【記憶の小箱】 東京生活時代 ~3歳まで
記憶が消える前にメモメモ。(゚ー゚)
・最初の友達は2歳の時に知り合った隣家のヨッちゃん=タメ&鉄オタ。
・ヨッちゃんの家の大きなブランコで乗り物ゴッコをして遊んだ。
・ヨッちゃんの家の大きなブランコに乗りながら食パンを食べた。
甘くてとても美味しかった。パン耳は食べれなかった。
・近所のお姉ちゃんのシーちゃんが子供グループを仕切っていた。
・シーちゃんの家は大きな亀を漬物空バケツの中で飼っていた。
・シーちゃんの家は豪邸だった。
・シーちゃんの家の納屋を秘密の基地にして、
真っ暗な基地の中で遊んだ。
・最寄り駅の商店街に1軒だけおもちゃ屋があり
通りかかると、外からプラレールの在庫状況が見えたので
親に内緒で常に横目でチェックしていた。
・ある日、東海道色のプラレールが置いてあった。
・商店街のパン屋には、赤ラベルの食パンと青ラベルの食パンがあった。
自分は赤ラベルが食べたかったのに、親はいつも青ラベルばっかり
買っていたので、気に食わなかった。
・食パンのラベルに思いっきり顔をぶつけると、いい匂いがして幸せだった。
・駅の隣にあるアーケード内の魚屋にたまに行った。
・駅の踏み切りで、いつも西武バスが走っているのが見えた。
決して乗ることがなかったので、いつか乗ってみたいと夢に描いていた。
・夏は萩山のプールに行った。
親父はガツガツ泳いでいた気がする。
・西武園には沢山行った。
いつも西武山口線でユネスコ村へ。
行きはバッテリー電気機関車で、帰りはSLだった。
・ユネスコ村には大きな風車があった気がする。
・青梅街道駅付近の線路沿いにある保健所で何度か注射をした。
友達のヨッちゃんは泣き叫んでいたので、自分は絶対に泣かないようにした。
結果、親に褒められた。
・家の風呂は木の桶の大きな感じのものだった。
・風呂でダイヤブロックを洗った。
・風呂でトイレをしてしまった。
・歯ブラシを入れるケースが、とてもメカちっくで興味があった。
・寝るとき、「ねんねするのよ」と言われていた気がする。
・親父の自転車は青のゴツい自転車だった気がする。
・自分の自転車も青の自転車。
・・・ 続く
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