鉄道写真9

2010.06.12

江ノ電 (江ノ島電鉄) 100形 タンコロ

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

神奈川県・極楽寺検車区にて平成19年11月に撮影

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100形電車は、江ノ島電鉄(江ノ電)が
1929年(昭和4年)から導入した電車である。
営業運転最終期からは「タンコロ」として親しまれるようになった。

江ノ電初のボギー台車採用車として
1929年に101形101~104号車が雨宮製作所で、
1931年(昭和6年)に105形105号が川崎車輛(現・川崎重工業)で、
106形106~110号車が新潟鐵工所で製造された。

101~105号と106~110号では車体の長さが微妙に違うほか、
ドアの構造や高床から低床になるなどかなりの違いがあった。
さらに105号のみメーカーが違うため
101~104号とは微妙に違うところが存在した。

機器類は直接制御、単純な直通ブレーキ、Z形パンタグラフなど
統一されていたものが大半である。

当時の江ノ電は各駅のホーム高さが低かったため、
ドアにステップがついており路面電車然としたスタイルであったが、
1955年(昭和30年)に各駅ホームの嵩上げが完了したため、
ドアを改造してステップを撤去した。

輸送力増強と近代化のため、
101~104の4両が1957年(昭和32年)に、
106と109が1958年(昭和33年)に
連接台車構造の300形へ改造され、
単車で残ったのはわずか4両となった。

さらに105号は1970年(昭和45年)に600形が入線した際に、
110号は1974年(昭和49年)の藤沢駅高架化に伴う
600形出力増強の際にモーターを供出して休車とされ、
どちらも1979年(昭和54年)に廃車された。

最後まで単車運転で使用された107、108号も、
スペース上ATSが搭載できないため
1980年(昭和55年)に廃車された。

108号車は極楽寺駅近くの極楽寺検車区構内にある
専用の保管庫に納められて動態保存されている。
イベントなどで走行することもある。
引退後の一時期は江ノ島駅構内に留置されていた。

また、107号も集電装置をポールに変更した上で、
鎌倉市由比ヶ浜の公園で保存されており、
昼間は車内に入ることができるが、
公園は海岸に面しているが所有の鎌倉市が
車体の整備等を行っていないため、
金属部分に錆が生じているなど、状態はやや悪かった
(一時期窓ガラスが割られるなどしたため車内へは入れなくなっていた)が、
2009年に改修が行われ車体が綺麗になった。

108号はテレビ番組で江ノ電が取り上げられると登場するシーンも多く、
かつて日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画
「電池で電車は動くか?」の実験に使われ、
乾電池だけで数メートル動いた。

(Wikipediaより)

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▼namikamomeさんの動画より

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2010.05.30

EF57

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

栃木県・宇都宮駅東公園にて平成22年5月に撮影

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EF57形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である
鉄道省が旅客列車牽引用に製造した直流用電気機関車である。

鉄道省が太平洋戦争前に製造した最後の旅客用電気機関車であり、
東海道本線における優等列車牽引用途を企図したものである。

戦時体制下で開発・製造された機関車ではあったが、
良質な材質・工作によって製造され、
当時における優秀機として完成された。

基本的な外観は、
長大な2C+C2配置の台車枠上に箱形車体と
両端のデッキを備える古典的形態である。

1940年(昭和15年)10月に登場した1号機は、
既存の旅客列車用電気機関車EF56形の13号機として
出場する予定であったが、出力275kWの
新開発強力型モーター「MT38」を新たに搭載することになり、
定格出力が1,350kWから1,650kWに強化されたことで、
新形式に改められた。
外観はEF56形後期形(8 - 12)に準じ、
パンタグラフが中央に寄っていることで区別できる。

EF56形は、日本で初めて
客車の暖房用蒸気発生装置を車載した電気機関車であるが、
本形式も基本仕様は踏襲し、
煙管式のボイラーと水および重油タンクを車載している。
これによって、暖房用ボイラーを搭載した
「暖房車」を冬期に連結することを不要とした。

1941年(昭和16年)に2号機以降が登場。
1943年(昭和18年)までに前述の1号機を含めて15両が
日立製作所、川崎重工業・川崎車輌で製造された。

1号機と2号機以降との最大の相違点は、
屋上のパンタグラフ2基を車体両端一杯に寄せ、
蒸気暖房装置の煙突に接触しない様にやや高い位置に設置して、
可能な限り2基の間隔を採るように改め、
さらに通風器を増設した点が挙げられる。
これは、抵抗器容量の変更から
機器室内の通風能力を向上させる必要が生じたこと、
パンタグラフ2基が接近していることによる
架線押上げ力の増大への対策などが原因である。
他にも車体の側面形状が変更されるなど、
外見は1号機と大きく異なったものとなっている。

戦後の東海道本線浜松電化(1949年(昭和24年)に際し、
同区間には蒸気機関車牽引当時の
跨線橋やトンネルが多く残っており、
2号機以降についてはパンタグラフ高さを抑制する必要が生じた為、
パンタグラフを前方に450mm移動させて
屋上車端部からアウトリガを張り出し、
ここにオーバーハングしてパンタグラフを設置する形態に改められた
(これにより、パンタグラフ取付け高さが100mm低められた)。

パンタグラフがますます極端に突き出した武骨きわまりない形態は、
他にほとんど類例がなく、本形式の特徴として印象付けられるに至った。

製造当初は沼津機関区に配置され、
戦前戦中における最強力の旅客列車用機関車として、
東海道本線の特急・急行列車を中心とした客車列車の牽引に使用された。

ただし、蒸気暖房装置は不調な場合が多いことから
暖房装置取り扱い専門の機関助士が乗務しただけではなく、
運転中に暖房装置の状態を監視しやすくするため
転車台で方向転換をして運用したこともあったが、
石油不足もあって、暖房車を連結して走ることも多かった。

戦後、1946年(昭和21年)開発の旅客列車用後続形式であるEF58形は、
蒸気暖房装置が搭載されなかったこともあって、
EF57形は引き続き東海道本線の優等列車牽引機として、
特急「つばめ」や「はと」の牽引も担当するなど、幅広く運用された。

一方、1948年(昭和23年)11月に12号機が
追突事故を起こして事故廃車となっている。

しかし、1952年(昭和27年)以降EF58形が大改良を受けて
1,900kW級・自動式暖房ボイラー搭載の流線型機関車となり、
大量増備されるようになると、
出力の劣るEF57形は優等列車の牽引機の座をEF58形に譲り、
普通列車の牽引が主な運用となった。

さらに、1956年(昭和31年)の東海道本線全線電化を控えて、
車軸がコロ軸受ではなく長距離運用が困難で、
またかねてから、長編成の列車が多い東海道本線では
暖房能力の不足が指摘されていた本形式は、
高崎・上越線で使用されていた蒸気暖房装置付きの
EF58形と交換する形で高崎第二機関区や長岡機関区に転じた。

1975年(昭和50年)の山陽新幹線博多開業によって
広島・下関区で余剰となったEF58形が宇都宮運転所に転入すると、
EF56形の全機廃車とともにEF57形も状態不良車から廃車が始まり、
1976年(昭和51年)10月のダイヤ改正後は
残存機が20系客車に置き換えられた
夜行急行「新星」を牽引することもあったが、
EF58形の転入が進んだことにより
1977年(昭和52年)正月の臨時列車牽引を最後にほぼ運用を終え、
1978年(昭和53年)10月までに全機が廃車された。

7号機が宇都宮市の宇都宮駅東公園で静態保存されている。
また、1号機の動輪が宇都宮運転所に保存されている。

(Wikipediaより)

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2010.05.27

DB20 1

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成22年5月に撮影

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2010.05.24

167系

神奈川県・大船駅~戸塚駅間にて撮影

神奈川県・根府川駅付近にて撮影

神奈川県・東戸塚駅付近にて撮影 / 急行 ごてんば

東京都・交通博物館にて撮影

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1965年に155・159系と同様165系をベースに
山陽地域の修学旅行列車用に製造された系列。
乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、
大型の脱着可能な折り畳み式テーブルを備えている。

また、それ以前の155・159系との編成を前提に、
モハ167・166形ユニットの中間電動車と
クハ167形制御車のみの構成になっている。
しかし一般の列車にも使用することを想定して、
室内設備については165系との相違点は少なく、
低屋根構造はパンタグラフ部のみである。

クハ167形のモックアップが製造されている。
これは2006年5月14日に閉館した
交通博物館に展示されていたもので、
日本車輌製造が実車と同様の部品を使用して
出張製造を行った。
修学旅行色の車体に「なかよし」のヘッドマークを
前面貫通扉に掲出していた。
なお交通博物館閉館後は、鉄道博物館に移設され
ノースウイング(北側別館)に展示されている。
製造当時に比べ、徐々に短縮化されており、
現在は運転台部分と1区画程度の長さとなっている。

1965年7月に4両編成4本16両を
田町電車区(現・田町車両センター)に配属し、
同年10月より品川~京都間に「わかくさ」として運転が開始。

翌1966年1月から2月にかけて、
4両・6両編成36両を下関運転所に配属し、同年4月から、
下関を起点に広島行「なかよし」(小学生向け)
京都行「友情」(中学生向け)
東京行「わこうど」(高校生向け)として、
それぞれ運転を開始した。

修学旅行用列車の新幹線への移行に伴い、
下関所属車は1974年から1975年にかけて
田町区に4両編成5本20両、宮原電車区に
クハ167形4両とモハ167・166形ユニット6組12両の
計16両が転出した。

修学旅行列車以外に特筆されるのは、
オフシーズンに「わこうど」の時刻で運転された
臨時急行「長州」での運用で、
東京~下関間1,000km以上を直通運転した。

しかし定期急行列車での運用は、
1981年10月から1985年3月まで「ごてんば」2往復に
田町区のものが使用されたのが唯一である。

当初の塗色はカナリヤイエローとライトスカーレットの
修学旅行色で非冷房だったが、
1978年9月の車両塗装に関する規定の改定で
修学旅行色が廃止されたため、
1979年以降塗色を湘南色に変更し、
165系と編成を組み山陽・信州・上越方面の
臨時急行及び波動輸送用に転用された。

(Wikipediaより)

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▼kokutetsushokuさんの動画より (東海道以外は165系)

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2010.05.17

クモヤ143形 0番台

東京都・東京総合車両センターにて平成21年8月に撮影

東京都・東京総合車両センターにて平成21年8月に撮影

東京都・東京総合車両センターにて平成21年8月に撮影

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クモヤ143形は、首都圏地区のATC化に対応し、
また老朽化したクモヤ90形の代替として、
1977年に登場した直流用事業用車(牽引車)である。
出自の違いにより、0番台、50番台の2番台区分が存在する。

0番台

1977年から1980年(昭和55年)までに21両が製造され、
浦和電車区・品川電車区をはじめとした
首都圏の通勤路線を受け持つ車両基地に配置された。

国鉄分割民営化に際しては21両全車が
東日本旅客鉄道(JR東日本)へ継承された。
このうち、3は1992年(平成4年)に
新幹線対応(標準軌・交流)のクモヤ743形へ改造された。
また、2004年(平成16年)にはE491系の導入に伴い、
17と18が初の余剰廃車となったが、
現車は東大宮と新秋津にそれぞれ訓練用として残されており、
解体はされていない。

各車両基地での入換作業や、
最寄駅との間で社員輸送などを行うことが多いが、
本来の牽引車として最も稼働率が高いのは
川越車両センター所属の11で、
主にATCのない209系川越・八高線仕様車が
定期検査で東京総合車両センターに入出場する際の先頭に立っている。
(現在は埼京線のダイヤ修正に手間がかかることから、
行なわれていない模様)
なお、鎌倉車両センターや国府津車両センターなど、
ATCを使用する機会のない車両基地に所属する車両は、
ATCが撤去された。

一部の車両はブレーキ装置に
電気指令式ブレーキ車両との協調対応改造が行われているほか、
川越車両センターの11と
東京総合車両センター所属車の一部はATC100km/h対応である。

塗色は事業用車標準の青15号で、前面に黄5号の警戒色を施している。
なお、国府津車両センター配置の4は、
2007年(平成19年)8月に東京総合車両センターにて
定期検査施工の際に、湘南色に塗装変更された。

(Wikipediaより)

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▼湘南色 / JNRKARECHIさんの動画より

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▼新幹線対応・クモヤ743 / mimosano51さんの動画より

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2010.05.13

横川駅 (JR信越本線)

▼昔の横川駅(碓氷峠廃止前)

snagaokatodorokiさんの動画より

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横川駅は、群馬県安中市松井田町横川にある、
東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。

現在は信越本線の高崎方面からの終着駅となっている。

線路は構内のはずれで途切れているが、
かつては碓氷峠を越えて軽井沢駅へ線路がつながっており、
碓氷峠越えの拠点となる駅であった。

碓氷峠には66.7‰という国鉄・JRで最も急な勾配があり、
列車が上り・下りするためには補機を連結・解結する必要があったため、
全ての列車が長時間停車した。
その時間を利用して乗客が購入していたのが「峠の釜めし」で、
製造販売している「おぎのや」は駅前にある。

相対式ホーム2面2線の間に中線を1線持つ、2面3線の地上駅である。
以前は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線が中線を挟む構造であり、
側線も多数ある広大な構内だったが、
横川〜軽井沢間の廃止後にほとんどが撤去された。

また、構内には碓氷峠越えのための補助機関車の拠点として
横川機関区(のち横川運転区)が置かれていたがこちらも廃止され、
現在は碓氷峠鉄道文化むらとなっている(夜間滞泊運用はある)。

駅舎は木造の古くからのものである。

3番線ホームはかつて島式ホームで、
4番線からは軽井沢方面に向かう列車が発車していた。

当駅から旧4番線を経由して碓氷峠鉄道文化むらに引き込み線が伸びている。

(Wikipediaより)

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▼現在の横川駅

平成22年5月に撮影 / 高崎方向

平成22年5月に撮影 / 高崎方向

平成22年5月に撮影 / 軽井沢方向

平成22年5月に撮影 / 高崎方向

平成22年5月に撮影 / 軽井沢方向

平成22年5月に撮影 / 軽井沢方向

平成22年5月に撮影 / 軽井沢方向

平成22年5月に撮影 / 高崎方向

平成22年5月に撮影 / 軽井沢方向

平成22年5月に撮影 / 軽井沢方向

平成19年9月に撮影 / 高崎方向

平成19年9月に撮影 / 高崎方向

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影 / 軽井沢方向

平成19年9月に撮影 / 高崎方向

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影

平成19年9月に撮影

平成22年5月に撮影 / 高崎方向

平成22年5月に撮影 / 高崎方向

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2010.05.12

彩(いろどり) JR東日本 ジョイフルトレイン

長野県・上田駅にて平成22年5月に撮影

長野県・上田駅にて平成22年5月に撮影

長野県・上田駅にて平成22年5月に撮影

長野県・上田駅にて平成22年5月に撮影

長野県・上田駅にて平成22年5月に撮影

長野県・軽井沢駅にて平成22年5月に撮影

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彩(いろどり)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が
2006年以降に保有している鉄道車両(電車)で、
ジョイフルトレインと呼ばれる車両の一種である。

長野支社では14系客車改造のジョイフルトレイン「浪漫」を
1995年から保有していたが、
老朽化の進行ならびに機関車牽引による運用効率の問題から
廃車させることになり、代替の後継車両として
485系電車から改造されたのが「彩」である。

快速「くびき野」で限定運用されていた新潟車両センター所属の
4両編成であるT21・22編成から、
T21編成の制御車を除いた6両を充当した。
なお、余剰となったクハ481-333・1507は廃車・解体となっている。

愛称表示機は、従来の幕式から
市販の40Vワイド液晶ディスプレイに交換。

中央本線の狭小トンネル対策から、
運転室上部の前照灯は撤去。
静電アンテナは客室部屋根上に移設。

腰部の前照灯・後部標識灯を上部に移設。

塗装は、白を基調として裾部にベージュを塗装。
上部に各号車ごとのイメージカラーを配し、客用扉にロゴを設置した。

制御車は座席車、中間電動車は座席をフルフラットにすることも可能である
簡易コンパーメント車もしくはフリースペースカーとした。

モロ484形は種車の第2パンタグラフを撤去し、
第1パンタグラフは狭小トンネルである中央本線への乗り入れ対策として
485系初となるシングルアーム式PS32形を搭載した。

(Wikipediaより)

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2010.05.01

豊橋鉄道 モ3100形 3102号

愛知県・赤岩口車庫にて平成21年8月に撮影

愛知県・赤岩口車庫にて平成21年8月に撮影

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豊橋鉄道モ3100形電車は、
豊橋鉄道が保有する路面電車(東田本線)用の車両。
名古屋市電で使用されていた1400形電車を
1971年(昭和46年)に譲り受けた車両である。

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名古屋市電在籍時代
1937年(昭和12年)に名古屋市で開催された
名古屋汎太平洋平和博覧会に先立ち、
名古屋市交通局が観客輸送対応のため、
「博覧会に相応しい世界一の電車」を標榜して
1936年(昭和11年)より製造した1400形が、本形式の前身である。
1942年(昭和17年)までに75両もの大量製造が図られ、
名古屋市電の標準スタイルを確立した車両となった。
名古屋市電では、市電全廃の1974年(昭和49年)まで使用された。

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名古屋鉄道より同数の7両が移籍してきたモ780形と交代して
2005年(平成17年)7月18日より運用離脱が始まり、
2006年(平成18年)3月5日をもって全車が定期運用を離脱した。

2009年現在、速度計が装備されている3102号が
イベント専用車(冬の「おでんしゃ」、夏の「納涼ビール列車」、
10月の豊橋まつり開催時の花電車など)として残されている。
そのため、車体広告が完全に消され、マルーン一色のみの塗装となっている。

2010年3月に「おでんしゃ」終了後定期運用を復活した。

(Wikipediaより)

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2010.04.10

豊橋鉄道 1800系 (元東急7200系)

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・鉄道保守車両区高師にて平成21年8月に撮影

愛知県・南栄駅付近にて平成21年8月に撮影

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豊橋鉄道1800系電車は、2000年に登場した
豊橋鉄道(豊鉄)渥美線の通勤形電車。
東京急行電鉄(東急)7200系を譲り受けた車両。

渥美線では、1997年に架線電圧を600Vから1,500Vに変更する際、
親会社である名古屋鉄道(名鉄)から7300系の譲渡を受け、全ての車両を入れ替えた。
しかし、加速性能の低さから昇圧と同時に実施された
増発(15分間隔→12分間隔)に伴うスピードアップに対応できず、
昇圧前のダイヤに戻すことになってしまった。
そこで、加速性能の向上と乗降時間の短縮を図るため、
2000年に導入されたのが本系列である。
ただし、このダイヤでは途中に交換設備のない杉山駅 - 神戸駅を
12分以内で行き来しなければならず、これは本系列によっても困難である。
従って、ダイヤは現在に至るまで昇圧前とほとんど変わっていない。
なお、本系列の導入により、渥美線の列車は全て3両編成で運行されることになった。

2008年、同じ元東急7200系で上田電鉄7200系として使用されていた
2両(元デハ7200形、元クハ7500形各1両)の譲渡を受け、
残る部品取り車1両とともに営業用に整備した。
これにより3両編成10本の陣容となった。

地上設備の関係上、回生ブレーキを使用停止としたほか、
一部付随車の台車が交換された。それ以外は東急時代のままである。
電装品のメーカーによる番号の区別はなくなったが、
編成別に同一メーカーに揃えられている。

(Wikipediaより)

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走行音

新豊橋駅→高師駅


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東急7200系

東京都・奥沢駅にて昭和61年6月22日に撮影

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