伊豆急下田駅

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下田港は江戸時代末期に函館港とともに日本最初の開港となった。

ペリー艦隊停泊図

下田港は、江戸時代から江戸に向かう船舶の寄港地として繁栄した。
毎年、3000隻の千石船の入港があった。

江戸末期の嘉永7年(1854年)に締結された日米和親条約により、
下田港は函館港とともに開港とされ、
外国船へ薪炭・食糧・水を供給する補給基地港となった。
しかし、5年後の安政6年(1859年)の日米通商修好条約により、
神奈川港などが開港したことに伴い、下田港は開港が解かれた。

第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)には、
海軍第16突撃隊・陸軍潜水輸送隊・海軍第6海龍隊が下田港へ配備された。
戦後は観光港として歩んでいった。

Message from President George Bush

ジョージ・ブッシュ大統領から下田市へのメッセージ

ペリー艦隊来航記念碑

嘉永七年(安政元年-1854年)再来したペリーと幕府の間でもたれた
日米和親条約の交渉過程で、開港地として下田港が提示されると、
ペリーは調査船を派遣した。
下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、
船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満たしている点にペリーは満足した。
条約締結により即時開港となった下田に、ペリー艦隊が次々と入港した。
そして、ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園下の鼻黒の地であった。
ここを上陸記念の地として、ペリー上陸の碑が建てられた。
この記念碑のペリー像は、故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨は、
アメリカ海軍から寄贈されたものである。
(参考・Wikipedia、現地案内板)
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