大和朝廷 2010

2010.10.30

茨城・南台遺跡 竪穴住居16棟など確認

筑西幹線道路の建設に伴う筑西市大塚、深見の
南台遺跡発掘調査で、古墳時代前期から中期にかけた
竪穴住居16棟が確認され、さらに古墳時代後期とみられる
直径20メートル級などの円墳11基が見つかった。
調査を担当した東京航業研究所文化財調査課の
渡辺久生副主幹は「集落として生活の場に使われていたが、
何らかの理由で一気に古墳群になったことがうかがえる」と話す。

調査は約5188平方メートルを対象に、
8月17日から11月中旬までの予定で行われている。

住居跡は比較的規模の大きなものが多く、
約8メートル四方の大きな遺構が3棟発見された。
住居跡からは土師(はじ)器など多くの土器が出土し、
ほかに4世紀末ごろの土器製の五徳が6個発見された。
土器製は珍しいという。
古墳からは石室や副葬品などはほとんど見つからなかったという。

住居跡からは焼けた柱などが出土したことから、
集落が火災に遭ったか、集落を移転する際に焼き払った可能性もあるという。

◎茨城新聞 2010年10月29日
  http://www.ibaraki-np.co.jp/...

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2010.10.12

兵庫・長尾山古墳 最大・最古級の未盗掘「粘土槨」

兵庫県宝塚市の前方後円墳「長尾山古墳」で、
木棺を包んで保護する国内最大で最古級の「粘土槨(かく)」が見つかり、
同市教育委員会と大阪大考古学研究室が12日、発表した。
周辺から出土した埴輪(はにわ)の形から
古墳時代前期前半の4世紀初めの墳墓とみられている。
粘土槨の中には木棺のほか、
貴重な副葬品が入っている可能性が高いという。

粘土槨は高さ1メートル以上、幅2.7メートル、
長さ6.7メートルのかまぼこ状。
後円部の墳頂に深さ2メートル以上、幅5メートル、長さ9メートルの
竪穴を掘り、礫(れき)を敷いた上に築かれていた。
造られた当時の形をほぼ保っており、
この時代の粘土槨がほぼ完全な状態で確認されたのは初めてとされる。

長尾山古墳は全長約40メートルという規模から、
大和王権と同盟関係にあった地域首長の墓とみられている。
盗掘しようとした跡はあるが、穴は木棺まで達せず、
棺内には鏡や刀剣、甲冑(かっちゅう)、
勾玉(まがたま)などが残っている可能性が高い。
木棺内部の調査については、多額の費用がかかるほか、
開封すると内部の腐食が進む恐れもあり、方針は決まっていない。

粘土槨がある同時代の古墳としては、
奈良県御所市の鴨都波(かもつば)1号墳(方墳)などがある。
鴨都波1号墳からは古代中国の王朝・魏(ぎ)から
邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとの説がある
「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」などが見つかっている。

粘土槨 
墓穴内に納められた木棺を覆い、保護するための粘土の層。
棺の大きさによって規模が変わる。
古墳時代前期(3~4世紀)に特徴的な埋葬方法で、
造るのが大変な石室のある墓の方がより権力のある人物の墓とされている。

◎朝日新聞 2010年10月12日
  http://www.asahi.com/...

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2010.09.29

京都・元稲荷古墳 高度工法「基礎地業」確認

古墳時代前期(3世紀後半)の前方後方墳、
元稲荷古墳(向日市向日町)で第7次発掘調査を進めていた
向日市埋蔵文化財センターは22日、
葺(ふ)き石のある西側くびれ部の盛り土基礎部分で、
堅固に築くため改良土を盛る工法
「基礎地業(ちぎょう)」が確認されたと発表した。

元稲荷古墳は全長約92メートル、
後方部の最大幅約51メートルの大形前方後方墳。
西側くびれ部約100平方メートルを調査し、
巨大な石壇のような作りだったと推定される
後方部と前方部の墳丘の基底部から第2段斜面を確認した。

葺き石は卵大の小さな石が多く、
斜面に石を直角に当てて積み重ねる「小口積み」を採用。
強度を変えながら盛土を行うなど高度な構築技術が伺えるという。

同センターでは「最古級の前方後方墳の造営方法が
詳しく分かったのは初めて。
大和の大王墓級の古墳で確立した技術が用いられており、
有力な首長が埋葬されていたのでは」としている。

◎毎日新聞 2010年9月23日
  http://mainichi.jp/...

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2010.09.20

奈良・纒向遺跡 銅鐸破片、豪族居館の溝も

神仙思想に基づく祭祀(さいし)に使われたとみられる
大量の桃の種が出土した桜井市の纒向(まきむく)遺跡。
今回の調査では、3世紀の遺構、遺物のほかに、
2世紀の銅鐸(どうたく)の破片や、県内では珍しい
5世紀末~6世紀初めの豪族居館の一部となる
石張り溝も見つかっており、同遺跡の変遷をたどれる
重要な成果が得られた。

銅鐸の破片(長さ3・7センチ、幅3・2センチ、厚さ3ミリ)は、
復元すれば高さ約1メートルになると推定される。
1972年、今回の調査地の西約100メートルで行われた調査でも
銅鐸の破片が見つかっており、大きさなどから同一個体の可能性がある。

当時、調査した石野博信・兵庫県立考古博物館長は
「王宮とみられる大型建物を建てる際、銅鐸を壊す祭祀をした。
その建物を壊した後、桃を使った祭祀をしたのだろう。
王宮の出現と終わりの儀礼にかかわるものが見つかったのは、
大変意義がある」と話している。

また、同市内の脇本遺跡や大福遺跡の
3世紀初めの遺構で出土した銅鐸の破片などから、
弥生時代の祭祀で使われた銅鐸を壊し、
他の青銅器にリサイクルしたことが考えられており、
今回も同様とみられる。

一方、調査地西側で見つかった石張り溝
(幅4・5メートル、残存の深さ0・8メートル)は、
溝が切れた場所(長さ8メートル)を挟んで北側に16メートル、
南側に6メートル延びていた。
溝が切れた部分が出入り口で、
地形から東に遺構が広がるとみられる。

近くに同時期の古墳があり、その被葬者が住んでいた可能性がある。
橋本輝彦・市教委文化財課係長は
「居館と墓がセットで考えられるようになった。
纒向遺跡一帯を根拠にした豪族はわかっていないが、
物部氏など大豪族に次ぐクラスではないか」とみている。

◎読売新聞 2010年9月18日
  http://www.yomiuri.co.jp/...

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奈良・纒向遺跡 桃の種2000個が出土

邪馬台国の有力候補地とされる
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
3世紀中頃の穴から桃の種約2000個や
竹製のかご6点などが出土し、市教委が17日、発表した。
桃の種が1か所でこれほど大量に見つかる例はないという。
桃は、古代の中国や日本で不老長寿などの効果があると信じられ、
祭祀(さいし)に使われたとみられる。
同時期に君臨した女王・卑弥呼との関連を指摘する意見もある。

桃の種は、昨年11月に出土した宮殿の可能性がある
大型建物跡の約5メートル南の穴
(南北4・3メートル、東西2・2メートル、深さ0・8メートル)から出土した。
当時の桃は現在と違う品種で、ピンポン球ほどの大きさ。
一部に果肉が残ったものや未成熟のものもあることから、
食用ではなく、実をかごなどに入れて供えたらしい。

また同時に、祭祀用の剣形木製品や
黒漆塗りの弓、ミニチュア土器なども出土。
木製品や土器はほとんどが壊されており、
祭祀後に捨てられたとみられる。

桃は中国が原産で日本では弥生時代に広まった。
古代中国の神仙思想では、不老長寿や
魔よけに効く特別な力があるといわれ、
漢代に信仰を集めた女性の仙人・西王母(せいおうぼ)も
不老長寿の仙桃(せんとう)を持ったとされる。

3世紀末の魏志倭人伝には、卑弥呼が「鬼道」で
人々の心をとらえたとの記述があり、
鬼道が神仙思想を指すとの見方もある。

一方、今回の調査では大型建物の南を区画する柵の跡が
東西28メートルにわたって見つかり、
前回調査分を含めると34メートルに達することがわかった。
桃の種が出土した穴は、柵跡を一部壊しており、
大型建物の廃絶後に掘られたらしい。

辰巳和弘・同志社大教授(古代学)の話
「桃は神仙思想の象徴。圧倒的な量から、
山のように積み上げて国家的な祭儀を行ったことをうかがわせる」

◎読売新聞 2010年9月18日
  http://osaka.yomiuri.co.jp/...

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鳥取・普段寺1号墳 「前方後方墳」と確認

古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀末)とされる
南部町天万の普段寺1号墳が、1辺13メートルの後方部を持つ
山陰最古の前方後方墳の可能性が強まった。
発掘調査をしている島根大と鳥取大の
合同調査団(団長、大橋泰夫・島根大教授)が
11日午後1時半から現地説明会を開く。

1号墳は1952年、中国製の三角縁神獣鏡(重文)が発見された。
大和政権と盟友関係があった有力首長の墓とみられる。

8月17日から第8次調査がスタート。
標高54メートルの丘陵頂上で、
あいまいだった後方部の方形を確定した。
前方部を含む全長は25メートルと分かったという。

後方部は、何度もあった盗掘で木棺のあった場所が破壊されていたが、
木棺半分が破壊を免れていた。
長さ約1・5メートルが土中に残っていた。
内部は未調査で、副葬品があるかどうか不明という。
丸太材を使った全長約3メートル、
幅約50センチのくり抜き式木棺とみられる。

鳥取大の高田健一准教授によると、
松本1号墳(島根県)が山陰最古の前方後方墳とされてきたが、
普段寺1号墳はわずかに時代がさかのぼるという。

現地は大安寺駐車場の西約200メートルにある。

◎毎日新聞 2010年9月10日
  http://mainichi.jp/...

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2010.09.05

富山・杉谷古墳群 「石敷」発見

呉羽丘陵に位置する富山大杉谷キャンパス(富山市)の
杉谷古墳群6号墳のすそ野から、
大小の石を敷き詰めた「石敷」が見つかった。
石を配した古墳は県内でも珍しく、
発掘作業にあたる同大考古学研究室は
「祭事に使われた可能性もある」という。

長方形の6号墳は縦49メートル、横29メートル程度で、
方墳としては北陸最大。
弥生時代から古墳時代に至る3世紀前半~4世紀の古墳とみられ、
富山平野を治めた王の墓の可能性がある。

石敷が見つかったのは、南側斜面に接するほぼ水平な地面の土中。
地表から30センチほど掘り進んだ層に、
拳大から人頭大の石が石畳のように敷き詰めてあった。
発掘したのは縦3メートル、横1メートル50の広さだが、
掘り進めば南側斜面に沿って30メートルの長さで続く可能性がある。

南側は富山平野に面していることから古墳の正面にあたるとみられ、
同研究室の高橋浩二准教授(40)は
「古墳の豪壮さを示すための飾りか、祭りに使われたかと想像される。
入り口部分に続く道だったかもしれない」としている。

同大は今年から3年計画で調査にあたり、
8月2日~今月10日の日程で発掘作業を続けている。

◎読売新聞 2010年9月3日
  http://www.yomiuri.co.jp/...

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京都・大内北3号墳 墳丘に複数の埋葬施設

京都府埋蔵文化財調査研究センターは2日、
京丹後市大宮町森本の大内北3号墳
(古墳時代前期、4世紀後半〜5世紀初め)で
竪穴式石室や木棺跡、石棺が出土したと発表した。
一つの墳丘に複数の埋葬施設を設ける
弥生時代の埋葬様式を引き継いでいたことを示す貴重な資料という。

同古墳は標高119メートルにある東西24メートル、南北20メートル、
高さ4・5メートルの円墳。
この頂上部(約100平方メートル)から
天井石に覆われた竪穴式石室(長さ2メートル、幅50センチ、高さ30センチ)や
丸太で作るくり抜き式木棺跡(同2・7メートル、同90センチ、同15センチ)のほか、
4基の組み合わせ式石棺など計6基の埋葬施設が出土した。

弥生時代は、一墳墓に複数の埋葬施設を設ける様式が一般的だが、
古墳時代に入ると一墳墓に一埋葬施設のヤマト様式が広がる。

これに対し、丹後は弥生の伝統を受け継いでいたことを示し、
同センターは「ヤマトからの距離が遠く、
政治的影響を受けにくかったのではないか」と推測する。
複数の埋葬施設の出土例は、権現山古墳(久美浜町)に次いで市内で二例目。

大内北古墳の被葬者は、
竪穴式石室から副葬品の短剣と鉄製やりがんなが出土したことから、
竹野川上流のこの地を治めていた有力者の一族という。

◎京都新聞 2010年9月2日
  http://www.kyoto-np.co.jp/...

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2010.07.14

宮崎・今井野遺跡 古墳時代に鉄器生産

延岡市天下町など五ケ瀬川沿いの丘陵地帯で進む
複合産業団地の造成工事に伴う「今井野遺跡」の
一般向け説明会が10日、現地であった。

これまでの調査対象は約3500平方メートルで、
旧石器時代(約1万3000年前)から
古墳時代(約1600~1700年前)にかけての
石器・土器や住居跡、鍛冶(かじ)関連の遺物などが見つかっている。

昨年度「花弁状住居」と呼ぶ弥生時代住居跡を発掘し、
今年度、新たに「器台」と呼ぶ弥生式の
筒状土器の大量の破片が見つかった。
祭祀(さいし)に使用したものを廃棄した場所と推測されるという。

調査ではさらに、古墳時代の鍛冶跡と思われる竪穴式住居で、
鉄造りの残りかすやふいごの破片、金床石の据え跡なども発見された。

市教委文化課の甲斐康太さんは
「今回発掘した住居跡や遺物で、地域間交流があったことや、
今井野地区でも古墳時代に鉄器生産が
行われていたことなどが分かった」と話している。

◎毎日新聞 2010年7月12日
  http://mainichi.jp/...

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2010.07.03

滋賀・宇佐山古墳群 未盗掘石棺に完形頭骨

滋賀県文化財保護協会は28日、大津市神宮町の宇佐山古墳群から、
古墳時代前期末(4世紀末)から中期前半(5世紀前半)にかけての
未盗掘の石棺が見つかったと発表した。
内部には人間の頭骨がほぼ完全な形で残っており、
魔よけなどの意味がある赤色で鮮やかに着色されていた。
被葬者は20~40歳代の小柄な男性とみられ、副葬品は少なかった。
協会は「琵琶湖を一望できる立地などから、水運などで豪族に仕え、
日本海側の文化に影響を受けた職能集団の墓ではないか」とみている。

同古墳群は宇佐山(335メートル)中腹にあり、
これまで古墳時代後期(6世紀)の円墳12基を確認。
古墳群内で砂防工事が計画され、
協会が4月から1600平方メートルを調査していた。

箱式石棺(長さ158センチ、幅36~24センチ、高さ30センチ)は
板状に加工した花こう岩を何枚も組み合わせた形で、
表土から深さ約40センチで確認。
床石はなく、蓋(ふた)石は粘土で接合されていた。
石棺の外には、鉄剣や鉄鏃(ぞく)が副葬されていた。
頭骨は、下あごが見当たらず、
石棺内に流入した土に埋もれて風化したと推定される。

箱式石棺は九州や山陰地方に多く、県内では、
高島市・打下(うちおろし)古墳(5世紀前半)などで出土している。

片山一道・京大名誉教授(人類学)の話
「酸性土壌の日本で、古代の人骨が完形で残る例は極めて貴重。
石棺に納めた遺体の頭部に塗られた水銀朱が、
遺体の腐敗後も頭骨に残り、全体に広がったのだろう」

◎読売新聞 2010年6月29日
  http://osaka.yomiuri.co.jp/...

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