« 2011年8月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年1月

2012.01.10

近代日本 1853年~

(1)黒船来航 ペリー 浦賀 久里浜

(2)プチャーチン来航 安政の大地震

(3)ペリー退去後 [1853年6月-11月] 品川台場 韮山反射炉

--------------------------------------------------------------

歴史ラジオ

iTunesで自動的に最新回のダウンロード(定期購読)を希望される場合には、
↓下記画像をクリックください。

iTunesのダウンロード案内ページ

--------------------------------------------------------------

ペリー退去後 [1853年6月-11月] 品川台場 韮山反射炉

▼1853年 (嘉永6年)

6月3日
米国(ペリー):軍艦4隻を率いて浦賀に来航

 ・威嚇の目的も兼ねて執拗に東京湾内を測量
  →幕府:東京湾内の強化と軍艦の所有に向けて動くキッカケに。

6月9日
幕府:米国フィルモア大統領の国書を久里浜で受理

6月12日
米国(ペリー):国書の回答を翌年春まで延期することを認めて浦賀を退去

6月22日
幕府:徳川家慶(いえよし)没 [病のため]

6月24日
米国(ペリー):琉球國を威嚇、貯炭所建設の権利を獲得

6月27日
米国(ペリー):香港へ出港

7月1日
幕府:米国からの国書を諸大名に示して、意見を聞く

 ・下級の幕臣(ばくしん)、知識人、町民まで含めて800通近い
  建白書(けんぱくしょ)が寄せられたといわれている。
 ・老中が意見を広く募るのは前代未聞のこと。
  →幕府独裁の弱体化が露呈→後に重大な影響

 出された意見を分類すると次の3つ。

  1.米国からの要求は拒絶し、現状を維持。
    (諸大名も含め、圧倒的多数意見)

  2.部分的な開国に応じる。(消極的開国論)
    →実力阻止には日本の軍備は極端に貧弱で戦いは不可能。
      併合されるよりは、最小限の妥協を。
      年限を決めた貿易を始め、その間に軍備増強をはかり
      貿易に利益が無ければ中止する。

  3.積極的に開国に応じる。(少数意見)
    →開国・開港による貿易での利益を軍備の財源にし、海軍を持つ。
    →大型外洋船を造船する。
      ※江戸湾を外国軍艦に封鎖されては大江戸は機能不全になる。
        伊豆七島が占領されてしまうことも避けるべき。

7月3日
幕府:徳川斉昭(なりあき)[前・水戸藩主/攘夷論者]を海防評議に参加させる

 ・攘夷論:外国人を実力行使で排斥(はいせき)しようという思想。

7月18日
ロシア(プチャーチン):軍艦4隻を率いて長崎に来航

7月19日
幕府:ロシア皇帝ニコライ一世の国書を受理

8月23日
幕府:品川台場 築造開始

 ・指揮を西洋兵学家で海防に実績のある
  伊豆韮山代官 江川英龍(えがわひでたつ)に命じた。
  →オランダの築城書を参考に工事を指導。

9月15日
幕府:大船建造の禁(おおぶねけんぞうのきん)を解く

 ・国産初の洋式軍艦となる鳳凰丸(ほうおうまる)を
  浦賀造船所(浦賀ドック)にて建造。

 

  浦賀ドック その他の写真

 ・水戸藩の旭日丸、薩摩藩の昇平丸、
  難破したロシア船の代船として建造された戸田号をモデルとした
  君沢型なども建造されていく。

  →日本人による国産軍艦建造の道。
  →咸臨丸、観光丸、同時に軍艦の輸入にも力を入れ、海軍創設を急ぐ。

9月
幕府:オランダに、鉄砲や兵書などを注文

10月23日
ロシア(プチャーチン):長崎を出港

11月6日
幕府:江戸や周辺地域の豪商農に御用金を命ずる

11月12日
幕府:水戸藩に大船建造を命ずる
 
 
▼情報の拡がり
・黒船来航に関する情報は、瓦版、浮世絵、狂句、狂歌などによって
 全国に拡がった。
・当時の日本の読み書きができる人口[識字率(しきじりつ)]は、世界最高水準。


▼米国・フィルモア大統領からの国書 主な内容
・親友の懇交を結び、通商の条約を定める。
・米国は異国の政礼を侵さない。
・火輪船(蒸気船)で米国から太平洋を渡り、18日で来日可能。
 ※計算上のことにすぎない。
・隣接の両国(米国と日本)が往来すれば、必ず大きな利益を得る。
・貿易を始めても中止は可能、期間も限定できる。
・難破船の船員救助の取決めを交わす。
・火輪船への石炭供給を取決める。

一部引用 ※開国史話  神奈川新聞社 加藤祐三
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%A5%90%E4%B8%89


▼幕府の組織

将軍 - 大老(たいろう) - 老中(ろうじゅう) / 若年寄 -

 ※大老は置かれないことが多い。
 ※大老・老中は現代の三権(立法/司法/行政)に相当する
  権力の執行の補佐役。
 ※老中は数人置かれ、老中の筆頭を老中首座という。
 ※大老が置かれていない時の老中首座は、現在の総理大臣のようなもの。   


▼阿部正弘 (あべまさひろ)
・黒船来航時の老中首座。(34歳)。
・25歳で老中、27歳で老中首座。
・時代の急変を自覚し、広く意見を求め、若手を抜擢しながら政治を動かした。


▼オランダから購入したヤッパン号
・1857年に到着。その後、咸臨丸(かんりんまる)と改名。
・1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため
 勝海舟(かつかいしゅう)を艦長とし、幕府の船として初めて太平洋を横断。


▼雄藩(ゆうはん)
薩摩藩、長州藩、佐賀藩、土佐藩、宇和島藩、福井藩など
財政再建で力をつけた雄藩と呼ばれる諸藩が登場していた。


----------
 
▼品川台場 (第三台場、第六台場)


案内 (レインボーブリッジにて)


案内 (台場公園にて)

案内 (台場公園にて)


建設計画図 (黒船来航図絵巻)
横浜開港資料館 「ペリー来航と横浜」より引用


第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場 (弾薬庫跡)

第三台場

第三台場



第三台場 (陣屋跡)

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場

第三台場 (砲台は当時のものではない)

第三台場 (砲台は当時のものではない)

第三台場 (砲台は当時のものではない)

第三台場 (砲台は当時のものではない)

第三台場

第六台場

第六台場

第六台場

第六台場


その他の写真&サイズ拡大版


----------

▼韮山反射炉


案内


世界遺産を目指して

江川英龍(坦庵)

反射炉

反射炉

反射炉

構造図

明治5年の光景

炉内の様子

出土した鋳型

20ドイムモルチール砲

20ドイムモルチール砲

鋳鉄製24ポンドカノン砲 (復元)

鋳鉄製24ポンドカノン砲 (復元)


その他の写真&サイズ拡大版


----------

【Podcasting】

ケロログ・歴史ラジオ

----------

【近代日本 Podcasting】
(1)黒船来航 ペリー 浦賀 久里浜
(2)プチャーチン来航 安政の大地震
(3)ペリー退去後 [1853年6月-11月] 品川台場 韮山反射炉

----------

iTunesで自動的に最新回のダウンロード(定期購読)を希望される場合には、
↓下記画像をクリックください。

iTunesのダウンロード案内ページ

----------

« 2011年8月 | トップページ | 2012年3月 »