鉄道写真5

2009.02.02

ヨ8000形

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

千葉県・日向駅~八街駅間にて昭和61年5月31日に撮影

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ヨ8000形は、日本国有鉄道(国鉄)が
1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに製造した
事業用貨車(車掌車)である。

従来から使用されてきたヨ5000形やヨ6000形の補充や、
それ以前の老朽化した車掌車や雑多な有蓋緩急車などの置き換え用として、
1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに1168両が製作された。

性能や外観は従来の車掌車から大幅に変化し、
乗務環境を向上させた最新設備の形式として大量に製作され全国で使用されたが、
1986年(昭和61年)に貨物列車の車掌乗務が原則廃止され、本来の用途を喪失した。

JR移行では添乗や控車などの用途に使用するため一部が承継されたが、
使用頻度は漸次減少しており、淘汰が進んでいる。

製作メーカーは日本車輌・川崎重工・三菱重工・若松車輌センターの4社である。

室内設備は、照明の蛍光灯化、暖房の石油ストーブ化が行われたほか、
2軸の車掌車として初めて便所も設置され居住環境が向上した。

製造初期の車両は最高速度65km/hの車掌車・緩急車が多数残存していた
北海道および四国に集中投入され、
北海道に投入された車両は寒冷対策として2重窓とされている。

鉄道車両の甲種輸送や大物車による特大貨物列車への係員添乗用や
工事用など特殊用途で、わずかながら現在でも使用されている。

2006年4月1日時点の在籍数は、
JR東日本に2両、JR西日本に3両、JR九州に1両、JR貨物25両の計31両である。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「ヨ8000」
  http://www.google.com/...

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2008.07.27

オリエント急行 88

鉄友からもらった写真 (ED76+オリエント急行)

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1988年に、フジテレビ・東日本旅客鉄道(JR東日本)主導のもと、
各国政府・鉄道各社の協力により、NIOEの車両を利用して
パリ→東京間でオリエント急行'88が運行された。

当初国鉄と交渉していたのはVSOEであったが、
紆余曲折のうえ実際に来日したのはNIOEである。

この列車がD51形やEF58形、EF65形(1000番台)機関車などに牽引され、
団体列車として国内各地を走行したことにより
当時のJR各社が受けたインパクトは大きく、
その後JR東日本は豪華寝台車「夢空間」を試作、
JR北海道は寝台列車「北斗星」の個室車両の増備や設備のグレードアップを実施、
JR西日本は「トワイライトエクスプレス」を誕生させることとなった。

列車はフランスから西ドイツ(当時)、東ドイツ(当時)、ポーランド、
ソ連(当時)、中華人民共和国を経由し香港まで陸路を走行、
香港から山口県下松港までは客扱いなしで航送(船で輸送)され、
メインスポンサーでもあった日立製作所の笠戸工場で台車を
JR線走行可能な狭軌のものに交換のうえ広島→東京間を走行した。

大陸側の運行ルートは、
パリ・リヨン駅 (パリ)→ランス駅→ストラスブール駅→★→
フランクフルト中央駅→★→ベルリン・リヒテンベルク駅→★→
ソハチェフ駅→ワルシャワ駅→★→ブレスト駅→ミンスク駅→
モスクワ・ベロルシア駅→モスクワ・ヤロスラブリ駅→ノボシビルスク駅→
イルクーツク駅→ウラン・ウデ駅→ザバイカルスク駅→★→満州里駅→
ハルビン駅→北京駅→★→香港(九龍)駅、であった(★は国境)。

なおこの列車の走行距離は実に15,494kmであり、
最長距離列車としてギネスブックにも登録されている
(正式な国際列車として認められたのはパリ→香港間のみ)。

(Wikipediaより)

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◎EuroNight オリエント急行 - nekomaskさん旅行記
  http://4travel.jp/traveler/...

◎オリエント・エクスプレス
  http://www.orient-express.co.jp/...

◎Google検索「オリエント急行 日本」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「オリエント急行」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「オリエント エクスプレス」
  http://www.google.com/...

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>> 「オリエント急行」 Amazon検索

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2008.06.20

117系

大阪府・高槻駅にて撮影

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国鉄117系電車は、
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流近郊形電車の1系列である。

1979年から1986年までに216両が製造され、
1987年の国鉄の分割・民営化時には、
西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両、
東海旅客鉄道(JR東海)に72両がそれぞれ承継された。

京阪神地区の東海道本線・山陽本線で運行している新快速には、
1972年からそれまでの113系に代えて、
山陽新幹線岡山開業に伴う山陽本線急行の淘汰で
余剰となった153系が投入された。

153系はこの時点では113系と異なり、既に冷房装置を搭載していたが、
製造初年が1958年と古く主電動機が非力で、座席がボックスシートであり、
並行する阪急電鉄京都線と京阪電気鉄道本線の特急車両が
いずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。
また、本来は急行形として設計された車両であり、
デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。

117系は153系のこうした問題点を解消し、
かつ、並行私鉄に対抗できる客室設備を備え、
京阪神地区の輸送事情に適合する車両として設計された。
客室設備は1975年に北九州地区に投入されたキハ66系を基本としており、
それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が
地域の事情に応じて設計、製造した嚆矢となっている。

1982年には東海道本線名古屋地区の快速に使用されていた153系の置換え用に、
名古屋地区にも投入された。
117系は当時の国鉄としては異例ともいえる構造の電車であり、
大阪鉄道管理局が国鉄本社の反対を押し切って、
私鉄との対抗上強引に導入したいきさつもあり、
他地区への導入は国鉄本社としては拒否し続けたものであった。

しかし、当時の名古屋鉄道管理局長・須田寛が
国鉄本社に強力に働きかけたことや、
この車両の導入で快速の編成を8両から6両に減車して153系を76両淘汰し、
差引22両の電車を削減できるというメリット、
並行する名古屋鉄道名古屋本線との競争があることから、
名古屋地区に限って投入することになったものである。

その後に製造された本系列と類似の接客設備を持つ車両としては、
1981年に関東地区に投入された185系、
1983年に広島地区に投入された115系3000番台、
1987年に瀬戸大橋線開業に備え岡山地区に投入された213系が挙げられる。

2007年現在、改造による系列変更を実施された車両は存在するが
廃車は発生していない。
国鉄の直流近郊形電車で1両も廃車が発生していないのは
本系列と121系のみである。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「117系」
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101系

神奈川県・大船工場にて昭和61年9月7日に撮影

神奈川県・浜川崎駅にて撮影

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国鉄101系電車は、1957年(昭和32年)に登場した
日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車。

登場当時はモハ90系電車と称していたが、
称号改正に伴い1959年(昭和34年)に101系と改番された。

国鉄の電車として初めて中空軸平行カルダン駆動方式などの
近代的メカニズムを搭載した、いわゆる「新性能電車」の嚆矢となった系列である。
この系列で採用された基本システムは、
1980年代前半に至るまでの国鉄電車に広く応用された。

1953年(昭和28年)以降、大手私鉄では旧来の吊り掛け駆動方式から脱却して
新世代のカルダン駆動方式を採用した高性能な通勤電車が開発され、
通勤輸送の質的改善に大きな成果を上げていた。
しかし、保守的な国鉄では1956年頃に至っても性能的にやや旧式化した
72系などの量産を継続していた。
101系は、国鉄旧性能車を刷新して電車列車の近代化を図る意図をもって、
大手私鉄の採用実績を見極めた上で開発されたものである。
直接的には、当時最混雑路線であった中央線の輸送改善を目的として製造された。

なお、101系の製造が完全に打ち切られたのは
103系の製造開始から6年が経過した1969年(昭和44年)であった。
これは山手線から総武緩行線に101系を転用する際に
編成両数の違いから中間に制御車2両を組み込む必要が生じたことと、
大阪環状線など一部の増備に際して形式統一の見地から新造車が必要となったためである。

また、一部には151系の181系化改造によって余剰となった
MT46形主電動機が流用された。製造両数は1,535両に及んだ。

最初の投入線区である中央快速線での運用を終了したのは、
201系量産開始後の1985年(昭和60年)3月14日のダイヤ改正である。
ちなみに、1973年(昭和48年)に同線でも運用を開始した103系の運用終了は
1983年(昭和58年)3月であったが、これは起動時の加速度は103系に劣ったものの、
全界磁速度からの伸びは103系に比べて格段に良いと言われた。

またブレーキの応答性も高く、減速時の扱いはむしろ103系よりも良いといわれていたほか、
他線区に比べ冷房化率の低い中央・総武緩行線と南武線に103系の冷房車を回し、
早急な冷房化率の平均化を目指したものと思われる。

現在、JR線上からは消滅した101系であるが、
埼玉県の羽生~三峰口間を走る秩父鉄道では
国鉄時代の1985年(昭和60年)頃からJR化後まで譲渡された
3両編成12本(計36両)が在籍している。

形式は1000形となり、
M'cMTc(クモハ100形 - モハ101形 - クハ101形)の編成で譲渡された。
入線当時は黄色に茶帯の塗装に前面に「秩父鉄道」と表記されていた塗装で
比較的原型を保っていたが、後のワンマン化を前にクリームを基調として
赤と青の帯を施した塗装に変更された。

その後、冷房化(中間車は非冷房のまま)やパンタグラフの2基搭載化などを経て、
2008年3月現在も全車が在籍している。
なお、鉄道博物館の開館に併せて4編成が同年秋から
オレンジバーミリオン・スカイブルー・カナリアイエロー・ウグイス(関西線色)の
4種類の塗装へ順次復元されている。

(Wikipediaより)

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2008.06.18

碓氷峠鉄道文化むら 鉄道資料館

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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碓氷峠鉄道文化むら(うすいとうげてつどうぶんかむら)とは、
東日本旅客鉄道(JR東日本)の
信越本線横川駅-軽井沢駅間の廃止と共に役目を終えた、
群馬県安中市松井田町の横川駅に隣接した横川運転区跡地に建設された、
体験型鉄道テーマパークである。

1999年4月18日に開園。財団法人碓氷峠交流記念財団が運営する。
碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両、
国鉄時代の貴重な車両などを展示・公開している。
また、信越本線の廃線跡を利用してEF63形電気機関車の体験運転が行われたり、
トロッコ列車が運行されたりしている。

電気機関車が圧倒的に多く、中には碓氷峠どころかJR東日本とも関係のない、
北陸や九州で活躍していた車両もあるが、
これは国鉄末期に、「SLの京都(梅小路)に対し、電気機関車の博物館を作ろう」と
多くの特徴的な電気機関車が配属されていた高崎機関区周辺に計画されていた
「高崎電気機関車館」(仮称)の収蔵用として高崎運転所に集められ、
計画が消滅して宙に浮いていた車両を横川に保存することになったためである。

(Wikipediaより)

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2008.05.29

EF70

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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EF70形電気機関車は1961年に登場した
日本国有鉄道(国鉄)の交流用電気機関車である。

本形式は交流電気機関車としては
数少ないF形(動軸6軸)の機関車である。

交流電気機関車は基本的にD形(動軸4軸)で製造されているが、
これは仙山線での試験の際、
予想を上回る粘着特性を示した整流器式のED45形の試験結果より、
交流のD形と直流のF形は同等の牽引力を持つと算定されたことによる。

1962年に11.5‰の連続勾配を有する北陸トンネルが開通するが、
日本海縦貫線である北陸本線の列車単位は極めて大きく、
この時点で1000t、将来的には1100tまで列車単位が引き上げられる予定であった。
これをトンネル特有の多湿環境で勾配もきついとの悪条件のなか、
D形機の単機で牽引するのは難しいという結論が下され、
余裕を持たせて交流機としては初めてF形で製造されることとなった。

当初は田村~福井間の専用機とし、
本務機としてはED74形を投入する予定とされていたが、
作り分けるのは不得策として結果的には
本形式が北陸本線の主力機として増備されることとなる。

1961年~1965年に日立製作所および三菱電機・三菱重工業により
計81両が製造された。
1964年製造の22からは大幅な設計変更がなされている。

製造されたEF70形は、北陸本線の交流電化の進捗とともに運用の場を広げていき、
最終的には田村~糸魚川間で運用されるようになった。
当初は主に貨物列車を中心にけん引したが、
のちにED70形の運用縮小とED74形の九州転出により、
多目的に使用されるようになった。

1968年10月1日のダイヤ改正で急行「日本海」が
寝台特急に昇格することになったため、
20系寝台列車牽引用に22~28が高速列車対応の改造が
松任工場(現・金沢総合車両所)で施工され、1001~1007に車番が変更された。

改造内容は、応速度増圧ブレーキ装置の新設、
電磁ブレーキ制御装置とその引通し回路の新設などである。
また、ナンバープレートがブロック式(プレートを取り付けるタイプ)に変更された。

1969年に信越本線が直流電化された際、
交直接続を糸魚川~梶屋敷間に設けたデッドセクションで行うこととなり、
これに充当する交直流電気機関車が必要となった。

こうしてEF81形が製造されるが、
この時点のEF81形は富山以遠の北陸本線北部に運用されており、
EF70形とは共存していた。
だが1974年にやはりデッドセクションを持つ湖西線が開業し、
対関西の貨物列車の大半が湖西線経由に振り分けられると、
必然的に北陸本線南部でもEF81形が進出する。

こうして地上切換方式だった田村~糸魚川間に運用が制限されるEF70形は、
EF81形のロングラン運用の前になすすべなく余剰化し、
この頃から半数以上が休車状態となる。

高速型改造を施された1000番台も1974年以降、
EF81形に特急けん引の役目を譲り、
他車と共通運用に就くようになった。

2次形以降は車齢がまだ若いことから簡単に廃車にもできず、
本形式の末期は有効な転用先の模索の歴史となる。

まず1980年に61~81がED72形・ED73形の置換用として九州に移った。

九州では電気暖房を使わないため、
本形式はブルートレインや貨物列車などをけん引したが、
軸重の関係で北部九州地区に運用が制限され、
過大出力なうえ高速列車対応機でもないことから彼地でも持て余された。

同じ頃、東海道本線・山陽本線で荷物列車牽引に運用されていた
EF58形の老朽化が深刻になり、代替機関車が必要となった。
しかし国鉄の厳しい財政事情は新造の旅客用機関車を投入することを許さなかった。
そこで、大量に余剰の発生していた本形式の直流化改造計画が持ち上がる。

計画はかなりの所まで具体化したが、
1984年のダイヤ改正で電気暖房を持つEF62形が大量に余剰になることになったため、
改造費のかかる本計画は中止となった。

このように末期のEF70形は運用効率の悪さから不遇を囲い、
1000番台に改造されたものや九州へ転属したものを含めて
1987年の国鉄分割民営化前に全機が廃車されており、
JRには1両も承継されなかった。

殆どの車両が廃車後は解体されているが、4両が静態保存されている。

4
JR西日本金沢総合車両所松任本所
(ナンバーは1を装着)

57
石川県白山市「松任青少年宿泊研修センター」

1001
碓氷峠鉄道文化むら

1003
福井県越前市「金華山やまぼうし温泉」
(ナンバプレートが盗難にあい、1005のナンバーを装着)

(Wikipediaより)

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2008.04.28

E10形 大井川鉄道

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / 2号機

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / 2号機

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / 2号機

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / 2号機

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / 2号機

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大井川鐵道E10形電気機関車は大井川鐵道が所有する電気機関車で、3両が在籍している。

大井川鐵道大井川本線の電化に際して三菱重工(1号機、2号機)と
日立製作所(3号機)で1949年(昭和24年)に製造した電気機関車で、
小型のデッキを持つ45tB-B箱型電気機関車と当時の私鉄では大型に属している。

外見は当時量産されていた国鉄のEF58(旧車体)・EF15と良く似ていて、
同型には神戸電鉄701形や小田急電鉄デキ1041形(1号機、2号機)、
秩父鉄道デキ100形(3号機)などが挙げられる。

また、電気機関車としては珍しく、警笛はホイッスルではなく
電車用のタイフォンを使用している(3号機は片側のみホイッスル装備)。

大井川鉄道の貨物廃止は1983年(昭和58年)で、
それ以降はSLの補機やイベント列車に使用されてきた。

製造所が異なるE103は貨物の減少により1970年(昭和45年)9月に岳南鉄道に譲渡されたが、
岳南鉄道の貨物減少と大井川鐵道のSL列車増発による補機仕業増加と、
両社の機関車需要が変化したことから1984年(昭和59年)4月に帰ってきた。

E103は本来いぶき500形の入線で引退の予定だったが、
中部国際空港埋立土砂輸送のためいぶき500形が三岐鉄道に貸し出されたため延命した。

2003年(平成15年)3月18日で中部国際空港埋立土砂輸送が終了すると同時に
いぶき501が大井川鐵道に返却されたので、現在では千頭駅の留置線に留置されている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「E10形」
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2008.04.01

EF65 500番台

東京都・品川駅にて撮影

東京都・品川駅にて撮影

神奈川県・戸塚駅~大船駅間にて撮影

神奈川県・新鶴見機関区撮影会にて昭和61年8月6日に撮影

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

東京都・田端機関区にて撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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国鉄EF65形電気機関車は、
旧・日本国有鉄道(国鉄)が1964年に開発した、
平坦路線向け直流電気機関車である。

EF60形に続く国鉄直流用電気機関車の事実上の標準形式として、
1979年までに国鉄電気機関車最多の308両が製造された。
貨物列車用として計画されたが、当初から寝台列車牽引にも多用された。

2006年3月の「出雲」廃止で特急運用が消滅し、
2008年3月の急行「銀河」廃止で定期旅客列車の運用はすべて終了した。
現在でも多数が主に貨物列車の牽引に充当されているが、
後継のEF210形の登場で近年は淘汰が進んでいる。

現代のような高速道路がなかった当時、日本の著しい経済成長の中、
国鉄に求められる輸送力の増強はかなり逼迫していた。
これを補うため、電化工事の促進・主要区間の複線化・列車運転速度の向上・
1列車当たりの輸送量の増強・物流システムの効率化を早急に進める必要があった。

電化工事が山陽本線まで及び、コンテナによる輸送方法が確立されると、
重い列車を安定した高い運転速度で長距離運転できる機関車が必要となった。

従来のEF60形機関車はその性能ぶりには定評があったが、
その定格速度は比較的低く(39.0km/h)、
旅客列車・貨物列車の高速化に応じるには難があったことから
EF60形をベースとして新型電気機関車の開発・導入に踏み切った。
こうした経緯の下で登場したのが本形式である。

通常、新型電気機関車の開発・導入時は試作車を作りテストを繰り返すか、
1・2号機を先行落成させ試作機同様に長期テストを行うのが一般的であるが、
本形式は新型標準主電動機MT52を採用して速度向上の余地があった
EF60形後期型を基本として設計されていることもあり、
いきなり量産が開始された。

この事実からも輸送力増強の要求が逼迫していたことが伺える。

その後、一般機の他、20系固定編成を牽引する装置・機器を搭載して
ブルートレイン牽引用として登場した500番台P型や、
重量貨物列車を高速で牽引するための重連総括制御用機器・装置を
P型の持つ機能にさらに追加搭載した500番台F型、
貫通扉を付け耐雪耐寒装備を施した1000番台PF型など、
数々のバリエーションを持つに至った。

500番台(P形)

高速旅客列車牽引用として、
1965年 - 1966年に17両 (501 - 512・527 - 531) が製造され、
1968年に基本番台 (77 - 84) から5両 (535 - 542) が改造された。
「P形」は、「旅客」を表す "passenger" の頭文字に由来する。

従来は20系寝台特急列車牽引用としてEF60形500番台を使用していたが、
同形式は定格速度の面で不利であるため、
EF65形基本番台の設計を元に20系客車牽引用の装備を追加した。

最高110km/h運転のため増圧ブレーキ装置、
電磁指令ブレーキ回路等を増設している。

塗色は直流機標準の青15号とクリーム1号ながら、
特急色と呼ばれる20系客車と意匠を合わせた塗り分けを採用した。
両端面の窓周りを含んだ上部とそれを結ぶように上下にクリーム色の細帯を配する。

東海道・山陽本線における寝台特急列車の牽引機として長く充当された。
しかし当時では前代未聞ともいえる連日片道1,000km以上の高速走行は
走行装置へ大きな負担となり、不具合も目立ってきたため、
1978年秋までに運用を後述の1000番台後期製造分と交代し、
その後は一般貨物列車の牽引にあたった。

この連日長距離運用の経験が、その後の機関車の部品改良や
信頼性向上にフィードバックされている。

2007年12月31日現在、製造時の特急色で稼動状態にあるのは
JR東日本高崎車両センター所属の501、
およびJR貨物高崎機関区所属の535のみである。

500番台(F形)

高速貨物列車牽引用として、
1965年 - 1966年に17両 (513 - 526・532 - 534) が製造された。

P形の高速運転機能に加え、重連総括制御装置の搭載・
10000系貨車連結対応のEF66形同様の
空気管付き密着自動連結器等を追加した区分である。

「F形」の呼称は、「貨物列車」を表す "freight" の頭文字に由来する。

EF66形を運用開始するまでの間、
輸送力増強を迫られていた東海道・山陽本線で、
レサ10000形冷蔵車等の「とびうお」「ぎんりん」・コキ10000形等の
コンテナ列車などの高速貨物列車を当時の大型電気機関車には珍しい
重連運転で牽引した。
また、P形と互して20系寝台列車の牽引にも充当された時期がある。

本機重連による高速貨物列車牽引は、単機牽引では出力不足で
所定の運転時分確保ができなかったことに対する苦肉の策であるが、
列車として過剰となった出力による消費電力の増大は、
変電所への過負荷増大につながるという問題も同時に抱えていた。

また、その当時新型高速高出力機関車(EF66形)が計画・開発中であったため、
本機による高速貨物列車牽引はそれらが登場するまでの暫定的な措置とされており、
EF66形の量産化により新製から2年で高速貨物列車の運用を交代した。

当初の運用終了後は新鶴見機関区に転属、
東北・上越方面の高速貨物列車牽引に充てられ、EF15形など旧型電機を淘汰した。

積雪地区での使用に際し、一部の車両につらら切り・
ホイッスルカバー・スノープラウといった簡単な耐雪耐寒装備が施された。

寒冷地運用では冬季に多雪地域での重連運用の折り返し時、
貫通扉がないために一旦車外に出なくてはならないことや、
ジャンパ栓受がエプロンの片側にしか搭載されておらず、
エンドの向きが変わる運用に充当できない点などが
運転関係者にとっての難点であった。

本格的な耐雪耐寒装備を持つ1000番台の登場後は
再度東海道・山陽本線に復帰し、一般貨物列車の牽引に充当された。

JR移行の前後に高崎機関区に集結。
晩年は首都圏の貨物輸送に充てられた。

2005年7月31日現在、F形として在籍するのは
日本貨物鉄道(JR貨物)高崎機関区所属の515だけであるが、
同機は更新工事・塗色変更を受けており外観は往時と異なる。

EF66とは異なり空気管付き密着自動連結器の撤去は行なわれてない。

保存機

520(碓氷峠鉄道文化むら)
536(KATO関水金属(株)埼玉工場)※前面のみ
539(個人に引き取られた・非公開)※前面のみ
541(JR大井機関区・研修用)

(Wikipediaより)

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◎Google検索「EF65 500」
  http://www.google.com/...

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クモユニ147形

長野県・辰野駅にて撮影

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1983年、飯田線の新性能化にともない、
101系電車から5両が改造された郵便・荷物合造車。

車体や外観などはクモユニ143形に準じているが、
台車や主電動機など、床下機器の一部が異なる。

飯田線に投入された119系電車と同じく、
スカイブルー(青22号)に白帯(灰色9号)の車体塗装で登場し、
豊橋機関区に配属された。

1985年、飯田線の郵便・荷物輸送廃止で大垣電車区(現・大垣車両区)に転じ、
クモニ83形・クモユニ74形を置換えた。

その後国鉄の郵便・荷物輸送全面撤退に伴い、
1987年にクモハ123形40番台に改造されて、身延線へ投入された。

車体塗装は、クモハ123形に改造されるまで
飯田線時代のスカイブルーに白帯のままであった。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「クモユニ147」
  http://www.google.com/...

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119系

長野県・辰野駅にて撮影

長野県・田切駅周辺にて平成3年4月2日に撮影

長野県・田切駅周辺にて平成3年4月2日に撮影

長野県・田切駅周辺にて平成3年4月2日に撮影

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国鉄119系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が
1982年(昭和57年)から製造した直流近郊形電車。

1980年代、吊掛駆動方式を用いたいわゆる「旧形国電」の
代替を進めていく中で開発された電車の一つで、
長大な閑散ローカル線である飯田線の旧形電車を置換えるために製造された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、
全車両が東海旅客鉄道(JR東海)に引継がれた。

中部山岳地帯の電化ローカル線である身延線・大糸線・飯田線では、
戦前製のものも含まれる老朽化した旧形国電が、
1980年代に入っても使われていた。
いずれも勾配の多い路線であることから、
身延線と大糸線は1981年から勾配抑速ブレーキ付きの115系を投入して
旧型国電を置き換えた。

一方、飯田線では旧型国電のうち80系について
一部が165系を用いて置換えが開始された。
順当ならばこちらも115系が導入される可能性もあったが、
飯田線は駅間距離が極度に短いだけでなく、
全線運行距離が最大200km以上(中央本線直通運用が多かった)の長距離に及び、
更に人口希薄地帯をも通過することから2両編成での運行もあるなど、
中距離運用である程度の沿線人口がある身延・大糸線とは異なった、
特殊な輸送事情を抱えていた。

このような飯田線の条件を考慮すると、
中国地方の電化ローカル線の旧形国電置き換え用に既に投入されていた
105系の方が、短編成向け・加速力重視の仕様のため、
115系よりも好都合であった。
しかし105系は長い勾配に対応する勾配抑速ブレーキがないうえ、
通勤形電車のため車内設備がロングシート・トイレなしで長距離輸送に適さなかった。

このため、105系をベースにして飯田線に適合した設備を備える
本系列が開発されたものである。

上述のように本系列は105系をベースにしたもので、
105系の特徴である、高速性能よりも加速力を重視した走行特性と、
短い編成を組むのに適した機器構成を保ちつつ、
連続急勾配を走行するための設備を付加し、長時間乗車に適した車内設備とした。

特殊な性格の路線である飯田線の路線条件への最適化を図ったもので、
特定のローカル線での運用を主眼に置いて設計された点では、
国鉄電車の中でも極めて特異な存在である。

製造コスト低減のため、全体に簡素な構造を採用すると共に、
走行機器・内装部品等の一部には廃車発生部品を再利用している。

なお、1986年(昭和61年)には一部の編成が改造を受け、
東海道本線静岡近郊のシャトル列車運用(愛称「するがシャトル」)に
用いられていたことがある。

2007年4月現在、計55両が在籍している。

2004年(平成16年)10月20日、飯田線伊那新町駅~羽場駅間で
台風による大雨のため路盤が流失しているところに通りがかった
R4編成(クハ118-5316+クモハ119-5324)が脱線転覆、大破した。
両車は2006年(平成18年)3月28日付で本系列では初の廃車処分とされた。

現在、R4編成の代わりにE3編成(クハ118-5005+クモハ119-5005)が
ワンマン改造を受け、R8編成(クハ118-5305+クモハ119-5305)として使用されている。

製造後すでに20年以上が経過しているが、
現時点において廃車されたのは上記の事故による2両のみで、
老朽・余剰による廃車はない。
また、今のところ経年による車両置換えの計画もない。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「119系」
  http://www.google.com/...

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