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2009年10月

2009.10.31

愛知大学 豊橋キャンパス 旧本館

旧陸軍第15師団司令部として明治41年(1908)に建てられ、
終戦後は愛知大学の本館として使用されてきました。
建物は木造2階建、寄棟造(よせむねづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)で、
両翼屋を背後に突き出したコの字形の平面形を持ちます。
外壁は板貼りで、装飾をあまり用いない軍隊関連建物らしい簡素な造りです。
建築面積は1,859㎡です。
木造の旧陸軍師団司令部庁舎で現存するのは全国的にごく少なく、
明治末期の陸軍による兵営建築の手法をよく残す建物として貴重な例です。
(豊橋市教育委員会より)

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

平成21年8月撮影

案内板より

案内板より

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初秋白馬 005

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[歴史ラジオ・増刊号] 纏向遺跡について

【Podcasting】

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奈良県桜井市歴史観光フォーラムに参加して

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2009.10.29

初秋白馬 004

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京都・今里車塚古墳 出土の埴輪 盾と冑の一体型と確認

京都府長岡京市埋蔵文化財センターは28日までに、
市内の今里車塚古墳から出土した盾形と冑(かぶと)形の埴輪(はにわ)を復元した結果、
二つは上下に組み合わせる一体型の埴輪であることを確認した。
盾と冑の一体型埴輪は近畿を中心に出土例があるが、
「その中でも古い部類に入るだろう」としている。

今里車塚古墳は、4世紀後半の前方後円墳で、
2006年度の第11次調査で、盾形と、前方部がとがった冑形の形象埴輪が出土。
当初、二つはそれぞれ別の埴輪とみられていたが、
出土した場所が近く、材料の土の種類も似ており、
関連性を検証したところ、一体型と判明。
欠損部分を石こうで補って復元し、組み合わせた。

埴輪は高さ1・1メートル、直径0・4メートル。
冑が頭部、盾が胴体部にあたり、同センターは
「武装兵士をイメージして作られ、古墳に埋葬された有力者を守っていたのでは」とみる。
文様は、古い時代の木製や革製の盾や冑に通じる特徴があり、
一体型としては最古級の可能性もあるという。

◎京都新聞 2009年10月29日
  http://www.kyoto-np.co.jp/...

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鹿児島・天辰寺前遺跡 古墳時代の女性人骨

薩摩川内市教委は23日、同市天辰町の天辰寺前(あまたつてらまえ)遺跡で、
貝製腕輪をした女性の人骨1体と銅鏡など副葬品が出土したと発表した。
1600年前の古墳時代の円墳とみられ、腕輪をした人骨が出土したのは県内初という。

円墳は昨年7月発見され、直径約28メートル、高さ約3メートル。
今年8月から頂上部分にある深さ約1・5メートルの石室内部を調査した。

市教委文化課によると、出土した人骨は頭と腕、ろっ骨など。
イモガイという貝で出来た腕輪が左腕に13個、右腕に1個あった。
「骨格がきゃしゃで、歯の成長状態から20歳代の女性とみられ、
この付近の支配者であったと推定される」としている。

副葬品の銅鏡は、直径10センチ、重さ148グラムで国内製。
長さ10センチ、重さ19グラムの刀子(とうす)という鉄製の小刀1個も出土した。

◎毎日新聞 2009年10月24日
  http://mainichi.jp/...

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兵庫・会下山遺跡 金属器生産痕跡か

芦屋市教育委員会は23日、弥生時代の高地性集落
「会下山遺跡」(同市三条町)を再調査した結果、
土を高温で焼いた跡を発見したと発表した。
金属器の生産場所と考えられ、
金属器の生産が確定すれば、兵庫県以東では最古となる。

一定数の集団が山間部で先進的な生産活動をしていたとすれば、
高地性集落の性格付けが見直される能性もある。

高温で焼かれた土の跡は「焼土坑」と呼ばれ、今年夏に見つかった。
斜面の岩盤を削って平地にし、その上に炉を作っている。
炊事場やのろしを上げる場所の可能性もあるが、かなりの高温で焼かれており、
鉄器などの金属器を生産していた可能性が強いという。
市教委は今後、周辺に金属器の痕跡がないか調査し、炉の性質を解明する。

また、これまでに確認されていた遺跡の外側を調査した結果、
新たに住居跡や柱穴、土器などが見つかったため、
遺跡の範囲は従来の約3000平方メートルから、
ほぼ会下山全域の1万数千平方メートル程度に拡大する見込み。

市教委の森岡秀人文化財担当主査は
「安定した集団が長期的に住み、生産や流通の面でも
先進的活動をしていたことがうかがえる」としている。

同遺跡は兵庫県史跡第1号。
1956(昭和31)~61(同36)年の初調査から50年を機に、
市教委が国史跡指定を目指し2007年度から3カ年計画で再調査している。

 【高地性集落】
水稲耕作に不向きな高地に存在した弥生時代の集落。
低地からの高さにより、山頂型、丘陵型の2タイプに分類される。
150~200メートル地点に遺構が点在する会下山遺跡は典型的な山頂型で、
これまでは、戦乱などから逃れた小集団が一時的に居住したと考えられていた。

◎神戸新聞 2009年10月23日
  http://www.kobe-np.co.jp/...

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初秋白馬 003

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鳥取・青谷上寺地遺跡 2000年前中国製「八禽鏡」破片を発見

国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)を調べている
県埋蔵文化財センターは22日、遺跡南西部の溝跡から
約2000年前に中国で作られた青銅鏡「八禽鏡(はっきんきょう)」の
半円形の破片1つ(縦8センチ、横3センチ)が見つかったと発表した。
国内での八禽鏡の発見は9例目。
久保穰二朗・同センター所長は
「この地にあった集落が大陸などと盛んに交易していた証拠。
遺跡の価値がさらに高まった」と分析している。

同センターによると、八禽鏡は前漢末期(紀元前1~紀元1世紀頃)に作られ、
権威の象徴や魔よけなどに使われたとみられる。
4つの丸い突起と、4対の鳥の文様があるのが特徴。

この鏡の破片が見つかったのは、
今年度の調査範囲の水田跡(225平方メートル)にある
逆台形状の溝跡(長さ6メートル、幅4メートル、深さ0・9メートル)。
破片には丸い突起や鳥の尾羽部分の文様があったことから、
八禽鏡の一部と見ている。
完全体であれば、直径約10センチになるという。
溝は破片などと一緒に出土した土器の種類から、
約2000年前の弥生時代中期に作られたこともわかった。

同遺跡では、八禽鏡の破片は今回の発見現場の北東約150メートル地点で
1999年にも発見されているが、距離が離れていることなどから、
別の鏡の破片である可能性が高いという。

◎読売新聞 2009年10月23日
  http://www.yomiuri.co.jp/...

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奈良・桜井茶臼山古墳 大王の墓か、全面朱塗りの石室出土

大和政権初期の大王の墓の可能性がある奈良県桜井市の大型前方後円墳、
桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め、国史跡、全長200メートル)で、
全面に朱が塗られた大型の竪穴式石室と木棺が確認された。
県立橿原考古学研究所(同県橿原市)が22日発表した。
古墳時代前期の竪穴式石室、木棺としては最大級。
塗料には、貴重品だった顔料「水銀朱」が少なくとも200キロ使われたとみられ、
過去最大量の出土例という。

同時期のほとんどの大型前方後円墳は陵墓(皇族の墓)や
陵墓参考地で立ち入りが禁じられており、墳丘中心部の調査は極めて珍しい。
謎に包まれた大王級の墓の実体を解明する重要な手がかりになる。

石室と木棺は、橿考研の1949年の調査で出土したが、
当時は一部の研究者が確認しただけで公開されていなかった。

橿考研によると、石室は
長さ約6.75メートル、幅1.27メートル、高さ1.71メートル。
周囲に数千枚の板石(最大長1メートル、幅80センチ、厚さ12センチ)を
垂直に積み上げて内部に空間をつくり、
計12枚の天井石
(最大長2.75メートル、幅76センチ、厚さ27センチ)でふたをしていた。
木棺は長さ4.89メートル、厚さ27センチ。
丸太をくりぬいた形で遺物やふたはなかった。
木棺は石室から搬出し、橿考研で保存処理している。
石室内からは、被葬者の権力を推定するのに役立つ
銅鏡片なども多数出土しており、整理を進めている。

〈桜井茶臼山古墳〉 
柄鏡(えかがみ)形の大型前方後円墳で、被葬者は不明。
天皇や皇族の墓とする資料などがないため、
この規模の古墳では珍しく陵墓に指定されていない。
王権のシンボルとみられる碧玉(へきぎょく)製の
玉杖(ぎょくじょう)や約20面の銅鏡など多数の副葬品が見つかっている。
周辺には、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳(桜井市)や、
景行天皇陵とされる渋谷向山古墳(天理市)など、
古墳時代前期の大型古墳が集中する。

◎朝日新聞 2009年10月22日
  http://www.asahi.com/...

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佐賀・吉野ケ里遺跡 弥生人の頭髪 初公開

吉野ケ里遺跡の特別企画展「よみがえる邪馬台国~吉野ヶ里と倭人伝」
(佐賀県教委、吉野ケ里公園管理センター主催)が24日から1カ月間、
吉野ケ里歴史公園(神埼市郡)の弥生くらし館で開かれる。
同遺跡単独で邪馬台国の関連展示を行うのは初めて。
出土人骨や絹織物、武器などの遺物で女王卑弥呼登場の背景などを考える展示で、
同遺跡が中核を担う「九州説」への関心を刺激する。

「倭人伝のクニ」「倭人のルーツ」「倭人のくらし」「卑弥呼登場」「親魏倭王」の
5つのテーマ別に展示。
卑弥呼登場ではシャーマンの巫女(みこ)が成長して
巫女王となってクニをまとめる過程を剣や勾玉、鏡類などを通して考える。
弥生時代の男性の頭髪など初公開の遺物のほか、
魏志倭人伝の記述を参考に「親魏倭王」の金印や魏皇帝の詔書の復元展示もある。

邪馬台国をめぐっては、国立歴史民俗博物館が5月、
奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の築造時期が
卑弥呼が死亡したとされる時期と一致したという調査結果を発表するなど動きがある。
企画展を監修した高島忠平・佐賀女子短大学長は
「九州説への関心を高めるために思い切って今回のテーマした」と話す。

◎佐賀新聞 2009年10月22日
  http://www.saga-s.co.jp/...

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鳥取・妻木晩田遺跡 大型竪穴住居を確認

大山町の妻木晩田遺跡松尾頭地区北東側丘陵(約2350平方メートル)での今年度調査で、
弥生時代終末期の大型竪穴住居跡2棟などが出土した。
最も大きなものは約55平方メートルあり、
同遺跡の中では妻木山地区の大型住居跡(58平方メートル)に次ぐ規模と確認された。

県教委事務局妻木晩田遺跡事務所によると、松尾頭地区は95年度の一次調査で、
大型の住居跡群や24本もの柱を使った建物跡などが見つかっており、
ムラのリーダーの居住区と考えられてきた。
集落の様子を明らかにするため、05年度から発掘調査が続けられてきた。

同事務所は「松尾頭地区では、ムラが最も栄えた弥生後期後葉から終末期にかけて、
大型竪穴住居跡が場所を移しながら継続的に存在していたことがわかった。
同地区にあるくぼ地は竪穴住居跡の可能性が高い」としている。

妻木晩田遺跡は2千~1700年ほど前に栄えた、
150ヘクタールを超える国内最大級の弥生集落跡。
県教委による00年からの発掘調査で、約900棟の住居や建物跡、
四隅突出型墳丘墓など30基を超える墳墓などが確認されている。

今月4日に催された説明会には、約60人の考古学ファンらが参加した。
米子下町観光ボランティアガイドの高橋竫夫さん(74)は
「松尾頭地区では大型の掘立柱建物跡や住居跡がいくつも見つかっており、
まだまだ謎が多い。今回の説明会の話などもガイドの仕事に役立てていきたい」と話した。

◎朝日新聞 2009年10月20日
  http://mytown.asahi.com/...

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初秋白馬 002

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福島・桜町遺跡 3種類の周溝墓を発見

福島県教委は14日、湯川村の桜町遺跡の発掘調査で、
形状の異なる3種類の周溝墓(しゅうこうぼ)を発見したと発表した。
弥生時代後期(2~3世紀)の遺跡から
複数の形状の異なる周溝墓が見つかる例は国内でも少ないという。

周溝墓は古墳よりも規模が小さく、溝に囲われた墓の呼び名。
本年度は約1万2000平方メートルを対象に発掘が行われ、
弥生時代の竪穴住居跡3カ所と周溝墓12基などを発見した。

第1次調査(2004年度)では周溝墓7基すべてが四辺のある「方形」だったが、
今回は「前方後方形」や「前方後円形」も見つかった。
周溝墓の変遷を考える上で貴重な資料になるという。

弥生後期の井戸跡や貯蔵施設の土坑から、
くわの先端部やすきなどの木製農耕具も出土。
東北では中在家南遺跡(仙台市若林区)で
弥生中期の木製農耕具が見つかっているが、
後期のものは珍しいという。

発掘調査は、国が進める会津縦貫北道路建設に伴う
埋蔵文化財の記録保存が目的。

◎河北新報 2009年10月15日
  http://www.kahoku.co.jp/...

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古墳研究の第一人 近藤義郎さん死去

前方後円墳や埴輪(はにわ)の出現研究で知られる
岡山大名誉教授の近藤義郎(こんどう・よしろう)さん=考古学=が、
今年4月5日に亡くなっていたことが13日、わかった。84歳だった。
故人の遺志で未公表とし、近親者で密葬を済ませた。
自宅は岡山市中区米田24の18。

1925年、栃木県足利市生まれ。
49年、京都大文学部史学科卒、50年、岡山大(当時は岡山医大)助手。
72年に教授、90年に定年退官した。

76~89年の弥生時代最大級の楯築墳丘墓(岡山県倉敷市)調査など、
吉備地方の弥生墳丘墓や初期の前方後円墳を発掘。
出土する祭祀(さいし)用の土器である特殊壺(つぼ)・特殊器台が、
大和の最古級の前方後円墳にもある点を指摘。
前方後円墳発生に吉備地方がかかわったとした。

89年に三角縁神獣鏡が出土した権現山51号墳(兵庫県たつの市)の発掘では
調査団長を務めた。67年に「日本の考古学」で毎日出版文化賞受賞。

◎毎日新聞 2009年10月13日
  http://mainichi.jp/...

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滋賀・滋賀里遺跡土器や勾玉の模造品が出土

津市滋賀里周辺にある縄文時代から古墳時代の遺跡「滋賀里遺跡」の調査で、
祭祀(さいし)に使われたと考えられる
古墳時代前-中期の土器や勾玉(まがたま)の模造品などが出土した。
発掘した市教育委員会が8日発表した。

調査地点は同市見世の宅地造成予定地。
調査で東西に流れる幅16・5メートルの川跡が確認され、
川の南岸周辺から祭祀関連の遺物が出土した。
川岸は直径50センチほどの石を並べて護岸されており、
ここが祭祀の場と考えられる。

発掘されたのは滑石(かっせき)と呼ばれる石で作った
勾玉や鏡、剣の模造品、底が球形になった小型丸底壺(直径10センチ)や
赤彩を施された土器のわん(直径5センチ)など。

古墳時代前-中期(4~5世紀)のもので、祭祀に使われた道具とみられる。

つなげてアクセサリーにした直径5ミリほどの
臼玉、管玉(くだたま)、石剣なども発見されている。

ほかにも、弥生時代、縄文時代の出土品として石のやじりや土器などが出土。
弥生時代の土器は近江だけでなく東海、北陸地方の土器に
特徴的な形状のものが発見されており、当時からの活発な交流がうかがわれる。

これまでの調査で、今回発掘した地点の北側に集落が確認され、
大津市教委では「集落の南端を流れる川べりで、
何かの祭りをしていたのではないか」と分析している。

◎中日新聞 2009年10月8日
  http://www.chunichi.co.jp/...

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神奈川・真田 北金目遺跡群 大型の周溝墓を発見

真田・北金目地区の区画整理事業に伴い、
平成7年から調査が進められている真田・北金目遺跡群の1つ、
北金目塚越遺跡内で、新たに大型の方形周溝墓が発見された。
隣接する塚越古墳よりも100年ほど古い築造とみられ、
今後の調査によって両者の関係性が明らかになりそうだ。

周溝墓は塚越古墳西側の隣接地で見つかった。
約1700年前の弥生時代から古墳時代前期にかけて造られたと推測され、
溝の深さは約1.8m、周溝の長さは約30mに及ぶ。

周溝墓は、塚越古墳と同様に南側で溝が途切れる部分があることに加え、
形状や傾き、大きさなどの類似点も多いことから、
市教委は2つの墓の関係性を指摘している。

塚越古墳は、今回見つかった周溝墓よりも100年ほど新しい
約1600年前の築造とされている。
墳丘の形状から長らく前方後円墳と認識されてきたが、
平成19年に市教委が行った確認調査の結果、
四角と四角の墳丘を組み合わせた形状の前方後方墳であることがわかっている。

2つの墓の南側では、古墳を中心とした
公園整備に伴う調査が今年7月から開始されている。
現在、竪穴住居址と思われる痕跡や
中世末から現代に至るまでの道路跡なども確認されており、
今後の調査によって当時の土地利用の様子などが明らかになると考えられている。

◎タウンニュース 2009年10月8日
  http://www.townnews.co.jp/...

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2009.10.28

初秋白馬 001

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2009.10.27

火星のNereus Crater

径10mほどの小さなNereus Crater、撮影はおなじみのオポチュニティ号。

© Mars Exploration Rover Mission, JPL, NASA; Image Processing: Kenneth Kremer

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イースター島の夜空

© Stéphane Guisard (Los Cielos de Chile), TWAN

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ごてんば線まつり (1)

10月11日(日)にJR御殿場線御殿場駅で開催された
御殿場駅開業120周年記念「第5回 2009ごてんば線まつり」の様子を
数回に分けて写真でご紹介。

今回は、御殿場駅前広場の「屋台村コーナー」の様子を。

静岡県名物の大先輩である「みかん」と新入(?)の「富士宮やきそば」が並びます。

外国人の姿も。
富士山への玄関口・御殿場駅らしい光景の1つです。

メディアでも話題の「アメリカンドッ君」のコーナー。
風船が子供たちに大人気。

隣の小山町に関係の深い2人がデザインやテーマソングを担当。

実は「アメリカンドッ君」は、
御殿場市の東名高速道路駒門PA(上り)が誕生の地。
誕生から30年と歴史も長いご当地アメリカンドッグです。

案内ページ(1)
http://www.c-exis.co.jp/...

案内ページ(2)
http://americandokkun.com/

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わたらせ渓谷鐵道の沿線ガイドマップ

拡大版

拡大版

桐生駅の改札で手にしたマップ。
おかげで、車窓からの光景も十分に堪能できました。^^

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わたらせ渓谷鐵道 タブレットクッキー

美味しいクッキーでした。
沿線散策やハイキングのお供、お土産にオススメです。
(トロッコ列車内の車内販売でも購入することができました)

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NPO法人「はたおと」による製造・販売。

「タブレット」とは車同士を衝突させないために使用していた、
通行手形みたいなものです。
直径 10cm・厚さ約 1cm の真鍮製の円板で、
このタブレットと同じ大きさ形に焼き上げたのがタブレットクッキーです。

タブレットクッキーの売上は障害者施設の運営資金に当てられるほか、
1枚につき40円が枕木購入資金として
わたらせ渓谷鐵道に寄付され、
100枚で枕木を1本購入することができます。
クッキーについている応募券を100点分集めて応募すると、
枕木にあなたの名前の入ったプレートが取り付けられます。

【案内PDF】

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2009.10.21

今日の船土線 / 富山ライトレールTLR0600形

TLR0600形電車は富山ライトレール富山港線の
路面電車車両(LRV:Light Rail Vehicle)。
2007年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞車。
同社開業の2006年(平成18年)4月29日より営業運転を開始した。

新潟トランシスで製造された2車体連節低床式路面電車(LRV)で、
開業に合わせて7編成が導入された。
もともとドイツの車両製造メーカーアドトランツ
(後にボンバルディア・トランスポーテーションに吸収)の技術を
ライセンス導入したもので、同様の車両に熊本市交通局9700形電車、
岡山電気軌道9200形電車、万葉線MLRV1000形電車がある。

特に隣接市で走るMLRV1000形とは前面以外はほとんど同じような設計で、
同社の運用面でのさまざまな事象が参考にされている。

車体は白色を基調としているが、ドアの周囲などに編成ごとに異なる
アクセントカラー(虹にちなんだ七色:赤・オレンジ・黄・黄緑・緑・青・紫)が施されている。
2006年3月23日に第一陣としてアクセントカラーが
赤の編成(形式:TLR0601A&B)が搬入され、30日に最後の搬入が行われた。

形式名の「TLR」とは「Toyama Light Rail」の頭文字。
右1桁目の数字に前記のカラーの順に1から7までが割り当てられている。
末尾アルファベットAの車両が岩瀬浜駅方でパンタグラフを備えており、
Bが富山駅北駅方である。

愛称は、2005年に一般公募で付けられた「ポートラム(PORTRAM)」。
由来は富山港線の「港」の英訳「ポート(port)」に、
路面電車を表す「トラム(tram)」を組み合わせたもの。

7編成それぞれに富山県立富山北部高等学校の情報デザイン科生徒によりデザインされた、
ネコと電車をモチーフとするマスコットキャラクター「とれねこ」が用意されている
(開業記念時には先頭車両ガラス部分に、
それぞれのマスコットキャラクターのシールが貼られていた。
また乗車人数100万人達成時にも同様のシールが貼られている)。

ラッシュ時も含め常時7編成が使われているわけではなく、ローテーションで利用されている。
これは当初ラッシュ時以外の予備も含めて6編成を新造する予定であったが、
営業企画の段階で「7にすることにより、虹の色の数、七福神の数とそろえられ、
アピール度が高まる」とのことから、7編成導入されたため。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「TLR0600」
  http://www.google.co.jp/...

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須賀(須我)の地、新羅の地、造船 <古事記・日本書紀>

【Podcasting】

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古事記物語 / 著・鈴木三重吉

 命はそれから、櫛名田媛(くしなだひめ)とお二人で、そのまま出雲(いずも)の国にお住まいになるおつもりで、御殿(ごてん)をおたてになるところを、そちこちと、探(さが)してお歩きになりました。そして、しまいに、須加(すが)というところまでおいでになると、

「ああ、ここへ来たら、心持がせいせいしてきた。これはよいところだ」とおっしゃって、そこへ御殿をおたてになりました。そして、足名椎神(あしなずちのかみ)をそのお宮の役人の頭(かしら)になさいました。

青空文庫より

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【須我神社(すがじんじゃ)=日本初之宮(にほんはつのみや)】

・すがすがしい気分になったので、“すが”と名づけた。

▼Wikipediaより
『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、
妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、
当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀(須我)」と命名し、
そこに宮殿を建てて鎮まった。
これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、
この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、
「和歌発祥の地」とされている。
この宮殿がそのまま神社になったものと伝える。

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【日本最古の歌(和歌)】

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

(やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを)

▼学研「古事記」より
新しい館はむら雲の立ち昇るところ。
その美しさをことほいでスサノオは喜びの歌を詠んだ。
立派な垣根をめぐらした館の奥に美しい妻を隠して
人目に触れさせず、むつまじく暮らしていこう、という意気込みである。

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【八重垣神社(やえがきじんじゃ)】

拝殿

拝殿

本殿

境内にて

境内にて


▼安本美典著「邪馬台国と出雲神話」より
天保3年(1683年)に成立した「出雲風土記鈔(いずものくにふどきしょう)」の、
・・・海潮(うしお)の須我社の説明につぎのようにある。
「須佐の男の命が、大蛇退治のあと、須我社の地に宮をつくり、
稲田姫をめとって、須我湯山主(すがゆやまぬし)の命
(大己貴[おおなむち]の命の別名)が生まれた。そこで、この三神をこの里に
あわせ祭った。のちに、東北四里(約16km)ばかりはなれた・・・佐草村に
遷したのが、今の八重垣社である。」
・・・現在の八重垣神社の地には、もともと「延喜式」に記されている
「佐久佐神社」が存在し、そこに八重垣神社がうつってきたので、
それまでの佐久佐神社は、八重垣神社の境内社となった。

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【日本最古の神社壁画(八重垣神社)】

・須佐之男命(すさのおのみこと)と櫛名田媛(くしなだひめ)など6神像を描いたもの
・社伝では893年に平安時代前期の宮廷画家である
 巨勢金岡(こせのかなおか)が描いたとある。
・描かれている板壁を年輪年代測定法で調査した結果、
 13世紀に伐採された杉を使用していることが明らかになっている。
 →同時期に描かれたとの説あり。

◎Google検索「八重垣神社 壁画」
  http://images.google.com/...

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【須佐之男命-新羅-出雲-蘇我氏】

・出雲の前に新羅に居たという記述あり。

▼日本書紀より
一書曰 素戔嗚尊所行無状 故諸神 科以千座置戸 而遂逐之 是時 素戔嗚尊 帥其子五十猛神 降到於新羅國 居曾尸茂梨之處 乃興言曰 此地吾不欲居 遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯 時彼處有呑人大蛇

▼Wikipediaより
五十猛神(イソタケル)は、日本神話に登場する神。「イタケル」とも読まれる。
素戔嗚尊(スサノオ)の子。
天を追放された素戔嗚尊とともに新羅曽尸茂梨(そしもり)に天降り、
スサノオがこの地吾居ること欲さずと言ったので、
一緒に埴土船で渡って出雲斐伊川上の鳥上峯に至ったとある。
五十猛神が天降る際に多くの樹木の種を持っていたが、
新羅には植えずに全てを持ってきて、
九州からはじめて大八洲国に植えたので、青山に被われる国となったという。

▼司馬遼太郎「この国のはじまりについて」より
<対談:日本史学者・林屋辰三郎(はやしやたつさぶろう)氏>
出雲というのは、むしろ海洋-朝鮮との関係から考えてみるほうが、
当時古代においてもふさわしいのではないかと思うのです。・・・
・・・朝鮮は『古事記』にいう根(ね)の国だというのです。・・・
・・・須佐之男は・・、根の国に追放されることになります。
これに対して、別に素戔嗚尊は朝鮮に天降りしたという伝承もでてくるのです。・・・
・・・根の国のルーツ(根)は朝鮮だということを、かなりいろいろな
伝承で説明できるようですね。・・・
・・・だから根の国への道というひとつの特別な道のイメージを、
出雲に持っていたのだろうと考えるのですよ。・・・
・・・出雲というのはかなり大事な国であったし、
根の国という発想をしたということは、大和朝廷の側からは、
朝鮮が日本の文化の原点であるという認識が、
早くからあったのではないでしょうか。

▼黒岩重吾(くろいわじゅうご)「古代史の真相」より
数々の神話中、どの部分が忠実として考えられるかといえば、
まず素戔嗚の出自(しゅつじ)が『日本書紀』に「一説によれば」の断わりつきで
新羅になっていること。・・・
・・・荒ぶる国とされていた新羅から、荒ぶる神の素戔嗚がやって来たという
伝承は、新羅と出雲の地理的関係を念頭におけば、一層現実的な色合いをおびる。
が、素戔嗚が新羅に降りて出雲に来たのか、つまり新羅系の渡来人が出雲に
現れ支配者になったのかといえば、これは疑わしいですね。・・・
・・・つぎに、出雲を論ずる場合に欠かすことのできないのが
四隅突出型方墳です。・・・
・・・具体的にいえば358本の銅剣が出土した荒神谷遺跡から数キロ離れた
西谷古墳群、鳥取県倉吉の阿弥大寺遺跡(あみだいじいせき)、富山県の杉谷古墳群、
素戔嗚が天降ったという伝承の残る島根と広島の県境の山中にある安芸の
可愛(えの)[可愛川]などに見られます。・・・
・・・高句麗や新羅の墓は四隅突出型方墳とはいえないまでも
それに似た特徴をもっており、この特異な墓を出雲で造った人たちの中に、
渡来系の人もかなり交じっていたのではないか。
いずれにしろ、朝鮮半島の影響をうけた可能性は濃厚です。

▼「古代史と日本神話」 金井清一“造船説話とスサノヲノ命”より
日本書紀神代紀(じんだいき)第8段は、
八岐大蛇退治を中心としたスサノヲノ命関係の段落である。
その第五の一書(いっしょ)に、スサノヲが「韓国(からくに)には金銀がある。
しかしわが子孫の支配する国に浮宝(うくたから)[船]がないのは良くない」
と言って、ひげや胸毛を抜いて、杉、檜となし、これを以て浮宝とせよ。と命じた
という神話がある。
この神話はスサノヲが他の木材の用途をも定め、その子神(ししん)らも
木種をよく分布させた。
そして紀伊国に移り住んだとも述べているが、今、その辺のことは採りあげない。
注目したいのは、スサノヲが造船用の木材生成の神となっていること、
また元来韓国(からくに)にいた神であると神話が語っていることである。
後者については第四の一書には、
初め子神をを率いて新羅国に降った(くだった)のだとある。
そして子神と共に出雲国に渡ってたのであるが、
子神五十猛命(いたけるのみこと)が天から持ち来たった木種は
韓地には殖えず(ふえず)、すべて大八州国(おおやしまこく)に
播殖(はしょく)させたのだと記している。
こちらには造船の件はなく木材のことだけが書かれている。
しかし両書によってスサノヲ及びの子神が船材を含む木材生成の
祖神(そしん)と崇(あが)められていたという信仰的事実の存在したことが分かる。

▼関裕二「神武東征の謎~出雲神話の裏に隠された真相」より
蘇我氏と出雲を結びつけるのは、まず第一に「方墳」である。
7世紀、蘇我氏はどういう理由からか、好んで方墳を造営した。
しかも、他の豪族の方墳造営は、けっして許さなかった。
この蘇我氏の「特権」が唯一許されたのは、出雲国造家(こくそうけ)である。・・・
・・・出雲大社本殿の真裏には、素戔嗚尊を祀る社があって、
「素鵞社(そがしゃ)」と呼ばれている。
なぜ出雲の祖神(おやがみ)を祀る神社の名が「ソガ」なのだろう。・・・
・・・「スガ」が音韻変化して「ソガ」になったのだろう。・・・

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◎Google検索「古事記」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「日本書紀」
  http://www.google.com/...

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【古事記・日本書紀 Podcasting】
(1)概要紹介
(2)天地開闢・国産み・黄泉の国
(3)黄泉の国・天照大神の誕生
(4)天の岩屋
(5)八岐大蛇
(6)スサノオノミコトと牛頭天王、蘇民将来
(7)因幡の白兎 八上媛
(8)根堅州国 須勢理媛
(9)大国主神の国づくり

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歴史ラジオ

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コスモス 014

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Another Side feat.Tunng

■□□ feat.Tunng

Tunng

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2009.10.20

江ノ電で見れる絵

ジュジュ・タケシさん作

ジュジュ・タケシさん作

かおかおパンダさん作

かおかおパンダさん作

かおかおパンダさん作

かおかおパンダさん作

八咲潮さん作

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ゴミ箱の上に

木彫りドーン!

わたらせ渓谷鉄道 大間々駅にて

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籠原駅の表現物

窓口上に

絵画が飾られています。

精算機の上には、絵画と言葉。

この言葉、心に刻みました。^^

盆栽や鉢も飾られています。

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熊谷市の介護予防事業「健康いきいきサポーター」の皆さんによる活動。

http://www.city.kumagaya.lg.jp/...

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えの田

江ノ島駅にあります。
はいそこ、「コテコテ」言わない!(笑)

鎌倉駅にある「地ぱんショップ」の玄米パンには
古代米(会津産黒米)が使われているそうです。
えの田のものかは??ですが。

◎地ぱんショップ
  http://www.enoden-net.com/...

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変わったKIOSK

JR東海道線藤沢駅のKIOSK店舗。
(内部が売り場)

◎JR東日本のラッピングKIOSK
  http://www.j-retail.co.jp/...

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駅のホームで無線LANのサービス

京浜急行新逗子駅にて

◎京急線全駅で公衆無線LANサービス
  http://www.keikyu.co.jp/...

◎無線LANが利用できる鉄道路線例
  http://wifine.jp/area/

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2009.10.16

コスモス 013

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コスモス 012

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商家

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3×2+茶ライン

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空店舗

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商店

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賃貸物件

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朝日画廊

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ナカジマ

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今日の船土線 / 富士急行5700形

元は1954年から1959年にかけて製造された
小田急2200形・2220形・2300形・2320形である。
形式名は、「昭和57年導入開始」ということでモハ5700形となった。

1982年から1984年にかけて、3次にわたり転入した。
1次車は元2200形・2300形、2次車は元2320形、3次車は元2220形である。
入線に際しての改造は、小田急時代のATSと列車無線の撤去、
スノーブロウの取り付け、客用ドアへの冬期対策などである。

この車両の導入により、吊りかけ駆動車は
事業用のモハ3600形を残して、すべて置き換えられた。

1984年に、1次車の台車と主電動機が交換され
(台車:FS203→FS316、駆動方式:直角カルダン→WN平行カルダン)、
性能面での統一が図られた。

しかし非冷房の上老朽化が目立つことから、
1000形(元京王5000系)の導入と引き換えに、
1993年から1997年にかけて全車廃車になった。

最終廃車は5711F(元2320形)と5717F(元2220形)であった。

同時期に引退した3100形と共に会社が車両の引き取り先を新聞で公募したため、
3両が保存車両として残っている。
モハ5707・モハ5708は笛吹市に、モハ5716は甲斐市に静態保存されている。

営団2000形電車の銚子電気鉄道デハ1000形への改造に際し、
本形式の台車とパンタグラフの廃車発生品が流用された。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「富士急行 5700」
  http://www.google.co.jp/...

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コスモス 011

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2009.10.14

国内最古のカフェ建築?

朝日新聞より

http://www.asahi.com/...

地ビールでも有名な箕面とツナガリがあったとは・・。

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荒川線の日2009(5) 車庫見学会の様子

手作り看板

普段は見ることのできない都電の車庫内を開放

様々な部品の展示

7000形

パンタグラフ

7500形でトラサーバ実演

6000形?^^

レールベンダー(レールを曲げる装置)の説明

踏切コーナー

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今日の船土線 / 70系

国鉄70系電車とは、日本国有鉄道で使用された旧形近郊形電車形式群の総称である。
戦前に製造された51系をベースに、横須賀線や京阪神緩行線、中央東線など、
通勤路線用と中距離路線用としての性格を併せ持った路線で使うために
3扉セミクロスシート車として開発され、1951年から1958年にかけて、
中間電動車モハ70形及び低屋根構造で歯車比の異なるモハ71形、制御車クハ76形、
2等車のサロ46形(のちにサロ75形に改番)の各形式、
合計282両が製造(モハ71形の一部は、木造車の鋼体化改造名義)された。

70系が登場したのは80系2次車の登場後だったため、
80系同様、前面2枚窓の湘南フェイスで登場した。
車体及び座席は、70系が51系をベースに製造されたことから
3扉セミクロスシートとなっているが、2等車(のちの1等車・グリーン車)は
2扉クロスシートで製造された。
また、湘南電車に比べて比較的乗車距離の短い横須賀線向けに製造されたことから、
湘南電車80系のサロ85形とは異なり、70系の2等車は、デッキと客室との仕切なしで登場した。

70系は、基本的に同系列車のみで編成を組成することを前提とした80系とは異なり、
長編成での使用を想定していなかったことや、
横須賀線では32系・42系と、京阪神緩行線では51系と、
中央東線では72系との混結編成が、それぞれ見られた。
他系列と混結されることが前提であったことから、
編成上の車両数を充足していた3等付随車は製造されなかった。
初期には、床や屋根が木造の半鋼製車であったが、
1954年度には屋根を鋼製化、更に1957年度製造の最終グループは全金属化され、
300番台を付番された。
この他にも、モハ71001は国電初の全金属車として有名である。

前面スタイルの特徴が80系に似ているが、メカニズム面では72系に近い。

保存車両は存在しない。

(Wikipediaより)

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東京総合車両センターにて

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◎Google検索「70系」
  http://www.google.co.jp/...

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コスモス 010

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2009.10.08

コスモス 009

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実は同じ色

AとB、同じ色です。search

人間による偏った錯視は世の中には沢山あります。

ということは、○と○は全く違う・・と思っていても
実は同じなのかもしれません。
そして、その逆も。

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コスモス 008

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2009.10.05

荒川線の日2009(4) 撮影会の様子

9000形

8800形

車庫からの登場時には、車両の近くへ行くことができ

しばらくすると、

撮影者向けに離れた場所からのみの見学会となりました。

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2009.10.04

コスモス 007

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総武流山電鉄 2000系 3000系

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号(元西武801系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号(元西武801系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号(元西武801系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号と明星号 / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・明星号(元西武701系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・明星号(元西武701系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・青空号(元西武801系)

千葉県・馬橋駅にて平成19年11月に撮影
※3000系・若葉号(元西武101系)

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※3000系・流星号(元西武101系)

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※3000系・流星号(元西武101系)

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車両は1994年以降全車が西武鉄道からの譲渡車で統一され、
4編成10両の車両(2009年6月現在)が使用されている。
各編成ごとに異なる独特の塗装が施され、
塗色に応じた愛称が付けられている。
「青空」「なの花」は2両編成で、それ以外は3両編成である。
2両編成車はワンマン運転開始に伴い
行先表示器が幕式から四角系の枠2個のみで
行先を表示するLED式に交換されている他、
ドア開閉チャイムと案内放送、
自動の車内アナウンス装置が取り付けられている。

(Wikipediaより)

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走行音

2000系・なの花号(元西武701系)

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◎Google検索「流山電鉄」
  http://www.google.co.jp/...

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ビール帖 010

湘南ビール オクトーバーフェストにて

会場入口

湘南ヴァイス

湘南ビター

湘南リーベ

湘南ルビー

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サンクトガーレン ブルワリー開放デーにて

湘南ゴールド

el Diablo 2006

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クラフトビアバーにて

富士桜高原麦酒 森のヴァイツェン(限定4号、スモークヴァイツェン)

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ビール帖 009

サンクトガーレン el Diablo 2007

冬物語

秋味

サンクトガーレン YOKOHAMA XPA

コロナ

ロングボード

ヒューガルデン ホワイト

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コスモス 006

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2009.10.02

荒川線の日2009(3) 販売エリアの様子

都電グッズ 販売コーナー

沿線商店街 販売コーナー

竹隆庵岡埜 さん 「荒川線の日」1日限定和菓子

ムーンハート さん ほのぼの都電サブレ

竹隆庵岡埜 さん ゆうゆう都電

リカーショップふじもり さん 都電の街地ビール

リカーショップふじもり さん 都電の街地ビールは素敵な紙袋付

荒川区観光コーナー

荒川区観光コーナー 配布パンフレット

都立農産高等学校 販売コーナー

都立農産高等学校 販売コーナー

のぞみ会 さん ボール紙都電コーナー

のぞみ会 さん ボール紙都電コーナー

荒川線レトロ車両キューピー販売

阪堺・南海 販売コーナー

南海 ラピートくん

東京タワー ノッポン弟くん

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コスモス 005

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奈良・京奈和道予定地 県内最古の級の水田跡

御所市玉手の京奈和自動車道予定地で、県内最古級となる
弥生時代前期(約2500年前)から後期(約1900年前)までの
水田跡が見つかった。同市教委が1日、発表した。
水田跡はあぜで細かく区切られ、同中期(約2200年前)になると
区画が大きくなるなど、約700~800年間の弥生時代を通しての
水田の変遷を示す貴重な遺跡とわかった。

自動車道建設に伴い約6800平方メートルを発掘。
水田跡は洪水で運ばれた砂で4層にわたりパックされた状態で見つかり、
弥生前、中、後期の各時期の水田が確認できた。

前期は長辺約3・5~5・5メートル、短辺約1・5メートルの長方形で、
農作業の人の足跡も検出した。
中期は長辺が3~10メートルと区画がやや大きくなる。
後期は長辺が4~8メートルで面積は同程度だが、水路に沿って規則正しく造られ、
水路には護岸のためのくいも打たれていた。
こうした変化は稲作の本格化によるものとみられる。

日本で最古の水田跡は縄文時代晩期末(約2800年前)の
福岡市・板付遺跡や佐賀県唐津市・菜畑遺跡で見つかっているが、
県内では弥生前期の川西町・萩之本遺跡が最古級とされていた。

一方、弥生前期の水田の下層からは、
土器棺を穴に埋めた縄文時代晩期末の土器棺墓が1基、出土した。
今年7月に玉手地区の北東に隣接した観音寺本馬(ほん・ま)遺跡から、
晩期中ごろ(約3千年前)の土器棺墓が
県立橿原考古学研究所の発掘で出土している。

玉手地区は観音寺本馬遺跡と一体の遺跡で、
縄文晩期から集落を構成し、弥生前期に稲作が導入されたとみられる。

弥生時代の上層からも古墳時代前期(約1700年前)の
建物跡や土器が出土しており、市教委は
「縄文晩期から古墳前期までの約1300年間の遺構が
重層的に確認できる貴重な遺跡」としている。

◎朝日新聞 2009年10月2日
  http://mytown.asahi.com/...

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大阪・津堂城山古墳 大王級古墳100年ぶり発掘

大王墓級の墳長208メートルを誇る前方後円墳、
大阪府藤井寺市の津堂城山(つどうしろやま)古墳(4世紀後半)の墳丘で、
こぶし大の石を敷き詰めた「葺(ふ)き石」が良好な状態で確認されたと
同市教委が1日、発表した。
古墳は陵墓参考地と国史跡に二重指定されており、
墳丘本体の発掘は約100年ぶり。
研究者は「なぞに包まれた巨大古墳を解明するうえで貴重な資料。
陵墓調査・公開への前進にもつながる」と注目している。

陵墓や陵墓参考地を含む古墳本体が、
宮内庁以外によって調査されるのは極めてまれ。
今回、後円部墳頂の陵墓参考地部分を囲むフェンスの基礎部が土砂崩れで露出し、
石棺のある竪穴式石槨(せっかく)(石囲い)が崩壊する恐れがあるため、
復旧工事を前に市教委が墳丘すそ部までの
長さ50メートル、幅2メートルを発掘調査した。

その結果、河原石をびっしりと敷いた1段目斜面(長さ9メートル)の葺き石が出土。
続く長さ6メートルの平面に並ぶ埴輪(はにわ)3基や、
2段目斜面(長さ6メートル)の葺き石も確認された。
市教委は「初期の大王墓墳丘が
どんな規格で築造されたかを推定できるデータが得られた。
墳丘上部はえぐられているが、1、2段目の形などからみて、
これまで3段とされてきた墳丘が4段だった可能性もある」としている。

津堂城山古墳は、大阪平野に群集する大型古墳の中で最も早く築造されたとされる。
室町時代、山城に利用されて墳丘の形が大きく崩れ、
王権の象徴とされる巨大な前方後円墳でありながら、
明治初期の陵墓治定から外された。
1912年に後円部の墳頂が掘り起こされ、
国内最大級の長持(ながもち)形石棺が出土している。

白石太一郎・同府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は
「200メートル超の大王墓級の古墳本体に発掘の手が入った意義は大きい。
他の陵墓発掘に宮内庁がどう対応するのか注目したい」と話す。

奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭・総括研究員は
「画期的な調査。宮内庁と文化財行政側は立場が違うが、
しっかり保存したいという目的は同じはず。
宮内庁と地元行政が互いに活用できる調査データを
共有する関係を築くきっかけになれば」と期待を込める。

◎朝日新聞 2009年10月1日
  http://www.asahi.com/...

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山形・南陽・百刈田遺跡 弦楽器を発掘

南陽市島貫の百刈田(ひゃくがりだ)遺跡から出土した木製品は、
約1600年前の古墳時代の弦楽器=筑形(ちくがた)木製品=だったことが、
30日までの県埋蔵文化財センターの調査で分かった。
近畿・東海での確認例はあるが、東北では初めて。
近くに国指定史跡の稲荷森(いなりもり)古墳があり、
首長が関係する儀式や祭りで演奏された可能性が高いとみられる。

百刈田遺跡の発掘調査は、国道113号赤湯バイパス改良事業に伴い、
2002年度から5年間実施した。
弦楽器の一部は、06年度の調査で容器や弓などの木製品とともに
河川跡から出土。
通常、木製品は腐敗して残らないが「粘土層で酸素がなく、
真空パック状態だったのが奏功した」(同センター)という。

出土品を整理していた同センターの高桑弘美主任調査研究員は昨年夏、
その一つが一般の農具などと異なる「洗練さ」を持っていると感じた。
中国古代の楽器「筑」に似たこの弦楽器は一方に櫛歯状の突起があり、
片面がえぐられているのが特徴。
「突起のほか、片面が滑らかにえぐられていた。
驚きで体が震えた」と振り返る。

ことし8月、首都大学東京の山田昌久教授などが鑑定し、
約1600年前の弦楽器と確認された。
スギ製の弦楽器はほぼ半分が欠損しており、
長さ約55センチ、最大幅約5センチ、最大厚約2センチ。
全国では21例目の確認となった。

同センターの安部実整理課長は「遺跡から東方約1.2キロに稲荷森古墳があり、
建造時期がほぼ一致する。
(弦楽器は)首長の権力と深くかかわる祭儀で演奏されたのではないか」と推測。
高桑研究員は「通常の土器などとは異なり、
当時の地域のイメージが変わる貴重な資料」と話している。
本年度内に発掘調査報告書を刊行する方針だ。

◎山形新聞 2009年10月1日
  http://yamagata-np.jp/...

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香川・船岡山古墳は前方後円墳

古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀前半)に造られた
船岡山古墳(高松市香川町)が、
前方後円墳だったことが高松市教委などの調査でわかった。
古墳の中に2列の石積みが新たに見つかり、
二つの古墳だったことが判明。
また、畿内などと同じ特徴を持つ埴輪(はにわ)も出土したことから、
市教委は「畿内とつながりを持つ有力豪族の墓」と推定。

市教委によると、同古墳はこれまで、左右に方形の突出部を持つ
双方中円墳と考えられていた。
しかし、昨年8月から徳島文理大と実施した調査の結果、
片方の突出部は別の古墳で、円墳と反対側の突出部を含めると
全長約45メートルの前方後円墳と確認されたという。

さらに、前方後円墳は直径30~50センチの石を積み上げて築かれ、
県内や徳島県の一部で見られる「積石(つみいし)塚」で、
石のすき間に詰められた土などから、
表面を土で覆う珍しい構造だったことも判明した。
もう一つの古墳は、今回は調査しなかったため、
形状や規模はまだわからないという。

また、出土した円筒埴輪の破片には、
畿内や岡山で見つかっている埴輪と同様に、
まが玉に似た形の透かし穴が開けられ、
その周囲には複雑な線状の文様が刻まれていた。

同古墳の北約6キロの石清尾山古墳群(同市峰山町など)からは、
畿内などと結びつく遺物は出ておらず、
市教委は「ほぼ同時期に、異なる文化を持つ複数の勢力が
同じ地域に存在していたのは間違いない」としている。

◎読売新聞 2009年9月27日
  http://www.yomiuri.co.jp/...

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福島・桜町遺跡 井戸跡を発見

弥生時代後期(2〜3世紀)の方形周溝墓などが見つかっている
湯川村の桜町遺跡で、新たに
井戸跡や木製の鍬(くわ)先、はしごの一部などが見つかった。
専門家によると、井戸跡は全国的に出土例が少ない上に
古墳時代中期(4世紀後半〜5世紀)以降のものが多く、
弥生時代後期ごろの井戸跡の発見は珍しい。
鍬先とはしごは県内初の出土例とみられる。
稲作農耕を行っていた会津地方の集落の生活様式や
社会構造を推測する上で貴重な資料になりそうだ。
遺跡は会津縦貫北道路の建設に伴い、
県教委の委託を受けて県文化振興事業団が調査を進めている。
井戸跡は遺跡の北端から見つかった。
直径約50cmで、木製の井戸枠の一部があり、
堆積(たいせき)土などから井戸と判明した。
何らかの水利に使われたとみられる。
鍬は長さ約40cm、幅約9cmで井戸の近くで発見された。
材料の木は不明。
中央に柄を通す穴が開いており、水田を耕すのに使ったとみられる。

◎福島放送 2009年9月22日
  http://www.kfb.co.jp/...

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2009.10.01

京急の全ての売店がセブンイレブンに

http://www.business-i.jp/...

今ある京急グッズは置いてくれるのかな?

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東海道新幹線 330キロの試験走行

http://mainichi.jp/...

アメリカに新幹線が走る日はやってくるのか?

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