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2010.08.06

原爆の日 - 広島

8月6日は、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下された日です。
原爆投下から今年で65年が経過しました。

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広島被爆地

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被爆建物 - 原爆ドーム

◎Google検索「原爆ドーム」
  http://www.google.com/...

◎kizasi検索「原爆ドーム」
  http://kizasi.jp/...

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被爆建物 - 旧広島文理科大学

◎被爆建物 刻まれた記憶 ~ 被爆60年 2005年NHK広島放送局
  http://www.nhk.or.jp/hiroshima/...

◎arch-hiroshima 広島の建築 旧広島文理科大学本館
  http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/...

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被爆建物 - 日本赤十字社広島病院

◎広島赤十字・原爆病院
  http://www.hiroshima-med.jrc.or.jp/

◎hiroshima nisseki hospital - Oct.1945 Hiroshima
  http://www.peace-museum.org/...

◎2bx26 広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑
  http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/...



▼以下、2010年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。

 ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。

 今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。

 核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。

 また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。

 このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。

 こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。

 今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。

 また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。

 私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。

 最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。

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■こども代表 「平和への誓い」

 ぼくの大好きな街、広島。緑いっぱいの美しい街です。65年前の8月6日、午前8時15分。人類史上初めて、原子爆弾が広島に落とされました。

一瞬のうちに奪われた尊い命。変わりはてた家族の姿。原子爆弾は人々が築きあげた歴史や文化をも壊し、広島の街を何もかも真っ黒にしてしまったのです。

 しかし、焼け野原の中で、アオギリやニワウルシの木は、緑の芽を出しました。人々も、街の復興を信じて、希望という種をこの地に蒔きました。傷つきながらも力いっぱい生き、広島の街をよみがえらせてくださった多くの方々に、ぼくたちは深く感謝します。

 今、世界は、深刻な問題を抱えています。紛争や貧困のために笑顔を失った子どもたちもたくさんいます。私たちの身近でも、いじめや暴力など、悲しい出来事が起こっています。これらの問題を解決しない限り、私たちの地球に明るい未来はありません。

 どうしたら争いがなくなるのでしょうか。どうしたらみんなが笑顔になれるのでしょうか。ヒロシマに生きるぼくたちの使命は、過去の悲劇から学んだことを、世界中の人々に伝えていくことです。悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。

 次は、ぼくたちの番です。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います。

 (こども代表)
  広島市立袋町小学校6年 高松樹南
  広島市立古田台小学校6年 横林和宏

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■潘基文国連事務総長 Message

 私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。

 私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。

 広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。

 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。

 炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。

 多くの命が失われ、家族が引き裂かれ……、後には大きな悲しみが残されました。

 それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。

 私が今日、ここにいるのもそのためです。

 私は世界平和のため、広島に参りました。(この一文は日本語)

 私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです。

 命は短くとも、記憶は長く残ります。

 皆さんの多くにとって、あの日はまるで、空を焼き尽くした閃光のように鮮明に、また、その後に降り注いだ黒い雨のように暗く、記憶に残り続けていると思います。

 私は皆さんに、希望のメッセージを送りたいと思います。

 より平和な世界を手にすることは可能です。

 皆さんの力は、それを実現する助けとなります。

 被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。

 次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。

 皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。

 私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。

 それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。

 そして、私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、5項目提案を出した理由もそこにあります。

 私たちの力を合わせる時がやって来たのです。

 私たちには至るところに新しい友や同志がいます。

 最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。また、市民社会にも新たな活力が見られます。

 ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。

 私たちはワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。その成果を踏まえ、2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。

 私たちはこの勢いを保たなければなりません。

 私は9月にニューヨークで軍縮会議を招集する予定です。

 そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。

 それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。

 また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。

 また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。

 地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。

 皆さん、

 65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。

 今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。

 それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。

 私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。

 そしてともに、広島の炎を消しましょう。

 その炎を希望の光へと変えようではありませんか。

 核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。 

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■内閣総理大臣 菅直人 あいさつ

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 そして今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 核兵器の惨禍を、人類は二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国である我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有していると確信します。私は、様々な機会をとらえ、核兵器保有国を始めとする各国首脳に、核軍縮・不拡散の重要性を訴えてまいります。また、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、非核三原則を堅持することを誓います。

 昨年4月のオバマ大統領のプラハ演説を契機に、核軍縮・不拡散に向けた動きが活発化してきています。

 こうした中、本日の式典には、潘基文国連事務総長、さらにはルース駐日米国大使を始め70か国を超える国の代表の方々が出席されています。心より歓迎いたします。日本国民の、二度と核による被害をもたらさないで欲しいという思いを受けとめていただくよう祈念をいたします。

 核兵器廃絶を訴えるNGOである「平和市長会議」に加盟する都市は、広島や長崎を筆頭に、世界で4000を超えています。こうしたNGOや市民を母体とする活動は、世界的な核軍縮の機運を高めていく上で、重要な役割を果たしています。

 5月の核兵器不拡散条約運用検討会議の際には、100人近くの被爆者の方々がニューヨークに赴き、会場や街頭で、核兵器被害の悲惨さを訴え、秋葉広島市長も現地で尽力をされました。この会議が最終文書採択という成果を収めた背景には、こうした被爆者の方々とそれを支援するNGOや市民の方々の貢献がありました。

 今後は、被爆者の方々が例えば「非核特使」として日本を代表して、様々な国際的な場面で、核兵器使用の悲惨さや非人道性、平和の大切さを世界に発信していただけるようにいたしたいと考えています。

 政府としても、将来を見据えた具体的な核軍縮・不拡散の措置を積極的に提案し、国際社会の合意形成に貢献していく決意であります。

 政府は、被爆により苦しんでおられる方々に、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。

 長く続いてきた原爆症認定集団訴訟については、昨年8月に終結に関する確認書を交わしました。この確認書に基づき、控訴の取り下げや基金の創設などを行っております。

 一方、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、一日でも早く認定すべく最善を尽くしたいと思っております。さらに、法律改正による原爆症認定制度の見直しについて検討を進めてまいります。

 また、母親の胎内で被爆された方々やご家族のご要望を踏まえ、こうした方々への支援体制も強化します。

 結びに、犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々並びにご遺族の皆様の今後のご多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。



▼以下、2009年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから64年、どんな言葉を使っても言い尽せない被爆者の苦しみは今でも続いています。64年前の放射線が未(いま)だに身体を蝕(むしば)み、64年前の記憶が昨日のことのように蘇(よみがえ)り続けるからです。
 
 幸いなことに、被爆体験の重みは法的にも支えられています。原爆の人体への影響が未(いま)だに解明されていない事実を謙虚に受け止めた勇気ある司法判断がその好例です。日本国政府は、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、「こんな思いを他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。
 
 今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。
 
 それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。
 
 全世界からの加盟都市が3,000を超えた平和市長会議では、「2020ビジョン」を具体化した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年のNPT再検討会議で採択して貰(もら)うため全力疾走しています。採択後の筋書は、核実験を強行した北朝鮮等、全(すべ)ての国における核兵器取得・配備の即時停止、核保有国・疑惑国等の首脳の被爆地訪問、国連軍縮特別総会の早期開催、2015年までの核兵器禁止条約締結を目指す交渉開始、そして、2020年までの全(すべ)ての核兵器廃絶を想定しています。明日から長崎市で開かれる平和市長会議の総会で、さらに詳細な計画を策定します。
 
 2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果したことにはならないからです。
 
 核兵器廃絶を視野に入れ積極的な活動を始めたグローバル・ゼロや核不拡散・核軍縮に関する国際委員会等、世界的影響力を持つ人々にも、2020年を目指す輪に加わって頂きたいと願っています。
 
 対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。
 
 被爆64周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身(こんしん)の力を振り絞ることをここに誓います。
 
 最後に、英語で世界に呼び掛けます。
 
 We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.
 Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.

 (注)英語部分の訳は次のとおりです。
 私たちには力があります。私たちには責任があります。そして、私たちはオバマジョリティーです。
 力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。

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■こども代表 「平和への誓い」

 人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生まれてきます。

 お母さんが赤ちゃんを生もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。

 新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。

 しかし、命は一度失われると戻ってきません。戦争は、原子爆弾は、尊い命を一瞬のうちに奪い、命のつながりをたち切ってしまうのです。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 それは人類が初めて戦争による被爆者をつくりだした時間であり、世界が核兵器について真剣に考え始めなければならなくなった時間です。

 あの日、原子爆弾は、広島の街を一瞬にして飲み込みました。

 建物は破壊され、多くの人々が下敷きになりました。人々の皮膚は、ボロ布のように垂れ下がり、「助けて」、「水をください」と何度も言いながら、亡くなっていったのです。それは、人間が人間らしい最期を迎えられなかった残酷な光景でした。

 多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい、「闇」の世界でした。

 世界の国々では、今も、紛争や暴力によりたくさんの命が奪われています。僕たちのような子どもが一番の犠牲となり、体に傷を負うだけでなく、家族を失い心に大きな傷を負っています。日本でもまだ多くの人たちが原爆の被害で苦しんでいます。入退院を繰り返す被爆二世の人もいます。だから、まだ戦争は終わったとは言えません。

 これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何でしょうか。

 それは、原爆や戦争、世界の国々や歴史について学ぶこと、けんかやいじめを見過ごさないこと、大好きな絵や音楽やいろいろな国の言葉で、世界の人たちに思いを伝えること。

 今の私たちにできることは、小さな一歩かもしれません。

けれど、私たちは、決してあきらめません。

 話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。

 そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います。

 (こども代表)
  広島市立矢野小学校6年 矢埜哲也
  広島市立五日市南小学校6年 遠山有希

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■潘基文国連事務総長 Message

 毎年8月6日、私たちは広島と長崎への原爆投下の犠牲となられた数多くの男性、女性、そして子どもたちを追悼するとともに、計り知れない被害を受けながら暮らしてこられた被爆者とその家族の方々に敬意を表します。

 この日はまた、私たちが1945年8月の教訓についてじっくりと考える機会でもあります。核兵器の恐ろしい威力だけでなく、紛争を解決する手段としての戦争それ自体がもたらす人的損失も忘れてはならないからです。核攻撃により、世界は岐路に立たされました。核兵器と国連はこの同じ年に生まれています。一方はいわゆる恐怖と破壊に基づく平和を象徴したのに対し、もう一方は議論、妥協、法の支配、人権、正義の追求そして経済の繁栄を通じ、各国が力を合わせて作り出す平和を体現したのです。

 ですから、きょうは過去を思い出すためだけの日ではなく、共通の平和の将来像、つまり核兵器のない世界の実現に向けた決意を新たにする日でもあります。それは不可能で、安全は核兵器の獲得のみによって保障されるのだと言う人々もいます。

 それでも私たちは今、核兵器の廃絶によって安全を保障しようという新たな力強いアイデアの奔流を目の当たりにしています。核保有国はすべて、正式にこの目標を支持しています。市民社会による取り組みも次々と生まれています。私は昨年10月、国際社会が講じることのできる実際的かつ現実的な措置からなる5項目の提案を出しました。この提案は、核軍縮こそが今後、核兵器の再使用を防ぐうえで唯一信頼できる道だという私の信念に根ざしています。この勢いをさらに強めるため、来月の「国際平和デー」には全世界を動員し、核軍縮と核不拡散の進展を働きかける予定です。

 私たちには核兵器の脅威がない世界を作り上げる力があります。私は全人類に対し、この理性的で達成可能な目標を支持するよう呼びかけます。この共通の目標実現に向け、それぞれの役割を果たそうではありませんか。そして、きょう私たちが追悼するような犠牲者を、二度と出さないようにしようではありませんか。

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■内閣総理大臣 麻生太郎 あいさつ

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の意をささげます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 64年前の今日、原子爆弾がこの地に投下され、幾万の尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つきました。美しい「水の都」、広島の街も焦土と化しました。

 しかし、戦後の歩みの中で広島は市民の皆様とともに立ち上がり、今や「国際平和文化都市」として大きく発展をしました。今日までの広島の奇跡的ともいえる復興と発展に尽力された皆様に心から敬意を表します。

 日本は被爆の苦しみを知る唯一の被爆国です。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければなりません。

 我が国はこれまで15年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で昨今、米ロ両国は核兵器の一層の削減をめざして交渉を進めています。G8サミットでは先月、ラクイラにおいて、初めて「核兵器のない世界」を宣言し、世界的な核軍縮・不拡散に関する機運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明しました。

 そして本日、私は改めて日本が今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

 被爆により苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。特に、原爆症の認定については、できる限り多くの方々を認定するとの方針で臨んでおります。昨年4月からは、新たな方針に基づいて約4千人の方を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、対象を拡大いたしました。

 また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が施行されております。今後とも多くの方々を援護できるよう、引き続き取り組んでまいります。

 結びに、犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々並びにご遺族の皆様の今後のご多幸、そして広島市の一層の発展を心よりお祈り申し上げ、私のあいさつといたします。



▼以下、2008年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」―――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

 しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

 そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

 昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

 核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

 多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

 対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

 日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

 また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

 被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。

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■こども代表 「平和への誓い」

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 突然のするどい閃光(せんこう)と爆風(ばくふう)で、数え切れない多くの尊(とうと)い命が失われました。

 あの日、建物疎開(そかい)や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆(げんばく)は、こんな当たり前の毎日を一瞬(いっしゅん)で奪(うば)いました。

 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。

 放(ほう)射線(しゃせん)の影響で突然病(やまい)に倒れる人。

 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。

 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。

 でも、生き抜(ぬ)いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。

 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。

 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒(いか)りは、年々人々の心から薄(うす)れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。

 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。

 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。

 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。

 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈(いの)りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。

 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。

 みなさん、見ていて下さい。

 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。

 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。

 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。

 (こども代表)
  広島市立幟町小学校6年 今井穂花
  広島市立吉島東小学校6年 本堂壮太

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■潘基文国連事務総長 Message

 広島平和記念式典には、毎年恒例の儀式をはるかに越える意味があります。それは広島市民の皆様と全世界の人々が、核戦争の最初の犠牲者を追悼し、核兵器のない世界を実現するためには何が必要かを深く考える機会なのです。悲しみや苦悩の中から、私たちがともに、新しい平和と安全の時代に向かって歩を進めていけるという新しい希望が生まれるかもしれません。このような希望を抱ける根拠は多くあります。

 核軍縮を進める必要性に対する世界の認識は、何年かぶりに高まっています。これを支持する声は、全世界のさまざまな人々から幅広く寄せられています。教育者や宗教指導者、新旧の政府高官、非政府組織(NGO)、ジャーナリスト、市長、議員その他の数限りない人々が、単に軍縮を言葉で主張するだけでなく、この目標達成に向けて積極的に取り組んでいます。

 私は毎年、この式典への子どもたちの参加を大いに歓迎しています。子どもたちはやがて、過去の記憶を胸に刻みつつ、核兵器のない世界を目指して集団的な取り組みを続ける責任を担うからです。

 私は広島、長崎両市長の指導力にも謝意を表したいと思います。「平和市長会議」を通じた両市長の取り組みは、全世界で認識され、また尊敬されています。国連人口基金は最近、都市人口が史上初めて、世界の多数派を占めるようになったことを発表しました。よって、核兵器が二度と使われないようにすることは、全世界の市長にとっても当然の利益となるはずです。そして、この目標を達成する最も確かな方法が、核兵器の廃絶であるという理解も広がっています。

 この厳粛な場で、私は老いも若きも、広島の全市民の方々に、最も深い敬意を表したいと思います。私は皆様とともに、過去を記憶に留めながら、核兵器のない平和で安全な世界を実現するため、皆様をはじめ、あらゆる人々と手を携えていく決意を確認いたします。

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■内閣総理大臣 福田康夫 あいさつ

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 63年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟(はいきょ)の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜(たまもの)と考えます。

 国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和への途(みち)を歩んでまいりました。

 広島は平和のシンボルです。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

 平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

 そして本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

 また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年3月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、6月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

 結びに当たり、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。



▼以下、2007年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。

 落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。

 14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。

 それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。

 しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。

 こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。

 しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。

 世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。

 我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。

 唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

 被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。

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■こども代表 「平和への誓い」

 私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。

 あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙も出ないほど、心と体を傷つけられました。

 目も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。

 あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。

 これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。

 しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。

 それは生きる希望です。

 祖父母たちは、廃虚の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。

 今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日1日生きていけるか、1日1食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。

 そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。

 嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。

 平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。

 途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、1人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。

 私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。

 私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。

 私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。

 そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。

 (こども代表)
  広島市立五日市観音西小学校6年 森展哉
  広島市立東浄小学校6年 山崎菜緒

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■潘基文国連事務総長 Message

 広島市民の方々はきょう、この歴史的なユネスコ世界遺産の地にお集まりになり、1945年8月6日の原爆投下で亡くなられた方々のご冥福を祈られます。

 世界中の人々はこの厳粛な式典を、単に「被爆者」の方々に敬意を払い、死者を追悼するための機会としてではなく、核兵器のない世界の実現に向けた今後の道のりを改めて実感する機会として捉えています。

 核拡散は世界が直面する最も差し迫った課題のひとつです。数万発の核兵器が今も残り、しかもその多くが「一触即発」の警戒態勢にあるからです。核の闇市場が生まれ、テロリストが核兵器や核物質を手に入れようとする中で、核の脅威はさらに高まってきています。

 国連創設者と同様、今日の私たちの課題は、子孫のためにより安全な世界を築くことです。そのためには、核の危険のない世界、そして最終的には核兵器のない世界を目指し、今後も努力を続けることが必要です。

 私は、広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長に、特に敬意を表したいと思います。前任者の方々に続き、両市長が進められている「平和市長会議」の取り組みは、今年で25年目を迎えました。このパートナーシップには現在、世界120カ国の1,600人を超える市長から支持が寄せられています。平和市長会議は、1945年の原爆投下による壊滅的な影響を世界中の何百万の人々に知らせることに貢献してきただけではありません。今後このような兵器が用いられた場合に都市が直面することになる危険に対する注意を呼び起こし、世界中のすべての都市生活者に軍縮で得られる恩恵を気付かせてもきたのです。

 私たちの目標実現に向けた責任の多くは、若い人々が担うことになります。2歳の時に広島で被爆し、10年後に「原爆病」で命を失った佐々木禎子さんの記憶は、若い人々をこれからも鼓舞し続けるものと私は確信しています。禎子さんの命は、禎子さん自身が折った何千羽という折り鶴の中に生き続けています。そして、ここ広島平和記念公園に建てられた「原爆の子の像」の下に刻まれた、次の言葉の中に生き続けています。「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」

 それは私の祈りでもあります。この厳粛な式典で追悼の言葉を述べられますことを、私は光栄に感じています。そして今後、すべての人々にとってより安全で平和な世界に向けた前進が少しでも見られることを期待してやみません。私たちは、核拡散という大きな波を押し返し、禎子さんのような経験が二度と繰り返されることのないよう、全力を尽くさなければなりません。全人類の命にかかわるこの取り組みに、広島市民、長崎市民の方々は今後も、きっと大きな役割を果たされることでしょう。

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■内閣総理大臣 安倍晋三 あいさつ

 本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。

 広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。

 今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。

 七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。

 我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。

 私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。

 また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。

 政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。

 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。



▼以下、2006年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 放射線、熱線、爆風、そしてその相乗作用が現世の地獄を作り出してから61年 ― 悪魔に魅入られ核兵器の奴隷と化した国の数はいや増し、人類は今、全ての国が奴隷となるか、全ての国が自由となるかの岐路に立たされています。それはまた、都市が、その中でも特に罪のない子どもたちが、核兵器の攻撃目標であり続けて良いのか、と問うことでもあります。

 一点の曇りもなく答は明らかです。世界を核兵器から解放する道筋も、これまでの61年間が明確に示しています。

 被爆者たちは、死を選んだとしても誰も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めました。心身を苛(さいな)む傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗・中傷を撥ね返して「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」と訴え続けてきたのです。その声は、心ある世界の市民に広がり力強い大合唱になりつつあります。

 「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」がその基調です。しかし、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けています。10年前、世界市民の創造力と活動が勝ち取った国際司法裁判所による勧告的意見は、彼らの蒙(もう)を啓(ひら)き真実に目を向けさせるために、極めて有効な手段となるはずでした。

 国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、「全ての国家には、全ての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述べているからです。

 核保有国が率先して、誠実にこの義務を果していれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。しかし、この10年間、多くの国々、そして市民もこの義務を真正面からは受け止めませんでした。私たちはそうした反省の上に立って、加盟都市が1403に増えた平和市長会議と共に、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果すよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」の第二期の出発点として位置付け展開します。さらに核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets)プロジェクト」に、取り組みます。

 核兵器は都市を壊滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。私たちの目的は、これまで都市を人質として利用してきた「核抑止論」そして「核の傘」の虚妄を暴き、人道的・合法的な立場から市民の生存権を守ることにあります。

 この取組の先頭を切っているのは、米国の1139都市が加盟する全米市長会議です。本年6月の総会で同会議は、自国を含む核保有国に対して核攻撃の標的から都市を外すことを求める決議を採択しました。

 迷える羊たちを核兵器による呪(のろい)から解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起つ時が来たのです。

 日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請します。そのためにも世界に誇るべき平和憲法を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます。

 未だに氏名さえ分らぬ多くの死没者の霊安かれと、今年改めて、「氏名不詳者多数」の言葉を添えた名簿を慰霊碑に奉納しました。全ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧げ、人類の未来の安寧を祈って合掌致します。

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■こども代表 「平和への誓い」

 昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。一瞬にして広島の街は何もかも破壊されました。原子爆弾は、高温と爆風で人々をおそい、さらに死の放射能で街を汚染していきました。そして、その年の終わりまでに約14万人もの命が失われました。14万の夢や希望、未来が奪われ、数え切れないほどの悲しみが生まれたのです。

 平成17年(2005年)11月22日。私たちの身近なところで、とても悲しい、辛い事件が起きました。その事件によって、私たちが当たり前だと思っていた日常は壊れてしまいました。好きな友だちとおしゃべりしながら登下校したり、一人で外へ出ることもできなくなりました。そして、私たちは事件を通して、一つの命の重みを知りました。

 この時奪われた命も、原子爆弾や戦争で奪われた多くの命も同じ命です。一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです。

 「平和」とは一体何でしょうか。
 争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。
 安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。
 今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も「平和」なのです。

 世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。

 私たちはこれまで、祖父母や被爆者の方から体験を聞いたり、「平和」について学習したりする中で、原爆や戦争のことについて学んできました。しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。これからもヒロシマで起きた事実に学び、それを伝えていかなければなりません。
 
 私たちは、命を大切にし、精一杯生きることを誓います。
私たちヒロシマのこどもは世界中の国々や人々との間の架け橋となり、「平和」の扉を開くために一歩一歩、歩み続けていくことを誓います。

 (こども代表)
  広島市立南観音小学校6年 新谷望
  広島市立楽々園小学校6年 スミス・アンジェリア

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■アナン国連事務総長 Message

 広島、長崎の悲劇から60余年が過ぎ去った今もなお、筆舌に尽くし難い核兵器の恐怖は、我々皆の意識に深く刻み込まれております。1945年8月6日に亡くなった方々の追悼に参集した広島の市民の皆様、たまたま今年は日本の国連加盟50周年ですが、この式典こそ、核の危険から解放された、そして究極的には核兵器から解放された世界という、未完成の課題を改めて想起させてくれます。

 この課題こそ長きにわたり国際連合の諸活動にとって基本的な指針でありました。正に、1946年の国連総会として最初の決議は、原子力兵器及びその他の大量破壊兵器の廃絶を訴えたものでした。

 今日この目標からいまだ程遠いからと言って決して絶望することはありません。核兵器のない世界という目標は遠くに見えても夢ではありません。冷戦の終結によって、核兵器の目に見えた削減も可能となりました。この進展こそ今、加速し、確固たるものにしなければなりません。同時に、危険な核物質が非国家主体の手に渡るという、極めて憂慮すべき可能性があることで、核不拡散体制の強化へ向けいっそうの努力を払わねばなりません。

 今日、我々はここに、広島の亡くなった方々の追悼に参集しておりますが、同時に生きることへの希望も持たねばなりません。我々の子供たち、そしてまたその子供たちが、核戦争の恐怖から解放された人生を享受する事が出来る世界を目指し、我々が改めて献身的努力をすることによって、そのような希望を持つことが可能となるのです。広島の犠牲者の方々にとって、また人類にとってこれ以上の貢献はないでしょう。

 このような気持ちから、私は本年の平和式典の成功を祈念しております。

 (田中信明・国連事務次長代読)

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■内閣総理大臣 小泉純一郎 あいさつ

 今から61年前の今日、原子爆弾の投下により、十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃虚と化しました。

 本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 また、今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に、心からお見舞い申し上げます。

 政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。昨年秋からは、在外の被爆者の方々が我が国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度改正を行ったところです。今後とも、被爆者の方々の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進してまいります。

 広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しています。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。

 私は内閣総理大臣として、平成13年以来過去5回ずつ、広島と長崎の両方の犠牲者に対する慰霊・平和祈念式典に参列してまいりました。

 我が国は人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があります。

 広島、長崎の悲劇は、いずこにおいても再び繰り返されてはならないとの決意の下、我が国は、戦後61年の間、不戦の誓いを体現し実行してきました。私は、ここ広島において、本日の式典に臨み、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。

 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。



▼以下、2005年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻でもあります。この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。

 その主旋律は、「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。

 しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。

 これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我侭(わがまま)を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。

 この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々(さまざま)な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。

 まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。

 さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう、期待します。

 同時に私たちは、今日から来年の8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。

 日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

 被爆60周年の今日、「過ちは繰返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全ての原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

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■こども代表 「平和への誓い」

 戦争は人間のしわざです。

 戦争は人間の生命を奪います。

 戦争は死そのものです。

 過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。

 広島を考えることは、核戦争を拒否することです。

 広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。

 これは今年亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が1981年2月に、ここ平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の前で世界へ発信したメッセージの一部です。

 わたしたちは、これまでずっと世界平和の実現を訴えてきました。

 しかし、世界では今なお核兵器は存在し、戦争やテロなどが絶えません。そして、わたしたちと同じ子どもたちが銃弾や地雷に倒れ命を失っています。身のまわりではどうでしょうか。子どもたちが命を奪われたり、傷つけられたりする事件が起きています。暴力事件やいじめもなくなりません。

 本当に平和な世界を築くために私たちは何をしなければならないのでしょうか。

 戦争、争い、いじめ、暴力。これらを起こすのは人間です。人間の心です。だから、命を大切にする心、相手を思いやる心をふくらませていくことが大切です。まずは相手のことを知り、違いを理解すること。そして、暴力で解決するのではなく、話し合いで解決していくことがわたしたちにできる第一歩です。

 ある被爆者の方の話を聞きました。

 今まで被爆した時のことを人に話したことがなかったそうです。

 たとえ、話をしても「あの時のことは誰にもわかってもらえない」と思っていたからです。

 しかし、70歳を過ぎて、地元の中学生にあの日のことを話しました。

 8月6日に起こったことを、原爆はいけないということを、戦争はいけないということを、どうしても知らせたかったのです。

 被爆60周年を迎え、決意を新たにし、

 わたしたちは、被爆者の方々の願いを受け継いでいきます。

 わたしたちは、核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。

 わたしたちは、ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。

 平和な世界を築くまで。

 (こども代表)
  広島市立本川小学校6年 岩田雅之
  広島市立口田小学校6年 黒谷栞

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■アナン国連事務総長 Message

 60年前、広島と長崎の罪なき市民をおそった惨害と語りえぬ苦しみは、世界を核兵器の恐怖に目覚めさせました。1946年、国連総会は、まさにその最初の決議において、核兵器、そして大量破壊に転用できる他のすべての大型兵器を、国家の軍備から廃絶するよう呼びかけました。国際社会は、その後、核軍縮および核不拡散の目標達成のために努力を続けてきました。

 核兵器は、再び使われることなく今日に至っています。また、核兵器の削減や、その拡散防止においても進展がみられました。しかし、我々は、未(いま)だ数万もの核兵器が残る世界に生きており、その多くが瞬時に発射できる状態にあります。また、我々は核装備の強化、近代化の努力を目の当たりにしています。さらに、我々は核兵器の拡散という現実の脅威に直面しています。ここで協調して行動を起こさなければ、核拡散の連鎖という事態を招きかねません。さらに、このような武器をテロリストや他の非政府分子が手に入れる危険も存在します。核物資および核技術の闇取引網の発覚は、不拡散体制に大きな抜け穴があることを露呈しました。

 悲しいことに、これらの新たな挑戦に対し、世界的にはほとんど進展がありません。去る5月の核兵器不拡散条約運用検討会議は、何らの実質的な合意もなく閉会いたしました。我々は、核の危険のない、そして究極的には、核兵器のない世界の実現に向けて数倍もの努力をしなければなりません。来月、2005年世界サミットで、世界の首脳が国連に集まり、すべての国家、すべての民族のために、開発、安全保障、人権を推進する幅広いアジェンダを採択する予定です。私は、各国首脳がこの機会を利用し、核不拡散と核軍縮における最も差し迫った挑戦をめぐる行き詰まった現状を打開するよう強く求めます。

 今日、我々はここ広島、そして長崎で起こった悲劇を思い起こし、かかる惨劇の教訓を胸に刻み、実行に移す決意をし、核兵器のない世界を築くための努力を一切惜しまない決意を再確認します。今日、我々はすべて「被爆者」です。私は、あなたがたすべてと一緒に、世界平和への祈りを捧(ささ)げたいと思います。

 (阿部信泰・国連事務次長[軍縮担当]が代読)

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■内閣総理大臣 小泉純一郎 あいさつ

 本日、被爆60周年の原爆死没者慰霊・平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲者の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に対して、心からお見舞い申し上げます。今後とも、高齢化の進行など被爆者の実情に配慮しながら、在外被爆者への支援も含め、援護施策の推進に誠心誠意努力してまいります。

 人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの堅い決意の下、今後とも、平和憲法を遵守(じゅんしゅ)するとともに、非核三原則を堅持してまいります。また、国際社会の先頭に立ち、国際的な核軍縮・核不拡散のための取組を推し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。

 戦後、広島は、国際平和文化都市として、大きな発展を遂げました。今日まで、広島の復興に尽力してこられた多くの方々に心から敬意を表します。世界平和実現に向けて取り組んできた市民の願いは、歴史の証人として世界文化遺産に登録された原爆ドームの姿とともに、世界中の人々の心に届いています。今後とも、広島が、世界平和を考えるシンボルとして、また、平和を希求する人々を惹(ひ)きつける都市として発展することを確信します。

 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸をお祈り申し上げます。



▼以下、2004年の平和宣言等です。

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■広島市長 秋葉忠利 「広島平和宣言」

 「75年間は草木も生えぬ」と言われたほど破壊し尽くされた8月6日から59年。あの日の苦しみを未(いま)だに背負った亡骸(なきがら)--愛する人々そして未来への思いを残しながら幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にした仏たちが、今再び、似島(にのしま)に還り、原爆の非人間性と戦争の醜さを告発しています。

 残念なことに、人類は未だにその惨状を忠実に記述するだけの語彙(ごい)を持たず、その空白を埋めるべき想像力に欠けています。また、私たちの多くは時代に流され惰眠を貪(むさぼ)り、将来を見通すべき理性の眼鏡は曇り、勇気ある少数には背を向けています。

 その結果、米国の自己中心主義はその極に達しています。国連に代表される法の支配を無視し、核兵器を小型化し日常的に「使う」ための研究を再開しています。また世界各地における暴力と報復の連鎖はやむところを知らず、暴力を増幅するテロへの依存や北朝鮮等による実のない「核兵器保険」への加入が、時代の流れを象徴しています。

 このような人類の危機を、私たちは人類史という文脈の中で認識し直さなくてはなりません。人間社会と自然との織り成す循環が振り出しに戻る被爆60周年を前に、私たちは今こそ、人類未曽有の経験であった被爆という原点に戻り、この一年の間に新たな希望の種を蒔(ま)き、未来に向かう流れを創(つく)らなくてはなりません。

 そのために広島市は、世界109カ国・地域、611都市からなる平和市長会議と共に、今日から来年の8月9日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」にすることを宣言します。私たちの目的は、被爆後75年目に当たる2020年までに、この地球から全(すべ)ての核兵器をなくすという「花」を咲かせることにあります。そのときこそ「草木も生えない」地球に、希望の生命が復活します。

 私たちが今、蒔く種は、2005年5月に芽吹きます。ニューヨークで開かれる国連の核不拡散条約再検討会議において、2020年を目標年次とし、2010年までに核兵器禁止条約を締結するという中間目標を盛り込んだ行動プログラムが採択されるよう、世界の都市、市民、NGOは、志を同じくする国々と共に「核兵器廃絶のための緊急行動」を展開するからです。

 そして今、世界各地でこの緊急行動を支持する大きな流れができつつあります。今年2月には欧州議会が圧倒的多数で、6月には1183都市の加盟する全米市長会議総会が満場一致でより強力な形の、緊急行動支持決議を採択しました。

 その全米市長会議に続いて、良識ある米国市民が人類愛の観点から「核兵器廃絶のための緊急行動」支持の本流となり、唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果たすよう期待します。

 私たちは、核兵器の非人間性と戦争の悲惨さとを、特に若い世代に理解してもらうため、被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及に力を入れると共に、さらにこの一年間、世界の子どもたちに大人の世代が被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開します。

 日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡(ただ)すべきです。また、唯一の被爆国の責務として、平和市長会議の提唱する緊急行動を全面的に支持し、核兵器廃絶のための世界のリーダーとなり、大きなうねりを創るよう強く要請します。さらに、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

 本日私たちは、被爆60周年を、核兵器廃絶の芽が萌(も)え出る希望の年にするため、これからの一年間、ヒロシマ・ナガサキの記憶を呼び覚ましつつ力を尽くし行動することを誓い、全ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

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■こども代表 「平和への誓い」
 
 「生きたい、そして、みんなと幸せに暮らしたい」

 そんな願いもむなしく12歳の少女が亡くなりました。

 2歳で被爆し、12歳で突然原爆症と診断された佐々木禎子さんは、入院生活を送りながら「生きる」ために、最期まで望みを捨てず、願いをこめてただひたすら鶴を折り続けたそうです。

 59年前の8月6日の朝も、川と緑に囲まれた広島の街には、人々の変わらぬ生活がありました。戦争中とはいえ、それまでと変わらない夏の朝でした。

 しかし、一発の原子爆弾は、そんな朝を人類が忘れることができない朝に変えてしまったのです。

 熱線、爆風、放射線などにより、その年の末までに14万人もの人々が亡くなっていきました。そして、その後も放射線による障害により、多くの人々が苦しみ、命を失っていきました。

 佐々木禎子さんもその一人です。

 わたしたち広島の子どもは、毎年夏が近づくと、禎子さんの意思を受け継ぎ、世界の人々が幸せに暮らせることを願って鶴を折っています。

 しかし、いまだに世界のどこかで戦争が行われています。

 多くの人たちが日々恐怖に脅(おび)え、苦しみ、命を奪われています。

 無数に埋められた地雷によって、多くの人々が傷ついています。

 子どもたちまでもが武器を持たされ、戦いにかり立てられています。

 そして、広島を焼き尽くした核兵器は、いまだに世界に存在しているのです。

 戦争が生み出した悲しみは、憎しみを呼び、その憎しみがさらに深い悲しみを呼びます。

 しかし、私たちが聴いた被爆者の方々の話は、憎しみではなく「こんな思いを、もう二度と誰もしてほしくない」という強い願いに満ちています。

 私たちは、この被爆者の方々の願いを私たちの願いとし、平和な世界をつくる努力をしていかなければなりません。

 ここ平和記念公園には、毎日、日本の各地や世界中の国々から折り鶴が届けられます。その折り鶴を見ると、言葉、文化、宗教を越え、多くの人々が、平和への願いでつながっていることがわかり元気が出ます。

 私たちは、戦争も核兵器もない世界が実現し、子どもたちが平和であることに感謝の気持ちを込めて鶴を折る日が来るまで、被爆の悲惨さや平和の尊さを語り継ぎ、世界へ伝えていく努力を続けていくことを誓います。

 (こども代表)
  広島市立段原小学校6年 河田早紀
  広島市立亀山南小学校6年 百合野光哉

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■アナン国連事務総長 Message

 59年前の今日、一発の原子爆弾が広島を破壊し、言葉では言い尽くせない苦しみを広島市民にもたらしました。その3日後、長崎市民も同じ運命に見舞われました。このようにして核兵器の恐ろしさが明らかになって以来、核兵器廃絶は国際社会の最優先課題となってきました。そして、また、国際連合は設立以来、核軍縮および核不拡散に向けてたゆまず努力を続けてまいりました。

 「核兵器のない世界」という目標を実現するにはいまだ長い道のりがあります。冷戦終結後、軍縮において一定の進展がありましたが、いまだ何万という核兵器が世界中の兵器庫に残っています。また核兵器の改良や新型の核兵器の開発努力がなされているという憂慮すべき兆候も見られます。蓄積された核兵器が引き続き存在することで、核戦争の恐怖がいまだ我々の世界に影を投げかけています。核兵器使用の脅威は、核物資の闇取引網の存在や、これらの物資を入手しようとする野望を持ったテロリストが出現する可能性によって一層強まっています。

 来年、2005年には、核不拡散条約締約国の運用検討会議がニューヨークで開催されます。この会議が、すでに核兵器国によってなされた核兵器の全面的廃絶達成の約束を再確認し、さらにその文言が実行に移されることを、私は切に望みます。本日、この追悼の日に、広島および長崎の市民が1945年に経験した恐怖を二度と繰り返さないよう、またいつの日か我々が核兵器の存在という脅威のない世界に生きられるよう、我々は改めて誓おうではありませんか。

 (阿部信泰・国連事務次長[軍縮担当]が代読)

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■内閣総理大臣 小泉純一郎 あいさつ

 本日、被爆59周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲者の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞い申し上げます。

 被爆者の方々に対しては、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてまいりました。本年秋から、在外被爆者が現地の医療機関において適切な医療を受けることができるよう保健医療費の助成を行う予定であります。今後とも、高齢化の進行など被爆者の実情を的確に反映させながら、援護施策の推進に誠心誠意努力してまいります。

 戦後、広島は国際平和文化都市として、大きな発展を遂げました。今日まで、広島の復興に尽力した多くの方々に心から敬意を表します。戦後一貫して世界平和実現に向けて取り組んできた市民の願いは、「ヒロシマ」の名前とともに、世界中の人々の心に届いています。今後とも、広島が、世界平和を考えるシンボルとして、また、平和を希求する人々を惹(ひ)きつける都市として発展することを確信します。

 人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの固い決意の下、今後とも平和憲法を順守するとともに、非核三原則を堅持してまいります。また、国際社会の先頭に立ち、各国政府に対する包括的核実験禁止条約の早期批准の働きかけを一層強化するなど、核軍縮・核不拡散の取り組みを推し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。

 終わりに、犠牲となった方々のご冥福と、被爆者並びにご遺族の今後の御多幸をお祈り申し上げます。

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コメント

Nohitoさんはじめまして。
◆やんちゃ姫通信◆のyumichです。
夏っちゃんぶろぐをたどってきました。
こういった話題こそつながっていくべきなのではないかな~と思い、少し前の記事ですがトラックバックさせて頂きました。
映像、すごく良かったです。見入ってしまいました(⌒-⌒)

投稿: yumich | 2004.08.07 13:33

こんにちは。
今から50年強も前に起きたこと。
繰り返さないようにする、
そのためにできること考えてしまいます。

投稿: yomikaki | 2004.08.07 23:50

>yumichさん
はじめまして ^^
TB、そして映像まで見ていただいて
ありがとうございますです。mm
毎年、この時期になると、
原爆のこと、太平洋戦争のこと、色々と
考えさせられますが、
この時期に考えたことを、日々、
なにかしらのカタチでつなげていきたいものですよね。
小さい力でも、何かを・・。^^

>yomikakiさん
こんにちわです ^^
原爆の悲惨な現状を最も知っているアメリカが、
いまだに核超大国であるという状況が
変わらない限り、残念ながら次の風は吹きそうに
ないのかもしれませんね。
まずは、アメリカに対して・・かな。

投稿: nohito | 2004.08.08 07:48

ピットさん~暑中お見舞い申しあげますぅ~。
暑いけど、のびてない?
今年もジリジリと暑い6日でしたね。
夜勤だったオットが朝、会社から平和公園を見ると6時前から式典会場の席に座っている人がいたとびっくりしてました。
しかも、テントなしのとこで。
先日広島市民劇場で「はだしのゲン」を見ました。予想以上に感動!!
多くの人に見て欲しいなあ~。
これからの子供たちに広島や長崎であったことをもっと知ってほしいですね。

投稿: まんと | 2005.08.06 11:15

まんとぉ、こんにちわ。
本当に連日、ジリジリだね。
8/6って、考えてみたら
ほとんど毎年、ジリジリの暑い日の記憶が。
6時から座っている人いたですか。
ご高齢の方などは熱中症とか
本当に気をつけてもらいたいですよね。
式典に参加して大変なことになってしまっては・・。m
「はだしのゲン」、自分も小学生のときに観て、
そのときの衝撃は今でも頭に残ってるよ。
こんなとんでもない兵器が使われた事実、
しっかりと自分達の世代も伝えていく役割を
担わないといけないね。v

投稿: nohito | 2005.08.06 18:49

Nohitoさん初めまして。a wordのchochoです。
御丁寧なコメントとTBをありがとうございました。
小さなことから一歩ずつ..自分が動かないなら,その芽を摘み取らないことも大切ですよね☆

投稿: chocho | 2005.08.06 20:21

検索エンジンから飛んできました。
初めてコメントさせていただきます。

すごく勉強になりました。
大切な時期…。昨日のTBSの番組を見て痛感しました。

投稿: こぼ | 2005.08.06 22:17

はじめまして。トロントひつじと申します。

TBさせていただきました。

カナダでは日本の式典の模様をチラッとしかテレビでやっていなかったので、
Nohitoさんのブログすごく参考になりました。
ありがとうございます。

勝手ながらblogpeopleでリンクはらせていただきました。

投稿: トロントひつじ | 2005.08.07 01:54

はじめまして。norissaと申します。
リンクリストへの登録ありがとうございます。
今日のところは
はじめましてのご挨拶とお礼をばと思ってきましたが、
重たい話題ですね。
私の母は原爆手帳を持っています。(ナガサキですが)
しかるに私は所謂原爆二世と呼ばれるんでしょうか。
意識もしてないし、なにかあるわけでもないですが。
最近はいまそこで起きている戦争の様子を
ほぼリアルタイムでみることができます。
ひとがひとに銃口を向けている映像 もっと直接的に殴り合っているさま。
心が痛むし 恐ろしいです。
原爆とかそういうことではなく、
傷つけあうことのない世になってほしいものです。

投稿: norissa | 2005.08.07 02:07

「アナン国連事務総長メッセージ」って何処にありましたか?
出典を教えて△

投稿: パンダ | 2005.08.07 09:29

>chochoさん
コメントありがとうございます。
確かに様々な問題、気づかないうちに
自分がその問題の加担者になっている場合ってありますもんね。
世の中の動きに対する自分の立ち位置、
そういったことをあらためて見つめなおしてみる
キッカケにもしていきたいですね。


>こぼさん
コメントありがとうございます。
TBSの番組は、多くの人がいろいろな心の揺さぶりを
感じたようですね。
原爆をテーマにした番組などは、
とても嫌な言い方になってしまいますが、
どうしてもマンネリ化的な切り口が出てしまうのが
最近の傾向かと思うので、今後、様々な切り口で
色々なメディアが綴り続けていくことを願っていきたいと
個人的には思っています。
受けての視聴者側もマンネリ眼を持たないように
していきたいですね。


トロントひつじさん>
TBありがとうございます。
やはりカナダなどでは、そんなに大きく報道は
されていないんですね。
少しでも、参考になっていただいたようで
よかったです。
イラク戦争にも参加しなかったカナダという国の姿勢とか
あらためて色々な話を見ていきたいなと思ったりしています。
blogpeopleありがとうございます。
こちらでも^^


norissaさん>
はじめまして。実はヤスシ君のところからリンクでお伺いし
とても気に入ってしまったので、一方的にリンクしてしまいました。
そのうちご挨拶でもと思っていたのですが、何だか先に挨拶を
いただいてしまい、失礼いたしました。^^
norissaさんのお母様は原爆手帳を持っていらっしゃるんですね。
関東には、被爆者の方が周りにいることがほとんどなく、
60年経過した今、被爆者の皆さんがどのような生活を
しているのか実感できる機会が少ないだけに、
何かの折には、ぜひ境遇などカタチに残していただきたいです。


パンダさん>
こんにちわ。いつも拝見させてもらっています。v
自分は毎日新聞で見つけました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050806k0000e040058000c.html
あらためて色々なメディアを見てみると
アナン氏がらみの記事、あんまり多くないんですね。m

投稿: nohito | 2005.08.07 11:00

映像も拝見しました。
ズッシリと伝わってくるものがありました。

平和のために一人一人ができることってなんだろう?
時々思うんですけどね、思うだけなんです。

簡単に答えの出ない問題ですが、
答えが出れば、そこで考えが止まってしまうような気もするし。

人間がこの世にいる限り戦いがなくならないのだとすれば、それは本当に悲しいことですね。

投稿: kinya | 2005.08.08 00:07

kinyaさん、こんばんわ
映像、本題の被爆建物をなかなかまとめられなくてmm
時代の流れという言葉のもとに、
被爆の証がすごい勢いで消えているんですよ広島。m
平和って、キレイごとに見えますが、
視点を変えれば汚いことによって保たれている姿も丸見えで、
考えれば考えるほどわからなくなってきますね。
戦いは消えないとしても、
戦い方は、知恵のある人間だからこそ
もっと違う方法を考えられると思うんですけどね。

投稿: nohito | 2005.08.08 00:26

>何かの折には、ぜひ境遇などカタチに残していただきたいです。

私の母は、被爆当時1歳半でしたので、全く記憶にはないそうです。
被爆にいたった経緯も ただそこで生まれただけ。ただそこにいただけ。
こうして考えると これこそが無差別殺傷兵器,その最たる原爆の問題であることに
改めて気づかせていただきました。
大人も子供も 男も女も 民間人も軍人も
理由 意思にかかわらず傷つけ殺してしまう。

歴史に学ぶとか反面教師的な事実の伝承も
大切でしょうが、もっときれいごとで平和を説けないか とも思います。

ごめんなさい うまくまとめられません・・・。

投稿: norissa | 2005.08.10 23:54

norissaさん、引き続きコメントありがとうございます。

お母様、被爆当時1歳半で、
全く記憶がないのですね。

そういった意味では、
周りの人が考えるものとは、
被爆意識もかなり違うのでしょうね。

一個人としては、

「認め合う」

という、たった1つのルールを
地球人全員が徹底できれば
戦いのない世界もあるかなと思ったりするのですが、

「認める」という考えは
「認めない」という考えがあってこそ
生まれてくるものだ・・

などと考えると またまたキレイゴトから
はずれてしまい 自分でもわけわからなくなってしまいます。

本当、こういう話は うまくまとまらないですよね。( ´ー`)フゥー...

投稿: nohito | 2005.08.11 07:57

全て読ませていただきました。
動画は開けなかったのでまた後日拝見しに参ります。

重たいですね。
私は原爆とは無縁の地域に生まれ育ち、原爆について知ることができたは学校の授業や教科書、テレビくらいしかありませんでした。
最近まで、この日に頭を下げる理由は知ってはいましたが理解することなく過ごしてきました。
数年前に原爆を経験した方と話をして、私は自分自身に悔しく、悲しくなりました。
しかし、今も本当に嘆くことはできません。

今日は世界中の方々が、日本の、原爆の何かに、思いを馳せたのでしょう。
何に思いを馳せたのかは、私にはわかりません。決して皆が同じ(似た)思いではないでしょう。

毎年、今日という日がいつまでも続けば良いと思います。今日の黙祷さえ忘れられてしまう日が来ないことを祈ります。

記事を読んで思ったことをそのまま書いてしまいました。
長々失礼致しました。

投稿: かぷ | 2006.08.06 22:00

かぷさん>
コメントありがとうございます。
自分も横浜で育ったため、学校ではあまり原爆のことは学ばず、
広島では当たり前という平和学習というものも
受けることはありませんでした。
大人になって広島に足を運び、
初めて「原爆」と向き合うことができた気がしました。

毎年、この時期をキッカケに
『核兵器を使われてしまった国・日本』の国民として、
どうして核兵器を使われるまでに至ったのかも含めて、
色々なことと向き合っていきたいですね。

投稿: nohito | 2006.08.07 09:03

こんばんは。
オバマのプラハ演説によって、本当に変わる道筋に進んで欲しいと
思いつつも日本の背後には半島の独裁者が核を弄び、中東の大国の首領も
多くの国を敵に回しつつ切り札とする、、現実はままならないものと落胆させられます。

7年前の夏に広島の原爆資料館へ行きました。半日がかりで見て周って、やっとその現実を目の当たりにした思いです。
"生き証人"の建築物、いつまでもその姿を留めて欲しいものです。

投稿: SIn | 2009.08.06 22:21

SInさん、こんばんわ。
毎年、+に動いている面も多々見られるのですが
同時にどうしても進められない諸問題もあり
本当に難しい話ですよね。
原爆資料館、自分も色々なことに気づかされました。
長い歴史時間から見れば、わずか64年前の出来事なんですよね。
我々は、まだこの事実と向き合う責任がある世代ですね。

投稿: 船土和斗 | 2009.08.08 00:55

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