鎌倉大仏 高徳院
「色々な面で、ど~ん!と構える体制ができるように・・」という願いを込めて
2008年の初詣は、鎌倉大仏へ行ってきました。
鎌倉大仏は、神奈川県鎌倉市長谷にある
浄土宗の寺院・高徳院の本尊(銅造阿弥陀如来坐像)で、国宝。
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▼案内板より
この大佛像は阿弥陀仏である。
源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、
僧浄光が勧進(資金集め)して作った。
零細な民間の金銭を集積して成ったもので、
国家や王侯が資金を出して作ったものではない。
初めは木造で暦仁元年(1238年)に着工し六年間で完成したが、
宝治元年(1247年)大風で倒れたので、再び資金を集め、
建長四年(1252年)に至って
現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。
原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右エ門や丹治久友の名が伝へられる。
大仏殿は建武元年(1334年)と慶安二年(1369年)とに大風に倒れ、
その都度復興したが、明應七年(1498年)の海潮に流失以来は復興せず、
露像として知られるに至った。
大正十二年(1923年)の大地震には
台座が崩れ仏像は前に傾いたが倒れなかった。
大正十四年(1925年)台座を補強し
仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。
昭和三十五、三十六年(1960~61年)の修理では、
前傾している頭部を支える頸部の力を、強化プラスチックで補強し、
大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、
台座と佛体が離れる免震構造が施された。
この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、
日本の文化財としては最初のものである。
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入口
仁王門
山号・大異山
仁王像
仁王像
手水舎
境内の様子
境内の様子
国寶 鎌倉大佛
大仏前
大仏前
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝) 背後
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝) 背後
鎌倉大仏・銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
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大仏内部
大仏内部
大仏内部
▼大仏内部について・案内板より
巨大な鋳造の内部が、
このように美しく鋳型跡が判然と見られることは他に類が無い。
鋳からくり(銅壁の上段と下段の継ぎ合わせ方)がよく見られ、
鎌倉時代の巨像の工法とその技術の勝れたことがよく判る。
頸部の内面の「ねん土」を塗ったように見える部分は
昭和三十五年(1960)に強化プラスチック(ガラス布)を
張り重ねて、頭を支える力を強化したものである。
この仏像のゆかは、大地震の際にはその下の台座から離れて
地震の方向に辷るようにつくられてある免震構造、
但し、どんな地震でも仏像の重心が台座の外に出て、
仏像が倒れることは絶対にない。
プラスチックのこのような利用と免震構造とは日本文化財としては
最初のものである。
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灯篭
大仏のわらじ(茨城県松栄子供会奉納)
与謝野晶子歌碑
与謝野晶子歌碑案内
鎌倉三十三観音霊場 第二十三番札所
鎌倉三十三観音霊場 第二十三番札所
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▼拝観案内より
この大佛像は七百年前の造立て阿弥陀佛である。
僧浄光が民間に資金を勧進して造立された。
最初は木造で暦仁元年(1238)に着工し
寛元元年(1243)に完成したが
宝冶元年(1247)の大風で佛像も殿舎も破壊されたので
今度は青銅の大佛を鑄造せんとして建長四年(1252)に工を起して
佛像も殿舎も数年で完成した。
鑄工として大野五郎右衛門の名が寺伝にあり
丹治久友の名が他の記録に知られるのみで原型作者は不明である。
穂高(台座共)13.35米 青銅佛身11.312米 重量121噸
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