鉄道写真3

2009.08.14

キハ35系 / 関東鉄道 キハ100形

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

栃木県・足尾駅にて平成21年8月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

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キハ35系気動車は、
日本国有鉄道(国鉄)が1961年から製作した通勤形気動車である。

この呼称は車両形式称号規程に則った正式のものではないが、
同一の設計思想によって製作された気動車のグループを便宜的に総称したものである。
具体的には、キハ35形、キハ36形、キハ30形及びこれらの改造車を指す。

昭和30年代の高度経済成長期、
大都市近郊の非電化通勤路線向けとして開発されたものである。

1961年~1966年の間にグループ総計で413両が製作され、
関西本線を皮切りにして首都圏、新潟、名古屋、関西を中心に全国各地で使用された。

旅客乗降の効率化のため、両開きの幅広ドアを片側あたり3か所に設け、
収容力を重視して車内の座席をすべてロングシートとしたことが特徴である。
このためラッシュ時の輸送に絶大な能力を発揮した。

しかし大都市近郊の路線が軒並み電化されたことと、
長距離運用に不向きな設備が災いし、1980年代以降は急激に淘汰された。

1987年の国鉄分割民営化時には、
キハ35形とキハ30形が北海道を除く各旅客鉄道会社に承継された。

関西本線の湊町(現・JR難波)~奈良間は大都市近郊区間であり、
1950年代以降通勤客が大幅に増加していた。
この区間は戦前に電化も計画されたことがあるが実現せず、
1960年当時でも非電化のままだった(電化は1973年)。
当時の関西本線は蒸気機関車牽引の客車列車が主力として運転されていた。

客車は老朽化し、ドアは手動であり、蒸気機関車の煤煙に悩まされるという、
昭和初期と大差ない前時代的な旅客サービス水準であり、
並行する複線電化の近畿日本鉄道奈良線には、
列車本数、スピード、接客設備とも大きく水を開けられていた。

また、いまだ蒸気機関車が主力であったことから、
輸送量が同等の国鉄他線区に比べると固定資産が多く、
輸送コストが割高で営業成績が低迷し、収支改善のテコ入れを迫られていた。

この状況に対して国鉄は、当時の関西本線の輸送量では
電化では採算が合わないと判断し、
気動車の大量投入により輸送力強化を図ることを決定した。

この頃、関西線には既に気動車が部分的に導入されていたが、
車両は2ドアセミクロスシートのキハ10系・キハ20系であり、
ラッシュ時の客扱い能力にはいささか難があった。

そこで、ラッシュ対応型の通勤形気動車として、
新たにキハ35系気動車を開発することになったのである。

900番台(901~910)は、1963年に10両が製造されたステンレス車。
東急車輛製造がアメリカ・バッド社のライセンスによる
オールステンレス車両開発の一環として製作したもので、
1962年開発の東急7000系と並び、
日本におけるオールステンレス車の草分けとなった車両である。

1987年から1992年にかけて、各形式計39両が関東鉄道常総線へ譲渡され、
キハ300形、キハ350形、キハ100形となった。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「キハ35」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「関東鉄道 キハ100」
  http://www.google.com/...

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2009.07.05

583系

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成21年7月に撮影

大阪府・高槻駅にて昭和63年3月17日に撮影

大阪府・高槻駅にて昭和63年3月17日に撮影

鉄友からもらった写真

鉄友からもらった写真

鉄友からもらった写真

鉄友からもらった写真

青森県・青森駅にて平成元年8月4日に撮影

青森県・青森駅にて平成元年8月4日に撮影

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国鉄583系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した
動力分散方式の寝台電車。交直両用特急形電車。
当初581系電車として開発・製造された。

最初に使用された列車にちなんで「月光形電車」の異名を持つ。

寝台設備を持つ電動車は、20世紀初頭のアメリカにおける
インターアーバン(都市間電車)などで数例見られ、営業運転も行われていたが、
静粛性の問題や昼夜兼行とする経済的メリットが存在しなかった事から、
少数・短期間にとどまり、本格的な寝台電車は以下で示す581系が
世界で最初かつ唯一のものである。

本系列の開発の経緯は、以下に示すとおり、日本の鉄道の特異性が関係していた。

日本において、1960年代初頭より、昼行列車は
加・減速や上り勾配での速度に優れている電車ないしは気動車による
動力分散方式が一般化してきた。

一方、夜行列車は一部が動力分散方式に切り替えられたものの、
寝台車については静粛性の観点から、従来どおり機関車牽引の客車で運行される
動力集中方式が一般的であり、高速化には限界があった。

1960年代に入ると好景気による輸送需要増大に伴い、
全国的に優等列車の増発が進められた。
この過程で、運転本数が多くなった急行・特急列車に対し、
運行する車両を置く車両基地の容量の問題が浮上してきた。

更に、必要な車両を新規製造する費用の捻出が問題にもなってきた。
これらの解決策として、昼夜兼行で使用可能な
寝台兼用電車を設計することになったものである。

当初は、寝台車の接客設備水準を考慮し、
昼行列車では急行列車で使用する運用が想定されていたが、
特急列車に対する需要が大きいことと、平均時速が遅い急行列車で使用する場合、
十分な転換時間が得られないとの理由から、
特急形電車として設計された。その結果、以下のことを可能とした。

寝台列車としては、当時の日本最速120km/hでの走行を可能にした。

朝夕のラッシュ時間帯に通勤用車両が出払っていて
余裕のある車両基地で寝台設備の解体・セットを行うことにより、
新規の地上設備投資を抑えた。

昼夜兼行形の車両とすることで、1日により多くの仕事をすることができ、
投資に対する費用対効果を高めた。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「583系」
  http://www.google.com/...

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2007.10.17

EF60

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

群馬県・高崎第二機関区にて昭和62年8月3日に撮影

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

群馬県・高崎第二機関区にて昭和62年8月3日に撮影

群馬県・高崎第二機関区にて昭和62年8月3日に撮影

群馬県・高崎第二機関区にて昭和62年8月3日に撮影

静岡県・沼津機関区にて昭和61年8月9日に撮影

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EF60形電気機関車は、
日本国有鉄道(国鉄)が1960年に開発した、平坦路線向け直流用電気機関車である。

1958年、国鉄初の新形直流電気機関車としてED60形およびED61形が登場したが、
このED60形・ED61形で採用された1基390kWのMT49形モータを使用して
F形(動輪6軸)機関車を製造すると、その出力は390kW×6=2340kWとなり、
それまで東海道本線・山陽本線で高速貨物列車用として使用されていた
出力2530kWのEH10形に比べてさほど劣らぬ出力を持ちつつ
小型軽量の機関車を作ることができる。
このような考えから開発されたのがEF60形である。

1960年から1964年にかけて、貨物用の0番台が129両、
寝台特急列車けん引用の500番台が14両の計143両が製造された。

製造当初は東海道・山陽本線の高速貨物列車や特急列車に使用されていたが、
1964年にEF65形が登場してからは、
500番台も含めて主に一般貨物列車で使われるようになった。
1970年代後半からは首都圏の中央本線・高崎線・両毛線などでも使われるようになり、
1986年3月からは竜華機関区に配属され、阪和線・紀勢本線で使われたものもある。

しかし、老朽化に加え、電車化の進行、貨物列車の減少などにより、
1980年頃から廃車が出始めた。
最後に残ったのは高崎第二機関区に配置され
首都圏発着で高崎線・両毛線を通る貨物列車に使用されていた数両と、
竜華機関区に配置され阪和線・紀勢本線で使われた数両であった。
これらも1986年11月のダイヤ改正で全車両が定期運用から外されたため、
国鉄分割民営化を前にEF60形の定期運用は全くなくなった。
ほとんどがJRに承継されずに廃車となったが、
イベント用機関車として動態保存の形でJR東日本に19号が、
JR西日本に503号(静態保存)がそれぞれ承継されている。

なお、19号機は1986年にお座敷客車「やすらぎ」の牽引指定機として
客車に合わせた白地に青・赤の細帯の塗装に変更されたが、
1988年には「アメリカントレイン」の牽引指定機となり、
客車に合わせた星条旗風の塗装に変更された。
翌1989年、「アメリカントレイン」が運転終了となった後に
「やすらぎ」塗装に戻されたが、同車が2001年に廃車となったため、
2007年の全般検査で国鉄一般色に戻されている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「EF60」
  http://www.google.com/...

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2007.09.21

近鉄 420系[6421系] / 大井川鉄道

静岡県・新金谷駅付近にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷駅付近にて平成19年9月に撮影


静岡県・新金谷駅付近にて平成19年9月に撮影

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6421系電車とは、近畿日本鉄道 (近鉄) が
1953年に名古屋線の特急専用車として製造した電車の総称である。

1950年代の近鉄名古屋線を代表する優等車両であったが、
のち1960年以降の後続系列出現に伴って急行・普通列車運用に転用された。

現在の近鉄路線は、南大阪線系統や伊賀線・養老線・内部線・八王子線を除いて
線路幅 (軌間) が1435mmの「標準軌」となっているが、
名古屋線は建設時の経緯などから1959年まで1067mm幅の狭軌であり、
1435mm軌間の大阪線・山田線系統とは直通運転ができなかった。

このため大阪線と名古屋線は1950年代までそれぞれの軌間に合わせた
専用設計の車両が投入されてきた。

また直通乗客は、大阪線と名古屋線の結節点である
伊勢中川駅での乗り換えを強いられた。

1947年に現在の近鉄特急網の起源となる名阪特急が運行を開始した当初、
大阪線では旧参宮急行電鉄
(通称「参急」、大阪線桜井駅以東・山田線・名古屋線江戸橋駅以南を建設)
からの引き継ぎ車2200系(1930年~1941年製造)、
名古屋線では関西急行電鉄(通称「関急電」、名古屋線桑名駅以東を建設)からの
引き継ぎ車モ6301形(1937年製造)をそれぞれ整備して投入した。

しかしこれらはいずれも、戦前に製造された一般車を改良した程度のものであったため、
復興が進むにつれて新造車両の投入が望まれるようになった。

1953年に伊勢神宮の「式年遷宮」が行われることになったため、
それに合わせて登場したのが大阪線・山田線用の2250系と、
名古屋線用の6421系であった。

名古屋線近鉄名古屋駅-伊勢中川駅間での特急運用に投入され、
平坦な伊勢湾岸で高速運転を行った。
1955年までの増備によって、名古屋線主力特急車としての地位を確立する。

また1957年には2250系とともに車内冷房・公衆電話・シートラジオ受信機が
取り付けられるなど、全国に先駆ける画期的なサービスも始められた。

しかし1960年以降、10100系(ビスタカーII世)・10400系(旧エースカー)などの
後継車両が増備されるに伴い、本系列の運用の場は狭まり、
同年にモ6424~26・ク6574・75、サ6531の6両がまず2扉のまま
ダークグリーン塗装化されて特急運用を離脱した。

更に1963年には11400系(新エースカー)が登場して残り6両も特急運用を離脱、
冷房装置など特急用設備も取り外されて一般車となった。

1984年には近鉄支線区における形式番号の振り分け変更により、420系となった。

この改番により、後に登場する南大阪線6400系に車番を明け渡すこととなる。

1992年から1994年に全車が運用を離脱して廃車となったが、
1編成(モ421-ク571)は大井川鐵道へ譲渡され、
旧・近鉄特急色に塗装された状態で現存している。

しかし、ヘッドライトは2灯のままであり、側面は3扉のままであるため、
特急車時代とは趣が異なっている。

2005年頃から大井川鐵道内の車両の近代化が急激に進み、
吊り掛け駆動方式の車両が大量に廃車・解体されてしまったため、
この車両は現在では同線で唯一の吊り掛け駆動方式の非冷房車になってしまった。

このため予備車扱いとなっており、運用に就く機会は少ない。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「近鉄 420系」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「近鉄 6421」
  http://www.google.com/...

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2007.09.13

オハユニ61形 - 国鉄60系客車

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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3等座席郵便荷物合造車で、
1952年から1956年までの間に130両が鋼体化改造により製造された。

客室デッキ側から見ると、3等座席・郵便室・荷物室の順で3室が配置されている。
106以降は、郵便室と荷物室の位置が逆転している。

60系客車とは、日本国有鉄道(旧国鉄)が
1949年から木造客車を改造して鋼製客車とした一般型客車の形式群である。
このグループを総称する形で鋼体化改造車(こうたいかかいぞうしゃ)とも呼ばれる。

第二次世界大戦後の1947年2月25日、八高線東飯能~高麗川間で客車列車が脱線転覆し、
184人が死亡する事故が発生した(八高線列車脱線転覆事故)。

この事故は現代に至るまで、
日本の鉄道事故史上における死者数第2位の大事故として記録されている。

事故列車は木造客車で編成されており、
脆弱な木造車体が転覆によって大破したことが死者数を増大させたと考えられた。

鉄道省(国鉄の前身)が新規製造の客車を鋼製客車に切り替えたのは1927年であり、
八高線事故時点では既に20年以上が経過していた。
しかし、当時の国鉄保有客車数10,800両の約6割は木造客車であり、
ローカル線ではまだ木造客車、それも古い雑形客車さえ珍しくない状況であった。

これらの木造客車の多くは明治時代末期から大正時代末期にかけて製造されたもので、
製造後最低でも20年から40年程度が経過し、全体に老朽化が進行していた。
そして八高線での事故が発生したことで、
早期に木造客車を全廃し鋼製客車に置き換えることが強く望まれるようになった。

だが当時は戦後の混乱期でインフレーションが進行しており、
短期間のうちに鋼製客車を大量に新製して木造客車を全て取り替えることはコスト的に困難とされた。
また当時の鉄道運営を管轄していた進駐軍は、車両新造許可には消極的であった。

これらの課題の対策として、木造車の改造名目で安価に鋼製客車を製造する
「鋼体化」と呼ばれる手法が取り上げられた。
木造客車の台枠や台車、連結器などを再利用し、鋼製の車体のみを新製するものである。

国鉄では戦前の鉄道省時代に同様な手法で、
車体の老朽化した木造電車を鋼製車体に改造する工事を大量に行った実績があり、
また少数ではあったが木造客車の鋼製化工事の施工例もあった。
木造電車は客車よりもドア数が多く車体強度が劣り、加減速も頻繁で老朽化が早かったのが、
戦前からの早期改造着手の原因である。

戦前の電車改造は「鋼製化改造」と呼ばれたが、
戦後の木造客車改造についてはそれと区別する目的で「鋼体化改造」と呼ばれた。
膨大な改造両数となるこの計画の実現のため、
国鉄では進駐軍当局の担当者をラッシュアワーの総武本線両国駅に案内し、
老朽木造車にすし詰めとなった乗客が窓から乗降している危険な状態を見せて、
木造車の老朽化対策が喫緊の課題であることをアピールしたという。
この結果、国鉄は1949年から鋼体化改造に着手できることになった。

鋼体化改造の場合、客車の製造費用を従来の半分程度に抑えることができるとともに、
安全対策を主眼とした既存車両改造名目のため、車両新造に関わる制約を受けずに済んだ。

これらの鋼体化客車は他の制式鋼製客車などとの区別のために
60番台の形式を付されており、このことから後年になって便宜上、
60系客車と呼ばれるようになった。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「オハユニ61」
  http://www.google.com/...

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いい旅チャレンジ20,000km

拡大する

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いい旅チャレンジ20,000kmとは、
1980年(昭和55年)3月15日から10年間行なわれた
日本国有鉄道(国鉄)のキャンペーンのことである。

当時営業キロ20,000km強・242線区あった
国鉄全鉄道路線の完乗を目的とするものであった。

期間中に国鉄は分割民営化されJRグループとなったが、
キャンペーンはそのまま引き継がれ、1990年3月14日に終了した。

元々は、宮脇俊三著作の「時刻表2万キロ」がヒットしたことから
生まれたキャンペーンだと言われている。

ある路線の始発駅と終着駅で自身と駅名標が写った写真を撮り、
これを事務局に送付すると、その路線を走破したことが認証され
踏破認証シールが戻ってくる。

これを専用のファイルに集めていくと、
踏破した路線数に応じて記念品がもらえるというものであった。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「チャレンジ2万」
  http://www.google.com/...

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2007.09.10

キハE200形 世界初 営業用ハイブリッド車

長野県・野辺山駅にて平成19年8月に撮影

長野県・野辺山駅にて平成19年8月に撮影

長野県・野辺山駅にて平成19年8月に撮影

長野県・野辺山駅にて平成19年8月に撮影

山梨県・小淵沢駅にて平成19年8月に撮影

山梨県・小淵沢駅にて平成19年8月に撮影

車内にて平成19年8月に撮影

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キハE200形は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が2003年(平成15年)に試作された
NEトレイン(キヤE991形)の試験結果を受け、世界で初めて営業用として投入する
ハイブリッド式(シリーズ方式)の鉄道車両(気動車)である。

3両が量産先行車として投入された。
2007年(平成19年)7月31日より小海線で営業運転を開始した。
同線での営業運転開始から約2年間、量産車導入に向けたデータ収集を行う予定である。

ディーゼルエンジンとリチウムイオン蓄電池(屋根上に設置)を組み合わせ、
駆動力には電気モーターを使用する。

発車時は蓄電池充電電力を使用、
加速時はディーゼルエンジンが動作し発電機を動かし
蓄電池電力とあわせてモーターを回転させる。
減速時はモーターを発電機として利用、
ブレーキエネルギーを電気に変換して蓄電池に充電する
(ディーゼルエンジンは停止もしくは排気ブレーキ動作)。

したがって、本形式の走行音は独自のものである。
また、運転台に設置してあるモニタ装置では
エネルギー転換の状況がリアルタイムに表示される。

最新の排気ガス対策ディーゼルエンジンと蓄電池を効率よく組み合わせて、
環境負荷の低減を図り、従来のキハ110系に比べて排気中の
窒素酸化物や粒子状物質 (PM) は約60%低減できるという。

燃料消費量は、起伏の激しい小海線で約10%低減を見込んでいる。
駅停車時の騒音はアイドリングストップを行い、約30デシベルまで低減されている。

機器類の電車用部品との共通化、変速機など要メンテナンス部品の削減、
電気冷暖房採用による温水、冷媒配管の廃止、
電気関係の省メンテナンス部品の採用などで作業の軽減を図った。

(Wikipediaより)

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走行音 / 野辺山→清里

走行音 / 清里→甲斐大泉

走行音 / 甲斐大泉→小淵沢

停車音 / 小淵沢

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◎Google検索「キハ E200」
  http://www.google.com/...

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2007.09.07

富士急行 1000形 1200形

山梨県・大月駅にて平成19年8月に撮影 (1200形)

山梨県・大月駅にて平成19年8月に撮影 (1200形)

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1000形、1200形電車は、富士急行の車両。
元京王5000系。

自社の老朽化した3100形と5700形の置き換え用として、
京王重機整備による整備(MMユニット化、寒冷地用設備の設置、室内の更新など)の上、
1993年(平成5年)に登場した。
現在、1000形が2両編成2本(4両)、1200形が2両編成7本(14両)、計18両が在籍し、
2007年09月現在、同線の主力車両として活躍している。

1000形は、京王時代から引き続きロングシートのままで運行している車両で、
1200形は、入線時に転換式セミクロスシートに改造された車両である。
また、モハ1200形は連結面寄りの一部の座席が跳ね上げ式になっており、
この部分は車椅子スペースにもなる。

1200形のうち、1206~1208の編成は
特急「ふじやま」号専用仕様車(座席カバー、テレビ付き)に改造されたが、
「フジサン特急」(2000形)の登場後は普通列車用に格下げされた
(ただし2000形の検査によってごくたまに特急運用に就くこともある)。

台車は京王時代のものは軌間が違い使用できないため、
営団地下鉄3000系の廃車発生品であるFS510を利用している。
主電動機も同車の発生品(MB3054-A)である。
マスコンやブレーキなどの機器は変わっていない。

青地に白帯を基調とし、大月方に斜めのストライプ、
河口湖方には富士山のシルエットを白で描いている。

なお、2006年9月に1205編成が赤・白を基調としたデザインに塗装変更された。
これは、スイスのマッターホルンゴッタルド鉄道との姉妹鉄道提携15周年を記念して、
マッターホルンゴッタルド鉄道の車両のデザインを模して塗装を変更したものである。
他の編成に描かれている富士山のシルエットが無いなど、
多少デザインが変更されている。

1001編成は、2001年に編成ごと飲食店としての認可を受けた。
ロングシートの通路にテーブルを設置し、
「地ビール電車」などのイベント列車に活用されている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「富士急行 1000」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「富士急行 1200」
  http://www.google.com/...

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2007.09.06

リゾートエクスプレス ゆう

茨城県・勝田駅にて平成19年8月に撮影 (手前が「ゆう」)

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1991年3月に登場した6両編成。

81系和式客車「ふれあい」の老朽置換え用として誕生した。
「シルフィード」と同様に、余剰となっていた
サロ189形・サロ183形1000番台の車体およびサロ481形1000番台の
床下機器を活用のうえ、485系の電装品(モーター等)を組合せて登場した。

デビュー当初の内装は欧風仕様だったが、
首都圏の和式列車の需要が高まり
1998年10月に先頭車のラウンジおよびイベントカーを除き畳敷に改装された。

臨時列車では、常磐線を主に走る。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「リゾートエクスプレス ゆう」
  http://www.google.com/...

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2007.09.04

オシ17形 食堂車

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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車幅拡大により、日本の食堂車で全テーブル4人がけ・定員40名とした
初めての食堂車。
(それ以前の食堂車は片側テーブルが2人がけで、最大定員30名であった)

講和条約発効に伴い占領軍から順次返還されつつあった展望車や食堂車など、
戦前製3軸ボギー式客車の台枠を流用し、長野、高砂の両工場で車体を新製した。

4人がけ実現のために、車両限界いっぱい(2,950mm)まで最大幅を広げ、
裾を絞った車体断面で、
当初より床下搭載のディーゼル発電機を電源とする冷房装置を搭載した。

厨房内については、マシ36形→カシ36形で試みられた電気レンジの失敗から、
完全電化は時期尚早と判断され、マシ35形以前と同様の「石炭レンジ」を搭載していた。

新製当初は、東海道本線の特急列車、「つばめ」・「はと」に、
続いて、東北本線・常磐線に新設された特急「はつかり」に用いられたが、
1960年に3列車が電車・気動車化されたあとは、全車急行列車用に転じ、
増備車を含め、老朽化した戦前製食堂車の淘汰に充てられた。

1972年11月、本形式中の1両、2018が北陸トンネル火災事故の火元となったことから、
事故後直ちに全車の使用が停止され、2両が教習車オヤ17形に改造された他は、
すべて廃車解体された。

オヤ17形に改造されたうちの1両、2055が外観のみ復元され、
碓氷峠鉄道文化むらで保存されている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「オシ17」
  http://www.google.com/...

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