« 川越 氷川神社 八坂神社 | トップページ | 大阪・池島 福万寺遺跡 弥生時代の大洪水跡 »

2009.07.07

大阪・今城塚古墳 幻の陵墓参考地

〈真の継体天皇陵〉と呼ばれる大阪府高槻市の「今城塚古墳」(6世紀前半)。
宮内庁は、茨木市の「太田茶臼山古墳」(5世紀中頃)を継体陵とするが、
大正から昭和初期、今城塚を継体陵とみて
陵墓参考地の指定も検討していたことが、研究者の調査で明らかになった。
同庁の陵墓指定古墳は現在、原則立ち入りも許されていない。
しかし、今城塚は市が2011年春の完成を目指して史跡公園整備を進めており、
事実上、公園として一般開放される唯一の大王墓(天皇陵)となる。
真の継体陵とされるに至る、経緯をひもといてみた。

史跡公園整備が進む今城塚古墳(高槻市郡家新町で) 日本の古墳は、
名前が記された墓誌などが納められていないため、
被葬者をほとんど特定できない。
それは、陵墓も例外ではない。
では、今城塚はいつ頃、誰が「継体陵」と説いたのだろうか……。
高木博志・京都大准教授(近代史)が、宮内庁所蔵の文書を調査したところ、
戦災で焼失した「府庁文書」の写しが残されていた。
府知事が、1922年(大正11年)に内務大臣あてに起案した文書だ。

〈元ヨリ陵墓タリシモノニシテ、然(しか)モ陵制宏大ナルヨリ考フレハ
高貴ノ陵墓タルコトヲ知ルヲ得ヘシ〉。
このように、今城塚周辺にある「陪塚」(現在は陪塚と認められていない)の
保護を訴えていたことがわかった。

高木准教授は、府史蹟(しせき)調査委員の天坊幸彦氏が原案を作成したとみて、
「今城塚を文化財として保存しようとした嚆矢(こうし)」と指摘。
それだけではない。継体陵の所在地は、律令の施行細則「延喜式」(927年)に
「摂津国島上郡」と記されている。
今城塚は「島上郡」にあるが、太田茶臼山は「島下郡」。
天坊氏は郡境を突き止め、今城塚こそ継体陵にふさわしいと説いた。

これを受けた形で29年(昭和4年)、当時の宮内省の陵墓考証担当者が、
内部文書で今城塚が真の継体陵と主張。
36年(同11年)には宮内大臣の諮問に、同省の臨時陵墓調査委員会が
「今城塚を陵墓参考地に編入すべき」と答申した。

だが、58年。国史跡に指定されたが陵墓参考地にはならなかった。
その理由を高木准教授は「歴代の天皇陵すべてが19世紀の学知に基づき治定され、
その体系が変更なく、凍結されてきたため」と説明。
1881年の天武・持統合葬陵以来、陵墓の指定変更はない。
一つ認めれば次々に変更を余儀なくされる恐れがあったため、と推測できる。

◎読売新聞 2009年6月29日
  http://osaka.yomiuri.co.jp/...

◎Google検索「今城塚古墳」
  http://www.google.com/...

|

« 川越 氷川神社 八坂神社 | トップページ | 大阪・池島 福万寺遺跡 弥生時代の大洪水跡 »