黒部ダム(黒部川第四発電所)
通称「くろよん」。
高さは186m、堤の長さは492m。
もちろん日本最大、世界でも最高クラスのダムです。
嵐の前の静けさです。
赤茶けたダム壁の汚れが、なんとも物々しさを漂わせています。
どこから放水されるかわかります?
ちょっとアップしてみました。
なにやら人が歩くためのような通路がありますね。
放水開始しました。
ドアがあの大きさ・・ ってことは。
両サイド キマシタ!
とっ、鳥が・・ mm 早く逃げろぉ~
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黒部ダム(くろべダム)は、富山県中新川郡立山町、
黒部川水系黒部川に建設されたダムである。
ダムに貯えられた水を利用している発電所が
黒部川第四発電所(黒四)であることから、
俗に黒四ダム(くろよんダム)とも呼ばれることがあるが、
関西電力では、あくまでも「黒部ダム」であるとしている。
黒部ダムは、富山県東部の黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム。
発電に利用する水を確保することを主目的として関西電力によって建設された。
ダムの高さ(堤高)は186mで日本一を誇り、現在でも破られていない。
総貯水容量は約2億tで北陸地方で屈指の黒部湖(くろべこ)を形成する。
日本を代表するダムのひとつである。総工費は建設当時の費用で513億円。
これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。
作業員延べ人数は1,000万人を超え、工事期間中の転落や
トラック・トロッコなどによる交通事故等による殉職者は171人で、
いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。
黒部ダムが建設された地点は黒部川の水量も多く、
水力発電所設置に適した場所であることは大正時代から知られていた。
ただ、第二次世界大戦などもあり、黒部川の開発は下流の仙人谷ダム
および黒部第三発電所にとどまっていた。
戦後、高度経済成長期を迎えると電力需給が逼迫し、
関西電力の代表取締役(当時)太田垣士郎は1956年、
戦前に調査(一割強程度)・計画・設計は実施したものの、
開戦以降お蔵入りとなっていた黒部ダム建設事業を急遽たちあげた。
それは、同社の社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトであり、
近畿(関西)地方への電力供給ひいては経済活動の命運がかかっていた。
黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、
それぞれに異なる建設会社が請け負った。
黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であり、
初期の工事は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送するというもので、
作業ははかどらず困難を極めた。
このため、ダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決める。
しかし、破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となった。
別に水抜きトンネルを掘り、
薬剤とコンクリートで固めながら(グラウチング)掘り進めるという、
当時では最新鋭の技術が導入され、トンネルは貫通し、工期が短縮された。
2006年時点での土砂堆積率は14%であり、ダム本体の耐久性とあわせて考えると、
これからも約250年はダムとして機能するとみこまれている。
ダムから川へ放水する際に霧状にしているが、
これは放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐためである。
当ダムでは110mの高さから毎秒10トン以上の水が放水されていて、
その巨大な力によって川底が大きく削れ
ダムの運営に影響を与える可能性があったためである。
(Wikipediaより)
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◎黒部ダムオフィシャルサイト
http://www.kurobe-dam.com/
◎立山黒部アルペンルート オフィシャルガイド
http://www.alpen-route.com/
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