流山駅周歩

2009.10.04

総武流山電鉄 2000系 3000系

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号(元西武801系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号(元西武801系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号(元西武801系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・流馬号と明星号 / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・明星号(元西武701系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・明星号(元西武701系) / 現在は廃車

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※2000系・青空号(元西武801系)

千葉県・馬橋駅にて平成19年11月に撮影
※3000系・若葉号(元西武101系)

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※3000系・流星号(元西武101系)

千葉県・流山駅にて平成19年11月に撮影
※3000系・流星号(元西武101系)

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車両は1994年以降全車が西武鉄道からの譲渡車で統一され、
4編成10両の車両(2009年6月現在)が使用されている。
各編成ごとに異なる独特の塗装が施され、
塗色に応じた愛称が付けられている。
「青空」「なの花」は2両編成で、それ以外は3両編成である。
2両編成車はワンマン運転開始に伴い
行先表示器が幕式から四角系の枠2個のみで
行先を表示するLED式に交換されている他、
ドア開閉チャイムと案内放送、
自動の車内アナウンス装置が取り付けられている。

(Wikipediaより)

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走行音

2000系・なの花号(元西武701系)

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◎Google検索「流山電鉄」
  http://www.google.co.jp/...

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2008.01.19

流山駅ホームのイス

ボランティアサークル「明るい社会づくりの会」が
手づくりの座布団を駅に贈呈しています。

↓詳しいお話
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/...

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2007.12.21

近藤勇 陣屋跡

近藤 勇(こんどう いさみ)
天保5年10月9日(1834年11月9日) - 慶応4年4月25日(1868年5月17日)は、
新選組局長。晩年は幕臣。勇は通称、諱は昌宜(まさよし)。家紋は丸に三つ引。

農民宮川久次郎の三男として生まれる。

嘉永元年(1849年)11月11日、近藤は天然理心流剣術道場・試衛館に入門する。
盗人を退治するなどして近藤周助(近藤周斎)に認められ、
周助の実家である島崎家に養子に入り、島崎勝太と名乗る。
のちに正式に近藤家と養子縁組し、島崎勇と名乗ったのちに、近藤勇を名乗った。

万延元年(1860年)に清水家家臣・松井八十五郎の長女である松井つねと結婚。
翌年8月には府中六所宮にて、天然理心流剣術宗家四代目襲名披露の野試合を行い、
晴れて流派一門の宗家を継ぎ、その重責を担うこととなった。
また、文久二年(1862年)には、長女・たま(瓊子)が誕生した。

文久三年(1863年)、清河八郎の建策を容れ、
江戸幕府は14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」への参加者を募った。

斎藤一を除く試衛館の8人はこれに参加することを決め、
2月8日、浪士組一向と共に京都に向けて出発した。

中山道を進み、2月23日に京都に到着すると、
壬生郷士の八木源之丞の邸に宿泊し、世話になった。

清河は朝廷に建白書を提出し浪士組の江戸帰還を提案した。
異議を唱えた近藤や水戸郷士の芹沢鴨ら24人は京に残留する。
京都守護職会津藩主・松平容保に嘆願書を提出し、
京都守護職配下で「壬生浪士組」と名乗り、活動を開始した。

結成当初の壬生浪士組は運営がスムーズに行かず、
3月25日に壬生浪士組結成メンバーの一人である殿内義雄は客死した(暗殺説あり)。

根岸友山の一派と粕谷新五郎 は脱退し、阿比留栄三郎は病死(暗殺説あり)し、
家里次郎は切腹した。これにより壬生浪士組は近藤派と芹沢派の二派閥体制となった。

長州藩を京都政局から排するために中川宮朝彦親王(尹宮)、会津藩、薩摩藩主導の
八月十八日の政変が起こると、壬生浪士組は御花畑門の警護担当となった。

その後、働き振りが認められ、武家伝奏より「新選組(新撰組)」の隊名を下賜された。

また、同年9月16日(一説に18日)、芹沢一派が暗殺されると、
近藤勇主導の新体制が構築された。

元治元年(1864年)6月、新選組は熊本藩宮部鼎蔵の同志である古高俊太郎を捕縛した。

古高の供述から中川宮邸放火計画を知った新選組は直ちに探索を開始し、
池田屋に突入して宮部一派を壊滅させた。
この働きにより、新選組は朝廷と幕府から感状と褒賞金を賜った。

禁門の変出動を経て、近藤は隊士募集のために帰郷する。
ここで伊東甲子太郎ら新隊士の補充に成功した。

慶応元年(1865年)、永井尚志の供として広島へ赴く。
そして慶応三年(1867年)、新選組は幕臣となり、近藤は御目見得以上の格となる。
これにより近藤は幕府代表者の一員として各要人との交渉を行い、
そのなかには土佐藩の参政である後藤象二郎等も挙げられる。

そのころ、伊東甲子太郎は御陵衛士として分離し、
藤堂平助、斎藤一(近藤派の間者)らがこれに加わった。

伊東は近藤を暗殺しようとたくらむが(伊東には暗殺しようなどという気持ちはなかったという説もあり)、
同年11月18日、近藤は伊東を酔わせ、帰り際に大石鍬次郎等に暗殺させた。

その後、他の御陵衛士たちを誘い出して夜襲し、藤堂らを殺害した。
その報復として近藤は同年12月18日、伏見街道で御陵衛士の残党に銃で撃たれて負傷する。
そのため、慶応四年1月3日、鳥羽・伏見の戦いでは隊を率いることができずに大坂城で療養している。
近藤の治療は新選組の検診医でもあった幕府典医・松本良順が行った。

鳥羽・伏見の戦いにおいて敗れた新選組は幕府軍艦で江戸に戻る。
江戸に戻った際に松本良順宅を訪れ、そこにいた写真家の内田九一により写真が撮影され、
今現在まで2枚現存している。

なお、1枚の写真には右肩を負傷したために姿勢が若干傾いていると伝えられている。

3月、幕府の命を受け、大久保剛と改名した近藤は甲陽鎮撫隊として隊を再編し甲府へ出陣したが、
甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗れて敗走し、
その際、意見の対立から永倉新八、原田左之助らが離別する。

その後、大久保大和と再度名を改め、旧幕府歩兵らを五兵衛新田(現在の東京都足立区)で募集し、
4月には下総国流山(現在の千葉県流山市)に屯集するが、
新政府軍に包囲され、越谷(現在の埼玉県越谷市)の政府軍本営に出頭する。

しかし、大久保が近藤と知る者が政府軍側におり、
そのため総督府が置かれた板橋宿まで連行される。

近藤は大久保の名を貫き通したが、
元隊士で御陵衛士の一人だった加納鷲雄に近藤と看破され、捕縛された。

その後、土佐藩と薩摩藩との間で、近藤の処遇をめぐり対立が生じたが、
結局、4月25日、平尾一里塚(現在の東京都北区滝野川)で斬首された。

享年35(33歳没)。首は翌日京都へ送られ、三条河原で梟首された。
その後の首の行方は不明である。

(文・Wikipedia)

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◎Google検索「近藤勇」
  http://www.google.com/...

◎Google検索「近藤勇 陣屋」
  http://www.google.com/...

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とびだし禁止

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2007.12.15

フジカラー SUPER HG

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