奈良・桜井茶臼山古墳 正始元年銘鏡 大量の鏡の破片が出土
邪馬台国の所在地論争で脚光を浴びている纒向(まきむく)遺跡に近い
奈良県桜井市の「桜井茶臼山古墳」(3世紀末~4世紀初め)から
大量の鏡の破片が出土し、その石室が、おびただしい数の鏡で
埋め尽くされていたことがわかった。
最新の3次元(3D)計測によって分析された小さな破片が、
邪馬台国と大和王権との関係をはじめ、
古代日本の国家形成を解き明かす手がかりとなった。
「ここまで一致するものか」――。
わずか約2センチ大の銅鏡片に刻まれた「是」の1文字。
昨年7月、鏡の破片の3D計測を担当した県立橿原考古学研究所の
奥山誠義・主任研究員は驚いた。
蟹沢古墳(群馬県高崎市)で見つかった
「正始元年陳是作」という銘文入りの鏡の「是」の文字と、ぴたりと一致したのだ。
同研究所は1996年から銅鏡の精密な計測を始め、
700面以上のデータを蓄積している。
2004年には鏡の一部からでも
同じ元型や鋳型でつくられた鏡を突き止められるようになった。
3か月がかりで破片を照合した結果、81面分を確認することができた。
桜井茶臼山古墳は、3~4世紀の大型前方後円墳が集中する
奈良盆地南東部にある。
邪馬台国畿内説の最有力地とされ、
3世紀で国内最大の建物跡が出土した纒向遺跡が北西に広がる。
中国の史書「魏志倭人伝」は、239年に卑弥呼が魏の皇帝に使いを出し、
翌年に「銅鏡百枚」を賜ったと記す。
福永伸哉・大阪大教授は「『正始元年』の鏡は、
卑弥呼が魏の皇帝から賜った銅鏡の1枚。
この鏡の年号から、大和王権と邪馬台国が
一続きの政治勢力だった可能性がさらに高まった」と指摘する。
正始元年銘鏡は、蟹沢古墳や森尾古墳(兵庫県)、
竹島御家老屋敷古墳(山口県)で見つかっているが、
奈良県内では初めて。
権威の象徴として大和王権が地方の豪族らに与えたとされてきたが、
今回の発見で、大王自身も所持していたとみられることが明らかになった。
鏡の種類が豊富だったことも研究者の注目を集める。
30面以上の鏡が出土した黒塚古墳(奈良県天理市)や
椿井大塚山古墳(京都府木津川市)ではほとんどが三角縁神獣鏡だったが、
今回は全体の3分の1に満たなかった。
岡村秀典・京都大教授は
「本来、多種類の鏡を副葬するのが基準だったのだろう。
小さな古墳は一部の種類だけを取り入れたのでは」とし、
岸本直文・大阪市立大准教授は
「王権が支配を広げるには権力を示す大量の鏡などが必要で、
国内で製造し求心力を得ようとしたことがわかる」と話す。
一方、国内最長の長さ8センチのガラス製管玉などの副葬品も見つかり、
大王の強大な権力をうかがわせる。
大塚初重・明治大名誉教授は
「今回の成果によって、古墳の被葬者の実力差や階級差などを
細かく再検討する材料が得られた」と期待する。
桜井茶臼山古墳で銅鏡が多種、大量に副葬されていたことは、
大王級墓の実態を明らかにし、巨大古墳研究の基準となった。
「正始元年鏡」は邪馬台国が
初期大和王権に発展したことを示すとする専門家も少なくない。
3~4世紀の古代国家の成立を解明するには、
政治や社会、文化を反映した200メートル超の巨大古墳の調査が不可欠。
しかし畿内の33基のうち27基は陵墓で調査が進まず、実態は不明だ。
桜井茶臼山古墳で出土した国内最多の13種81面以上の鏡は、
被葬者の強大な権力をうかがわせ、
その実力や階級を検討する材料となった。
中でも大型の国産鏡の価値が高まった。
これまで地方でしか出土しなかった「正始元年鏡」の発見は、
初期大和王権の地と地方との関連を浮上させ、
邪馬台国の所在地論争にも影響するといえる。
今回の成果が、巨大古墳の調査の重要性を改めてはっきりさせたことは確かで、
研究の深化が求められる。
◎読売新聞 2010年1月8日
http://osaka.yomiuri.co.jp/...
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