縄文期の大豆栽培確実 八ケ岳南ろくの遺跡に痕跡
山梨県立博物館、県考古博物館、県埋蔵文化財センター、
熊本大が3年ほど前から進めている共同研究で、
酒呑場(さけのみば)遺跡(北杜市)と
女夫石(めおといし)遺跡(韮崎市)から出土した
煮炊き用の土器から複数の大豆痕が見つかり、
縄文時代中期(約5000年前)に八ケ岳南ろく地域で
大豆を栽培していたことがほぼ確実になった。
両遺跡からはアズキ痕も見つかり、
これまで特定できなかった種類も分かった。
植物栽培は弥生時代からという定説を覆す可能性が高まり、
研究チームは「縄文人は多様な食文化を持っていた」とみている。
一昨年、土器に残る跡にシリコンを流して型を取る
「レプリカ・ム法」を用いた研究で、酒呑場遺跡で出土した土器から
日本最古といわれる大豆痕が見つかり注目された。
昨年4月から9月に行われた研究で女夫石遺跡の土器からも大豆痕を発見、
合わせて5例となり、栽培利用がほぼ確実になった。
これらの大豆は野生種より大ぶりであることから、
食用として栽培する過程で大きくなったと研究者は見ている。
また両遺跡の土器からはアズキ痕も見つかった。
研究の結果、栽培されたアズキか、野生のヤブツルアズキであることが分かった。
今後はアズキが栽培されていたかどうかを詳しく調査する。
また縄文時代前期(約6000年前)の天神遺跡(北杜市)で発掘された土器からは、
野生のシソやエゴマ、栽培大豆の野生種ツルマメの種子痕も多数見つかった。
県立博物館の中山誠二学芸課長は、
一連の研究から「シソやエゴマは香りが強く殺菌作用がある。
香辛料などにも利用したのではないか」と分析している。
研究が進む一方で、新たな謎が深まった。
最初に大豆痕が見つかった酒呑場遺跡の土器を
コンピューター断層撮影(CT)で調べたところ、
内部にもう一粒の大豆痕を確認。豆は生育が早いことから
意図的に土器に埋めて豊作を祈願した可能性も考えられる。
今後は大豆のルーツやアズキ栽培の開始時期、
なぜ土器から豆類痕が見つかるかなどを研究していく。
中山課長は「狩猟・採取が中心で原始的なイメージのある縄文人だが、
想像以上に多様な食文化を持っていたのではないか」と話している。
◎山梨日日新聞 2009年3月13日
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