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2011.02.14

根堅州国 須勢理媛 <古事記・日本書紀(8)>

【Podcasting】

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古事記物語 / 著・鈴木三重吉

 大国主神の生みのおかあさまは、それをお聞きになると、たいそうお嘆(なげ)きになって、泣(な)き泣き大空へかけのぼって、高天原(たかまのはら)においでになる、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)にお助けをお願いになりました。

 すると、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は、蚶貝媛(きさがいひめ)、蛤貝媛(うむがいひめ)と名のついた、あかがいとはまぐりの二人の貝を、すぐに下界へおくだしになりました。

 二人は大急ぎでおりて見ますと、大国主神(おおくにぬしのかみ)はまっくろこげになって、山のすそに倒(たお)れていらっしゃいました。あかがいはさっそく自分のからを削(けず)って、それを焼いて黒い粉をこしらえました。はまぐりは急いで水を出して、その黒い粉をこねて、おちちのようにどろどろにして、二人で大国主神のからだじゅうへ塗(ぬ)りつけました。

 そうすると大国主神は、それほどの大やけどもたちまちなおって、もとのとおりの、きれいな若い神になってお起きあがりになりました。そしてどんどん歩いてお家(うち)へ帰っていらっしゃいました。

 八十神(やそがみ)たちは、それを見ると、びっくりして、もう一度みんなでひそひそ相談をはじめました。そしてまたじょうずに大国主神をだまして、こんどは別の山の中へつれこみました。そしてみんなで寄ってたかって、ある大きなたち木を根もとから切りまげて、その切れ目へくさびをうちこんで、その間へ大国主神をはいらせました。そうしておいて、ふいにポンとくさびを打ちはなして、はさみ殺しに殺してしまいました。

 大国主神のおかあさまは、若い子の神がまたいなくなったので、おどろいて方々さがしておまわりになりました。そして、しまいにまた殺されていらっしゃるところをおみつけになると、大急ぎで木の幹を切り開いて、子の神のお死がいをお引き出しになりました。そしていっしょうけんめいに介抱(かいほう)して、ようようのことで再びお生きかえらせになりました。おかあさまは、

「もうおまえはうかうかこの土地においてはおかれない。どうぞこれからすぐに、須佐之男命(すさのおのみこと)のおいでになる、根堅国(ねのかたすくに)へ遁(に)げておくれ、そうすれば命(みこと)が必ずいいようにはからってくださるから」

 こう言って、若(わか)い子の神を、そのままそちらへ立ってお行かせになりました。

 大国主神は、言われたとおりに、命のおいでになるところへお着きになりました。すると、命のお娘(むすめ)ごの須勢理媛(すぜりひめ)がお取次をなすって、

「お父上さま、きれいな神がいらっしゃいました」とお言いになりました。

 お父上の大神(おおかみ)は、それをお聞きになると、急いでご自分で出てご覧になって、

「ああ、あれは、大国主という神だ」とおっしゃいました。そして、さっそくお呼(よ)びいれになりました。

 媛(ひめ)は大国主神のことをほんとに美しいよい方だとすぐに大すきにお思いになりました。大神には、第一それがお気にめしませんでした。それで、ひとつこの若い神を困(こま)らせてやろうとお思いになって、その晩、大国主神を、へびの室(むろ)といって、大へび小へびがいっぱいたかっているきみの悪いおへやへお寝(ね)かせになりました。

 そうすると、やさしい須勢理媛(すぜりひめ)は、たいそう気の毒にお思いになりました。それでご自分の、比礼(ひれ)といって、肩(かた)かけのように使うきれを、そっと大国主神におわたしになって、

「もしへびがくいつきにまいりましたら、このきれを三度振(ふ)って追いのけておしまいなさい」とおっしゃいました。

 まもなく、へびはみんなでかま首を立ててぞろぞろとむかって来ました。大国主神(おおくにぬしのかみ)はさっそく言われたとおりに、飾(かざ)りのきれを三度お振(ふ)りになりました。するとふしぎにも、へびはひとりでにひきかえして、そのままじっとかたまったなり、一晩じゅう、なんにも害をしませんでした。若(わか)い神はおかげで、気らくにぐっすりおよって、朝になると、あたりまえの顔をして、大神(おおかみ)の前に出ていらっしゃいました。

 すると大神は、その晩はむかでとはちのいっぱいはいっているおへやへお寝(ね)かせになりました。しかし媛(ひめ)が、またこっそりと、ほかの首飾りのきれをわたしてくだすったので、大国主神は、その晩もそれでむかでやはちを追いはらって、また一晩じゅうらくらくとおやすみになりました。

 大神は、大国主神がふた晩とも、平気で切りぬけてきたので、よし、それではこんどこそは見ておれと、心の中でおっしゃりながら、かぶら矢(や)と言って、矢じりに穴(あな)があいていて、射(い)るとびゅんびゅんと鳴る、こわい大きな矢を、草のぼうぼうとはえのびた、広い野原のまん中にお射こみになりました。そして、大国主神に向かって、

「さあ、今飛んだ矢を拾って来い」とおおせつけになりました。

 若い神は、正直(しょうじき)にご命令を聞いて、すぐに草をかき分けてどんどんはいっておいでになりました。大神はそれを見すまして、ふいに、その野のまわりへぐるりと火をつけて、どんどんお焼きたてになりました。大国主神は、おやと思うまに、たちまち四方から火の手におかこまれになって、すっかり遁げ場を失っておしまいになりました。それで、どうしたらいいかとびっくりして、とまどいをしていらっしゃいますと、そこへ一ぴきのねずみが出て来まして、

「うちはほらほら、そとはすぶすぶ」と言いました。それは、中は、がらんどうで、外はすぼまっている、という意味でした。

 若い神は、すぐそのわけをおさとりになって、足の下を、とんときつく踏(ふ)んでごらんになりますと、そこは、ちゃんと下が大きな穴になっていたので、からだごとすっぽりとその中へ落ちこみました。それで、じっとそのままこごまって隠れていらっしゃいますと、やがてま近まで燃えて来た火の手は、その穴の上を走って、向こうへ遠のいてしまいました。

 そのうちに、さっきのねずみが大神のお射になったかぶら矢をちゃんとさがし出して、口にくわえて持って来てくれました。見るとその矢の羽根のところは、いつのまにかねずみの子供たちがかじってすっかり食べてしまっておりました。

 須勢理媛(すぜりひめ)は、そんなことはちっともご存じないものですから、美しい若い神は、きっと焼け死んだものとお思いになって、ひとりで嘆(なげ)き悲しんでいらっしゃいました。そして火が消えるとすぐに、急いでお弔(とむら)いの道具を持って、泣(な)き泣(な)きさがしにいらっしゃいました。

 お父上の大神も、こんどこそはだいじょうぶ死んだろうとお思いになって、媛のあとからいらしってごらんになりました。

 すると大国主神(おおくにぬしのかみ)は、もとのお姿(すがた)のままで、焼けあとのなかから出ていらっしゃいました。そしてさっきのかぶら矢をちゃんとお手におわたしになりました。

 大神(おおかみ)もこれには内々(ないない)びっくりしておしまいになりまして、しかたなくいっしょに御殿(ごてん)へおかえりになりました。そして大きな広間へつれておはいりになって、そこへごろりと横におなりになったと思うと、

「おい、おれの頭のしらみを取れ」と、いきなりおっしゃいました。

 大国主神はかしこまって、その長い長いお髪(ぐし)の毛をかき分けてご覧になりますと、その中には、しらみでなくて、たくさんなむかでが、うようよたかっておりました。

 すると、須勢理媛(すぜりひめ)がそばへ来て、こっそりとむくの実と赤土とをわたしてお行きになりました。

 大国主神は、そのむくの実を一粒(ひとつぶ)ずつかみくだき、赤土を少しずつかみとかしては、いっしょにぷいぷいお吐(は)き出しになりました。大神はそれをご覧になると、

「ほほう、むかでをいちいちかみつぶしているな。これは感心なやつだ」とお思いになりながら、安心して、すやすやと寝いっておしまいになりました。

 大国主神は、この上ここにぐずぐずしていると、まだまだどんなめに会うかわからないとお思いになって、命(みこと)がちょうどぐうぐうおやすみになっているのをさいわいに、その長いお髪(ぐし)をいく束(たば)にも分けて、それを四方のたる木というたる木へ一束ずつ縛(しば)りつけておいたうえ、五百人もかからねば動かせないような、大きな大きな大岩を、そっと戸口に立てかけて、中から出られないようにしておいて、大神(おおかみ)の太刀(たち)と弓矢(ゆみや)と、玉の飾りのついた貴(とうと)い琴(こと)とをひっ抱(かか)えるなり、急いで須勢理媛(すぜりひめ)を背なかにおぶって、そっと御殿をお逃(に)げ出しになりました。

 するとまの悪いことに、抱えていらっしゃる琴が、樹(き)の幹にぶつかって、じゃらじゃらじゃらんとたいそうなひびきを立てて鳴りました。

 大神はその音におどろいて、むっくりとお立ちあがりになりました。すると、おぐしがたる木じゅうへ縛りつけてあったのですから、大力(おおぢから)のある大神がふいにお立ちになるといっしょに、そのおへやはいきなりめりめりと倒(たお)れつぶれてしまいました。

 大神は、

「おのれ、あの小僧(こぞう)ッ神め」と、それはそれはお怒(いか)りになって、髪(かみ)の毛をひと束ずつ、もどかしく解きはなしていらっしゃるまに、こちらの大国主神はいっしょうけんめいにかけつづけて、すばやく遠くまで逃げのびていらっしゃいました。

 すると大神は、まもなくそのあとを追っかけて、とうとう黄泉比良坂(よもつひらざか)という坂の上までかけつけていらっしゃいました。そしてそこから、はるかに大国主神を呼びかけて、大声をしぼってこうおっしゃいました。

「おおいおおい、小僧ッ神。その太刀と弓矢をもって、そちのきょうだいの八十神(やそがみ)どもを、山の下、川の中と、逃げるところへ追いつめ切り払(はら)い、そちが国の神の頭(かしら)になって、宇迦(うか)の山のふもとに御殿を立てて住め。わしのその娘(むすめ)はおまえのお嫁(よめ)にくれてやる。わかったか」とおどなりになりました。

 大国主神(おおくにぬしのかみ)はおおせのとおりに、改めていただいた、大神(おおかみ)の太刀(たち)と弓矢(ゆみや)を持って、八十神(やそがみ)たちを討(う)ちにいらっしゃいました。そして、みんながちりぢりに逃(に)げまわるのを追っかけて、そこいらじゅうの坂の下や川の中へ、切り倒(たお)し突(つ)き落として、とうとう一人ももらさず亡(ほろ)ぼしておしまいになりました。そして、国の神の頭(かしら)になって、宇迦(うか)の山の下に御殿(ごてん)をおたてになり、須勢理媛(すぜりひめ)と二人で楽しくおくらしになりました。

青空文庫より

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【造化の三神】

・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
・神産霊神(かみむすびのかみ)

関連ページ
天地開闢・国産み・黄泉の国 <古事記・日本書紀(2)>
四柱神社 造化の三神 <古事記散策>
東京大神宮 造化の三神 <古事記散策>

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【黄泉の国への入口】

島根県出雲市にて

島根県出雲市にて

島根県出雲市にて

猪目洞窟遺跡・案内板より
この洞窟遺跡は、1948(昭和23)年に
漁船の船置場として利用するため
入口の堆積土を取り除いた時に発見されたものです。
凝灰岩の絶崖にできたこの洞窟は、東に向かって開口しており
幅30m,奥行き30mあります。
この遺跡は、縄文時代中期の土器片も少量採集されていますが
弥生時代以降、古墳時代後期まで(2,300~1,400年前)の
埋葬と生活の遺跡としては人骨が13体以上見つかっており、
特に注目されるものとしては
南海産のゴホウラ製貝輪(かいわ)をはめた弥生時代の人骨や
舟材を使った木棺墓(もっかんぼ)に葬られた古墳時代の人骨、
稲籾(いなもみ)入りの須恵器(すえき)を副葬した人骨などがあります。
生活の遺跡としては、各種木製品、土器、骨角器などの道具や
食料の残滓と思われる貝類、獣骨、鳥骨、魚骨、木の実など
また多量の灰などがあります。
発見当時、大社考古学会により調査が行われた関係から
出土品は現在、大社町の
史跡猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫で保管されています。
(出雲市・出雲市教育委員会)

関連ページ
天地開闢・国産み・黄泉の国 <古事記・日本書紀(2)>

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【黄泉比良坂】

島根県東出雲町にて

関連ページ
黄泉の国・天照大神の誕生 <古事記・日本書紀(3)>

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【比礼】

参考:風俗博物館「頂巾・比礼をつけた歌垣の女」より
http://www.iz2.or.jp/...

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【古事記・日本書紀 Podcasting】
(1)概要紹介
(2)天地開闢・国産み・黄泉の国
(3)黄泉の国・天照大神の誕生
(4)天の岩屋
(5)八岐大蛇
(6)スサノオノミコトと牛頭天王、蘇民将来
(7)因幡の白兎 八上媛
(8)根堅州国 須勢理媛
(9)大国主神の国づくり

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