかったのに、親はいつも青ラベルばっかり
 買っていたので、気に食わなかった。

・食パンのラベルに思いっきり顔をぶつけると、いい匂いがして幸せだった。

・駅の隣にあるアーケード内の魚屋にたまに行った。

・駅の踏み切りで、いつも西武バスが走っているのが見えた。
 決して乗ることがなかったので、いつか乗ってみたいと夢に描いていた。

・夏は萩山のプールに行った。
 親父はガツガツ泳いでいた気がする。

・西武園には沢山行った。
 いつも西武山口線でユネスコ村へ。
 行きはバッテリー電気機関車で、帰りはSLだった。

・ユネスコ村には大きな風車があった気がする。

・青梅街道駅付近の線路沿いにある保健所で何度か注射をした。
 友達のヨッちゃんは泣き叫んでいたので、自分は絶対に泣かないようにした。
 結果、親に褒められた。

・家の風呂は木の桶の大きな感じのものだった。

・風呂でダイヤブロックを洗った。

・風呂でトイレをしてしまった。

・歯ブラシを入れるケースが、とてもメカちっくで興味があった。

・寝るとき、「ねんねするのよ」と言われていた気がする。

・親父の自転車は青のゴツい自転車だった気がする。

・自分の自転車も青の自転車。

・・・ 続く

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