2003年7月:法・2つ目の終
2003年7月、法的には時効をむかえた。
元々、罪を犯したのではなく、罰を与えてあげたのだから…。
生きている俺と由香に対して時効という概念自体、おかしな話なのだ。
「もしもし、由香? この夏の盆、啓治のお母さんの墓参りに行こう…」
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2003年7月、法的には時効をむかえた。
元々、罪を犯したのではなく、罰を与えてあげたのだから…。
生きている俺と由香に対して時効という概念自体、おかしな話なのだ。
「もしもし、由香? この夏の盆、啓治のお母さんの墓参りに行こう…」
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2002年1月、法的には時効をむかえた。
でも、人の感情はそんなに簡単には区切りをつけられるものではない…。
時効という区切りは何のためにあるのか?
この区切りの後は、悪人でも良人の顔をして堂々と生きられることが許されてしまう。こんなこと、俺は許せない。許さない。きっと由香もそうだろう。
あいつにはいつまでも地の底で反省していてもらわなくては困る。
たとえ時効が過ぎた今でも、そしてこれからも…。
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ようやく、事実を事実として受け入れることができつつあった。由香とは、連日のように電話をしていた。
“啓治の墓に行こう”2人でそう決めた。
部活の先生は、今、啓治の両親がどこにいるかは不明だと言っていた。
啓治が転校した学校に再び電話をして、啓治の両親の連絡先を教えてもらおうとしたが、啓治の死後、両親は静岡を離れてしまったらしく、新しい連絡先などはわからないとのことだった。そんな中、1つの事実を教えてもらった。啓治が自殺する1ヶ月前、つまり1986年12月に啓治の両親は離婚し、啓治は母親に引き取られたとのこと。そして、母親と啓治は静岡に新たにアパートを借りて、そこに住んでいたらしい。が、今は母親もそのアパートにはいなくなってしまったとのこと。
啓治の親に連絡が取れなくては墓参りすらできないと思った。
警察に行けば、何か手がかりを教えてくれるかもしれないと思ったが、その前に気になる人物がいた。
TVに映っていたあの女性だ。
あのペンダントをしているということは、絶対に啓治のことを知っているに違いない。それに、どうしてあのペンダントをしているのかも知りたかったので、まずはあの女性を探してみることにした。
女性探しは意外にも簡単だった。TV局に電話をし、番組名と映っていた日時を告げると、取材されていたお店を教えてくれた。
ペンダントのことばかりが気になってしまっていて、番組で何を取材していたのか全く覚えていなかったが、どうやら東京に新しくオープンした雑貨店の取材だったらしい。映っていた女性は、その雑貨店の店長とのこと。
由香は春休み、久しぶりに東京の親戚の家に泊まりに来ることになっていた。そこで、その時期に合わせて2人であの女性がやっているという雑貨店に足を運んでみることにした。
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先生は、啓治の自殺について、こう教えてくれた。
転校して間もなく、新しい学校で虐められていた。
家庭事情も悪化していて、啓治が自殺する直前には両親が離婚をしていた。
そのような事情が重なり、行き詰まって自殺したらしい。
自殺した場所は、横浜の本牧埠頭だった。
生まれてからずっと育ってきた思い出の地である横浜で、最後の区切りをつけたかったのではないかとのこと。
本牧埠頭の使われなくなった小さな倉庫に、自ら火をつけて自殺したらしい。そして、たまたま倉庫の裏にあったガスボンベに引火し、最終的には倉庫自体が爆発してしまい、啓治の体はかなりのエリアに散ってしまっての発見だったとのこと。
当初、警察では事故、事件、自殺と色々なケースを考えて捜査していたが、現場の状況、倉庫の窓から投げ捨てたと思われるライターに啓治だけの指紋がついていたこと、学校での虐めや家庭事情などの動機があることから、警察では最終的に自殺と判断したらしい。
遺書は特になかったようだ。
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とても由香には話せなかった。もちろん、同級生のどんな奴にも・・。
苦しかった。この事実を自分で背負うだけでも、胸が圧迫され続けていた。
啓治の自殺を告げられた翌日、俺は部活が終わった後、顧問の先生に話があると伝え、聞いてもらう時間をもらった。
そして、啓治が自殺していたことを先生に伝えた。
“お前には気づかれてしまったか・・”先生は、すぐにそう答えた。驚いた。先生は啓治が自殺して死んでいたことを知っていたのだ。
先生曰く、啓治が自殺した時期は、例のア・テストに向けての大事な時期だったということと、ア・テストが終わった今でもこれから受験に向かっていく大事な時期ということで、“啓治が自殺した”という事実は、精神的に計り知れないショックを与えるに違いないだろうということで、あえて、生徒には話さないように先生達の判断で決めたらしい。そして、先生は俺にこう伝えた。
“辛いだろうけれど、啓治が自殺して死んだことを他の生徒には伝えないでもらいたい”と・・。
悩んだ、迷った。でも由香だけには、やっぱり伝えないといけない。そう決めた俺は、それまでの人生で経験したことのない息苦しさと冷たい汗の中、由香に電話をした。
何分くらい泣いていただろう。俺はその間、一言も声をかけてやることができなかった。そして、受話器を置いた。
春休みまであと少しの頃だった。
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1987年の頃、神奈川県の高校受験制度は、中学2年の3月に行なわれるア・テストと中学3年1学期の内申書、入試結果の3つを総合して合否を決めるものだった。そのため、その最初の関門となる中学2年の3月に行なわれるア・テストは、決して気を許せるものではなかった。
そんな時期も重なってか、気づいたらア・テストに集中していき、ペンダントと啓治のことは自然と気にならなくなってしまった。
ア・テストは思いのほか満足に終わりホッとした頃、由香から電話があった。
“やっぱり啓治に電話がつながらない。せめて今の連絡先くらい知りたい”というものだった。
この電話がキッカケで、しばらく忘れていたペンダントのことも頭によみがえってきた。俺も啓治とこのまま一生連絡が取れない仲になってしまうのは惜しいと思ったし、何よりもペンダントの話を聞いてみたかった。
ア・テスト期間の前後、部活もずっと休みだったが、久しぶりに練習がはじまった。そこで、休憩時間に部活の先生に啓治のことを聞いてみた。
“先生、この前啓治に電話したんだけど、つながらないんだよね。もしかして啓治ってまた転校しちゃったの?”
すると先生は、“いや?聞いてないよ。静岡で頑張ってるんじゃないのか?”と最近の啓治のことは全く知らない様子だった。
(後に気づいたのだが、実はこの時、先生は啓治が死んでいたことを知っていたのだ。受験をむかえる俺のことや啓治が悲惨な死に方をしたことを考慮して、あえて嘘をついていたのだ)
翌日、俺は思い切って啓治が転校した学校に電話をした。
“2年の○○啓治の前の学校の友人なのですが、最近連絡が取れないもので。もしよろしければ、現在の連絡先を教えていただきたいのですが”と…。
おそらく、少し間があったかと思う。
か細い声での返事だったと思う。
ここからしばらくのことは、あまり覚えていない。
“○○啓治君は今年の1月に悲しくも自殺されて亡くなりましたが…”
おそらくそのような言葉を告げられた記憶がある。
そして、俺はこの言葉を発したのは絶対だ。
“はっ?”
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啓治が転校してから2ヶ月後、啓治につられるかのように、由香も転校した。転校先は福岡だった。転校直後は、啓治や由香とも電話で話などをしていたが、転校して1ヶ月もすると、自然と電話の回数も減り、最近ではすっかり音信不通的な状態だった。
そんな中、朝のTV番組で見かけたペンダントのことが気になり、久々に啓治に電話をしてみた。・・が、“おかけになった電話番号は現在使われておりません”のアナウンスだった。
由香とは電話がつながった。久々の電話ということで、お互いの近況話が盛り上がり、ついついペンダントの話など忘れそうになっていたが、由香の“で今日は何で突然電話を?”の一言で、一気に本題の話に転換した。
そして、啓治が由香に贈ったはずのペンダントを、TVに映っていた女性が身につけていたのを見た話を切り出した。最初、由香はなぜ俺がペンダントの存在を知っているのか、とても驚いた。おそらく啓治は1人でペンダントを選び由香にプレゼントしたと伝えていたのだろう。そんな啓治の思いを考え、ペンダントの話は啓治から聞いたんだと伝えた。
由香の口から意外な言葉が出た。
“あのペンダントは、私が福岡に転校する時に啓治に返した”と‥。
啓治と由香の恋人関係は、啓治が転校してもしばらくは続いていた。しかし、由香が福岡に転校することが決まった時、お互いに別れる道を選んだ。そして、別れるときに、あのペンダントを由香は啓治に返したとのこと。由香曰く、“別れても、私のことは一生忘れないでいてもらいたいから”との意味を込めてのことだったらしい。
由香も別れてからは、啓治には全く連絡をしていなかったらしく、今の電話番号がつながらないことも、俺から聞いて初めて知ったようだった。
結局、なぜあのTVの女性がペンダントをしていたかの謎解きにはならなかった。しかし、由香の手元にないことが確認できた以上、TVで見かけたあのペンダントは、間違いなく啓治が由香にプレゼントしたペンダントだとさらに確信した。
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1987年3月、いつものようにTVの朝の情報番組を見ながら朝食を食べていたある日のことである。番組でインタビューを受けている女性の胸元にふと目線をやると、見覚えのあるものが映っていた。あのペンダントである。
ただのハート型のペンダントであれば、きっと見逃していたと思うが、ハートの中央に513という数字が刻まれていたのである。
間違いない、絶対にあのペンダントだ。そう確信した。
でも、由香じゃないこの女性がどうして?
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啓治とは、中学時代の同級生。同じバスケ部員ということでつるむことが多かった。しかし、中学2年の夏、父親の転勤の都合で啓治は静岡の学校に転校した。
啓治が転校すると決まったとき、実はすごく悲しんでいた女の子がいる。名前は由香。そう、啓治と由香は恋人同士だった。
ある日、そんな由香へ心に残る最後のプレゼントをしたいということで、プレゼント選びの買い物に付き合わされた。そして、横浜元町に世界でたった1つのオリジナルアクセサリーを作ってくれる店を見つけた。
普通に頼めば2万円近くするのだが、その店のオジさんは中学2年の啓治が抱く想いに感動し、たった3千円で作ってくれた。
そして、とても3千円には見えない、高貴な香りのするハート型のペンダントが完成した。ハートの中央には啓治と由香が恋人となった日(5月13日)を記念して513という数字を刻んでもらった。
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それは、啓治の死が全てのはじまりだった。
1987年1月、横浜本牧のある埠頭の倉庫前で小さな爆発事故が発生。新聞では地方版記事で紹介された程度の事故だった。この事故で、1人の男が死んでいた。その名は啓治。彼がこの事故で死んだことは、あの女が現れるまで全く知らなかった。
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