倭国について(5) 武器
【Podcasting】
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▼魏志倭人伝(三国志・魏書東夷伝倭人条)より
武器は、矛、楯、木の弓。
木の弓は、下は短く上は長い。
矢は竹で、鉄か骨のやじりをつけている。
[参考文献]
・石原道博さん編訳「新訂 魏志倭人伝 他三篇」(論創社)
・斎藤忠さんの著書「日本人はどこから来たか」(講談社学術文庫)より
・武光誠さんの著書「邪馬台国と卑弥呼の事典」(平凡社新書)より
・Wikipedia
盾と戈(か[ほこ])をもつ人物の絵画土器
清水風遺跡 第2次調査
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム ミュージアムコレクション」より
絵画土器(盾と戈を持つ人物)
唐古・鍵遺跡
唐古・鍵考古学ミュージアムにて
絵画土器(盾と戈を持つ人物)
唐古・鍵遺跡
唐古・鍵考古学ミュージアムにて
上記絵画をモデルに再現した模型
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム ミュージアムコレクション」より
広形銅矛 - 増田山遺跡 / 長さ86cm / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用
~厳原町教育委員会提供)
広形銅矛 - 大吉戸神社 / 長さ82-84cm / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用
~黒島区長藤島一夫氏提供)
広形銅矛 - 大吉戸神社 / 長さ82-89cm / 弥生時代中期後半~後期
(長崎県ホームページより引用)
広形銅矛 - 上県町佐護クビル / 弥生時代中期後半~後期
(国立博物館にて撮影)
中広形銅矛 / 須玖岡本遺跡 / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
中広形銅戈 / 紅葉ヶ丘遺跡 / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
細形銅剣 / 立石遺跡 / 弥生時代中期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
銅矛16本と銅鐸 / 国宝
荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)
島根県立古代出雲歴史博物館蔵
サライ 23より
(小学館)
銅剣358本 / 国宝
荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)
島根県立古代出雲歴史博物館蔵
サライ 23より
(小学館)
銅剣に刻まれていた「×」
358本中344本に刻まれている
荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)
島根県立博物館蔵
サライ 23より
(小学館)
武器としての銅矛使用方法 - 細形銅矛
(浜島書店『新詳日本史』より引用)
木の弓・吉野ヶ里遺跡出土
(情報処理推進機構:教育用画像素材集より)
鉄鏃・吉野ヶ里遺跡出土
(情報処理推進機構:教育用画像素材集より)
鉄鏃・長崎県出土
(文化遺産オンラインより)
骨の鏃・縄文時代/宮城県出土
(文化遺産オンラインより)
銅鏃(どうぞく)[国産品]
原の辻遺跡
▼長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より
弥生時代は集団抗争が日常化した時代ともいわれており、
一支国の盟主も敏感に世の流れを感じとったに違いない。
武器や武具は本土のクニグニに劣らない程に万全の備えをしているかに見える。
▼案内板より
原の辻遺跡からは、日本最多の100点を超える
銅鏃が出土している。
三翼鏃(さんよくぞく)
原の辻遺跡
▼案内板より
古代中国で、戦闘で使用した
強力な「弩(ど)」と呼ばれる弓に装着した。
銅鏃と木鏃(もくぞく)
纒向遺跡
図録「ヤマト王権はいかにして始まったか」より
(桜井市埋蔵文化財センター)
左・銅鏃(どうぞく)の鋳型外枠
右・銅鏃(どうぞく)の鋳型(複製・復元品)
唐古・鍵遺跡
唐古・鍵考古学ミュージアムにて
左・銅戈(どうか)の鋳型外枠
右・銅戈(どうか)の鋳型(複製・復元品)
唐古・鍵遺跡
唐古・鍵考古学ミュージアムにて
弥生中期の須玖岡本遺跡群(すくおかもといせきぐん)
(浜島書店『新詳日本史』より引用)
・環濠の発見状況より、環濠が遺跡群を囲っていた可能性もあり。
・青銅器の鋳型など、生産関連のものが全国的に突出して出土している。
・生産工房と見られる建物の跡も見つかっている。
・鉄器や鉄の破片もあり、鉄器工房があったと思われる。
・ガラス工房もあったと思われる。
・生産されたものは、北部九州や四国、対馬へと配布されたと思われる。
・弥生時代後期になると工房は丘陵地から低台地上へ移動。
・弥生時代後期後半~終末にかけて対馬で大量に消費された広形銅矛の
生産が行われていたと思われる。
・古墳時代初めには遺跡群の集落は衰退へ。
須玖坂本遺跡の青銅器工房跡 / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
広形銅矛鋳型 / 熊野神社 / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
広形銅戈鋳型 / 大南遺跡 / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
銅鏃鋳型(どうぞくいがた) / 須玖坂本遺跡 / 弥生時代後期
(長崎県教育委員会『発掘「倭人伝」』より引用)
木製仮面と共に出土した盾
纒向遺跡
桜井市立埋蔵文化財センターにて
盾は長さ15cmほどの破片となって
投棄されたかのような状態で検出、
表面には赤色と黒色の彩色が見られる。
祭祀の一場面で使用された可能性が考えられている。
木製の盾
唐古・鍵遺跡
図録「唐古・鍵考古学ミュージアム 展示図録」より
2008年9月3日
青谷上寺地遺跡から緑色の顔料
2007年6月10日
鬼虎川遺跡で銅剣の鋳型片を発見
2008年6月21日
田熊石畑遺跡 一墳墓から銅剣、銅戈5点
2009年2月7日
福岡県・田熊石畑遺跡 墳墓から青銅武器15点
2008年8月14日
西野遺跡群で銅矛の再加工品が初出土
2008年2月29日
柳沢遺跡で「九州型」「大阪湾型」銅戈が同時出土
2009年2月28日
柳沢遺跡で新たに「銅戈」と「銅鐸」
2008年4月24日
国内最古の青銅製鞘尻 元岡遺跡群で出土
2009年3月4日
大福遺跡で木製よろい出土
2007年2月8日
下之郷遺跡から6重の環濠跡
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