2008.03.02


ゆとり (旧 サロンエクスプレス東京) お座敷客車 14系改造

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・北鎌倉駅にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・東戸塚駅付近にて撮影 (サロンエクスプレス踊り子)

神奈川県・新子安駅にて撮影 (サロンエクスプレス東京)

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おまけ(笑 ^^) 小学生の時にサロンと初対面記念

神奈川県・大船駅にて撮影 (サロンエクスプレス東京)

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1983年8月に登場した14系客車改造の欧風客車の7両編成。
スロフ14 701・702、オロ14 701~705 で構成されていた。
この列車がジョイフルトレインの原点となった。

改造工程の都合で、当初は暫定的に5両編成で登場、のちに7両編成化される。

5両編成時には大井川鉄道にも入線している。

団体臨時列車のほか多客臨時列車としても活躍した。

大井川をはじめとするSLによる牽引運行も少なくなく、
JR東日本では1996年9月にD51形498号機牽引による臨時列車も運転されている。

本列車は団体列車のほか多客期の臨時特急としても使用されたことがある。

1997年1月を最後に欧風列車としての運行を終え、
和式車両に改造するとともに、オロ14 702を抜いた6両編成で新たに「ゆとり」と改称する。
オロ14 702は、「サロン佐渡」に改造された。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「ゆとり お座敷」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「サロンエクスプレス東京」
  http://www.google.com/...

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2008.02.06


天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線 TH2100型

静岡県・掛川駅にて平成19年9月に撮影

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天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線は、静岡県掛川市の掛川駅から
浜松市天竜区の天竜二俣駅を経て、湖西市の新所原駅に至る
天竜浜名湖鉄道が運営する鉄道路線。
略して天浜線(てんはません)とも呼ばれる。
旧国鉄の特定地方交通線(二俣線)を引き継いだ路線。

東海道本線から分岐して内陸部に入り、
浜名湖の北岸を巡って再び東海道本線に合流しており、
掛川~豊橋間の北回りバイパス線ともなっている。

本来は、掛川から遠江二俣、三河大野を経て
岐阜県東濃地方の大井(現在の恵那)に至る鉄道
(改正鉄道敷設法別表第63号)として計画されたが、
軍事上の要請から(浜名湖付近で海岸線を通る東海道本線が、
敵軍の攻撃により不通になった際のバイパスとするため)、
終点を新所原に変更して建設された。
また、天竜二俣付近では、1929年~1935年に存在した
光明電気鉄道線の廃線跡を転用して建設を行っている。

TH2100型は新潟トランシス製。TH1型を置き換える目的で登場。
全長18.5mで座席はセミクロスシート。最高速度は85km/h。
ドアチャイムが付いている。
1次車と2次車以降との違いはドア部のLED表示の有無程度。
2002年より全13両を投入してTH1型を置き換え、
現在も主力車両として運行中。

ワンマン運転の列車が各駅停車で運転される。
第三セクター転換後は、東海道本線などとの直通列車はない。
単線かつローカル線であるために、完全な等間隔運行ではないが、
昼間はほぼ1時間に1本の割合で列車が運行されている。
朝夕はこの他に新所原~金指間、遠州森~掛川間に、
それぞれ区間運転が行われる。

また、2000年の夏期からトロッコ列車「そよかぜ号」が
三ヶ日~天竜二俣間を走り、人気を呼んでいる。
このトロッコは、貨車改造のトロッコ車両2両と、
上り方向にレールバス1両を付けた3両編成で、動力はレールバスのみである。

終着駅でレールバスの機回しを避けるため、
トロッコ車両の下り側は制御付き運転台で、下り列車の場合トロッコ車両を先頭にして、
後のレールバスを操作する方式を採用している。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「天竜浜名湖」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「TH2100」
  http://www.google.com/...

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2008.01.14


伊豆急行 8000系 (旧 東急 8000系)

静岡県・熱海駅にて平成20年1月に撮影

静岡県・熱海駅にて平成20年1月に撮影

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8000系電車は伊豆急行が保有する電車。
2005年(平成17年)4月1日に営業運転を開始した。

伊豆急行では、これまで通勤・通学輸送に
東日本旅客鉄道(JR東日本)から購入した200系を使用していたが、
元々老朽化していた車両であり、代替となる車両を必要としていた。

そこで、2004年(平成16年)~2005年(平成17年)と2007年(平成19年)に、
親会社の東京急行電鉄(東急)から廃車となった8000系29両と8500系1両を譲受し、
順次改造・整備の上で導入することとなった。

系列名はそのままに、形式名・車両番号を8001~に、
「デハ」の呼称を「クモハ」「モハ」に振り直している。

制御装置などは基本的に東急時代のままであるが、
MT比、ATSと減速度の関係により、
東急時代の運転最高速度110km/h、
起動加速度3.3km/h/s(6M2T編成=MT比3:1の場合)から、
最高速度が100km/h、起動加速度2.0km/h/sに抑えられている。

なお、回生ブレーキは東急時代と同様
単独車(現在は存在しない)は45km/h、ユニット車は22km/hで失効する。

クモハ8150形は東急8000系に制御電動車が存在しなかったために、
走行機器付きの中間電動車・8100形に運転台を設置する事で用意された。

増設された先頭部は上部の通過標識灯(急行灯)や
側面のコルゲート装飾(断面が凹凸の、波状の補強構造。
技術の進歩により近年ではあまり設けられない)は無いものの、
それ以外の形状はオリジナルの先頭車に準じた形状となっている。

オリジナル車に残る通過表示灯は東急時代に使用が停止され、
伊豆急行でも使用していないので、運行に支障はない。

クモハ8250形は当初制御車のクハ8050形に改造される予定であった事から、
クハ8050形の消滅後に改造された車輌もクモハ8150形と異なり、
東急クハ8000形から改造されている。

離線対策のためにパンタグラフが新設されたが、
搭載スペースが考慮されていなかったために、
最も運転台側の冷房機1基が撤去され、その跡地に設置されている。

さらに、冷却能力の低下を補うために運転台上部に
新品の小型冷房機が設置された関係で、
干渉を防ぐためにパンタグラフ形状は折りたたんだ際の占有面積の小さい、
シングルアーム式となった。

伊豆急でのシングルアーム式パンタグラフの採用は、
200系F3~8編成に次いで2例目である。

モハ8200形は短編成で運行するため、
離線対策としてパンタグラフを持つデハ8100形に
東急デハ8200形の床下機器を移設することで、
東急デハ8200形相当のパンタグラフ付き車両に改造された。
クモハ8200形も機構的にはモハ8200形に準じたものに改造されている。

これら一連の改造には、東急で他の8000系が
解体された時に発生した部品が一部使用されている。

すべての先頭車は障害物対策で排障器(スカート)が、
連結作業対策で電気連結器が設置された。
排障器は東急9000系などと同じ形状である。

外観は車体外部の帯が東急の赤色に代わって、
100系をイメージした濃淡2色の水色(ハワイアンブルー)となった以外に
はさほど変化がないものの、内部は徹底的にリニューアルされ、
居住性が大幅に向上している。

ロングシート部分は車輌によって、
東急時代の更新工事の有無で形状が異なっている。

更新車はドア間の座席が仕切りで4人掛と3人掛に区分され、
端部にも仕切りが設置されている。

社章は2005年度入線車は東急の社章プレートの「TOKYU」部分に
「IZUKYU」の文字を被せた状態で使用されていたが、
2006年度入線車から新造の物が設置されるようになり、
2005年度入線車も交換がなされた。

新しい社章プレートは東急と同デザインであるが、
色が赤からオレンジとなった。

その他、運行面の改造として、ワンマン運転への対応や
伊東線への乗入れ装備の追加(JRのATS-P形や列車番号設定器などの設置)が
行われている。

なお、ワンマン運転時には前面貫通扉窓の上部に「ワンマン」の看板が取付けられる。
一部の車両にはさらにレールへの塗油器も設置された。

1990年代後半に100系の老朽取替えに際し、
代替車両の候補としてまず東急8000系が挙がった。
しかし当時8000系に廃車予定はなく、当時計画されていた、
車内サービスを維持するための片側2扉に改造しての導入では
JRとの直通運転に適していないとのことで、
JRより提示された113系および115系を200系として導入した経緯がある。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「伊豆急行 8000」
  http://www.google.com/...

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>> 「伊豆急行」 Amazon検索

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スハフ43

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-2

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-3

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-3

静岡県・新金谷駅にて平成19年9月に撮影 / スハフ43-2

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国鉄スハ43系客車とは、
日本国有鉄道(国鉄)が1951年から急行列車用に製造した客車の形式群である。

在来型の客車に比して居住性を大幅に改善した画期的な客車であった。
当初は特別急行列車にも使用され、
1970年代まで日本全国で急行列車運用に広く充てられたほか、
後年は普通列車でも運用された。

国鉄が定めた制式の系列呼称ではなく、
軽量客車と称された10系と従前のオハ35系との間に位置する、
同一の設計思想によって製作された客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称である。

スハ43形を代表としたスハ43系客車の呼称が一般的である。

具体的には、三等車のスハ43形、スハ44形、スハ45形、オハ46形、
三等緩急車のスハフ42形、スハフ43形、スハフ44形、オハフ45形、
三等荷物合造車のスハニ35形、特別二等車のスロ53形、スロ54形、
食堂車のマシ35形、マシ36形、
郵便車のスユ41形、スユ42形、スユ43形およびこれらの改造車が該当する。

また、1950年度に製造された、特別二等車のスロ51形、
寝台車のスロネ30形、マイネ41形および郵便車のオユ40形についても、
車体構造などに共通点が多いため、同じ系列に含めることが多い。

オハ35系の改良版として設計され、急行列車に使用することを前提として製造された。

鋼体化車両と称されたオハ60形(1949年)で採用された
完全切妻形車体(連結面に後退角がない車体)を採用した。

これにより客室の有効面積が拡がり、座席間隔がわずかではあるが広くなった他、
製造上もデッキ部分の工数が減ってコストダウンにつながっている。

従来の緩急車は、出入り台と客室の間に車掌室を設けていたが、
本系列ではオハ60系と同様、車掌室を車端部に移した。
これは車掌の後方監視の改善に寄与している。

生産時期は戦後復興が進展してきた時代であり、
内外装の仕上げも戦後の混乱期に比して良好なものとなった。


特急形車両(スハ44系)

1951年に特急列車のサービス改善を目的として、
戦前のスハ34形に相当する専用三等客車が設計された。

それらは基本構造はスハ43形に準ずるが、デッキは特別二等車並みに片側のみとされ、
車内は2列配置の一方向き固定クロスシートが
シートピッチ835mmで通路の左右に配置されるなど、
まだ戦災復旧車の70系や窮屈な60系鋼体化客車が当たり前に使われていた当時の
一般向け三等客車とは比較にならない高水準なアコモデーションを備えていた。

このグループとしては基幹形式であるスハ44形(1~34)、
緩急車として車掌室や手ブレーキ装置を持つスハフ43形(1~3)、
それに緩急車としての機能に加えて荷物室を持つ
スハニ35形(1~12)の3形式49両が製造されている。

新造後は当初の計画通り、東海道本線特急「つばめ」・「はと」や
東北本線特急「はつかり」などの特急列車を中心に使用されたが、
昼行特急はスピードアップのために電車化あるいは気動車化され、
夜行特急は寝台車主体の寝台特急(ブルートレイン)に移行したため、
冷房化されることもなく一般形車両に格下げ運用された。

なお、この格下げに際して回転クロスシートに改修しているが、
シートピッチの関係で向かい合わせ使用は不可能であった。

また、晩年に川俣線で使用されていたスハニ35形はシートが
特急時代の一方向固定式のままであった。

特急列車の相次ぐ電車・気動車化で余剰を来したスハ44系について、
観光団体専用列車や急行列車などへの転用が実施されることになった際、
一つの問題が生じた。

それは、本系列の座席が終端駅での編成全体の方向転換を前提とする
一方向固定式クロスシートであり、そのような運用が困難な団体列車や
急行列車での使用に適さなかったことであった。

そこで団体・急行列車に転用される車両について
各車の回転式クロスシートへの交換工事が実施されることとなったが、
これにあわせて10系客車などと比較して陳腐化が目立ち始めていた
内装の近代化改修もあわせて実施されることとなった。

これらの近代化改造工事を施工されたグループは、
当初は観光団体列車にオハネ17形などと共に運用されていたが、
1964年の東海道新幹線開業後は幹線系統の
急行列車の普通指定席車に充当されるようになり、
「瀬戸」・「明星」・「銀河」・「日南」・「筑紫」・「さんべ」などの
東海道・山陽線夜行急行を主体に使用された。

その後は1970年代以降格上げによる特急列車への種別変更と、
1975年の山陽新幹線博多開業で急行列車が激減し、
また車両そのものの老朽化も進行したことから、
最後まで本系列を使用していた急行「銀河」へ20系客車への置き換えが決定され、
1976年をもってスハ44形の全車廃車と本系列の急行運用消滅となった。

もっとも、老朽化していたとはいえ60系よりは格段に良好なコンディションであったためか、
車掌台付きのスハフ43形についてはその大半が当時大量の60系客車を抱えていた
四国総局へ転属の手配がとられ、
体質改善工事などの大がかりな更新修繕工事を実施の上で
国鉄分割民営化直前まで使用され続けた。

その後、1986年に日本ナショナルトラストの活動により
スハフ43 2・3の2両が同団体に払い下げられ、
現在も大井川鐵道で動態保存されている。

大井川鐵道では、大井川本線にオハ47形が4両、スハフ42形が4両配置され、
オハ35形、オハフ33形とともにSL列車「かわね路号」の客車として使用されている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「スハフ43」
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関東鉄道 キハ2200形

茨城県・下館駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・下妻駅にて平成19年8月に撮影 (携帯電話写真)

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現在は4両が在籍している。
新潟鐵工所(現・新潟トランシス)が製造を担当。

1997年(平成9年)10月より運用開始。
当初は2両だったが、翌年9月に2両増備された。

基本仕様は、キハ2100形に準ずる。
キハ2100形で採用したボルスタレス台車、新潟鐵工所製DMF13HZエンジンを踏襲し、
キハ2100形の両運転台仕様となった。

この形式で特筆されるのは扉配置である。
キハ2100形が両開き扉を片側3つ配置していたのに対し、
キハ2200形は両端の2つが片開き、中央のひとつのみ両開きとなっている。
これはワンマン運転を考慮したものである。

現在、主に水海道以北のワンマン単線区間を担当している。
また、日中に守谷までの複線区間乗り入れも行っており、
守谷駅で折り返し停車をすることも少なくない。

普通・快速列車問わず幅広く運用され、
休日ダイヤの快速は、当車両またはキハ2400形に限定される。

単線区間用車両であることから、新製時よりワンマン運転に対応しているが、
キハ2400形には設置されている駅名案内LED装置がない。

快速運転には当初対応していなかったが、
列車種別装置新設などの改造を2005年(平成17年)に受け全車対応した。

また、2003年(平成15年)5月~8月に防護無線が全車に取り付けられている。

(Wikipediaより)

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2008.01.08


ソ300 操重車

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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操重車(そうじゅうしゃ)は、事業用車の一種。
日本国有鉄道における車両表記は頭文字をとった「ソ」であった。

操重機(クレーン)を積んだ車両を指し、
脱線事故があった際の車両・設備復旧や、工事などに用いる。

自走できるよう当初は蒸気機関、後にはディーゼル機関を搭載したものが多かった。

大まかな分類として、事故救援用と架橋用の2種類が存在する。

事故救援用はその名前の示すとおり、
事故の際に転覆した車両等を移動するために用いられる。
架橋用操重車は架橋工事の際に使用され桁などの揚重に用いられる。

近年、道路網の整備等により事故・工事現場への
移動式クレーンの搬入が容易になったことから、使用の機会が減少し、
現在現役で使用されている車両はない。

(Wikipediaより)

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2008.01.04


EF58 61 ロクイチ お召し列車牽引指定機

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

鉄友からもらった写真

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

東京都・田端機関区にて昭和61年8月24日に撮影

鉄友からもらった写真

団臨

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・北鎌倉駅~鎌倉駅間にて撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・保土ヶ谷駅にて昭和61年9月14日に撮影 (サロンエクスプレスそよかぜ)

神奈川県・新子安駅にて撮影 (踊り子号)

神奈川県・国府津駅にて昭和62年2月14日に撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

静岡県・伊豆高原駅にて撮影 (踊り子号)

群馬県・井野駅にて昭和61年8月27日に撮影 (EF58-89との重連)

神奈川県・戸塚駅~大船駅間にて撮影 (江戸牽引)

神奈川県・東戸塚駅付近にて撮影 (江戸牽引)

団臨 (やすらぎ牽引)

サイド

神奈川県・新鶴見機関区にて昭和61年8月6日に撮影

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EF58形電気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の
旅客列車牽引用直流電気機関車である。

1980年代までにほとんどが営業運転から撤退したが、
お召し列車牽引指定機関車の61号機をはじめとする数両が
2007年現在でも可動状態で残存している。

改良型の新製機グループとしては初期にあたる1953年に製造された。
60号機が東芝、61号機が日立製作所の製造である。
1953年7月15日に60号機が浜松機関区へ、61号機が東京機関区へ新製配属された。

それまでお召し列車牽引用の電気機関車としては、
戦前の1934年に製造されたEF53形後期形16・18号機が用いられていたが、
車齢が高い上暖房用ボイラーがなく、東海道本線電化延伸に伴う長距離運転では
旧式なプレーン・ベアリングゆえ摩擦で車軸が過熱する恐れもあった
(EF58形は全車軸がローラーベアリングで長距離運転でも車軸発熱しにくい)。

このため、お召し列車運用を前提として最初から特別に製造された
(現在まで唯一の事例である)機関車が、EF58形60・61号機である。
これらの就役により、EF53は1954年にお召し列車の牽引から退いている。

天皇の乗用列車を牽引するという事情から、以下のような特別な装備が施されている。

運転上の安全対策

1.連結器接触面、車輪の外輪部側面、台車バネ吊り部材、
  ブレーキロッドなど重要部材を磨き上げ、点検時に亀裂などの発見を容易にした。
  これは同時に装飾の効果もあった。

2.確実な速度監視のため、速度計を運転席の他に助士席側にも増設した。

3.電動発電機用の界磁抵抗器を増設し、一部が故障した場合のバックアップとした。

4.故障時用に予備部品と工具を搭載。

5.自動連結器が外れる事故を確実に防止するため、
  上錠揚止装置(連結解除レバーのロック)を装備した。

6.停車位置を確実にするため、運転室の側面下部に
  列車位置停止基準板を装備(引き込み式)。

連絡設備

1.お召し列車編成内の供奉車(随行員・警備要員の乗車する車両)との連絡電話、
  及び機関車前後の運転室相互間の伝声管を装備した。

さらに、両端の運転台前面には国旗掲揚器具を装備し、
EF58の特徴である前面の飾り帯は磨き出しのステンレスとして
車体側面全周を取り巻くデザインとしている。

これはお召し列車牽引指定機を識別するポイントであり、
非常に美しい仕上がりとなっている。

塗色は、当初はどちらも他車と同じくぶどう色2号であったが、
61号機については1965年頃より御料車編成と釣り合う「深紅色(ため色)」と呼ばれる
お召し機専用色(ぶどう色に似ているが、ぶどう色ではない。
大宮工場が独自に調合したもの)とされている。

日立、東芝共にお召し列車専用の指名であるため、
会社の名誉を懸けて製造・点検を入念に行い、国鉄納入前の社内試験も厳重に行われ、
極めて良好な状態で納入された。

予算は一般のEF58形より130万円高い6,300万円であったが、
上記の特別仕様により、これらの機関車製造では両社共に大赤字を出したという。

61号機が初めてお召し仕業に充当された際の逸話であるが、
新しい機関車であるとの話を耳にした昭和天皇は、列車出発前の東京駅ホームで、
お召し列車牽引機の同機を間近に見たと言われる。

機関車が(天皇の意向によって)天覧に浴したのは、希な事例であろう。

61号機は東京機関区、60号機は浜松機関区にと分けて配置された背景には、
関西方面は浜松機関区が担当する計画があったためとされる。

実際には当初は上りと下りで両機を使い分け、その後は61号機が本務機、
60号機が予備機とされ、故障防止を兼ねて、毎月数回は一般の列車牽引にも用いられた。

両機はお召し列車運転時には入念な整備の上国旗を飾り、
御料車編成の牽引に充当された
(なお、お召し列車運転前の整備は61号機の場合、
長年大宮工場が専属で受け持っており、その名残から現在も定期検査は
大宮工場の機関車部を引き継いだJR貨物大宮車両所に委託している)。

本務機の61号機は昭和天皇のご乗用列車を100回以上牽引したと言われる。

その他、お召し列車が交流区間や非電化区間で運転される時の1号編成の回送にも、
直流区間は61号機が指名されることが多かった。

60号機は1967年5月、浜松で踏切事故を起こして2エンド側左台枠折損という重創を負った。

1973年にお召し指定が解除された後は一般機と同じ扱いになり、
側面フィルタのビニロック化、正面窓のHゴム支持化などの改造を行ったが、
老朽故障多発により1983年5月18日付で廃車となり、6月初旬に大宮工場で解体された。

61号機は60号機が廃車・解体された後の1987年に国鉄からJR東日本へ承継され、
2007年現在も可動状態にある。

1980年代以降はその来歴を買われ、イベント列車の牽引にも盛んに用いられた。

近年はお召し列車の運転回数も減少しており、
本来牽引すべき御料車の一号編成客車ともども老朽化が進行している。

既に電車形式のハイグレード車両と特別車両(E655系電車)が2007年7月に落成しており、
61号機も鉄道博物館への収蔵が検討されている
(JR側は既に、将来は鉄道博物館に永久保存することを明言している)。

とはいえ、2004年施行の全般検査を終えてからの61号機は、
未だに多くのイベント列車で運用されている。
特に2006年は10列車以上の牽引に充当された。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「EF58 61」
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◎Google画像検索「お召し列車」
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2007.12.20


茨城交通 ケキ102 売却中 (2007-12現在)

茨城県・那珂湊駅にて平成19年8月に撮影

茨城県・那珂湊駅にて平成19年8月に撮影

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新潟鉄工にて製造された。
日本のディーゼル機関車としては初期の部類の車両。
軸配置B-B。貴重なロッド駆動式機関車である。

(Wikipediaより)

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▼茨城交通サイトより
永らく貨車輸送に使用してまいりました『ケキ102』を売却致します。
往年は、イベント用として体験乗車等で活躍しておりました。
現在も自走可能です。
価格につきましては、応相談(但し、運送費用を負担出来る方。)
http://www.ibako.co.jp/rail/sale-102.htm

◎Google検索「ケキ102」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「ケキ100」
  http://www.google.com/...

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青森県津軽鉄道の名物「ストーブ列車」を牽引している機関車と同型機です。

◎Google検索「ストーブ列車」
  http://www.google.com/...

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2007.11.16


ED42

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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ED42形電気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である
鉄道省(のちの運輸通信省)が製造した直流用電気機関車である。

信越本線横川~軽井沢間(碓氷峠)の急勾配区間用アプト式電気機関車で、
ED40形の置き換え用として導入された。

基本設計はスイスから輸入したED41形を参考とし、
1934年(昭和9年)から1948年(昭和23年)までの間に、
日立製作所、東芝、川崎重工業、三菱重工業、汽車製造で28両が製造された。

車体は前後とも切妻の箱形車体で、車体前後端にデッキが設けられている。
運転台は坂下の横川寄りにのみ設けられた片運転台型である。

前位側の屋根上に停車場構内で使用するパンタグラフを1基搭載する。
本線上では第三軌条から集電するため、集電靴が片側2か所に設備されている。

走行部のシステムは、モデルとしたED41形と基本的に同一である。
電動機は、動輪用に2基、アプト式軌条のラックレールに噛み合わせる
歯車駆動用1基の計3基が搭載されている。

ラック台車(歯車用台車)は車体中央部に設けられ、動輪の第2軸、第3軸に
荷重を分担して負担させるようになっている。

走行用台車はボギー式となり、各台車のホイールベース間に電動機1基ずつが装架され、
動力は側面のジャック軸から連結棒で各動輪に伝達される。

その用途から一貫して横川機関区に配置され、
信越本線横川~軽井沢間において運用された。

1963年(昭和38年)9月30日に横川~軽井沢間が全面的に粘着運転の新線に切替えられ、
アプト式ラックレール区間を廃止したことで本形式は役目を終え、
同年12月9日に全機が廃車、除籍されている。

横軽間のアプト式廃止後、1号機が横川駅構内に、
2号機が軽井沢町の東部小学校に静態保存された。私鉄への譲渡機はない。

横川駅の1号機は、機関区の庫内に保存されていたが、
1967年(昭和42年)10月14日に準鉄道記念物に指定された。

また、1987年(昭和62年)に碓氷線電化75年を記念して、
横川運輸区と大宮工場(現在の大宮総合車両センター)の手により動態復元され、
運輸区内で走行を行なっている
(架線電圧が違うため、降圧用の機器を搭載したヨ3961(ヨ3500形車掌車)を連結した)。

その後、1999年(平成11年)4月に開館した碓氷峠鉄道文化むらに移されたが、
現在は静態保存となっている。

(Wikipediaより)

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2007.11.15


DD53

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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DD53形ディーゼル機関車は、
幹線列車牽引用、除雪用の両者を兼務させることを目的として、
日本国有鉄道(国鉄)が製造したディーゼル機関車である。

ロータリー式除雪用ディーゼル機関車としては、
DD13形を基本としたDD14形が実用化されていたが、
本州の日本海岸の湿った重い雪に対して使用するためには、
能力の不足がみられた。

そのため、DD51形を基本に、1,100PSのDML61Z-Rディーゼル機関を2基搭載し、
より強力かつ高速に除雪を行うことができるように設計されたのがDD53形である。

走行装置などの機構はDD51形とは全く同一であり、
夏季はDD51形と共通運用で営業列車の牽引が可能であるが、
冬季は除雪を行うことを前提とされているため、蒸気暖房装置は持たない。

除雪時は、第1エンド先頭部にロータリーヘッド
(ローターにより前方の雪をかき寄せ、遠方に投棄することにより除雪を行う装置。)を
接合して使用する。

ローターの駆動は機関車本体から伸ばされた動力シャフトによって行われるため、
車体形状はDD51形の凸型に対して、箱型となっている。
また、このロータリーヘッド上の運転席から遠隔操作で機関車本体の制御を行うことができる。

1965年に2両、1967年に1両の計3両が汽車製造会社で製造されたが、
当初の目的であったハイパワーが逆に仇となり沿線で諸問題を起こし、
本格量産には至らなかった。

「投雪が民家の敷地に飛び込む」というトラブルは、
古くは蒸気機関車推進のロータリー除雪車時代からあった問題だが、
DD53形の場合その威力が凄まじく、ガラス窓を割るばかりか、
中にあったピアノを破壊したという事実なのか分からない伝説まで登場したほどである。

1987年の国鉄分割民営化時には2・3号機が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。
2007年現在2号機のみが長岡車両センターに所属し、
信越本線や上越線の除雪用に使用されている。

また、国鉄時代に廃車された1号機は碓氷峠鉄道文化むらに静態保存されている。

(Wikipediaより)

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2007.10.21


EF63

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

長野県・軽井沢駅にて昭和61年8月27日に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

群馬県・碓氷峠鉄道文化むらにて平成19年9月に撮影

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国鉄EF63形電気機関車とは、信越本線横川駅-軽井沢駅間の
碓氷峠専用の補助機関車として旧・日本国有鉄道(国鉄)が設計、
1962年から製作した直流電気機関車である。

鉄道ファン等の間では、形式名称にちなみ「ロクサン」という愛称がつけられている。
また、峠の輸送を長年支えてきたことから「峠のシェルパ」と呼ばれることも多い。

碓氷峠区間ではアプト式ラックレールを使い、ED42形による運転を行っていたが、
同区間の所要時間を短縮し輸送力を高めるため、ラックレール方式を廃止し、
粘着運転に切り替えることとなった。

しかし一般の鉄道車両では上り下りできない66.7パーミルの急勾配は
解消しないままだったので、ED42形に代わって同区間の列車の牽引・後押しを行う
新形式機関車が必要となり、EF60形をベースにした機関車が開発されることになった。

常に重連で用いるため前面貫通型となっている点と、
傾斜したサッシ支持の前面窓、側面の通風窓が大きいのが外観上の特徴である。

機器・装置としては、EF62形と協調運転を行うことを前提にしているため、
EF62形と同様、EF70形で採用された出力425kWのMT52形モータを装備している。

EF62形1号機とEF63形1号機はほぼ同時に落成しているが、
この両形式は国鉄の直流機関車としては初めてMT52形モータを採用し、
電気機関車のモータ形式統一のきっかけとなった。

常に2両を1組にした補機として運用され、
電車列車・気動車列車・客車列車・貨物列車を問わず、
碓氷峠を通過するすべての列車に連結された。

勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、
勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる
抑速ブレーキとなるという機能であった。

急勾配では万一連結器が破損した場合も、車両の逸走を防ぐために、
必ず勾配の麓側にあたる横川側に連結された。

同じ理由で碓氷峠を通過する165系・169系は、自重が大きい
クモハ165形・クモハ169形(運転席とモーターが付いた車両)が
通常と逆の麓側を向いていた。

同様の理由で、長野配置の115系・新前橋配置の185系200番台も、
電動車ユニットの向きが逆になっていた。

これらの運転の条件により、この区間の運転は、
全てEF63形に乗務する運転士(機関士)が担当し、峠を登る列車では、
運転士は後ろ向きに運転した。

なお、この場合、列車の先頭に乗務している運転士は、
信号・安全の確認のみを行ない、運転操作は一切しなかった。

EF62形による客車列車や貨物列車では、下り列車の場合、
(軽井沢)EF62・客車・EF63・EF63(横川)の編成となり、
最前部のEF62側と最後部のEF63側の間の無線通信によって、
双方で運転操作(EF62側で引き、EF63側で押すプッシュプル方式)を行っていた。

上り列車の場合、(軽井沢)客車・EF62・EF63・EF63(横川)と
勾配の麓側に3両の機関車が連なり、
最前部のEF63形から3両の発電ブレーキを指令し、勾配を下っていた。

1978年には同区間をお召し列車が走った。
この時の補機として、11号機と13号機がそれぞれ任命され、
共に特別装備を施してお召し列車のサポートをした。

1997年10月1日の長野新幹線開通に伴い、
横川~軽井沢間の在来線区間が前日の9月30日に廃止されたため、
他に回す使用用途がなくなり全機廃車となり、事実上JRから形式は抹消された。

全車両が廃車となったEF63形であるが、保存の動きがあり、
24・25号機が本務用、11・12号機が予備用として
碓氷峠鉄道文化むら内で動態保存されているほか、
1・10・18号機が碓氷峠鉄道文化むらにて、2号機がしなの鉄道軽井沢駅にて、
15・19号機が長野総合車両センターにて、
22号機が個人所有で「碓氷峠の森公園交流館 峠の湯」にて、
13号機が前頭部のみ大宮総合車両センターにそれぞれ静態保存されている。

動態保存されているEF63形11・24・25号機
(12号機は塗装・形式番号や製造会社プレート等取り付けが済み、内部整備中)は、
碓氷峠鉄道文化むら内の運転体験コースにおいて、
1500Vを750Vに降圧されている環境ではあるが素人でも
有料・予約制の学科講習および実技講習を受けて、修了試験に合格すると
『EF63形電気機関車運転体験証明書』が交付され、
有料・予約制で軌道上を走行させることができる。

(Wikipediaより)

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2007.10.18


南海 21000系[21001系] / 大井川鉄道

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

静岡県・金谷駅にて平成19年9月に撮影

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南海21000系電車は、南海電気鉄道に在籍していた通勤形電車。

高野線山岳区間への直通運転(大運転)対応車として、
初めてカルダン駆動を採用した車両である。
現行の2000系・2300系へと連なる「ズームカー」の系譜の嚆矢となった。

増備車であり、直線基調(7000系と同様)のデザインに改められた
22001系との対比から、「丸ズーム」と呼ばれていた。

21001系登場前年の1957年に、1956年の紀伊神谷~紀伊細川間の
トンネル火災事故で車体が焼失した旧型直通大運転車
(モハ1251形1282・1283、クハ1891形1894)の機器を再用して
モハ21201-モハ21203-サハ21801-モハ21202の4両編成1本が
帝国車両で21201系が新製された。

21001系は、21201系が先行採用したものを踏襲した、11001系2次車以降の
非貫通型(後の初代1001系)を、同じ2扉でも17mに短縮したスタイルの
準張殻構造である。

車体裾に丸みが付けられている事が示す通り、
その断面形状は張殻構造の原則に忠実に従って設計されており、
「丸ズーム」という愛称もこれに由来する。

車内は、1962年に新製された3次車の第4編成までが、
11001系と同様の扉間転換クロスシート、1963年~1964年に新製された4・5次車は
オールロングシートに変更された。

1974年に第3・4編成は、オールロングシートに改造されている。
この際、第1・2編成はクロスシートのまま残されたが、
これは臨時「こうや」として運用されることを考慮してのもので、
冬期に実施されていた20001系の定期検査時や同系の故障時、
夏期の特急増発時などに重宝された。

照明は蛍光灯1列に加えて座席荷棚下に伝統の読書灯が備えられており、
これはロングシート車にも継承された。

クロスシート車であった第1・2編成の先頭車4両(モハ21001~21004)は
静岡県の大井川鐵道に、第3・5~7編成の先頭車8両(モハ21005・21006・21009~21014)は
島根県の一畑電気鉄道(現・一畑電車)に譲渡され、3000系として2006年現在も運用されている。

また、大井川鐵道に譲渡された編成は、
南海時代の旧塗装である緑の濃淡を塗色として使用しているが、
この内21001・21002は譲渡前に休車状態で工場に保管されていた時期に
50000系「ラピート」の塗装比較試験に使用されており、
当然ながら譲渡に当たっては再塗装が必要となったが、この際、
大井川鐵道側の希望でわざわざ旧塗装に戻されたといい、
追加譲渡された第2編成もこれにならっている。

なお、大井川鐵道に譲渡された車両も
一畑電鉄に譲渡された車両もワンマン改造を受けている。

ドラマ『特急田中3号』=劇中、桃山の住んでいるマンションの一室に
21000系の写真が飾られている。

(Wikipediaより)

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◎Google検索「南海 21000」
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2007.10.14


C56 44 大井川鉄道

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

静岡県・新金谷車両区にて平成19年9月に撮影

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C56形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した
軽量小型テンダー式蒸気機関車である。

1872年(明治5年)以来続いた鉄道の建設も、主要幹線の整備の目処が立つと、
政治的圧力を背景に輸送需要の大きくない
閑散支線区の建設促進へと移行していった。

当時こうした線区での蒸気機関車は、幹線の需要増大に対応できずに
幹線から撤退した旧型機、雑多な旧式輸入機が充てられていた。
しかし、幹線と支線との需要落差が広がると、幹線用機関車は旧型機であっても
大き過ぎて支線へ転用不可能となることと、
輸入車両の老朽化・部品確保困難に起因する整備費用増大が見込まれた。

そこで昭和初期に至って、閑散支線に最適化された、
軽量小型で保守の容易な機関車が計画されることとなった。

上記の通り本線より著しく低規格な簡易線には、大型機関車は入線できない。
このためまず短距離線区向けには1932年にタンク式のC12形が開発された。
軽量で前後進容易な小型機である。

しかし比較的長距離の線区では、C12形では航続距離が短く運用に適さない。
このためC12からタンクをはずし、テンダー式に設計しなおされたのがC56形で、
両形式は共通部分の多い系列設計となっている。

これは制式蒸気機関車系列化の先輩である
ドイツにおいて支線区向けに設計された、
64形タンク機と24形テンダ機の設計手法を参考にしたと思われる。

両形式は形態もC12形・C56形にそれぞれ酷似している。

当時は簡易線には、転車台が設置されている箇所が少なかった。

C12形はタンク式機関車のため、バックは容易に出来るが、
C56形はテンダー式機関車のため後方が見にくくならないよう、
テンダー側面を大きく欠き取って後方視界を確保したスタイルが特徴的である。
しかし実際には脱線が多発したため、入換を除けばバック運転は
ほとんど行われなかったといわれている。

C56形は軽量小型でありながら長距離の運用に耐えられる設計であるために
軍部より注目され、太平洋戦争開戦直前の1941年11月および12月に、
製造された160両のうち過半数以上の90両(C561~90)が供出され、
軌間を1mへ変更、その他多数の改造を受けタイ・ビルマ(現・ミャンマー)へと出征した。

タイへ送られたC56形は当時建設中だった
泰緬鉄道の主力機関車として運用される事になる。

しかし太平洋戦争が激化し、ビルマ戦線の戦いも始まった。
C56形は、地雷や爆撃・銃撃を受け大破した車両も多数あった。
そのためC56形は、昼間は運行せず夜間に細々と運行され続けたという。

また、泰緬鉄道は突貫工事の上酷使に次ぐ酷使で線路が悪く、
橋上で脱線転落し失われた機関車もあった。

敗色濃厚となった戦争末期には、鉄橋が破壊されるなどして
緊急の退却の際に機関車を連れて行けない場合も多く、
敵に機関車を利用されないために、
鉄道連隊の将兵の手によってカマに爆薬を詰められ、
機関車を、時には苦楽を共にした将兵も自ら体をくくり付け爆破する
「機関車の自決」も度々行われた。

そして終戦後、泰緬鉄道は各地で寸断・線路は荒れ果て壊滅的な状況に陥っていた。

同時に多くのC56形が廃車置き場に留置され、無惨な姿をさらしていた。

その後、運転が出来るC56形は泰緬鉄道が復旧した戦後も使用され、
46両がタイ国鉄700形(701~746)として使われた。

これらは1970年代後半から1980年代前半まで使用され、
現在でも713(C5615)・715(C5617)がタイ国鉄の手によって動態保存されている。

また1979年(昭和54年)には、
725(C5631)と735(C5644)が日本に帰還する事になった。
この2両は数多い出征機関車の中でも特別な存在である。

31号機は泰緬鉄道開通式に使われた機関車で、
44号機はタイで使われたC56形の中で、
現地で組立てられた機関車の第1号機関車であった。

両機共に、ロッドなどの細部の部品がいたるところ
他の同型出征機関車から流用・修理されており、その歴戦を物語る。

現在、31号機は靖国神社の遊就館で静態保存、
44号機は大井川鐵道で動態保存されている。

帰国後はオリジナルの姿への復元が行われたが、
屋根などにタイ時代の面影が残っていた。
大井川鐵道で運用を開始した44号機は、SL急行「かわね路号」に用いられた。

軍事供出で使用されていたタイから1979年(昭和54年)に帰還し、
大井川鐵道で動態保存さされることとなり
国内仕様に戻され活躍を始めたC5644であったが、
戦時中の酷使が災いして老朽化が著しくなり、2001年に大修理が行われたが、
なおもボイラー状態が芳しくなく同鉄道で最も非力
(単機で牽引できるのは客車3両が限界だった)であることや、
C11190の入線により機関区が手狭となったことから、
2003年12月より千頭駅で休車扱いで保管された後、
2006年9月より新金谷車両区にて整備が開始された。

劣化が著しいボイラーは、同鐵道が部品取り用として保管していた
C12208のものを流用のうえ交換、
外装はタイ在籍当時の姿(一部車体は緑色でタイ語も書き込まれる)に復元されている。

3月末にボイラー交換作業を行い、9月5日に報道陣公開の上火入れ式を行った。

9月中に再び試運転として本線を走り、2007年10月7日より運用に復帰している。

(Wikipediaより)

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