2008.01.10


加茂遺跡で環濠の入口通路を発見

兵庫県川西市にある弥生時代中期の大規模な環濠(かんごう)集落
加茂遺跡(約2000年前)で、環濠端から、集落の支配者が住んでいたとみられる
建物入り口付近までの通路跡が見つかり、同市教委が18日発表した。

同時期の遺跡では、入り口付近で門の跡などは見つかっているが
通路跡が確認されたのは初めて。

路脇には柵(さく)の跡もあり、同市教委は「敵の侵入を防ぐための高度な土木技術」としている。

通路跡は長さ約45メートルで幅約5メートル。
遺跡中心部にある建物跡の南西約250メートルの平らな台地で見つかった。
建物を囲む4つの環濠を貫き、住民が住んでいた集落の中心に向かって延びていた。

このほか、通路脇で柵があったとみられる深さ約50~80センチの溝や、
環濠端付近で門扉などを構築した跡とみられる直径約10センチの穴も発見。
いずれも敵の侵入をふせぐための構造とみられている。

大阪大の福永伸哉教授(考古学)の話 
「環濠集落の基本構造を理解するうえで重要な発見。
土木技術の高さとともに、当時の戦乱の激しさも裏付けており、
弥生時代の集落のありようも分かる」

◎産経新聞 2007年12月18日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「加茂遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.12.14


南蔵本遺跡で弥生の「飾り弓」が出土

県立中央病院改築工事(08年着手予定)に伴う事前調査で、
徳島市南蔵本町1の南蔵本遺跡を発掘調査していた
県教委と県埋蔵文化財センターは12日、
弥生時代前期の木製の「飾り弓」が見つかったと発表した。

飾り弓(全長116センチ)は、150センチほどの弓の上部分。
細い樹皮を巻いた装飾が2~7センチ間隔で計10カ所以上あり、
全体に黒い漆が塗られている。
先端には、弦を巻いた木片を詰めたとみられる穴(直径約5ミリ)が2カ所空いている。

実際に使うと折れてしまう硬い素材で、細工が凝っているため、
狩猟の成功を祈ったり、自然の恵みに感謝する祭りで使われたとみられる。

弓は縄文時代から狩猟道具として使われ、近くの庄遺跡でも
実用の弓3点が見つかっているが、飾り弓の出土は県内初。

同センターの近藤玲主任研究員は「これだけ手の込んだ細工から、
当時の木材加工技術の高さがうかがえる」と話している。

◎毎日新聞 2007年12月13日
  http://mainichi.jp/...

◎Google検索「南蔵本遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


桜井公園遺跡で3重環濠出土

奈良県桜井市の桜井公園遺跡で、弥生時代後期(2世紀前半)の
3重に掘削された環濠(かんごう)が見つかり、桜井市教委が11日、発表した。
奈良盆地を見下ろす丘陵上にあり、戦乱に備えた砦(とりで)跡とみられる。

当時の奈良盆地内では戦乱もなく平和な時代が続いたとみられていたが、
九州北部や瀬戸内地域の勢力に備えて守りを固めていた可能性が浮上。
西日本全体を巻き込んだ、大規模な軍事的緊張状態を物語る貴重な資料となりそうだ。

丘陵斜面で見つかった環濠は、等高線に沿うように3本が並行して見つかった。
最も高い位置に設けられた環濠は幅約3メートルで、長さ19メートル分を検出。
その下で、長さ45メートル分と14メートル分の環濠が、8~10メートル間隔で検出された。
環濠は、丘陵を囲むようにさらに伸びるという。

平地から30~40メートル高い位置にあることから、
市教委は奈良盆地を一望できる軍事上の要衝に設けられたと推測している。

弥生時代の日本列島について記した中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、
2世紀後半に大規模な戦乱「倭国大乱」があり、
女王・卑弥呼(ひみこ)が擁立されたことで戦乱は収まったと伝えられるが、
それ以前の大きな戦乱に関する記述はない。

しかし、今回の環濠は倭国大乱より半世紀ほど古く、そのころにはすでに
西日本各地で勢力争いがあったことを推測させる。

市教委は「大規模な環濠掘削には多大な労力が必要で、
有事に備えた砦ではないか」とみている。

遺跡はすでに埋め戻されたが、12日~来年1月11日に
同市芝の市立埋蔵文化財センター(TEL.0744・42・6005)で発掘速報展が行われる。

◎産経新聞 2007年12月11日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「桜井公園遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


脇本遺跡で銅鐸の破片や青銅器の鋳型を発見

奈良県桜井市の脇本遺跡で、弥生時代末期から古墳時代初頭(2世紀末~3世紀初め)の
銅鐸(どうたく)の破片や青銅器の鋳型が見つかり、県立橿原考古学研究所が6日、発表した。

弥生時代の祭祀(さいし)に使われた銅鐸を、古墳時代になって壊し、
別の青銅器にリサイクルした工房跡とみられるという。

古墳時代の新しい王権が弥生祭祀のシンボルである銅鐸を意図的に破壊したともみられ、
時代の激変期を物語る興味深い資料になりそうだ。

銅鐸片は1~4センチ大で、竪穴式建物跡(一辺6~8メートル)から3点出土した。
復元すれば全長1メートル前後になる大型銅鐸の一部とみられるという。

弥生時代の銅鐸は完全な形のまま地中に埋められたケースが多く、
破片の状態で出土した今回のケースは、
古墳時代になって意図的に破壊された可能性が高いという。

一方、青銅製品の鋳型の一部も10点前後出土し、銅鐸の鋳型のように
湾曲していないことから、同研究所は別の青銅器の鋳型と推定。
銅鐸をリサイクルした跡とみられ、こうした発掘資料は全国的にも珍しいという。

脇本遺跡は、女王・卑弥呼(ひみこ)が統治した邪馬台(やまたい)国の有力候補地である
纒向(まきむく)遺跡から約4キロ南東に位置している。
両遺跡はほぼ同時期であることから、脇本遺跡で鋳造した青銅器が、
当時の首都・纒向遺跡にもたらされた可能性もあるという。

同研究所の寺沢薫・調査研究部長は「古墳時代に誕生した新しい王権が、
弥生時代の銅鐸祭祀を終わらせ、役目を終えた銅鐸を新しい青銅製品の材料として
使ったのではないか」と話している。

◎産経新聞 2007年12月6日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「脇本遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


姫路市飯田で大規模集落の一部確認

姫路市飯田の埋蔵文化財発掘調査で、市教委は六日、
弥生時代から古墳時代を中心に、中世にかけて営まれた
大規模集落跡の一部を確認した、と発表した。

弥生後期の一部竪穴住居跡、弥生中期の河道、
弥生後期から古墳初頭にかけての流路が見つかったほか、
古墳から、中世の掘っ立て柱建物跡や小溝も確認された。
流路と河道からは弥生後期や古墳初頭の土器が出土した。

市教委は、起伏のある地形に河道などが複雑に流れていたと推定。
流路には、当時の土器など身近な道具が捨てられ、
今回の発掘結果は、当時の暮らしぶりを知る貴重な資料という。

今回は第三次調査で、これまで、古墳時代の竪穴住居跡や流路、
中世の掘っ立て柱建物跡などが出土している。

◎神戸新聞 2007年12月7日
  http://www.kobe-np.co.jp/...

◎Google検索「姫路 飯田 遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


道休畑遺跡で貯蔵穴や竪穴住居跡を発見

島根県埋蔵文化財調査センターは3日、
弥生時代の集落跡である道休畑(どうきゅうばた)遺跡(浜田市内田町・熱田町)で、
同時代後期の貯蔵穴7個や竪穴住居跡などが見つかった、と発表した。

同時期の貯蔵穴が密集して見つかった例は県内でも珍しく、
内部からはトチの実などの食料とみられる種子も出土。
当時の食料事情や貯蔵形態などを考える手掛かりとなりそうだ。 

同遺跡は、標高約90メートルの丘陵にある。
3世紀前半の貯蔵穴7個は丘陵の斜面上に直径20メートルの範囲に作られ、
穴の大きさは0.9―1.9メートル、深さ0.5―0.9メートル。
このうち6個は穴の上部が狭く底面が広いフラスコ状で、
底の外周に排水用とみられる幅15センチ程度の浅い溝が掘られている穴もあった。

◎中国新聞 2007年12月4日
  http://www.chugoku-np.co.jp/...

◎Google検索「道休畑遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


柳沢遺跡で礫床木棺墓群を発見

弥生時代中期の青銅製祭器の銅戈(どうか)7本と銅鐸(どうたく)が出土した
中野市の柳沢遺跡で、同時代中期から後期とみられる礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)群が
新たに見つかった。青銅製祭器との関係はまだ不明だが、
専門家は「水田、青銅祭器、墓地が一体的な遺跡は全国的に新しい例」としている。

県埋文センターなどによると、礫床木棺墓群は先月16日ごろ、
祭器をまとめて埋めた穴の北約10メートル付近で見つかった。
用水路の下にあり、調査が後回しにされていた1帯で、同センターの報告を受けた
県遺跡調査指導委員会が現地調査して九基の墓と確認した。
一基からは副葬品とみられる長さ約2センチの管玉も見つかっている。

柳沢遺跡調査指導委員会の笹沢浩委員長は「栗林遺跡(中野市)や松原遺跡(長野市)など
善光寺平で見つかっている礫床木棺墓群の特徴と一致している」と説明。
しかし、これまで知られている礫床木棺墓群と異なり、
中央に約2メートル四方の大型の墓があり、笹沢委員長は「リーダー的な存在か。
社会構造を考える上で興味深い」としている。

同センターでは来春以降、個々の遺構を精査し、時代の特定や集落遺跡とのかかわり、
青銅製祭器との関連を調べる予定。

◎中日新聞 2007年12月4日
  http://www.chunichi.co.jp/...

◎Google検索「柳沢遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


渋谷区鶯谷町で縄文、弥生時代の集落跡を発見

東京・渋谷や代官山に近い高級住宅地で知られる渋谷区鶯谷町で
縄文、弥生時代の集落跡が見つかり、一日に現地見学会が行われた。
かつても付近は川や海に近い高台の“高級住宅地”だったとみられ、
付近住民ら約三百七十人が太古に思いをはせた。 

JR渋谷駅から約五百メートル南にある外国人住宅地跡約一万六千平方メートル。
区教委はマンション開発に先立ち六月から発掘を始め、
縄文時代中期(約四千六百-四千年前)と、
弥生時代後期(約千八百年前)の建物跡を確認した。

縄文時代の跡では、竪穴住居跡約七十棟、食料の貯蔵用など土坑(穴)約三十基があった。
竪穴住居跡は円や楕円(だえん)形が多いが、
入り口が柄のように細長い柄鏡形も二棟見つかった。

弥生時代では、竪穴住居跡二十五棟、穀物を収納する高床式倉庫跡三棟が見つかった。
ガラス小玉のビーズも出土した。

遺跡は標高三二メートルの西渋谷台地にあり、北東に渋谷川、南西に目黒川が流れ、
豊沢貝塚(恵比寿)も近く、海にも行きやすい-など、
縄文時代にはさまざまな食料の調達が可能な、絶好の住宅地だったとみられる。

◎東京新聞 2007年12月2日
  http://www.tokyo-np.co.jp/...

◎Google検索「鶯谷町 遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


妻木晩田遺跡で建て替え跡が残る竪穴住居跡を発見

鳥取県大山町と米子市にまたがる国内最大級の弥生時代の集落遺跡
「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」から、建て替え跡が残る
弥生終末期(約1800年前)の竪穴住居跡2棟が確認され、
県教委妻木晩田遺跡事務所が21日、発表した。

住居跡が見つかったのは、今年6月から発掘調査していた首長クラスが住んだとされる
松尾頭地区(大山町)の北東部2350平方メートル。
同地区では最大の床面積約50平方メートルの住居跡では、
人為的に掘りさげた平地が階段状に3層確認されたことから、
ほぼ同じ場所で3回にわたり建て替えられたとみられる。

さらに20メートル北西の地点でも、新旧の住居跡が重なり合って見つかった。
重なり方から旧住居を埋め戻し、中心を数メートル移動させて新住居を建てたとみられる。

同遺跡内では竪穴住居跡約430棟が見つかっているが、
建て替え跡が確認されたのはこの2棟だけ。

同事務所文化財主事の玉木秀幸さんは
「土地へのこだりや愛着があって長期間、住んだのではないか。
弥生終末期の集落の構造や土地利用の状況を知るうえで貴重な遺跡」としていいる。

◎産経新聞 2007年11月23日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「妻木晩田遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.11.30


桜馬場遺跡 末盧国の王墓 再発見 63年ぶり特定

佐賀県唐津市教委は21日、中国の史書「魏志倭人伝」に登場するクニの1つ
「末盧(まつろ)国」の王墓としていったんは発見されながら、
その後、所在地不明となっていた桜馬場遺跡が63年ぶりに同市桜馬場で確認されたと発表した。

遺跡からは、最高権力者が所有したとみられる大量の副葬品や
甕棺(かめかん)の破片が見つかり、同市教委は末盧国の王墓と断定した。

学術調査によって、弥生時代のクニの王墓が特定されるのは国内3例目。

同遺跡は戦時中の1944(昭和19)年、地元住民が防空壕(ごう)を掘る際に見つけ、
後に国の重要文化財に指定される鏡や腕輪などが出土。

埋め戻されて場所が不明になったが、今年、市が宅地調査で再び発見した。

発掘調査で出土したのは、弥生時代後期(1世紀後半‐2世紀前半)の副葬品。
最高権力者が所有したとみられる「素環頭大刀(そかんとうたち)」の一部や
ヒスイの勾玉(まがたま)、首輪に使われたとみられる2000個以上の青いガラス玉など。

44年に発見された中国・後漢の「方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)」(国重文)や
装飾品「巴形銅器(ともえがたどうき)」(同)、「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」と
合致する破片も含まれている。

魏志倭人伝に記述されたクニは三十数カ国で、位置がほぼ特定されているのは
「対馬国」(長崎県対馬市)や「奴国(なこく)」(福岡県春日市)など5カ所のみ。
うち学術調査で甕棺や木棺墓が確認され、埋葬位置が特定されているのは、
これまで「伊都国(いとこく)」(同県前原市)の2遺跡だけだった。

◎西日本新聞 2007年11月22日
  http://www.nishinippon.co.jp/...

◎Google検索「桜馬場遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


銅鐸は金と赤の2種類?

弥生時代の祭りに使われたとされる銅鐸(どうたく)は、
色で金と赤の2種類に分類できる可能性が高いと、
奈良県田原本町教育委員会が18日、発表した。

銅鐸はこれまで形態で分類されていたが、
分析を指導した奈良文化財研究所の村上隆上席研究員(歴史材料科学)は
「当時の人が、形や色で銅鐸を使い分けていたことも考えられる」と話している。

同町の唐古・鍵遺跡から出土した銅鐸片(紀元前2~同1世紀ごろ)と、
加茂岩倉遺跡(島根県雲南市、紀元1世紀ごろ)出土の銅鐸を
それぞれ金属分析した結果、判明した。

◎時事通信 2007年10月18日
  http://www.jiji.com/...

弥生時代 |


荒尾南遺跡で赤鉄鉱が出土

人類が最初に使ったとされる無機顔料「ベンガラ」の原料となる赤鉄鉱が、
大垣市荒尾町で発掘調査中の荒尾南遺跡から見つかった。

県文化財保護センターが14日、大集落群を持つ同遺跡の
弥生時代終末期の住居跡付近から出土した、と発表した。

弥生時代の遺跡から赤鉄鉱が見つかるのは県内初で全国でも珍しい。

八賀晋三重大名誉教授(考古学)は
「(同遺跡で)赤鉄鉱を加工してベンガラを生産していた可能性が高い。
東海地方にはベンガラを用いた土器が多く、この集落がベンガラの供給源となり
各地に広まった可能性が考えられる」としている。

同遺跡は、弥生時代後期から古墳時代前期を中心とする集落群。
小集落が近接して大集落を形成しており、約130の竪穴住居跡や67基の墓など、
その規模は県内最大級。

ベンガラは土器に塗る赤い「絵の具」で、赤鉄鉱を砕いて作られた。
弥生時代にはベンガラを用いた赤塗りの土器が多く作られた。
同遺跡からは赤鉄鉱約10点が出土。
一部は、黒の風合いを出すためとみられる焼いた跡がある。

同遺跡の3キロ北には赤鉄鉱を産出する金生山があり、
今回出土した赤鉄鉱も金生山で採掘して運ばれた可能性が高く、
今後は成分調査を進める。

ほかにベンガラを使った土器片や木製品、弥生時代の遺跡では
県内初の巴形(ともえがた)銅器、東海地方最古級となる弧帯文(こたいもん)土器など、
いずれも祭祀(さいし)に使われたとみられる貴重な遺物が多く見つかった。

◎岐阜新聞 2007年11月15日
  http://www.gifu-np.co.jp/...

◎Google検索「荒尾南遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


原の辻遺跡で船着き場囲む環濠を発見

長崎県教育委員会は12日、同県壱岐市の国指定特別史跡
「原(はる)の辻遺跡」で発掘された日本最古の船着き場跡の西側で、
環濠(かんごう)とみられる遺構を発見した、と発表した。

専門家らはこの遺構について、弥生時代中期前半(紀元前2世紀ごろ)、
島状に造られた船着き場を防御するための施設として、
一体的に整備された可能性を指摘。「過去に類例のない重要な遺構」としている。

県教委によると、遺構は船着き場の西側にある幅約30メートルの川の岸から
約3メートル西側で発見。幅は約2.3メートル、深さ約0.8メートル。

原の辻遺跡は居住域を取り囲む幾重もの環濠が特徴で、
今回見つかった濠も船着き場を含む区域の周囲に巡らされているとみられる。

同遺跡調査指導委員会委員長の西谷正・九州大名誉教授は
「環濠で保護されていたとすると、船着き場は一支国(いきこく)の威信を示し、
大陸からの使節らを迎える儀式の場として築かれた可能性がある」と話した。

一方、これまで判明している船着き場の東突堤部に加え、西突堤部の先端を確認。
長さはともに約15メートルで、東西対称だったことが分かった。

また、昨年、船着き場南側で見つかった導水のための石積み遺構には、
川底や斜面に石を積むなど当時、国内には存在していなかったとされる技術が
使われていることが判明。大陸の技術者の指導を受けたとみられる。

◎西日本新聞 2007年11月13日
  http://www.nishinippon.co.jp/...

◎Google検索「原の辻遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


青谷上寺地遺跡で弥生最長の垂木が出土

鳥取市青谷町の弥生時代の集落遺跡「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」から、
両端までが完全な形で残っている全長約4メートルの弥生時代最長の垂木(たるき)が出土し、
鳥取県埋蔵文化財センターが7日、発表した。
専門家は「山陰地方の大型掘立柱建物の中で中規模クラスの建物の一部」と推定している。

垂木は屋根を支える骨組みで、出土したのは両端が有頭状と斜めにそれぞれ加工された
長さ3・97メートル、一辺7・5センチのスギの角垂木と、
長さ約3・88メートル、直径6センチの丸垂木。

これまで完形として弥生時代最長とされた
岡山市の「津島遺跡」の垂木(長さ約3・09メートル、直径7センチ)を上回った。

2本の垂木は、弥生時代中期(約2000年前)の同じ溝から出土しており、
同一建物の建築材と推定される。

◎産経新聞 2007年11月8日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「青谷上寺地遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.11.13


「鉄鏡」に新説 敗走奴国の王族が持ち込む?

日田市内で出土し、現在は九州国立博物館(福岡県太宰府市)に展示されている
金銀錯嵌珠龍文(きんぎんさくがんしゅりゅうもん)鉄鏡(国指定重要文化財)をめぐり、
同博物館の河野一隆・文化交流展示室長(41)が3日、日田市内で講演。

弥生時代、伊都国(いとこく)(福岡県前原市一帯)との覇権争いに敗れた
奴国(なこく)(福岡市一帯)の王族が持ち込んだ宝物の一部ではないか、
とする新たな仮説を明らかにした。

鉄鏡は1933(昭和8)年、旧国鉄久大線の敷設工事に伴い、
同市日高のダンワラ古墳から出土した。

金銀が埋め込まれた鉄鏡としては国内では唯一の出土品で、
中国の漢(紀元前3‐3世紀)から日本の王族にもたらされたものとされるが、
なぜ日田から出土したのか、なぞに包まれている。

河野室長によると、弥生時代中期、九州北部には
伊都国と奴国の二大勢力があり、互いに華北(中国)、楽浪(朝鮮半島)との
交易・交渉窓口をめぐって覇権争いを展開。

紀元前後に勃発した倭国の大乱の末、伊都国に敗れた
奴国の王族の一部が難を逃れる際、金印(漢委奴国王印)を志賀島へ、
鉄鏡を日田に持ち込んだのではないか、との新たな見方を示した。

河野室長は、日田市刃連町から出土し、同じように中国・漢からもたらされたとされる
大小2個の金錯鉄帯鉤(きんさくてつたいこう)(帯留め)を含め、
「日田には奴国の王族と血縁関係がある人物がおり、
奴国の王族の一部がセットで持ち込んだ可能性が強い」とした。

そのうえで、鉄鏡、帯鉤とも同じ様式の出土例がなく、
比較検討による研究が進んでいないこともあり、
河野室長は一帯の基礎調査と調査結果の公表を求めた。

◎西日本新聞 2007年11月6日
  http://www.nishinippon.co.jp/...

◎Google検索「奴国 鉄鏡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


柳沢遺跡で新たに銅鐸の破片2点と銅戈5本が出土

長野県埋蔵文化財センター(長野市)は1日、
弥生時代の青銅製祭器「銅戈(どうか)」2本が10月に出土した中野市の柳沢遺跡で、
新たに「銅鐸(どうたく)」の破片2点と、銅戈5本が出土したと発表した。

銅戈と銅鐸が一緒に出土したのは、全国では神戸市の桜ケ丘遺跡など数例しかなく、
東日本では初。研究者は、従来伝わる弥生社会のあり方や
青銅器文化を塗り替える発見と指摘している。

同センターによると、銅鐸片のうち1点は一部が土中に残っており、
高さ約6センチ、最大幅8センチ。復元すると全体の高さは約20センチと推定できる。

古い形式の鳴り物と考えられている「菱環紐(りょうかんちゅう)式2式」か、
「外縁付紐(がいえんつきちゅう)式1式」とみられる。
南関東で出土例のある類似品(小銅鐸)とは異なる。

もう1点は近くの排水溝の底にあり、高さ約8センチで最大幅が約3センチ。
古い銅鐸に多い、のこぎりの刃に似た鋸歯文(きょしもん)の文様がある。
2点が同じ銅鐸かどうかは今後調べる。

やりの穂先に似る銅戈は5本とも刃先が西の方角を向き、
うち4本が刃を上に向けて整然と並べられ、もう1本は少し離れて埋まっている。
大阪湾周辺で見つかっている「大阪湾型」とみられる。

調査指導委員会委員の石川日出志・明大教授(考古学)によると、
出土した銅戈、銅鐸とも、形式などから弥生中期の紀元前2世紀に作られ、
紀元前後に埋められたと考えられるという。

柳沢遺跡は千曲川と夜間瀬川との合流点の東側に位置。
これまで弥生時代の水田跡などが見つかっている。

◎信濃毎日新聞 2007年11月2日
  http://www.shinmai.co.jp/...

◎Google検索「柳沢遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


五歩市遺跡で竪穴住居10棟を発掘

石川県埋蔵文化財センターは三十一日、白山市五歩(ごぼ)市町の五歩市遺跡で、
大型の竪穴住居など弥生時代後期から古墳時代前期の集落跡や
鎌倉から室町時代の集落跡が、良好な保存状態で確認されたと発表した。
当時の建物構造や集落の様子などを解明するための貴重な史料になりそうという。

弥生後期から古墳前期の集落跡では、長軸で十一メートルの大型竪穴住居を中心に
集落跡が広がる保存状態が良い形で見つかった。

このほか弥生土器つぼ、高坏(たかつき)、器台などの遺物も出土しており、
現地説明会の際に十数点まとめて展示される。

五歩市遺跡は、JR松任駅から東へ約一キロ離れた北陸線沿の田んぼにあり、
弥生から江戸時代までの集落遺跡。

今回の調査対象は約一万二千四百平方メートルで、
弥生後期にはすでにこの地域に人々が暮らし始めていたことが確認されたという。

◎中日新聞 2007年11月1日
  http://www.chunichi.co.jp/...

◎Google検索「五歩市遺跡」
 

弥生時代 |


弥生女性はこんな顔?

◎山陽新聞
  http://www.sanyo.oni.co.jp/...

弥生時代 |


「伊都国」に鍛冶工房 大塚遺跡で炉やかまど跡出土

福岡市教委は26日、同市西区今宿町の大塚遺跡から、
弥生時代末(3世紀)の鍛冶(かじ)工房跡を発見したと発表した。

鍛冶炉や国内最古級のかまどの遺構が出土し、
工房の全容をほぼ完全な形で確認できる。

同遺跡は、福岡県糸島地方を中心に栄えた
古代のクニ「伊都国(いとこく)」の東端に位置。

原料の鉄は中国、朝鮮半島からもたらされており、
市教委は「鉄とともに伊都国にやってきた
渡来人たちが定住した可能性がある」とみている。

鍛冶工房跡は直径約12メートルの外周溝に囲まれた建物跡で、
中央に加工用の台石を備えた鍛冶炉が見つかった。

周辺からは100点近い鉄鏃(てつぞく)(鉄製やじり)など鉄器の未完成品や
鉄の破片も出土した。

また、大陸から伝わり、
日本では弥生時代に次ぐ古墳時代以降に一般化したかまどが、
すでに建物の壁際に設けられていたことも分かった。

「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」は伊都国を古代日本の外交窓口と紹介しており、
工房跡近くの住居跡からは朝鮮半島系土器も出土。

鍛冶工房の炉とかまど、
朝鮮半島系土器が1つの遺跡から出土したのは全国で初めてという。

市教委は「伊都国が先進的な渡来文化を多く取り入れていたという
魏志倭人伝の記述を裏付ける発見。モノや技術とともに人の交流もあったはずで、
渡来人の居住地区がこの地にあったかもしれない」と、今後の調査に期待している。

大塚遺跡は、8月に大型の環濠(かんごう)集落跡が確認された
今宿五郎江(いまじゅくごろうえ)遺跡に隣接。
鍛冶工房は環濠が埋まった後の時代に建てられており、
両遺跡一帯へムラが拡大していった様子がうかがえる。

◎西日本新聞 2007年10月27日
  http://www.nishinippon.co.jp/...

◎Google検索「大塚遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


柳沢遺跡で銅鐸と銅戈、同じ場所から出土

長野県埋蔵文化財センターは1日、同県中野市の柳沢遺跡で、
弥生時代に使われた青銅器の祭具である銅鐸(どうたく)の破片2点と
銅戈(どうか)7点が出土したと発表した。

銅鐸の破片と銅戈は15センチしか離れておらず、同時に埋められた可能性もある。

銅鐸と銅戈が同じ場所で見つかったのは神戸市の桜ケ丘遺跡に続き国内2例目。

弥生時代中後期ごろの地層から見つかり、
銅鐸の破片は最大8センチ。

銅戈2本は東日本で初めて完全な状態で見つかった。

明治大文学部の石川日出志教授(考古学)は
「近畿地方で見つかった銅戈と形などが非常に似ている。
東日本への文化の伝達の可能性を示す、貴重な発見だ」と話している。

◎毎日新聞 2007年11月1日
  http://headlines.yahoo.co.jp/...

◎Google検索「柳沢遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


築山遺跡で人面土器を発見

縄文時代晩期から弥生時代前期ごろ(2800年~2500年前)の
目、鼻をくっきりさせた人面付き土器片が島根県出雲市の築山遺跡で見つかり、
22日、同市文化財課が発表した。

同様の土器は東日本での出土例は多いが、西日本ではまれ。

弥生時代の黎明(れいめい)期、出雲地方が
東日本と交流していたことを裏付ける貴重な史料という。

出土した土器片は、縦、横とも約4センチ。
形から器の縁に取り付けたと推測され、特徴ある鼻筋と鼻孔で顔面を表現している。

同様の土器は栃木、茨城県などの再葬墓の共同墓地から出土しており、
出雲地方ではこれまで2例が見つかっている。

同遺跡の深さ約1・5メートルから出土。

山田康弘・島根大准教授(考古学)は「稲作を中心に弥生文化は九州から東へ伝わったとされるが、
東西交流で東日本からも影響を受けていたことが分かる。祖霊崇拝の原形と考えられる」としている。

◎産経新聞 2007年10月22日
  http://headlines.yahoo.co.jp/...

◎Google検索「築山遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


西ノ丸遺跡で弥生の環濠集落

鹿屋市串良町の西ノ丸遺跡で、集落を外敵から守るために掘られたとみられる
弥生時代中期(約2000年前)のV字形の溝が見つかった。
溝の周辺で弥生時代中期から古墳時代の竪穴住居跡が約40基確認されており、
環濠(かんごう)集落であったと思われる。
同市教育委員会によると、環濠集落としては大隅半島で初めてとなる。

溝は深さ1.5メートル、幅は最大で2.5メートル。
琉球大学が9月に地下レーダーで調査、
集落の周りを円を描くように掘られていることが分かった。

溝の中からは、かめやつぼなど1万点を超える弥生時代中期の土器が出土している。
ほかに管玉などの装身具や石鏃(せきぞく)も見つかった。

同市教委は、はぎ取ったV字溝の断面を、出土品の一部とともに
串良歴史民俗資料室(くしらふれあいセンター内)に常設展示している。

◎南日本新聞 2007年10月22日
  http://www.373news.com/...

◎Google検索「西ノ丸遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.10.22


吉永小百合さん主演映画、吉野ケ里ロケ地に

1960年代後半、邪馬台国ブームの火付け役となった
ベストセラー「まぼろしの邪馬台国(やまたいこく)」の著者で、
盲目の作家として知られた故宮崎康平さんと、妻和子さんを主人公にした
映画のロケ地に、吉野ケ里歴史公園(神埼市郡)が決まった。
撮影を行うのは、邪馬台国再現シーンで、
女優の吉永小百合さんが邪馬台国の女王卑弥呼を演じる。

東映によると、吉野ケ里歴史公園での撮影は、
来年2―3月ごろ、数日から1週間程度を予定している。

映画は来年秋以降、全国300館以上で公開する。

◎佐賀新聞 2007年10月18日
  http://www.saga-s.co.jp/...

◎Google検索「まぼろしの邪馬台国」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


庵寺遺跡で田げた35点が出土

島根県埋蔵文化財調査センターは、大田市仁摩町の庵寺遺跡で、
弥生時代後半から古墳時代前半の田げた35点が出土したと発表した。

田げたはぬかるんだ水田に入るための農具で、
一つの遺跡からの出土点数は県内最多。

同センターは「3―4世紀の農具の保管・管理方法をうかがう手掛かりとして
重要な発見」と評価している。

◎中国新聞 2007年10月20日
  http://www.chugoku-np.co.jp/...

◎Google検索「庵寺遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


大谷遺跡で大小のシカ彫った土器片が出土 

鳥取県米子市教育文化事業団は十八日、同市大谷町の
大谷遺跡(縄文-弥生時代)から、大小のシカをモチーフにしたとみられる
弥生時代後期の絵画土器の破片一点が出土したと発表した。

絵画土器の発見は同市内で三例目だが、
複数のシカを彫った土器の出土は県内では初めて。

弥生時代中期の水田跡も二十区画以上見つかっており、
大谷遺跡が二百メートル東側の目久美遺跡と連なり、
現時点では山陰最大となる十ヘクタール規模の
水田が広がっていた可能性も出てきた。

大型のつぼの破片とみられる絵画土器は、
弥生時代後期の水路から発見され、縦十一センチ、横六センチ、厚さ一センチ。

左側には小型の四本足の動物が彫られ、
右側の絵は大半が欠けてはいるが、
大阪府の瓜生堂(うりゅうどう)遺跡から出土したシカの線刻のある土器と似ており、
シカの首と足の部分とみられるという。

絵画土器の発見はこの地域で農耕儀礼が行われていたことを裏付ける。

大規模集落遺跡から出土することが多いため、
大規模水田跡が発見された目久美遺跡から、水路を伝って流れてきた可能性もある。

また、今回の調査では四-十メートルのあぜに囲まれた
二十五-六十平方メートルの大きさの水田跡も見つかった。

水田跡は目久美遺跡と同じ時期に川砂で埋没しており、
弥生時代後期に洪水があったことが判明。大谷・目久美の両遺跡が
一連の遺跡であることを想像させる。

◎日本海新聞 2007年10月19日
  http://www.nnn.co.jp/...

◎Google検索「大谷遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


唐古・鍵遺跡の銅鐸分析 鮮やかな赤銅色

国内最大級の弥生時代の環濠集落跡、
奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡で出土した
弥生時代中期後半(紀元前1世紀)とみられる銅鐸が、
製造時は新品の10円玉のような鮮やかな赤銅色をしていたことが分かり、
町教育委員会が18日発表した。

町教委の依頼で奈良文化財研究所の村上隆上席研究員(歴史材料科学)が
分析するため銅鐸片(縦7センチ、横6センチ、厚さ7-9ミリ)の裏側を削ったところ、
当時の色が現れた。

39個の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡(島根県)での同様の分析でも
スズの含有量に差があることが指摘されている。

◎中日スポーツ 2007年10月18日
  http://www.chunichi.co.jp/...

◎Google検索「唐古 鍵遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


縄文中期も大豆栽培

山梨県北杜(ほくと)市の酒呑場(さけのみば)遺跡で出土した縄文時代中期の土器から、
大豆の圧痕(あっこん)が発見されたと17日、県立博物館などの研究グループが発表した。

大豆の栽培開始は弥生時代が定説だったが、9月に熊本大などが、
九州の縄文後期の遺跡で大豆の圧痕を確認。
今回の発見はそれを1500年ほどさかのぼり、
すでに約5千年前に大豆が栽培されていたことを示す。

地域も九州から中部へ広がったことで、大豆をはじめとする雑穀栽培が、
縄文中期に日本列島の広範な地域で行われていた可能性が強まった。

◎asahi.com 10月17日
  http://www.asahi.com/...

弥生時代 |

2007.10.17


北神宮寺遺跡で60棟超す竪穴住居を確認

浜松市は9日、同市北区引佐町井伊谷の「北神宮寺遺跡」から、
弥生時代から古墳時代(1900-1600年前)にかけての
大規模集落を確認したと発表した。

鎌倉、江戸時代の墓や副葬品なども多数確認されたという。

弥生時代から古墳時代にかけての集落として、
縦横とも約5メートル、深さ50-5センチ程度の竪穴住居が60棟以上を確認した。
周囲に溝を掘り、掘った土を盛って墓とした縦横約10メートルの
方形周溝墓が30基以上見つかった。
墓の溝部分などからは、壺(つぼ)や高坏(たかつき)などの
副葬品も数1000点見つかった。

◎中日新聞 2007年10月10日
  http://www.chunichi.co.jp/...

◎Google検索「北神宮寺遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


梅田萱峯遺跡で国内最古の墓上祭祀施設を確認

鳥取県埋蔵文化財センターは五日、琴浦町梅田と大山町八重にまたがる
梅田萱峯(かやうね)遺跡で、墳丘墓の主体部を四本の柱で囲む
墓上祭祀施設が確認されたと発表した。

約二千年前の弥生時代中期後葉に築造されたと見られ、
同様の造りの墳丘墓としては国内最古になる。

四本柱の祭祀施設を伴う墳丘墓。

主体部を囲む柱穴を持つ墳丘墓は、「出雲の王墓」として知られる
西谷3号墓(弥生時代後期後葉、島根県)や平原1号墓(弥生時代終末、福岡県)に
続く三例目の発見になる。

今回見つかった墳丘墓は、これまで最も古いとされていた
西谷3号墓より約二百年さかのぼる。

墳丘墓は長軸十一メートル、短軸八メートルの長方形で、高さは六十センチ。
被葬者を埋葬した主体部を取り囲む祭祀施設の規模は、
東西二・八メートル、南北二・一メートル。
柱穴の直径は八十センチで、直径二十センチの柱を立てたと見られる。

同センターの小山浩和文化財主事は「出雲地方の王墓で用いられた
墓上祭祀の初源のスタイルであり、貴重な遺跡」と話している。

◎日本海新聞 2007年10月6日
  http://www.nnn.co.jp/...

◎Google検索「梅田萱峯遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


纒向遺跡で国内最古の大量のベニバナ花粉を発見

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の溝跡にたまった土から
大量のベニバナ花粉が見つかり、市教育委員会が2日、発表した。
織物の染料とみられ、国内で確認された最古の例。

「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、243年、
卑弥呼が魏に赤や青の織物を献じたと伝えている。
当時の大陸との交流を考える貴重な資料になりそうだ。

エジプトや西アジアが原産のベニバナは、中国などから日本に伝わったとされ、
これまで6世紀後半の藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺から
花粉が見つかっていたのが最古だった。

市教委は「中国との直接的な行き来の中で、
最新技術だった染織が持ち込まれたのだろう。
指導役の工人が来て栽培までしていたかもしれない」としている。

市教委が依頼した奈良教育大の金原正明准教授(環境考古学)が分析。
溝跡(長さ6メートル以上、幅1・5メートル、深さ1メートル)の土に、
1立方センチ当たり270-560個の「自然では驚異的な数」(同准教授)の
ベニバナ花粉が検出された。
金原准教授によると、当時、国内の他の地域では
ベニバナの花粉は見つかっていないという。

ベニバナの染織は、水溶性の黄色の色素を水で洗い流し、
残った赤い色素で染めるが、花粉はこの廃液に含まれていたと推定した。
溝の約150メートル上流は神殿建物跡などが出土した
纒向遺跡の中枢で市教委は組織的な工房があったとみている。

◎産経ニュース 2007年10月2日
  http://sankei.jp.msn.com/...

◎Google検索「纒向遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


纏向遺跡で国内最古の木製仮面が出土

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
木製の仮面(弥生時代末~古墳時代初頭、3世紀前半)が出土し、
市教委が26日、発表した。

古代の木製仮面としては国内最古で、これまでの例を約400年さかのぼる。
同じ場所から木製盾の破片や鎌の柄が見つかり、
盾などを手に面をつけて踊る呪術師の姿をほうふつとさせる。
古代祭祀(さいし)の具体像を知る一級資料で、
農耕儀礼や鬼追いのルーツという見方が出ている。

仮面はアカガシ製で、縦26センチ、横21.5センチ、厚さ6ミリ。
未使用の鍬(くわ)の刃を転用したと見られ、柄を差し込む穴を口に、
柄の支え部分を鼻にしていた。

三日月形のまゆを線刻し、周りに赤い顔料がわずかに残っていた。

裏側が平らで、顔に固定するひもを通した穴もないため、
手に持って使った可能性が高いという。

鎌の柄(長さ47.5センチ、直径3センチ)と、
赤と黒で彩色した盾の破片(モミ製、長さ15センチ、幅2.5センチ)は
約40センチ上の土層にあった。

仮面より後に井戸へ投げ込まれたらしい。

市教委はいずれも同じ祭りで使われたと見ている。

これまで木の仮面は7世紀初めごろの
神戸市・宅原(えいばら)遺跡のものが最古だった。
土製では縄文時代の土偶に仮面らしいものの出土例がある。

纒向遺跡に詳しい奈良県立橿原考古学研究所の
寺沢薫・調査研究部長(考古学)の話

古くからの農耕儀礼が大和王権に採り入れられるなかで生まれた
「神の顔」をかたどったのだろう。
明確な形を持たなかった弥生の神々が、具体的観念として認識され始めたことを示す
最古の例とも考えられ、画期的な発見だ。

◎asahi.com 2007年9月26日
  http://www.asahi.com/...

◎Google検索「纒向遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


縄文人も大豆作り 弥生説より千年前

「畑の肉」とも言われ、日本人の食生活に深くかかわる大豆。
その栽培開始が、定説とされていた弥生時代前期より1000年以上古い、
縄文時代後期の中ごろ(約3600年前)までさかのぼるという研究結果を、
熊本大学埋蔵文化財調査室の小畑弘己准教授(47)らがまとめた。

一般に「縄文時代は狩猟・採集の生活」と言われてきたが、近年の研究で、
キビやヒョウタンなどの植物を栽培していたことははっきりしてきた。
大豆栽培の痕跡は、縄文人の食生活が、従来考えられていたより、
さらに多様で豊かだったことを示唆する。

小畑准教授らは昨年、穀物を食べるコクゾウムシの痕跡が、
縄文時代後期中ごろの土器に残っていたことを調べ、
大麦や稲の栽培が九州で始まっていた可能性を指摘した。
「大豆も同じころ、大陸から入ってきたのでは」と推測している。

◎asahi.com 2007年9月24日
  http://www.asahi.com/...

弥生時代 |

2007.09.25


将監名遺跡(浜松労災病院敷地)に集落跡

2007年9月22日:中日新聞より

約2000年前の弥生時代中期とみられる
「将監名(しょうげんみょう)遺跡」(浜松市東区将監町の浜松労災病院敷地内)で、
竪穴住居跡が35棟密集している状態で見つかった。

調査を進める県埋蔵文化財調査研究所は
「稲作の耕作地開発などで外部から来た人たちの“ムラ”では。
ここまで密集した住居跡は珍しい」と評価している。

約600平方メートルに竪穴住居25棟の跡と、
その建て替え分とみられる10棟の跡のほか、掘っ立て柱建物1棟の跡。

05年度の前回調査時と同様、
弥生式土器、石器、ガラス小玉、炭化した穀物なども出てきた。

◎Google検索「将監名遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


小さな土壙墓群 津山・美作国府跡

2007年9月21日:山陽新聞より

岡山県教委が22日に現地説明会を開く美作国府跡(津山市山北)で、
弥生時代の土壙墓(どこうぼ)=地表面を掘った墓=群が
発掘担当者らの間で話題を呼んでいる。

12基がかたまって出土したが、なぜか長さ1メートル以内の小さなサイズばかり。
子どもの集団墓地などの可能性を考えながらも「なぜだろう」と首をひねっている。

土壙墓は住居跡など集落の一角とみられる場所で出土。
中に木材の痕跡が黒っぽく残り、木棺を使っていたことがうかがえる。
一緒に出土した土器片から年代は弥生時代中期(約2000年前)と推定できたが、
人骨など墓のサイズの謎解きにつながるものは残っていない。

大人が埋葬された土壙墓は通常2メートル程度の長さ。
死産率や乳幼児死亡率が高かった弥生時代、
子どもだけの墓地があっても不思議ではない。
だが発掘を担当する県古代吉備文化財センターの澤山孝之主任は
「子どもの墓と考えるのが妥当だが大人の手足を折り曲げて
小さな墓に埋葬している例もある」と慎重だ。

◎Google検索「津山・美作国府跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


南摺ケ浜遺跡に集団墓地跡

2007年9月14日:南日本新聞より

鹿児島県指宿市十二町の南摺ケ浜遺跡で、
弥生時代後期-古墳時代中期(3世紀前半-5世紀前半)の
集団墓地跡が見つかった。

発掘調査を行っている県立埋蔵文化財センターによると、
同市山川成川の成川遺跡と枕崎市汐見町の松之尾遺跡でも出土した
薩摩半島南部特有の立石墓と考えられるという。

墓標のような役割を持つ立石は13枚出土しており、
最大で長さ2メートル、幅80センチ、厚さ7、8センチの短冊状の安山岩。
ほかに副葬品か供え物とみられる大型壺(つぼ)や小型の長頸(ちょうけい)壺のほか、
高坏(たかつき)などの土器、鉄器合わせて約160点が出土した。
古墳時代の初期須恵器も見つかっている。

◎Google検索「南摺ケ浜遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


名東遺跡から円丘墓

2007年9月2日:四国放送より

徳島県埋蔵文化財センターは徳島市の名東遺跡から、
弥生時代中期の円形の古墳・円丘墓が見つかったと発表しました。

今回、出土した細頸壷と呼ばれる土器から、
円丘墓は約2100年前の弥生時代中期前半に造られた事がわかりました。
この時代の円丘墓が県内で見つかったのは3例目ですが、
名東遺跡が県内最古の円丘墓となりました。

円形の溝の直径は、外側が12メートル内側が9.9メートルで、
円形が途切れている部分には橋があったと見られます。

県埋蔵文化財センターは、
「岡山や香川などを中心に確認されていた円丘墓の発見は
埋葬などの交流を考える上で貴重であり、
団体埋葬から個人埋葬への変遷も興味深い」としています。

◎Google検索「名東遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


耳あか乾湿遺伝子、高校生が作成

読売新聞より
http://www.yomiuri.co.jp/...

弥生時代 |


「まぼろしの邪馬台国」映画化 島原の文学者夫婦描く

長崎新聞より
http://www.nagasaki-np.co.jp/...

弥生時代 |

2007.09.05


九州最小の銅鐸が出土

2007年8月29日:西日本新聞より

福岡県筑紫野市教委は28日、同市立明寺の立明寺地区遺跡で
弥生時代後期前半から中葉(2世紀ごろ)の小銅鐸(どうたく)が出土したと発表した。
小銅鐸出土は県内8例目、九州では13例目。
復元した高さは4.5センチで、九州では最小という。

小銅鐸は横幅2.7センチ、厚さ1.7センチの青銅製。
台形の下側が欠けており、高さは4.1センチ。
国内では、滋賀県で1998年に出土した高さ3.4センチの銅鐸に次いで2番目に小さい。
文様や飾りはなく、近畿を中心に出土する大型の銅鐸とは別系統とみられる。

◎Google検索「立明寺地区遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


幅遺跡から木棺墓80基

2007年8月22日:西日本新聞より

熊本県教委は南阿蘇村両併の幅(はば)遺跡から
弥生時代中期‐後期初め(紀元前1世紀‐紀元1世紀)の
木棺墓約80基が出土したと発表した。
当時の集落の一部とみられ、県内で木棺墓が集中して出土する例は珍しいという。

木棺墓は死者の周囲を長方形に板で囲んで埋めた墓で、
縦1.5‐2メートル、幅0.8メートル、深さ約2メートル。
80基はいずれも南北か東西に向いており、集
落の共同墓地の可能性が高い。

近くの溝からは赤く塗られた土器が多数出土しており、
死者の霊を弔う儀式に使われたとみられる。

北部九州では弥生時代中期以降、
死者を素焼きの甕(かめ)に入れて埋める甕棺墓(かめかんぼ)が主流。
一方、出土した土器には北部九州に多くみられる「須玖2式土器」が交じっており、
県教委文化課は「北部九州のほかの集落と交流しながら、
埋葬については独自の文化を守っていたのでは」としている。

◎Google検索「幅遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.08.22


手越向山遺跡で方形周溝墓

2007年8月19日:中日新聞より

静岡大人文学部考古学研究室の篠原和大准教授(39)は18日、
静岡市駿河区の佐渡山の手越向山(てごしむこうやま)遺跡での
古墳発掘調査結果を明らかにした。

1世紀ごろの古墳で、丘陵地の斜面にあるのが特徴。

見つかったのは、溝で四方を囲った弥生時代中後期の古墳「方形周溝墓」。
周囲を深さ60センチから120センチの溝で囲まれており、
古墳の中心には木棺が収められていたとみられる。

同遺跡は縄文から古墳時代の複合遺跡。

◎Google検索「手越向山遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


「伊都国」の環濠集落跡 今宿五郎江遺跡

2007年8月2日:西日本新聞より

福岡市教委は1日、同市西区今宿町の今宿五郎江(いまじゅくごろうえ)遺跡から、
弥生時代後期(2‐3世紀)の大型環濠(かんごう)集落の遺構を確認したと発表した。

伊都国に関係する遺跡群で環濠集落跡が確認されたのは初めて。

市教委は「遺跡の環濠集落は伊都国の中でも交易、外交、防衛の
拠点的役割を担っていた可能性がある」としている。

確認された環濠は長さ約30メートル、幅2.5メートル、深さ1.2メートルのV字形。
1984年の発掘調査開始から遺跡南側を中心に断続的に見つかっていた溝が今回、
馬蹄(ばてい)形につながった1つの環濠としてほぼ完全な形で確認された。

環濠内からは今回、中国・後漢時代の「内行花文鏡」といわれる銅鏡の破片や、
朝鮮半島支配のために漢朝が設置した楽浪郡(平壌周辺の地域)一帯で製造された土器も出土。
これまでの調査で住居の柱跡とみられる穴も複数確認したという。

◎Google検索「今宿五郎江遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.07.31


沓形遺跡で津波被害を受けた水田跡を発見

2007年7月26日:河北新報より

仙台市若林区荒井の「沓形(くつかた)遺跡」を発掘調査していた
仙台市教委は25日、約2000年前に襲来した津波で運ばれた砂の層に覆われた、
弥生時代の水田跡が見つかったと発表した。
津波被害を受けた水田跡の確認は、全国で初めてという。

◎仙台市ホームページ
  http://www.city.sendai.jp/...

◎Google検索「沓形遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


弥生織りの会による弥生人の衣服復元の話

京都新聞より
http://www.kyoto-np.co.jp/...

弥生時代 |


出雲遺跡で六角形の竪穴住居跡を発見

2007年7月19日:京都新聞より

京都府亀岡市千歳町の出雲遺跡の発掘調査をしている
府教育委員会は19日、弥生時代後期(2世紀後半)の
六角形の竪穴住居跡が見つかったと発表した。
竪穴住居は円形か四角形が大半で六角形は珍しく、
丹波地方で4例目。
府教委は「有力者の住居か集会所のような建物で、
集落の中心的な施設」と推測している。

◎Google検索「出雲遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


十里遺跡で破鏡が出土

2007年7月20日:京都新聞より

滋賀県文化財保護協会(大津市)は、
栗東市の十里遺跡から弥生時代の破鏡が出土した、と発表した。
摩耗痕がある穴があることなどから、
ペンダントのような装飾品として利用していたとみている。

今回見つかったのは、紀元後1世紀の後漢時代に
中国で生産された内行花文(ないこうかもん)鏡の
外周の破片(長さ5センチ、幅2・8センチ、厚さ4ミリ)。
非常に磨き込まれ、上端部分に直径4ミリの摩耗した穴が2つ空いていた。

◎Google検索「十里遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


弥生時代の種で・・ 大賀ハスの話

信濃毎日新聞より
http://www.shinmai.co.jp/...

弥生時代 |


河原口坊中遺跡で木製品が出土

2007年7月7日:神奈川新聞より

かながわ考古学財団は六日、さがみ縦貫道建設事業に伴い、
発掘調査を実施していた海老名市河原口の河原口坊中遺跡で、
二千年前の年弥生時代中期のものとみられる木製品が多数出土した、と発表した。
県内では、二〇〇二年に県重要文化財に指定された
逗子市池子遺跡群出土品以来の貴重な資料だとしている。

◎海老名市ホームページ
  http://www.city.ebina.kanagawa.jp/...

◎Google検索「河原口坊中遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


樽味四反地遺跡で竪穴住居跡などを発見

2007年7月5日:愛媛新聞より

全国最大級の掘っ立て柱建物の柱跡に重なるように
古墳時代前期とみられる竪穴住居跡が見つかり、
同建物が 弥生時代終わりごろ建てられた可能性が濃厚になったとした。
同住居跡からは土師(はじ)器の小鉢と支脚2点が
使用されていたままの珍しい状態で出土した。

◎松山市教育委員会
  http://www.city.matsuyama.ehime.jp/...

◎Google検索「樽味四反地遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.07.05


日本語のルーツを探る

◎OhmyNewsより
  http://www.ohmynews.co.jp/...

弥生時代 |


妻木晩田遺跡 一般公開

2007年11月22日までの平日

◎参考記事:山陰中央新報
  http://www.sanin-chuo.co.jp/...

◎Google検索「妻木晩田遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


摩文仁ハンタ原遺跡で装飾品を発見

沖縄県糸満市にある摩文仁ハンタ原遺跡で2007年7月3日までに
縄文時代晩期から弥生時代前期のものと見られる人骨や貝でできた腕輪、
サメの歯の装飾品などを確認。

◎参考記事:沖縄タイムス
  http://www.okinawatimes.co.jp/...

◎Google検索「摩文仁ハンタ原遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


萩原二号墓で後漢鏡の一部を発見

国内最古の石積み墳丘墓とされている徳島県鳴門市にある
萩原二号墓で、木槨(もっかく)内から中国・後漢時代に作られたとみられる
銅鏡「四葉座内行花文鏡(しようざないこうかもんきょう)」の一部が見つかったと
2007年6月21日に徳島県教育委員会が発表。

「前方後円墳につながる墓でありながら、鏡を砕く弥生時代の風習も残し、
過渡期の墓の姿が見えて興味深い」と徳島文理大学の石野博信教授の話。

◎参考記事:徳島新聞
  http://www.topics.or.jp/...

◎Google検索「萩原二号墓」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


鬼虎川遺跡で銅剣の鋳型片を発見

大阪府東大阪市にある「鬼虎川遺跡(きとらがわいせき)」で、
弥生時代中期後半の銅剣の鋳型片が見つかった。

近畿での出土は、兵庫県尼崎市の田能遺跡(たのういせき)に次ぐ2例目。

銅剣鋳型は九州北部で集中して出土しているが、
畿内中心部でも銅剣が製造されていたことを裏付ける発見。

「これまでにない形で、地域ごとに特色ある銅剣が作られていたことを示している」
と大阪府立弥生文化博物館長の話。

◎参考記事:読売新聞
  http://osaka.yomiuri.co.jp/...

◎Google検索「鬼虎川遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.06.05


下之郷遺跡でメロンの果肉を発見

滋賀県守山市にある弥生時代中期の環濠集落跡である
下之郷遺跡(しものごういせき)でメロンの仲間とみられる
果実が発見されたと2007年5月31日に守山市教育委員会が発表。

厚さ約5mmの果肉が残っており、極めて珍しいケース。
世界最古の可能性も。

◎参考記事:東京新聞
  http://www.tokyo-np.co.jp/...

◎Google検索「下之郷遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


東北地方の縄文人と弥生時代始まりの関係

◎朝日新聞より
  http://www.asahi.com/...

弥生時代 |


宮ノ背西遺跡で竪穴式住居跡3基を発見

京都府八幡市の宮ノ背西遺跡(みやのせにしいせき)で、
弥生時代末期から古墳時代初めとみられる竪穴式住居跡
3基を発掘したと2007年5月24日、八幡市教育委員会が発表。

同遺跡からの住居跡の発見は初めて。

◎参考記事:京都新聞
  http://www.kyoto-np.co.jp/...

◎Google検索「宮ノ背西遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.05.25


妻木晩田遺跡で上下逆の大型器台一基を発見

鳥取県大山町にある妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)の
首長層居住域と考えられているエリアで、弥生時代後期中葉の大型器台一基が、
上下逆の状態で発見されたことが、2007年5月18日までに分かった。

祭祀(さいし)が集落内から墓域へ移った転換期を示すとの見方も。

この時期以降の新しい大型器台は、
古墳などで行われる祭祀で供献土器として供えられる。

◎参考記事:山陰中央新報
  http://www.sanin-chuo.co.jp/...

◎Google検索「妻木晩田遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.05.17


弥生時代中期の銅戈に指紋か?

◎参考記事:朝日新聞
  http://www.asahi.com/...

弥生時代 |


西京極遺跡で土錘を発見

京都市右京区にある西京極遺跡で土錘(どすい)が発見された。

素焼きの土器で、長さ7センチ、直径3センチの紡錘形。直径1センチの穴が貫通。
発見された10点のうち3点は完全な形。

◎参考記事:京都新聞
  http://www.kyoto-np.co.jp/...

◎Google検索「西京極遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


植物園北遺跡で竪穴集落跡を発見

京都市左京区にある植物園北遺跡で2007年5月1日までに
弥生後期から古墳前期の竪穴集落跡が見つかった。

住居跡は三重に重なっており、3世代程度の集落であると判明。

◎参考記事:京都新聞
  http://www.kyoto-np.co.jp/...

◎Google検索「植物園北遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |

2007.05.07


慶応大学日吉キャンパスで大型竪穴住居址を発見

神奈川県横浜市港北区の慶応大学日吉キャンパス内の遺跡から、
弥生時代終末期~古墳時代前期の大型の竪穴住居址が見つかったと
慶応大学民族学考古学研究室が2007年4月27日に発表。

住居の床面積は百平方メートル以上あり、全国有数の大きさ。

◎参考記事:東京新聞
  http://www.tokyo-np.co.jp/...

◎Google検索「慶応大学 日吉 遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


伊都国 三雲・井原遺跡で国内最古の完形内行花文鏡を発見

福岡県前原市の三雲・井原遺跡(みくも・いわらいせき)で、
弥生時代後期前半から中ごろの、完形品としては国内最古の
内行花文鏡1枚が出土したと前原市教育委員会が2007年4月25日に発表。

この時期の破砕鏡副葬を考える上で重要な発見と見られている。

「長宜子孫」の銘が入った中国鏡。

◎参考記事:熊本日日新聞
  http://kumanichi.com/...

◎Google検索「三雲・井原遺跡」
  http://www.google.com/...

弥生時代 |


羽子田遺跡で異形土器を発見

奈良県田原本町の羽子田遺跡(はごたいせき)で、弥生時代末期の異形土器
(皮袋か鳥を表現したとみられる)が発見されたと
2007年4月19日に町教育委員会が発表。

完形品は極めて珍しい。

◎参考記事:奈良新聞
  http://www.nara-np.co.jp/...

◎Google検索「羽子田遺跡」
  http://www.google.com/...