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2009.07.09

氷川神社 総本社 (大宮)

参道

三之鳥居

祭神

祭神

楼門

楼門

楼門

楼門

舞殿と拝殿

拝殿

拝殿

奥に本殿

▼案内より
上代のことは詳かにすることが出来ませんが、
治承4年(1180年)源頼朝公が土肥次郎実平に命じて
社殿を再建、文禄5年(1595年)8月には徳川氏、
伊奈備前守忠次を奉行として、社頭を残らず造営せしめ、
次いで寛文7年(1667年)3月には阿部豊後守を奉行として
社殿の建立をしております。
以来幾度の御造営あって今の御社殿は昭和15年(1940年)6月の
竣成で、流造りであります。

境内にて

境内にて

門客人神社

祭神

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▼さいたま市教育委員会 案内板より
「大宮」の地名は、“大きなお宮”であるここ氷川神社に由来しています。
武蔵一宮(むさしいちのみや)の格式を持ち、
平安時代前期に朝廷がまとめた「延喜式(えんぎしき)」に
すでに「大社」であると記されています。
氷川神社は現在のところ関東地方に約250社が
祀(まつ)られており、いずれも2000年の歴史をもつ
この氷川神社を御本社(ごほんしゃ)として
分霊(ぶんれい)されたものです。
スサノオノミコトほか二柱を祭神としており、
古代に稲作を司る神として祀られたものが始まりと思われます。
鎌倉時代以降は源頼朝、徳川家康といった武士に、
明治以降は皇室の尊崇(そんすう)が篤(あつ)く、
明治天皇は東京遷都直後に参拝され
国の安泰(あんたい)を祈願するなど、古くより為政者(いせいしゃ)から
厚く遇(ぐう)されてきました。
しかし、最も深く関わり守り育ててきたのは、
江戸時代以来“お氷川様”と呼び親しみ、何度となく参拝し手を合わせた
地域の人々・大宮に住む人達であったに違いありません。
初詣にはじまり12月10日の
大湯祭(だいとうさい)[十日市(とおかまち)]まで、
四季を通じて心を託し得ることのできる
身近で大きな存在になっています。

▼案内(1)より
氷川神社は今からおよそ二千余年前、
第5代孝昭天皇(こうしょうてんのう)の御代(みだい)
3年4月末の日の御創立と伝えられます。
当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く(あつく)、
景行天皇の御代日本武尊(やまとたけるのみこ)は
東夷鎮圧の祈願をなされ、
成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が
朝命により武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)となって
氷川神社を専ら(もっぱら)奉崇(ほうすう)し、
善政を布(し)かれてから益々神威(しんい)輝き、
格式高く聖武天皇(しょうむてんのう)の御代
武蔵一宮と定められ、醐醍天皇の御代に制定された
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)には
名神大社(みょうじんたいしゃ)として、
月次神嘗(かんなめ)案上の官幣(かんぺい)に預り
又臨時祭にも奉幣(ほうへい)に預っています。
武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の
名将軍家等相継いで尊仰(そんぎょう)し、
奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、
祭祀も厳重に行われていました。

▼案内(2)より
氷川神社名の社は大宮を中心に、
埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及び
その数は280数社をかぞえます。
武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の子孫が
この大宮の地を本拠として民族的政治的に
著しい発展をしたことを物語っているものと考えられます。

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【古事記・日本書紀 Podcasting】
(1)概要紹介
(2)天地開闢・国産み・黄泉の国
(3)黄泉の国・天照大神の誕生
(4)天の岩屋
(5)八岐大蛇
(6)スサノオノミコトと牛頭天王、蘇民将来
(7)因幡の白兎 八上媛
(8)根堅州国 須勢理媛
(9)大国主神の国づくり

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